逃亡ーウルの街四
パタパタと小さな足音が聞こえる。
その足音の主は、そのまま、今僕たちがいる小部屋に元気よく飛び込んできた。
「ママ!からだよくなった!?」
小さな女の子だった。くりくりと大きな瞳は、シエラと似て垂れ目がちで、小ざっぱりと肩口で切りそろえたサラサラの髪の毛を揺らしながら不安そうに駆け寄っていく。
その女の子は、部屋の中に立ち尽くす僕らを見ると、怯えるように、シエラの後ろに隠れてしまった。
「こら、ルシカ、知らない人がいたら、どうするんだっけ?」
ゆっくりと諭すようにシエラが頭を撫でる。
気持ちよさそうに瞳を細めた少女だったが、それでも、僕らに対して、少し怯えがあるのだろう、シエラの背中から少しだけ顔を出すと、「こんにちは・・・・。ルシカです」とあいさつをする。その小さな手は、ぎゅっとシエラの背中を掴んだままだ。
アイクが、にっこりとほほ笑みながら、ゆっくりと膝を折り、屈みこんだ。
「元気な女の子だね。よろしくルシカ。俺はアイクって言うんだ。あっちのお兄さんがシリウスだよ」
おずおずと顔を出したルシカに僕はぎこちない笑みを浮かべる。
ルシカは、アイクを見て、僕を見上げて、またシエラの背中に引っ込んだ。
「ママ・・・。このひとたちだれ?」
不安げに小声でシエラに聞くが、その声は、狭く、そして静かな室内で、僕らの耳まで届いた。
「ママの病気を治すために薬を持ってきてくれた人たちだよー」
ひょっこりと顔を出した女の子はアイクに疑わし気な視線を向ける。
「ママのびょうき、なおるの?」
「ああ、きちんとお薬飲めば直るよ」
「でも、ママ、ずっとおくすりのんでるけど、ずうっとくるしそう・・・。ねえ!いつになったらママのびょうきなおるの?ほんとうにおくすりできるの?」
泣き出しそうになりながら不安を吐き出す女の子の、ぎゅっ、と握りしめられた手のひらに、アンネの柔らかい手が重ねられた。
「大丈夫!ママのことは私が絶対直して見せるから!だから安心して」
「うん・・・・」
「ほら!見て?この人たちが持ってきてくれたんだよ?この花がね、お薬の材料になるんだ」
そう言ってアイクが手渡した竜血花を指さす。
「きれい・・・・」
目を見開く少女にアンネが優しく語り掛ける。
「ママのことは大丈夫だから。安心して?」
その時、再び入り口からばたばたと足音が聞こえ、眼鏡をかけた男性が飛び込んできた。
「ルシカちゃん!よかったここにいた・・・・。ちょっと目を離したすきにいなくなって・・・・」
一目で分かった。その男性は強い。アイクやリックに勝てる程とは思わなかったが、それでも、すらりと線が細そうに見えて、意外とがっしりした肩幅に、手のひらを覆う剣ダコ。優しそうに見える瞳の奥に、見慣れない僕らに対する油断ない警戒心が窺える。
「こら!ニール!目を離すなってあれほど言ったろう!」
「まあまあ、アンネ・・・。ニールもありがとう」
「いやー・・・、面目ない」
身を縮こめて申し訳なさそうに頭を掻く男性は、ちらりと僕らに視線を送ると、「で、お二人はいったい誰なんですか?」と尋ねてくる。
「彼らは旅の傭兵だってさ!この竜血花をもらう代わりに、ウル湖の対岸まで送り届けてほしいんだと」
ニールは目を見開く。竜血花を見せると皆は多様な反応をしている。それほど、竜血花が貴重だということなんだろうけれど、アイクがあまりにもあっさりと採取していたので、それほどありがたみがあると思っていなかった。
この時僕は勘違いをしていたが、そもそも「暗黒森林」の奥まで行ける者はほとんどいない上に、行こうとする人間も数えるほどしかいない。
「それは、それは・・・・」
それ以上は何も言わなかった。その場の雰囲気で、もう決定したことだと分かったのだろう。
「ちょうどいいところに来てもらったわ、ニール!このお二人を対岸まで運んでもらえるとしたら、いつ頃になるかしら?」
シエラが顔をほころばせる。花が咲くようなきれいな笑顔だ。
「いいのかい・・・?」
ニールが、シエラを見るが、シエラはきょとんとした顔をする。すぐにアンネを見るが、アンネは諦めたように首を横に振っていた。
「そうか・・・・。シエラがいいなら、明日にでもここを発って、向こうに向かえると思うよ。ただ、そうしたら、遅くなるよ・・・・?」
「私はいいの」
シエラの笑みは崩れない。
「もういいか?明日発てるというのなら、こちらも準備がある」
アイクが立ち上がり、その場にいた皆に告げる。
「ええ、ありがとうございました。では、お元気で。あなたに女神さまのご祝福がありますように」
そう言って胸の前で手を組み、恭しく頭を下げるその姿に、僕は思わず見とれてしまった。
アイクが背を向け、その場を後にする。フェイルが慌てて追いかけ、僕も後ろ髪を引かれる思いをしながら、後を追っていく。
「どこか寝れるところはあるか?」
「ああ、ええっと・・・・。一応宿があるけれど・・・・」
「じゃあ、そこに案内してくれ」
何かを言おうとして諦めたフェイルはそのままずんずんと歩いていき、二階建ての建物の前で止まった。
「ここだ・・・」
入り口にいた妙齢の女性がフェイルを見つけ、驚く。
「いらっしゃい!フェイルさん!どうしたんですか今日は!?」
「この二人のために部屋を取りたい。部屋は空いているか?」
