寄道ー水竜の祠八
この洞窟に来た目的が。月雫草が、そこに群生していた。
剣のような鋭く細長い草が、天に向かって、ぴんと切り立ち、それが何本も、何本も密集して生えている。
草の根元には、滾々と洞窟の壁から湧き出てきた水が溜まり、蒼く発光する魔力を多量に含んだ水をたっぷりと吸収し、月雫草は生き生きとその身をたたえている。
その草の上に、ぽつ、ぽつと鈴のような形をした花が控えめに咲いている。
先端に近づくほど膨らんだ形の花は、まるで雨上がりのように、ぽたり、ぽたり、と花弁から蒼く発光する雫をたらしている。
何より、まるで呼吸をするかのように、蒼い光が明滅するその花弁は、とても幻想的で、そして、美しかった。
―――シリウスにも見せてやりたかったなあ・・・・。
ひどく悲しい気持ちがしたのは、この場で、喜びを分かち合える唯一の仲間が、気を失ったように深く眠りに落ちていることだろうか。
ニールがゆっくりと近づいていく。
その手には、ガラスでできた小さな瓶が握られている。
震える手で、花弁にその瓶の口を近づけ、そこから垂れる雫をぽつり、ぽつりと受け止める。
小さな瓶はすぐにいっぱいになり、それを慎重に蓋したニールは、丁寧に瓶を背嚢に仕舞い込む。
「すぐにここを出よう」
「そうですね」
余計なことは何一つ言わない。幾分この幻想的な光景に心残りがあるが、それでも、月雫草の花蜜は、丁寧に魔力的な処理をしなければ、その薬効が、四、五日しか持たないことを知っているから、そこから二人の行動は早かった。
三日ほどの時間をかけてゆっくりと進んできた洞窟を、バシャバシャと水を跳ね飛ばしながら必死で駆け抜けていく。
運よく、水蛇がまだ気絶したままで、素通りできた上に、ロックタートルの死骸がちょうど出口に横たわっていたため、その横をすり抜けながら、他のロックタートルが起きだしたのを委細構わず駆け抜けていく。
息せき切って駆け抜け、ようやく安全なところにたどり着いてから、示し合わせたように、倒れこむ。そして、その日はそのまま死んだように眠りについた。
ゆっくりと目を覚ました。優しい蒼い光が僕を包んでいる。
―――ここは・・・?
視線を巡らせて、ごつごつした岩肌を目にし、ようやく僕は今自分がどこにいるかを思いだした。
ひどくほっとした。
――――まだ、僕は生きている。
ゆっくりと体を起こすと、僕の隣にアイクとニールが眠っていた。
――――僕らはまだ、生きている!!
体の節々が痛んだ。喜びではね起きた瞬間、軋みをあげた体に、思わず呻き声をあげる。
「大丈夫か?」
僕が起きだした物音で目を覚ましたのだろう、アイクが心配そうに僕を見ている。
「うん・・・・何とか・・・」
ぎこちない笑顔を浮かべると、ほっとしたようにアイクが微笑む。
そこからは時間との戦いだと言われた。
早々に出発し、その日のうちに洞窟の入り口を目指して駆け抜ける。
まだ体の節々が痛み、思うように走れないが、そんなときにニールが手渡してくれた丸薬を飲んだら、少し体が軽くなった。
そうして走っているうちに、どんどん、どんどん痛みに慣れていき、気付けば普通に走っていた。
時たま休憩をはさみ、夕刻、まだ、太陽が西から真っ赤に川面を照らす時刻には、入り江に停泊した船が見えてきた。
「おい!!戻って来たぞ!!」
「おーーーい!!大丈夫だったかーー!?」
船に乗っていた三人の男たちが僕らに気付き、身を乗り出しながら口々に喚きたてる。
―――ああ、ようやく戻って来れた・・・。
ひどく疲れていたが、同時にとてもほっとした。
何より、何日かぶりに見た太陽は、とても眩しく、すぐには直視できないほどだったが、目が慣れてくるうちに、どんどん温かな物が胸の内にこみあげてきた。
この気持ちをなんと言葉にすればいいのか分からない。
いや、そもそも無学な僕にはこの感動を表す言葉など知りようがない。
それでも、一つ確かに思ったことは、僕は、この温かくも、眩しい太陽のもとでしか生きていられないんだなあ・・・。と言う実感だった。
「おい!大丈夫だったか!?」
伸ばされた手を掴み、船に飛び乗った。
「ああ、大丈夫だ!!何とか採取してきたぞ!!」
アイクの言葉ににわかに歓声が上がった。
