逃亡ーウルの街十二
翌日、僕らは再びニールとアンネの薬屋を訪ねた。
昨日の今日で顔を出しづらかったが、アイクが行こうと言いだして、今日またここに来ている。
先ほどから、そのアイクの様子もおかしい。
普段見せないほど仏頂面をしている。緊張しているのかな?とも思ったが、どうもそうではないようだ。気が乗らないなら、顔を出さなくてもいいんじゃないかな、とも思って、そのことをやんわりと伝えてみたけれども、どうしても、この時間に行かなければならないようだ。
店が近づいてくると、急に足音を消し始めた。
「どうしたの?」
怪訝に思って聞いてみると、しっ、と静かにするように手で制せられる。
そして、ぼそり、と小さな声で教えてくれた。
「今日、この時間に、店に来てくれれば、面白いものが見られるって、昨日ニールが言っていたんだ。ちょっと気になったからな・・・・。まあ、シエラの様子も気になったことだし・・・・」
とってつけたように言っているが、シエラの様子が気になるというほうが本命のようだ。それならそうと素直に言えばいいのに、と、しらっ、とした気持ちになる。
そんな僕の顔を見て、何か言いたそうだったが、諦めたように一つため息をつくと、ゆっくりと足音を忍ばせて、気配を消しながら、扉に近づき、音もなく開けた。
僕も、入り口を入る前から、ニールとアンネが話し合う声が聞こえていたため特に不思議にも思わなかったが、そのままアイクと並んで、入り口を開けた瞬間、思わず凍り付いてしまった。
そこにはカウンターの中でニールに抱き着くアンネの姿があった。
ニールは、すました顔で、立っている。
ニールは入り口の正面に立っており、すぐに僕らの姿に気付いたようだったが、アンネは入り口に背を向けており、気付いた様子はない。
「ねええーー、ニールうー」
ひどく甘い声だ。いつもの大雑把な男っぽい話方とは全く違っている。
「どうしたの?」
ニールは普段通りだ。それなのになぜだかこちらまで恥ずかしくなってくる気がした。
「シエラも元気になったことだしー、どこか、ゆっくり旅でもしないー?」
「今はシエラの容態も落ち着いているけれど、まだ体力が無いんだから、あの子だけ残していったら、どんな無茶をするか分かったものじゃないでしょ?」
「えええーーー・・・。けち!」
唇を尖らせて不平を言うアンネは、いつも以上に幼く見える。まるで僕よりも年下の女の子のようだ。
「あ!じゃあさ!シエラとルシカも一緒に連れていこうよ!」
「だーめ!体力がまだ戻ってないって言ったじゃん!」
「もう!!・・・嫌い!!」
頬を膨らませ、ニールの胸元に顔をうずめてしまった。
「ええーそれは困るな・・・」
頬をつんつんとつつきながら、少し面白そうに困った表情をしている。
しばらくそうしていると、パンパンに膨らんだ頬の空気が、口元から抜けるゆるい音が聞こえた。
「うそ。大好き!」
そう言って見上げたアンネは、首元に手を回すと、そのまま唇を尖らせ、瞳を閉じた。
僕は、見ていられなくなって思わず目をそらしてしまった。
「流石に人が見ている前では・・・二人もそう思うよね?」
面白そうな声音に思わず目を向けると、ぴたりと固まったアンネの後姿があった。
そのまま、ゆっくりとアンネが後ろを振り向く。
そして僕らと目が合った。
その表情をなんと形容していいか僕には分からない。ただ、信じられない恐怖と、恥ずかしさが入り混じった、驚きの表情浮かべ、見つめ合うことしばし、一瞬で耳まで真っ赤に染まっていく。
僕の頬もまるで熱を持ったかのように熱くなってきた。
そんな中、アイクがゆっくりと歩みを進める。
「シエラはいるか?」
「うん。いますよ」
ニールの表情はどこか面白がっている色がある。アイクは変わらずの無表情だ。
「なんで何も言わない・・・?」
消え入りそうな声でアンネがつぶやく。
アイクが、アンネに視線を向けた。ひどく気の毒そうな目だったという。
「何か言ってほしいのか?」
ふるふる、とアンネが震え出した。
「く・・・・・・」
次の瞬間、ニールを突き飛ばすと、入り口めがけて駆けだしてきた。
扉の前に立つ僕のことも押しのける。
「くそおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
絶叫を残してそのまま町の中に消えていってしまった。
「随分と人が変わるのだな」
「あなたと言う人は・・・・」
まるで動じないアイクに、ニールは少し苦笑いをしている。
