寄道ー水竜の祠四
「今のは一体なんの薬なの?」
「今のは滋養丸と呼ばれる、体の自然治癒力を高める丸薬です。そこに、よく眠れるように眠り水連という、水辺に咲く、眠くなる空気を周囲にまき散らす花を乾燥させ加えたものです」
「それを飲めば明日には治るの?」
「いえ、普通であれば治りません・・・。あとは彼の自己治癒力に任せるしかないでしょう・・・」
「そうか・・・・」
僕は頷くだけしかできない。そんな僕に、ニールは腕を出すように指示する。
「一応念のためにシリウス君の腕も見させてください」
僕は言われるがまま左腕をむき出しにし、ニールの眼の高さまで掲げた。
「改めて確認させてもらうと、すごいな・・・。ほとんど傷が癒えている・・・・。それこそ回復法並みに劇的だ・・・・」
驚きに目を瞠るニールに僕は聞いてみた。
「ふつうはこんなにすぐには治らないんですか?」
ニールが呆れたように僕を見る。
「当たり前でしょう!?先ほど遠目にちらりと見えましたが、あの状態では少なくとも左肩は完全に外れていましたよ!!その上あれだけ青紫に腫れあがっていれば、筋肉は断裂して、もしかしたら骨もばらばらに粉砕されていたかもしれません!!それが、今見た所、ただの青あざに、それもほとんど消えかかっているじゃないですか!!こんなこと見たことありませんよ!!??」
言われて見ればかなり激痛がしていた気がする。しかし、極度の集中と緊張のあまり、それがどれくらいの痛みだったかはもうすでに思い出せない。
「とにかく、とりあえずこれを塗っておいてください!もし何かあっても大丈夫なように」
手渡された小さな壺には、緑色のどろりとした液体が入っていた。
ふたを開けてみると、ひどく、つん、とした嫌なにおいが鼻を突く。思わず顔をしかめて、ニールを見つめる。
「大丈夫です。腫れを抑える効果がある塗り薬ですよ」
ひどくべたべたするそれを手に取ってゆっくりと患部に塗っていく。
「しかし、よくあのロックタートルを倒すことができましたね・・・・。まさかとは思っていましたが、これほどとは思っていませんでしたよ!!」
「え!?でも昔ここに来たときは、あそこは通り抜けたんでしょ?てことは倒したんじゃないの?」
「いえ・・・。以前は見つからないように細心の注意を払いながら通り抜けたのですよ」
僕はニールの言葉に逆に驚かされてしまった。なにせ、この先まで進んだことがあると言うので、てっきり、ジーンという亡くなった仲間とともに来たものだと思っていたからだ。
「その時は一人で来たの?」
「ええ。もちろんアンネも来たがりましたが、私一人のほうが逆に安全だと宥めすかして来たのですよ」
「へえー。傭兵を雇ったりしなかったの?」
ニールは苦笑いを浮かべる。
「私はこう見えて、腕利きのシーフなんですよ?それこそ、あの町で雇える傭兵を雇って一緒に来ても、ここでは足手まといでしかないでしょうね・・・」
「シーフ・・・?」
僕がきょとんとした顔をしたので、ニールはひどく驚いたようだ。
「あれ?アイクさんがシーフなのではないのですか?あの身のこなしからそうだと思っていたのですが・・・?」
「そのシーフっていうのは・・・何?」
「ええっと・・・シーフと言うのは、いわば偵察や暗殺に特化した能力を鍛えた者たちのことです。メンバーの中で、先行偵察を行ったり、戦闘時には敵の後方から姿を隠したまま忍び寄って攻撃したり・・・。そういう気配を消したり、感知したりする技能に習熟した者のことですよ」
それならアイクはシーフだ。剣闘士をしていたころからシーフの役割をしていたことになる。
「まあ、私はここら辺では腕利きと言っても、恐らくアイクさんには遠く及ばないと思いますけれどね・・・・」
ひどく寂しげに笑うニールがアイクを見つめる視線には、多分に憧れの感情が含まれているが、どこか悲しみもあり、しかし、嫉妬や妬みと言った感情が無いのがひどく不思議だった。
今日は、このまま、その場でゆっくりと休むことになった。
アイクはずうっと一日中眠ったままで、時たま夢にうなされている様で、苦しそうにうんうんとうなり声をあげている。
寝返りを打つたびに、痛みに顔を歪めるアイクに、明日の体調次第では、このまま帰還もある、と静かにニールに告げられた。
思わず窺った横顔は、何とも言えない表情をしており、彼自身も、このまま進むか、それとも引き返すか、判断に迷っているのだろう。
いや、もしかしたら、彼自身は声の限りに、進んでほしいと願いたいのかもしれない。それでも、僕らに無理な願いをすることをためらっている。
シエラもそうだが、ニールも、そしてアイクにすらも、僕はもっと我儘に願いを口にしてほしかった。
どうしてだろうか?と考えていて、それでも答えを言葉にするのは難しかったから、それ以上考えることをやめた。
冷たく、美しい洞窟は、幾分見慣れたと思った今でも、ひどく美しく。そして儚い。
ごろりと横になって見上げる岩肌の蒼は、水面の揺らぎを映しこむように、ゆらゆら、ゆらゆら、と波打つように光り輝き、それはまるで、夏の川辺で、水の中から空を見上げるような、深い安らぎを覚える。
ああ、この美しい洞窟を兄さんと一緒に見たかったなあ―――。
そう思うと、涙が一つ零れ落ちてきた。