「あなたたちは大丈夫でしたか?」
「ああ、ニールさん!俺たちは幾分退屈していたが、ほとんど何も起きなかったぜ!!」
ニールが目に見えてほっとした。
「では、今すぐにでも出発しましょう!!」
号令一声、来た道を戻るように船が進む。
すでに暮れ始めた深紅の川面をざぶざぶと勢いよく水を跳ねながら進んでいく。
ふっ、と後ろに振り返った洞窟の蒼が、西日の赤の中に掻き消されるように、それでもなお消えることなくほのかな光をたたえている。
ずうっとあの洞窟の中で過ごしてきたから忘れてしまっていたけれども、あの神秘的な蒼い光は、息をのむほど美しい。
煌々と照り付ける西日に目を細めながら、僕は目に焼き付けるようにその洞窟をいつまでも眺め続けた。
そして、それはアイクとニールも同じだったのだろう。その姿が見えなくなるまで、僕らは三人並んでその洞窟をただ静かに見つめ続けた。
それから一日かけてスラムの街並みが見えるところまで戻って来れた。
遠く見える街並みはひどく懐かしく、ああ、ようやく帰ってこられたんだな、と安堵してしまう。
向こうでも、僕らの船に気付いたのか、どんどん、どんどんと川岸に人が集まって来ていた。
「おーーーーい!!!」
興奮のままに手を振ってみると、向こうも手を振り返してくれた。
そんなことすらも楽しくなってきてしまう。
「あんまり身を乗り出すと落ちるぞ」
アイクがはしゃぐ僕を見かねたのか注意してくるが、普段の仏頂面からは想像もできないほど機嫌がいい。
岸に降り立つと、アンネとグラントが迎えてくれた。
「大丈夫だった!?」
「お前ら、無事か!!??」
不安そうに僕らを見上げてくるが、僕ら全員が五体満足なのを見て、幾分ほっとしたようだ。
「それで・・・・」
アンネの言葉を遮るように、ニールが月雫草の花蜜が入った小瓶を掲げる。
「手に入れたよ!!」
何が、とは言わない。ただ自慢げに、集まってきた人々を見渡しながら、ゆっくりと降りる。
わずかな沈黙ののちに、爆発するような歓声が上がった。
「やった!!!」
「手に入れたってよ!!!」
「すげえ!!すげえぞ!!!」
「お前らよくやったよ!!!」
「ああ、これでシエラ様がよくなるんだねえ!」
グラントが涙を流している。
「よくやったよお前ら!!!本当にすげえ奴らだ!!!」
バシバシと感極まって背中を叩かれたが思わず咳き込むほど力が強い。
「ありがとう・・・・。やっと・・・・あの子を助けられる・・・・」
泣き崩れたアンネをニールが支える。
「シエラはどうした?」
アイクはアンネに静かに問いかける。
「あの子は・・・・もう起き上がることもできなくなって・・・・」
その言葉に僕は、思わず青ざめてしまう。
―――もしかして、間に合わなかったか!?
「ここには来られなかったけれども・・・・家で寝かしているよ・・・・。もう少し遅かったら・・・・」
「なら早く薬をもって行ってやれ」
アイクの言葉にアンネはようやく何をしなければいけないかを思い出したようで、必死に嗚咽を抑えながら立ち上がると、ニールに支えられながら、懸命に駆け出していった。
僕も後を追おうとしたが、アイクに止められる。
「こんな大所帯を連れて行けないだろう?俺たちまで行ってしまえば、こいつらは全員付いてきてしまう。そうすれば、調合も失敗してしまうかもしれないだろう?」
そう言うと、その場にいた人々の祝福を受けながら、ゆっくりと宿に向かって歩き出す。
その日、スラムは上へ、下への大騒ぎだった。
まるで祭りの日のように、夜遅くまで町は騒いでいたが、その中心であるはずのアイクとシリウスは、早々に宿に引き上げ、街の喧騒を聞きながら、眠りに落ちていった。
そして、もう一つの中心であるニールとアンネの薬屋も、夜遅くまで明かりがともっていたが、誰にも邪魔されることなく、静かに時を過ごしていく。
その中で治療を受けるシエラがどうなったのか、誰も知らない。だが、皆、祭りのように騒ぎ立てながら、それでも、心の中で真摯に祈り続けていた。
―――どうか、あの優しい娘の命を救ってあげてください―――。
一人一人の小さな祈りはやがて大きな波となり、このスラムを包み込んでいく。




