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英雄伝説ー奴隷シリウスの冒険ー  作者: 高橋はるか
傭兵時代
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逃亡―辺境の村一

僕とアイクは今、ごつごつと硬く大きな岩が転がり、一切の緑がない、見渡す限り急峻な山道を歩いている。

 あの夜からおよそ二月の時が経った。

 ローグとセルバが追いかけてくることはなかった。一週間ほどは、いつになったら追いかけてくるのかと何度も後ろを振り返り、旅の空を眺めていたものだったが、今ではすでにその生存さえ諦めている。もう一度、生きて会うことは叶わないだろう・・・。

 あの日以降、僕は折に触れて思い出しては泣いている。

 特に、二人きりの夜はひどく寂しい。

 薪の爆ぜる音だけが響く夕食も、一人で、薪を拾い集める時も、そして、「おやすみ」と一言ずつ声を掛け合い眠る夜も、ふとした拍子に涙が零れ落ちた。

 気付いたことは、アイクはひどく無口で口下手だということ。

 そんなことはずっと前から知っていたことだったのに、改めて、周りに人がいたときは、そんなこと全く気にならなかったことを痛感する。

 アイクは僕が泣いていることを咎めない。そ知らぬふりをしている。

 ただ、その度にひどく物悲しい表情を浮かべていることを僕は知っている。

 僕と一緒に旅することはアイクにとっては苦痛なのだろうか?

 いい、と言われたから一緒についてきたが、改めて二人きりになると、僕がいることはアイクにとって重荷になっているんじゃないか?

 アイクなら、もっと早く旅することができるんじゃないか?

 そんな疑問が次々と浮かんでは消えていく。

 不思議なことに、あの夜から、ぴたりと帝国兵たちの追跡が止まった。

 アイクも追跡を振り切るためにいろいろな細工をしているようだったが、それがうまくいったからなのかどうかは分からない。

 ただ、はっきりと言えることは、森を抜け、大陸を東西に縦断し始めてから、魔物や魔獣の脅威が目に見えて無くなった。

 整備された街道は言うに及ばず、武器や、日用品、そして食料の補給のために立ち寄った小さな村々ですら、過剰に魔獣や魔物を恐れることはない。

 


初めて村を訪れた時のことを、今でもはっきりと覚えている。

 あれは、帝国兵の影におびえながら、それでもなお、ローグとセルバがいつか、追いかけてきてくれるのではないか、という淡い期待を持ちながら、僕らはついに森を抜けた。

 鬱蒼とした木々が常に視界を遮り、太陽の姿さえ時にはその姿を隠す大森林。

 吹き抜ける風は、木々の間を抜ける時、びゅう、と甲高い音を立て、かさかさ、と葉が揺れる音にすら、怯えてしまう。

 常に視界の悪い中を二人で四方を警戒しながら、ゆっくりと足場の悪い道を進んできた。

 前方に注意を向けすぎると、足元のほんの些細な凹凸に足をすくわれ、だからと言って足元に意識を向けすぎると、道とも言えない細い獣道に張り出した枝に頭を撫でられ、思わず叫び声をあげながらぎょっと驚く。

 道々にさまざまな植物の植生、そして獣の習性を教えられてきた。

 森の恵みはとても豊かで、それでいて、時に牙を向ける。

 どれも初めてのことが多く、覚えることすらできない。

 それでも、簡単に見分ける知識を教えてくれた。

 森の中で、鳥や、ウサギ、ネズミと言った小動物が食べている物は食べることができるということ。

 森の中で、存在感を放つような毒々しい色味のキノコや山菜、そして植物は、目立っていても生き物に食べられることが少ない、つまり、猛毒を持っていることが多く、警戒するということ。