無性に兄が恋しくなって、今でも肌身離さず首にぶら下げている兄の形見の首飾りをゆっくりと握りしめた。
その日はそのまま眠りに落ちた。
朝起きた時には左腕の痛みはもうすでに全く無くなっていた。
昨日少しあった腫れも無くなり、違和感も全くない。
アイクは、珍しくゆっくりと起きだし、それも完全には目覚めていないようで、上半身を起こしたまま、寝ぼけたように顔をこすっている。
「もう大丈夫ですか?」
すでに起きだしていたニールが、アイクに水筒を手渡しながら、容体を尋ねている。
「ああ、昨日よりは随分ましになった・・・」
アイクが言うように、体を動かしても、痛みに顔をしかめていない。
「いいですか?」
ニールはアイクに確認を取ると、すぐにアイクの横腹をゆっくりと触り出した。
真剣な表情でじっくりと確認している。
どれくらいの間そうしていただろうか?探索の打ち切りもあり得ると言われていたので、僕は固唾をのんで見守っていた。
そのうちに、アイクをここに残して、最悪の場合僕とニールだけでも先に進むことを提案しようかどうか迷っていると、ニールが一言つぶやく。
「いや、すごいですね・・・・」
ゆっくりと手を離す。
「何がだ?」
「魔法とは、こんなにもすごい物なのですね・・・。ほとんど完治していますよ。骨は治っている上に、腫れもほとんど引いています。まだ青みは残っているので、多少の痛みはあると思いますが、行動に支障が無ければ、恐らく大丈夫でしょう」
「ああ、大丈夫だ。それにしても、シエラもアンネも魔法を使うだろう?そんなことに驚くなんて今更だな」
アイクは別のところに驚いたようだ。ニールは気まずげに笑う。
「やはり、アンネが魔法を使えるということに気付いていましたか・・・・。まあ、僕たちの場合はシエラがいたので怪我を負っても、すぐに治してもらっていたのですよ・・・・。それがあの子の負担になるとも露知らずにね・・・・」
何とも言えない気まずい空気になってしまった。
「私もジーンも、魔法は使えなかったわけですが、当時はシエラとアンネが魔法を使えるようになったことに妬ましくもあり、誇らしくもあって、自分は半ばこんなものだと諦めてしまったわけですよ・・・。今更にしてひどく羨ましく思ってしまいました」
それ以上は何も言わなかったし、ただ自嘲気味に笑うだけだったが、もしかしたら、悔やんでいるのかもしれない。
そのまま僕らはゆっくりと進んでいく。
道中、魔獣と呼べないような小動物を見かけたが、それらは僕らの姿を見つけると、途端に逃げ出してしまい、何の危険もないまま過ぎていく。
そのまま、昼になろうかという時分に、ぴたりとニールが足を止めた。
「この先です。この先で以前私は引き返しました。この先を抜けるのは、恐らく至難の業でしょう」
「何があるのだ?」
「「水蛇」と呼ばれる魔物の巣があるとされています。水魔法を操る蛇のような魔物で、体長は大きいものになると、五メートルを超えると言われています。うろこは非常に固く、そして表面の水分のせいで剣が滑ってしまい、よほどの剣の使い手でなければ傷を負わせることは難しいと言われております。普通は苦手とする火魔法を使って焼き殺すか、もしくはハンマーのような鈍器で叩き潰すかのどちらかだと言われますが、なにせ数が多いです。前回来たときは命からがら逃げました。それも、「水蛇の巣」にたどり着くことすらできずに・・・」
「でも、ここでも姿を隠して見つからないように通り抜けることはできなかったの?」
「ええ。奴らは普段、洞窟の岩肌に穴をあけてその中に生息していますが、獲物が近づくと、どうしてか何かしらの方法を使って察知する様で、臭いを消しても、死角を探して歩いても、そして音を消しても見つかってしまいました」
「ならばできるだけ道の真ん中を歩き、接近する敵を索敵しやすいようにして駆け抜けるしかないな。もちろん近づく敵は排除しながらな」
アイクの言葉にニールが苦笑いしている。
「頼もしいですね」
「行くぞ」
アイクが歩き出した。ニールはアイクの横にぴたりと張り付き、いつの間に取り出したのか分からない短剣を身に着けている。
「それと、言い忘れましたが、水蛇の牙には弱いですが、麻痺毒があります。一度や二度噛まれても大丈夫ですが、積み重なると動けなくなって殺されてしまいますから、十分に注意してください」
僕は、丸盾を失ってしまったので、左手が空いてしまい、ひどく落ち着かない心持がした。
なんだか、左側が不用心な気がする。たまらず、鞘を構えようとしたが、やめた。兄がやっていた二刀流を見よう見まねでやったところで意味などない。ましてや、剣ではなく鞘を構えたところで、それが邪魔にしかならないことははっきりと分かってしまった。
ずんずんと進むアイクの後を追っていくと、なるほど言われなければ気付かなかったが、通路の岩肌に少ないが、丸い小さな穴が開いている。
おそらく注意してみていなければ見落としていただろう。
目を凝らして前を凝視する僕に、ぴたりと動きを止めたアイクの姿が映る。
そのままくるりと振り向くと、一瞬で僕の視界いっぱいにその姿が広がる。
地面を蹴ったアイクは、空中で、ぶん、と腕を振り上げると、なぜか、僕めがけて右手の手甲の刃を突き出してきた。
―――なに――――が―――?