そうして通された部屋で、寝台の上に上半身だけ起き上がり、ルシカと何か遊んでいたシエラが、僕とアイクを見て、ぱあっと顔をほころばせたが、すぐにアイクの憮然とした表情を見て、何かを悟ったのだろう、ひどく残念そうに苦笑いする。
「体調はどうだ?」
「ええ、もうずいぶんよくなっていますよ」
「そうか・・・。それはよかった・・・・」
「あとは、無くなっていた体力をゆっくりと回復させることですかね」
「そうか・・・・。あまり無理はするなよ?」
「そうします。それでも回復魔法を必要としている人たちがいれば、私はそれを施したいんです」
「止めるわけにもいかない・・・か」
「ええ。あなたが行ってしまうのを止められないのと同じですよ」
「む・・・・」
花のような笑顔で皮肉を言われてしまい、アイクは憮然とした顔でそれ以上何かを返すことができないようだった。その様子にシエラがころころと笑いだす。
「もう、私のことを救ってくださる王子様のような方がいなくなってしまうのは寂しいですね・・・・」
「やっと本心を言えるようになってきたな」
アイクも皮肉を返したようだ。シエラがむくれる。そんな顔も可愛いと見とれてしまう自分と、それ以上に気の置けない会話をするアイクを妬む自分がせめぎ合う。
「もう!そういうことを言うんですね・・・」
「本当のことだろう?」
シエラはそれには答えないで、急に遠い眼をして瞳をそらす。
「あなたと言う人は、まるで風みたいですね」
アイクはむっつりと黙り込んでしまった。
「ふわふわ、ふわふわとつかみどころが無くて、優しく包み込んでくれるのかと思えば、冷たく厳しく吹き付ける。それでも決してそばを離れることが無い・・・・。それでいて、どこか気まぐれで、気付けばすぐにいなくなってしまう・・・・」
「俺は・・・・」
アイクが何かを言おうとした。それでもその先は言うことができなかった。だからアイクが何を言おうとしたのかは誰にもわからない。
アイクの言葉を遮るように、シエラがアイクの首に手を回し、ぎゅっと抱き着いたからだ。
アイクが驚きに身を強張らせる。
その耳元で、小さな声で、祈りをつぶやく。
「どうか・・・、愛しいあなた様に、女神さまの祝福がありますように。あなたを待ち受ける困難の霧を晴らし、壁を飛び越えて、どこまでも行けますように。あなたの未来に限りない幸せと、そして、光がありますことを」
何かを確かめるように体を重ね合う二人を、今まで以上に複雑な気持ちで見つめ合う。
そして、ゆっくりと体を離したシエラは、濡れた瞳でしばらくアイクの切れ長の瞳をのぞき込む。
意を決したように、瞳を閉じると、吸い込まれるように顔を近づけ、そのまま誰にも止める間もない素早さで、唇を重ねた。
どきり、と心臓が脈打つ。
それがいったい何の意味があるのか、僕には全くわからなかった。それでも、ひどく不愉快な気持ちになったことは確かだ。
今すぐに引き離したい衝動を抑え、ゆっくりと唇を重ね合う二人を見つめる。
そのままどれくらいの時間がたっただろうか。シエラがゆっくりと顔を離した。
その瞳からぽつり、と一筋の涙が零れ落ちる。
アイクは、身を強張らせたままで、ひどく驚いたようにシエラを見つめている。
「どうか、元気でいてください・・・。そして・・・・、そして、もし、またお会いすることができましたら・・・・・・」
うつむきがちにためらいながら告げられたその先の言葉は、ドクンドクンと耳元でうるさいくらいになり続ける鼓動の音に掻き消され、僕の耳には聞こえなかった。
「・・・・・」
ただし、その言葉を聞いて、アイクが何とも言えない複雑な表情を浮かべる。
そしてそれを寂しげに見つめ続けるシエラを残し、僕は居ても立っても居られなくなり、その場を後にした。
気付けば外は雨が降っていた。
そう言えば、朝から曇り空だったなあ、とようやく気付いた。
ぽつり、ぽつりと振り出した雨は、どんどん、どんどん雨脚が強くなり、やがて、ばしゃばしゃと全身を濡らす大雨に変わっていた。
―――アンネさんは、大丈夫かな・・・。
どうしてここで彼女の心配をしているのか分からなかった。それでも、ふとアンネのことを思わずにはいられなかった。
後ろから、ぱしゃぱしゃと雨に濡れた地面を歩いてくる足音が聞こえてきた。
「夏ももう終わるから、そうして雨に濡れると風邪ひきますよ?」
ニールだ。声で分かった。
「ニールだって、そうじゃないの?」
後ろを向いたまま答えた僕の頭上に、すっ、と何か影ができる。
「これ、傘っていうんですよ。こうして雨を避けることができるんです」
「そしたらニールは雨に濡れちゃうから、僕はいいよ」
「そうですか」
それ以上何かを言うこともなく、ひょいと傘を僕の頭上から退ける。




