逃亡―暗黒森林十一
アイクが、カイトの最期を看取るよりも少し時はさかのぼる。
ぜえ、ぜえ、と荒い息を吐きながら、帝国兵士たちは、今、ようやく切り伏せたガルフたちを見下ろす。
彼らはたったの三人で、その上、体に怪我を負っているにもかかわらず、一刻(二時間)近い時間を粘って見せた。
理由をいくつか挙げるとするならば、彼らは皆、死ぬ気だった、と言うことが一番大きな理由だろう。自分たちは、命を落とさないように、多勢に頼って有利に戦闘を進めようとしたが、彼らは皆、己の命など、とうに捨てていた。己を顧みない決死の攻撃に何度ひやりとしたことか・・・。
その証拠に、彼らの体は傷だらけで、地面は血だまりができている。恐らく死の間際まで、意識がなくなるその時まで、剣をふるい続けたのだろう。
現に、少なくない数の仲間に被害が出ている。死傷者は片手間に数えられないほどだろう。誰もが満身創痍で、逃げた三人の後を追う気力すらなく力尽きている。
荒い呼吸を整えながら、白み始めた空を見上げる。
その時だった。
ふっ、と視線の端に何かが通り過ぎたような気がした。
驚いて振り返ると、そこには何もない。目を細め、じいっ、と見つめるが、茂みの中には何もない。勘違いか・・・?
一晩闘い続けたせいで疲れているのだろう・・・。
そう納得させ、振り返ると、そこには何者かが音もなく立っていた。
「うわ!?」
思わず驚きの声をあげてしまう。
皆も同じようにその人影に気付いたようで、叫び声をあげながらひっくり返る者まで出てくる。
全身黒づくめの男が二人立っていた。頭の上から真っ黒のフード付きのマントを目深にかぶり、その顔をうかがい知ることはできない。
口元は黒い布で覆われている。
「貴様ら!怪しい奴らめ!!何者だ!?」
剣を構えながら、何があっても対応できるように半身を引く。
すると、警戒する我々に向かって、くぐもった言葉が投げかけられた。
「我々は「迷いの月」だ」
そう言って掲げられた少し大きめの金貨は、皇帝がじきじきにその身分を保証する特別な者に贈られる、いわば、帝国内におけるあらゆる権限を証明するための物。
そして告げられた「迷いの月」と言うのは、皇帝が、直轄し、直接命令を下すことができる部隊の名前であった。
その一切が謎に包まれており、「迷いの月」と言う名前すら、ほとんどの者が伝えられていない。
いわば暗部だ。由来は、月に一度、夜に全く月がその姿を見せない日が一日ある。それは、はるか昔から、月が、彷徨っているとされ、その日を「迷い月」の日とし、これを月の終わりとする習わしがある。これになぞらえ、「迷いの月」とされているという。
部隊長以上が知ることができるその特別な名前に、思わずびくりと体を硬直させる。
「隊長!!こいつらは何者ですか!?」
「隊長!!こいつらのことを拘束しますか!?」
今となってはこの場の責任者となってしまった自分にその場にいた兵士たちが声高に問いかけてくる。
「やめろ!!剣を引け!!」
急いで命令を下した。皆戸惑ったように剣を下すが、中には、未だ警戒を募らせたまま、剣を下さない者もいる。
「早く下せ!!命令だぞ!!」
何度も必死に命令し、ようやく皆を従えることに成功した。
すぐに、二人の前に跪く。
「申し訳ありません!!!」
「それは何に対してだ?」
思わずびくりとしてしまった。
しかし、そんなことなどお構いなく、二人は鋭い問いを投げかけてくる。
「奴隷を三人逃してしまったことか?ニコライ将軍をみすみす失ってしまったことか?それとも、こんな雑魚三人に手間取り、未だに無力にも、地面にへたり込んでいることか?」
恐怖でこの身がぶるぶると震えた。
「この身は・・・どんな罰でも・・・」
震える声を絞り出そうとするが、歯の根も合わないほど震えているため、ひどく聞き取りづらいだろう。
「まあ、いい。今は貴殿らの責任を追及している場合ではないだろう?」
「は!ありがとう・・・ございます!!」
寛大な処置に思わず、深々と頭を下げる。
「貴殿らに命じる。谷底に消えたニコライ将軍の行方を追え。そして、なんとしてでも連れ帰ってくるんだ。あのお人は帝国には必要なお人だからな・・・」
「お二人は何を・・・?」
「我々は逃げた奴隷を追う。もとより、ずっと、そうしてきた」
「と、言いますと?」
「この森で奴らを見つけ出しているのは我々だ。そして、それを貴殿らに伝えてきていたのだ」
なるほど、道理でニコライ将軍が、逃げた奴隷の後を追うことに全く迷いがなかったわけだ。
「では、何人か兵を連れていきますか?」
「いや、必要ない」
あまりにもそっけなく返され、しん、と頭が冷えた。
「ですが・・・」
何かを言わねばと思い、言葉の出るに任せ、言い募ろうとしたが、何も言わぬうちからぴしゃりと遮られる。
「足手まといだ」
そう言われてしまえば、もはやそれ以上何も言うことなどできない。
そう言い残し、闇に消えるように、目の前から音もなく消え去っていった二人の男の背中をいつまでも視線で追い続けた。
「隊長!!本当にいいのですか!?」
「あれだけ好き放題言わせて、そのまま黙っているのですか!?」
部下が、顔を真っ赤にし、叫んでいるが、ひどく疲れてしまい、言い返すこともできない。
「それよりもお前ら!ニコライ様を探すぞ!!」
号令一言、渋々とだが、みな、ニコライ将軍が落ちていった崖に向かう。もちろん、中には二人の男が姿を消した方角を未練気に見つめる者がいたが、もはや、我々には手出しできない。
深い谷底を見下ろし、今はニコライ将軍を救出し、無事に帰還する作戦を必死で練る。
誰かが泣く声が聞こえた気がした。
その泣き声が、僕の心をひどく不安にする。
早く起きなくちゃ―――。
前後、左右も、そして上下すらわからない真っ暗闇の中で、僕は焦ったように周りをきょろきょろと見渡す。
ここはどこだ?一体僕が今いるところはどこだ?