 ただし、その身に種を持つ、果物なんかは、その種を運んでもらいたいから、独特の目立つ色味をしていることがあっても食べることができることが多いということ。

 アイクは森で生き抜く知識を僕に惜しみなく教えてくれる。

 最初はそれを面白く聞いていたが、ふとした拍子に気付いてしまった。例え自分に何かあって僕が一人になっても、生きていけるように、と強く願っていることを・・・。

 そんなアイクと、僕の思惑に関係なく、旅は順調に続き、そして、ついにはあの夜から二週間ほどかけて、ようやく森を抜けた。

 一瞬で視界が開けた。

 こんなにも太陽が降り注ぐということが心地いいことだということを忘れていた。

 思い切り胸いっぱいに息を吸い込む。

 すうっ、と乾いた土のにおい、草の匂いが胸に広がる。

 深い森の中では、常にじっとりと湿ったような土のにおいと、僕は嫌いではなかったけれども、草木の強い香りが纏わりついていた。

 けれども、今、僕が見渡す先には先ほどまで周囲を覆っていた深い木々の姿がほとんどない。

 道はまだ少し凸凹と隆起しているが、足を取られる小石や岩、そして地面の上にむき出しになった大木の根などはほとんどない。

 そして、生き物の姿もぐんと少なくなった。森の中では、常に何かの気配を感じ、何かに付け狙われているような嫌な感覚を肌に感じていた。

 ふと、意識して視界を広げると、そこかしこに生き物があふれていた。

 それは魔獣や魔物にとどまらず、動物や虫に至るまで、幅広くではあったが。

 だが、今、深い森を抜けて、立つその場所には、遠くの空に影のように鳥が数匹群れでゆっくりと飛んでいる姿を見るだけである。

 「行くぞ」

 しばし、呆然と立ち尽くす僕に、アイクが言葉少なに先を促す。

 まだ明るい日の光に目が慣れていなかった僕は、隣のアイクを眩しく見上げながら、歩き出したその背中を急いで追う。

 森を抜けて数日程歩くと、小さな集落とでも呼べるほどの村が見えてきた。

 僕らが向かっている先には物見のやぐらが組まれている。

 「あれは、森からの外敵に備えて組まれているんだ」

 なるほど、と思った。櫓の周囲には外堀が掘られており、外堀の内側には背の高い大人ですら飛び越えることが困難だと思えるほど高く、頑丈な造りの柵がぐるりと村の外縁に沿って張り巡らされている。

 大人の太ももほどもある太さの丸太を頑丈な縄で縛り、先端をとがらせ、地中に突き刺し、それを、間隔をあけて二重に立てているため、壊すことなど容易ではないだろう。

 どんどんと近づいていくと、物見やぐらの上にふっ、と人影が現れた。

 陰に隠れてその人間の姿や表情をはっきりと見分けることはできないが、ずんずんと迷いなく村に向かって歩いていくアイクに思わず僕は、躊躇ってしまう。

 「このまま向かっていいの?」

 そんな僕をアイクがいぶかし気に見つめる。

「なぜだ?」

 「だって、僕らはお尋ね者だよ!?それにここは帝国領内でしょ?だったら人目につかないようにレッドストーン山脈のふもとを旅すると思ったんだけど・・・」

 「武器がもう心もとないからな」

 そう言って、アイクは肩に担ぐ矢筒を叩いた。確かにアイクのよく使う武器は弓だ。弓は矢が無ければ何の役にも立たない。そして道中はアイクの矢によって多くの獲物をしとめてきた。だからアイクが言うように、矢筒の中の矢はもう数えるほどしか残っていない。

 「それに、食料が少ない。この先旅をするうえで、もしレッドストーン山脈に向かおうものなら一瞬で食料が底を尽きる。何せあそこは活火山だからな」

 その活火山と言う物がどんなものかは分からない。

「かつかざん?は食料が手に入らないの?」

 「全く手に入らないわけではないが、それでも草木もほとんど芽吹かない不毛の地だ。ましてや水など絶対に手に入らない」

 「ふーん」

 「俺たち二人では、背負って歩ける荷物の量もおのずから決まってしまう。だとすれば、こうして村に寄りながら補給しつつ旅を続けるのが一番無難だ」

 「でも、そうしたら帝国兵たちに見つかる可能性が上がるんじゃないの?」

 「だからこそ、こうした辺境の村々を歩くんだよ」

 ぽかんとする僕に、アイクは嫌な顔一つすることなく教えてくれた。

 「いいか、帝国は、確かにどんどん領土を広げていっている。多くの街や、村が帝国に飲み込まれ、併呑されていった。そして、それに合わせて、帝国はどんどん、どんどんその支配領域の整備を行っている。例えば破壊した街の作り直し。これによって、今まではその国独自の文化を育んできた街並みが、ほとんどどこに行っても変わり映えしない帝国風の街並みに変わっていった。そして、宗教の改宗。街には必ず修道院が置かれ、帝国を創国したとされるメラース神をあがめる宗教に改宗される。これによって、身分がはっきりと分断される。頂点に立つのはもちろん皇帝だ。その下に帝国貴族が絶大な権力を持って存在している。だが、その下の民は、みな平等ではない。ここにもはっきりと身分の差が生まれる。元から帝国の民だった者たちは、一等臣民と呼ばれ、彼らは税や兵役の免除、そして法律面での圧倒的な優遇がなされている。その下に、帝国が支配した国の民の中でも、一定額以上の税を納める者たちがくる。彼らは二等市民と呼ばれる。兵役の免除や、法律面での優遇などある程度人並みの生き方を保証されている。その下には三等平民と呼ばれるそれ以外の民が存在する。彼らは、常に苦しい生き方を迫られている。もし、既定の税が払えなければ、奴隷の身分に落とされてしまう。だからこそ、日々の暮らしを精一杯に生きている。そしてその下には奴隷が存在する。もはや、知っているとは思うが、物だ。ただの、物でしかない」

