逃亡ーウルの街五
「ありがとうございます」
ひどく楽しそうで、くるりと回りながら踊るように入って行った。俺もその後に続く。
中は、非常に清潔で、先ほどの薬屋と同じような造りになっており、狭い室内には、寝台が一台と、その前に机といすが置かれている。
そして奥の壁際には、天井まで届くほど大きな棚が置かれており、そこには所狭しと薬が並べられていた。
「ルシカ、奥の部屋で休んでいなさい」
「うん・・・!」
まだ幼いルシカには、見せられないこともあるのだろう。ルシカはごねることもなく、素直にうなずくが、奥の扉に姿を消す彼女の背中は少し寂しげに見えた。
「あの子には、私が病気になって、そして主人が亡くなってから、辛い思いばかりさせています・・・」
その背中を見送りながらシエラが申し訳なさそうに呟く。
「そう言うなら、もっと母親として一緒にいてあげればいいのではないですか?」
「そうもいきませんよ・・・」
儚い笑顔を浮かべる目の前の女性は、今何を思っているのだろうか?神から与えられた己の力を疎ましく思うのだろうか?それとも、誰かの命を助けることができる自分の力を、誇らしく思うのだろうか?
俺には彼女の苦悩は分からない。ただ、そこにいるのは、皆が思うような、女神のごとき女性ではなく、一人の、子を思う母親でしかなかった。
「ここは・・・、あなたの治療院ですか?」
「ええ、そうですよ」
そう言うと、ゆっくりと、扉をあけ放ち、椅子に座った。
そこにはもうすでに、先ほど見せた憂いの色はない。
「シエラ様ー!いらっしゃいますか?」
それをまるで見計らったかのように、子供連れの女性が入り口から顔をのぞかせた。
「どういたしましたか?」
女性に手を引かれた子供は少しふらふらとしており、咳き込んでいる。
「うちの子供が風邪をひいてしまったみたいで・・・・。昨日から少し熱があるんですよ。どうすればいいですか?」
「では、こちらにいらしてください」
子供がゆっくりと寝台に寝かされる。
子供の額に手を当てながら、優しい声で尋ねる。
「どこか痛いところはある?」
「この辺が何だか痛い・・・」
子供は喉のあたりを抑えながら、かすれた声で告げる。
「そうなの・・・」
子供の体を少しずつ触っていく。額から、喉を触り、脇を触り、太ももを触り、そして最後に手首をつかんで脈を図っている。
「うん!ただの風邪だから、ゆっくり休んでいれば治るわよ!」
「ほんとですか!?シエラ様!!」
女性が少し大げさに見えるほどホッとしている。
「ああ、よかった・・・。流行り病にかかったらと思うと・・・」
少し興奮している女性をなだめるように、シエラは肩に手を置くと、微笑む。
「大丈夫ですよ。今日はお薬を出しておきますので、飲んでくださいね。体にいい栄養たっぷりな物なので、これを飲ませてゆっくり休ませるようにすれば、明後日には治っていますよ」
女性は安堵したのか、薬を受け取ると、何度も頭を下げながら帰って行った。
「お金はとらないのですか?」
「ええ、ここの方々はお金がない方が多いですから」
驚いた。
「じゃあ、どうやって生活しているのですか?」
「ここら辺の方々は助け合いながら生きておりますから」
そこから、途切れることなく人々がやってきた。
やってくる人々は、半分ほどは何も持ってきていない。しかし、半分の人たちは自分で作った野菜や、果物を持ってきてくれる。
それをすべてシエラは受け取っている。
驚いた。この治療院には治療費はない。ただ、単純に治療に来る人々の好意で成り立っているのだ。
日も傾き、あたりも暗くなってきた。ようやくシエラの治療院も落ち着き、人の流れも少なくなってきた。
シエラが背伸びをして、立ち上がった。そのまま、扉に向かおうとした瞬間、入り口の扉が勢い良く開けられる。
そこには、二人の男性が立っていた。
焦ったように駆け込んできたその男性は一人が血まみれで、意識を失っていた。
もう一人の男性がその男性を背中に抱えながら、ぜえ、ぜえ、と息をきらしている。
「どうされたんですか!?」
「シエラ様!!助けてください!!レッドストーン山脈で、魔物に襲われたんです!!!こいつ・・・・俺を助けるために・・・・!!」
その場で崩れるように泣き出した男の肩に手を置いて、宥める。
「落ち着いてください。こちらの寝台に・・・・」
精根尽き果てたような男性は、シエラの言葉も聞こえないようで、ぼろぼろと涙を流しながら崩れ落ちている。
「あの・・・」
困ったようにシエラが声をかけるが、男は座り込んだまま動かない。
俺はつかつかと無造作に近づくと、ひょいと血まみれの男を抱え上げ、寝台に寝かせる。
「これでよかったのか?」
驚いたように見つめるシエラに問い返す。
はっ、と我に返ると、シエラは寝台に駆け寄り、血まみれの男の全身をくまなく探っていく。
パッと見た所、肩口から腰に掛けてざっくりと切り傷がある。刃物のような鋭利なもので切り裂かれた傷ではなく、返しの付いた、刃先が太い何か、例えば爪のようなもので切り裂かれたような痕だった。