どうして僕はここにいる?先ほどまで僕は、僕らは暗い森の中にいたはずではなかったか・・・?
どうして僕はこんなにも焦っている?僕は何をしようとしていたんだっけ・・・?
ぐるぐると多くの疑問が頭に浮かんでは、消えていく。
ぐるぐる、ぐるぐる、と考えているうちに、どんどん分からなくなっていった。
また、誰かが泣く声を聞いた気がした。
ひどく聞き覚えのある声だったような気がする。
誰の声だったか・・・?思い出せない。
そのとき、四方を囲む真っ暗闇、ほんの鼻先も見通せない闇の中に、ふっ、と強い光が差し込んできた。
思わず顔をしかめるほど強い光だった。
目を細めながら、光が差し込む方向を見る。
どんどん、どんどん、光が強くなっていく。
その光はついに僕を飲み込み、そして周囲を、真っ白に染め上げていく―――。
はっ、と目が覚めた。瞼が重い。ゆっくりと目を開けると、深い森の中に、待ちわびた日の光が差し込んでいる。
白い日の光が、周囲を優しく包み込んでいる。
「うっ」
ゆっくりと身を起こそうとしたら、全身を、万力でぎりぎりと締め付けられるような痛みを感じ、思わずうめき声をあげてしまった。
「起き・・・たか・・・」
横から戸惑うような声がした。
ゆっくりと視線を向けると、カイトが、安らかな寝顔を浮かべ、すやすやと眠っている。
アイクが、木の枝を集め、カイトの近くで組み上げていた。火を熾すのだろう。
ぼんやりとその様子を見つめる。
アイクは、僕を見て少し動きを止めた後、それでも、作業を続けた。
なんだか、カイトの顔色が悪い。ひどく寒そうだった。
だからだろうか?アイクが、せっせとカイトを囲むように木を組んでいる。
まだ、寝ぼけているのだろうか?ひどく億劫で、頭が回らない。
少しぼんやりとその様子を見つめていて、ふと疑問に思った。
「あれ?ほかの人は?」
ピクリ、とアイクの動きが止まった。
「他か・・・」
「ローグとセルバは?」
聞いた瞬間に、記憶が戻ってきた。飛び起きるように身を起こし、思わず痛みにうめきながら、あたりを見渡す。
いない―――。
「あの二人は・・・どうなったか分からない・・・」
「そんな・・・」
「信じて待つしかないだろう・・・」
しばし言葉が出てこなかった。嘘だと思いたい。今すぐにでも、茂みをかき分けてローグの大きな体が姿を現すんじゃないか・・・。セルバが、笑いながらスープを煮込んでいるんじゃないか・・・。
そんな期待を込めて、じいっと見渡すが、ぽつりと三人しかいないこの場所を、ひどく冷たい風が吹き抜けていく。
「ガルフたちは?」
何気なく、そう、本当に何気なく聞くと、再びアイクが押し黙った。
嫌な予感がした。
振り返ると、カイトの体を隠すように木が組まれている。
そして、アイクの片手には火が付いた藁があった。
「何をしているんだよ!!??」
思わず叫び声をあげてしまった。
いったいどうしたというのか?寝ている人間に、冗談でもすることじゃない。そう思って、声を荒げるが、アイクはひどく悲しそうにうつむいたままだ。
「死んだ・・・」
ぽつりとつぶやくように告げられた言葉に、僕は、何を言われたか理解できずに思わず聞き返してしまった。
「え?何が?」
「だから・・・・。皆、死んだ・・・」
ひどく言いづらそうだった。
「そんな!馬鹿な話があるか!?だって、現に、カイトはここにいて、今こうしてすやすやと寝ているだけなんだから・・・・」
まくしたてるように言葉を紡いでいるうちに分かってしまった。頭では拒否しても、それでもなお、理解してしまった。
これだけ騒いでいるのに、カイトはピクリとも動かない。
寝返り一つうたない。その指一本すら、ピクリとも動かない。
そして、衣服の下半身がべったりと黒い何かで染まっている。それはまるで変色した血のような色だった。
「まさか・・・死んでるの・・・?」
ゆっくりとカイトに近づき、その首元にそっと手を触れると、そのあまりの冷たさに思わずびくりとしてしまった。
まるで石のような冷たさだった。どくん、と脈を打つ音すら聞こえない。
「危ないから、少し下がってろ」
優しく後ろから抱き留められ、後ろに運ばれる。
呆然としていた。為すがまま、されるがまま、僕はゆっくりと地面に崩れ落ちながら、眺めていることしかできない。
アイクが手に持っていた火種をゆっくりと落とした。瞬く間にカイトの全身が炎に包まれる。
ぱち、ぱち、と炎が木をなめる音を聞きながら、僕は声を出して泣いた。
いつまでも、いつまでも涙が止まらなかった。
何があったかは分からない。それでも分かってしまったことがある。
僕とアイクを逃がすために、僕ら以外の全員が命を落としたんだ―――――。
誰に慰められることもなく、僕は泣き続けた。