「はい!フェイルさんの頼みとあれば、いくらでも準備できますよ」
女性はそのまま僕らに向きなおると、座っていた机の中から一本の鍵を取り出し、アイクに手渡す。
「はい!こちらが部屋の鍵です!お金を今いただいてもいいですか?」
僕らは言われた料金を払って、まだ何か言いたそうなフェイルと分かれ部屋に向かう。
部屋の中は非常に質素な造りだった。
寝台が二つ、並べられており、その二つの寝台の間には、小さな丸机と、椅子が二つ、置かれている。アイクは、奥の寝台に荷物を置き、ゆっくりと窓の外を眺めるように腰掛ける。
「ねえ、アイク」
「どうした?」
アイクがこちらを振り向く。その顔は、憂いに満ちているように見えた。
「命の水薬って、竜血花さえあればできるの?」
「いや・・・・・・・できない・・・・・」
ためらうようなその口ぶりに、僕は立ち尽くしたまましばらく何も言えなかった。
「え?」
たっぷり十秒以上沈黙した後に、ゆっくりと聞き返す。
「できない・・・・。少なくとも、もう一つ、貴重な薬草が必要だ。「月雫草」の花蜜」
「なら・・・!」
「それ以上は言うな!!命がいくつあっても足りない・・・。お前に、他人のためにかける命があるか・・・?」
「そんな・・・・」
言葉を失った。シエラは、このままでは治らない。その事実が重くのしかかってくる。
その時、窓の外を眺めていたアイクが、ふっ、と何かを目で追う。
「少し出てくる」
そう言い残すと、未だに呆然と立ち尽くす僕を残して出かけていってしまった。
俺はどうしていいか全くわからずにひどく悩んでいた。シリウスにはああ言ったが、それでも、自分も己の決断に後悔していた。
だからだろうか、窓の外を何気なく見つめていたら、そこにシエラの姿を見て、思わず飛び出すように宿を後にした。
似ているな―――。
初めて会ったとき、自分の故郷に残してきた愛しい女性に、似ていると思った。
顔つきは似ていない。恐らく知人は、そして、彼女のことをよく知る者たちは、似ていない、と笑うだろう。
言葉遣いも、そして、たたずまいも、シエラほど洗練されてはいない。
それでも、俺は思う。どんなにつらい時でも、ニコニコと明るく笑う、その姿は、ひどく心を揺さぶる。
周りを幸せにするその笑顔に、俺は何度助けられたことか―――。
だからこそ、助けたいと思った。助けてあげたかった。それでも、託された物がある。リックに、リオンに、そしてローグやセルバに、未来を託された。シリウスを託された。ならば、冷静な判断を下すしかない。それが、いかに不本意だったとしても・・・。
前を行くシエラは、ゆったりと歩いている。道行く人々が声をかけている。全員顔見知りなのだろう。彼女は、全員に笑顔を向け、挨拶をしている。
広場に着いた。
そこには、多くの子供たちがいた。子供たちはシエラの姿を見ると、一斉に集まってくる。その中にはルシカもいる。
「シエラねえちゃん!げんきになった!?」
「シエラおねえさん!!はやくおげんきになってもっと私たちとあそぼうよ!!」
口々に騒ぎ立てる子供たちに笑いかけながら、一人ひとり頭を撫でていく。
「ねえ!また、おもしろいおはなしきかせて!!」
「つよいようへいのはなしがいいな!!」
「ええーー!?それはこのまえはなしてもらったから、こんどはおひめさまのはなしにしてよ!!」
「はい、喧嘩しないで、みんな仲良くしようね。じゃあ、どっちの話もしよっか?」
「わーーい!!」
広場の一角で、そのまま、子供たちに向けてシエラは物語を始めた。
広場を通りかかる人たちの中には、大人ですらも、足を止めて話に聞き入る者たちが出てくる。
シエラの声はとてもきれいで、よく通る透き通った声をしている。
朗々と流暢に進む話は、思わず物語の中に引き込まれてしまうほど話し上手だ。
時には小声で、ささやくように、そして、時には大きな声ではしゃぐように、その場にいた人々は、子供も大人もその話口についつい身を乗り出す。
話が終わると、広場のあちこちから一斉に拍手が送られる。
シエラはそれを少し気恥しそうに聞きながら、立ち上がった。
「みなさん申し訳ありません。今日はこれくらいにいたします。この後、治療院で診察がありますので・・・・」
名残惜しそうに人々が落胆している。
子供たちの中には、ぐずりながらシエラの衣服にしがみつく者まで出てくる始末だ。
子供たちをあやしながら、シエラは名残惜しそうに、ルシカを伴ってその場を後にした。
少し進むと、スラムの中でも少しだけ立派で、清潔な造りの建物が現れた。
そこには、入り口に「治療院」と書かれた看板が掲げられている。
入り口で、扉を開ける前に、シエラは、すっ、とこちらを振り返ってきた。
「もしよければ、一緒に行きますか?」
思わず、建物の陰に隠れてしまったが、あの言葉は俺に向かってかけられた言葉だ。見透かされていたようで、少し気恥しい。
ゆっくりと姿を現す。ルシカが、驚いてシエラの陰に隠れた。
「いつから気付いていた?」
「こう見えても私、昔は傭兵をしていましたので、ある程度の戦闘の心得はあるのですよ?まあ、敵意もなく、害意もない視線でしたので、あまり気にしてはおりませんでしたが・・・」
ころころと笑う。少し感心しながら、シエラの隣に並び、扉を開けてあげる。
少し驚いたシエラに、手で、先に入るように促す。