そして、体のあちこちに擦り傷を負っていた。頭は、ぱっくりと割れて、額からどくどくと血が流れ落ちている。
顔色が悪い。恐らく相当な量の血を流したのだろう。もはや意識もないような状態だ。すぐにでも流れ出る血を止めなければ、あと数分と持たずに死んでしまうだろう。
ふと、入り口が騒がしいことに気付いたので視線を向けると、そこには多くの人たちが心配そうに見つめていた。
「かなり危険な状態ですね・・・」
シエラの体から魔力の高まりを感じた。
ゆっくりと、優しい光が全身を覆っていく。そして、その光はシエラの体から流れるように寝台に寝かされた男の体を包み込んでいく。
ふっ、と先ほどまで浅い息を繰り返していた男の息がゆっくりと吐き出される。
思わず目を疑った。
そこには、心地よさそうに安らかに眠る男と、どんどん、どんどん、ゆっくりとだが確実に塞がっていく傷跡があった。
まるで奇跡の業だな・・・・・。
言葉では聞いていたが、初めて見たその回復魔法の神髄に、思わず鳥肌が立った。
―――神に愛されているものしか使えない―――。
昔、父が話してくれた、一度だけその目で見たという回復魔法の奇跡を目の当たりにし、驚きよりも、歓喜に身が震えた。
そして、そこには、何事もなかったかのように安らかに眠る男が残される。
入り口から歓声が上がった。
それは室内に轟き、それを皮切りに、シエラがほっとしたように安堵の息を吐く。
シエラはその後、彼らが何度も頭を下げながら帰っていくのを笑顔で見つめていた。
そして、扉を閉めたその時、俺の見ている前で、シエラがゆっくりと倒れた。
急いで駆け寄って、地面にぶつかる前に助け起こす。
その体はひどく熱を持ち、ぜえ、ぜえ、と乱れた呼吸はひどく苦しそうだ。
「大丈夫か!?」
俺の心配をよそに、シエラは額を流れる汗をぬぐいながら、悪戯っぽく笑いかけてきた。
「こんな風に殿方に抱き留められたのは、主人以来ですよ」
「そんなことより!!お身体は大丈夫ですか!?」
「ええ・・・。いつものことです」
ゆっくりと俺の体に捕まりながら体を起こそうとしたが、足に力が入らなかったのか、ぐらりと倒れこむ。
慌てて支え、膝の裏に手を入れて、ひょいと抱え上げた。
シエラの驚いたような顔が、すぐ近くに来る。先ほどよりも白い顔にゆっくりと朱が差した。
「まあ!お姫様みたいでなんだかドキドキしますね・・・」
悪戯っぽく笑いかけてくるシエラを抱えたまま、寝台まで歩き、そのまま寝かせた。
「どうしてこんな無茶をするのですか?あなたは回復魔法を使うたびに命を削っているのですよ?」
思わず問わずにはいられなかった。
「それが私にできる精一杯のことだからですよ」
優しく笑うその笑みは、どこか儚い。
「でも・・・・」
その先を告げようとした俺の口元にほっそりとした人差し指が差し出され、それ以上の言葉を止められる。
「私は、私の命が続く限り、皆の命を助けたい。それが今の私の願い。」
ひっそりとほほ笑む彼女は、どこまでも美しく、そして、どこまでも神秘的だ。その言葉に嘘偽りがないことは、見ていれば分かる。
「それに、アンネとニールのおかげで、症状の進行は遅らせているのよ?」
冗談めかして、くすり、と笑うその顔が子供みたいに無邪気で、本当に今の状態を理解しているのかと疑いたくなる。
「自分で一番わかっているわ・・・。この命が長くないことは・・・・。今の唯一の心残りは、あの子を残してしまうことだけ・・・・。それも、アンネとニールに任せているから安心ね」
悲しかった。そこまで分かっていて、それでもなお、人を助けることをやめない生き方が・・・。胸が痛んだ。これほどまでの病魔に苦しめられ、今も、話すのさえ辛いはずだ。さっき、回復魔法を使ったときだって、死ぬほど苦しかったはずだ。それでも、決して笑うことをやめないこの女性の在り方に、ひどく胸が締め付けられる。
その時、奥の部屋を開けて、ルシカがひょっこりと窺うように扉の影から顔を出す。
「ママ?もう、おしごとはおわったの?」
ルシカは、寝台に横たわるシエラを見て、驚いたように目を見開き、慌てて駆け寄ってきた。
「ママ!!どうしたの!?ぐあいわるいの!!??」
シエラがゆっくりと手を伸ばして、精一杯背伸びをして不安そうに窺う娘の頭を撫でる。
「大丈夫だよ。ちょっと、めまいがしただけで、休めばよくなるから」
「ほんとうに・・・?」
「うん!もうだいぶ良くなったから、ほら、大丈夫だよ」
シエラがゆっくりと体を起こす。
まだ全身に力が入らないのか、ふらふらとしているが、それでも何とか体を起こした。
そのままゆっくりと立ち上がる。
思わず、ふらつく体を支えてしまったが、俺の体を支えに、ゆっくりとシエラが立ち上がった。
「ほら!もう大丈夫でしょ?ご飯作るよ」
「無理するな」
「大丈夫ですよ。そうだ!!アイクさんもご飯食べていきます?」
明らかに無理した様子のシエラが心配だった。それでも、これ以上彼女に負担をかけるわけにはいかない。そう思った俺は、夕食の誘いを固辞し、その場を後にした。