 アイクの言葉にはどこまでも感情がない。そして、聞く者がいれば、怯えてしまうほどの、ともすればひどく冷たい声音に僕は我知らず、ぎゅっ、と拳を強く握りこんだ。

 僕が顔をこわばらせたのを見ると、ふっ、と表情を緩める。

 「ただし、こう言った辺境の村には、まだ、手が行き届いていないんだ。帝国はあまりにも短い時間でどんどんと国を広げすぎた。そのため、様々な軋轢が国中に生まれている。そしてそれはいつか、あの大国を揺るがす歪となるだろう・・・。だが、俺たちにとって運がいいのは、こういった辺境の村々まで管理の手が行き届いていないことだな」

 「でも、こういう村って、帝国に侵略されて滅びてしまうんじゃないの?」

 僕は自分の生まれた、今ではほとんど記憶のない村の末路に思いをはせる。

 「いや、シリウスやローグの住んでいた「暗黒森林」が特別なだけだ。こういう村は、行けば分かるが、畑などで耕作を営んでおり、その土地を荒れ地にしてしまう、もしくはそこに住む人々を根絶やしにしてしまうと、その土地の価値がなくなってしまうだろう?」

 僕が何を考えていたか見透かされ、少し気恥しい思いをしてしまう。

 「人がいなくなっても、荒れ地になっても、人を送って、また耕せばいいだけで、そんなことで土地の価値がなくなるほどのことではないんじゃない?」

 アイクが驚いたような表情をする。

 「ああ・・・。厳密にはそうだ。だが、帝国は、今、人が増えすぎて深刻な食糧不足なんだよ。そして、確かに人を送ればいいが、こんな辺境の、それこそ魔物や魔獣の襲撃を恐れて暮らしているような村々に、今までどんなに苦しくとも安全が保障されていた大きな町からいったい誰が好き好んで移り住むというのだ?」

 「そういう物なの?」

 「ああ、普段から戦争に向け鍛えられている兵士ならいざ知らず、普通の市民は俺たちほど強くはない。俺たちですら、魔物や魔獣に怯えることがあるんだ、俺たちよりはるかに弱い普通の民では、その恐れなど見当もつかないさ・・・」

 言われて見ればそういう物かもしれない。

 「それにな、確かに、荒れ地にしてしまってもまた耕せば耕作ができる、豊かな土地にすることは可能だ。だが、それにはいったいどれほどの時間がかかる?一日か?二日か?三日ほどであれば移住も可能だろうが、恐らく一、二年は短くてもかかるだろう。その間、作物が採れないこの土地は、いったいどうやってそこに住む人々を飢えない様に養っていくのだ?それでなくとも帝国領内が食料不足だというのに・・・。」

 「なるほどね・・・。だから、こういう村々は下手に戦争で侵略しないで、誰も殺さずに、土地も荒れさせることなく支配するのか・・・」

 「そういうことだ」

 一つ納得できたが、ここで新たな疑問が生まれた。

 「あれ?でも、それなら、こういう村をどうやって帝国は支配しているの?元々は帝国とは全く関係がないんだよね?」

 「そうだ。だが、こういった村々も、時には外敵から自分たちの力ではどうしても守り切れないときがある。まあ、外敵と言っても、それはほとんどの場合人ではなく、魔獣や魔物を指すがな・・・。そういった緊急事態に、近くにある大きな国、もしくは自治領を頼る。普段は、村で採れた食料を税として納めることで、そういった緊急時における兵の派兵や、もしくは、魔獣や魔物が食料を求めて森から出てくることが無いように間引きを行ってもらう。そうして成り立っているんだ。その今まで頼っていた国や自治領が滅びて、帝国に変わる、ただそれだけだ」

 「なるほどねえ・・・」

 「だからこそ、彼らは、今までの税の徴収官が別の人間に変わったな、自分たちを守る兵士の顔触れが変わったな、程度しか分からない。そして帝国もそのことを知っている。要は、帝国領内でありながら、こうした辺境の村々は、未だに自治の風土が色濃く残っている、と言うことだ。そして、俺たちが立ち寄っても、お尋ね者として追及されることなど恐らくないだろう・・・。まあ、それでだめだったら、必死に逃げて、別の方法を考えよう」

 最後に、少し自信なさげに付け加えた言葉に、僕は思わず、がばっ、と振り仰いだ。

 「冗談だ。まあ、常に最悪の可能性を頭に入れておけば、どんな事態にも対応できる。だからこそ、言ってみただけだ。そして、その可能性がある限りは、絶対に警戒は怠るなよ」

 釘を刺すようにアイクに言われた言葉に思わず身を引き締めていると、外堀にかけられた下げ橋を渡って目的の村の入り口までたどり着いていた。


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