逃亡―暗黒森林十
地面に縄を叩き付けた。どうにもやりきれない気持ちでいっぱいだった。
今、この瞬間、今夜だけで、すでに二人の仲間を失った。
はじめは、自分一人で己の故郷に向かうつもりだった。それでも、三人がついてきたいと言ってくれたから、四人で同じ道を歩いてきたけれども、それがどうにも心地よく、今では四人で故郷を目指すことしか考えられない。
ああ・・・。また俺は友を失ったのか・・・。
ふと、感じる喪失感に全身の力が抜けていった。
目線の先、皆から託されたシリウスはすでに意識を失い倒れているようだった。
そんな俺たちを囲むように、じりじりと帝国兵士たちがその包囲網を縮めて来た。
彼らも、ニコライを失い、どうしていいか分からないような混乱した状態だったが、それでも己の職務を全うしようと、気丈にふるまう者が何人かいるようだ。
―――もうこの際捕まってしまったほうが・・・。
そんな弱気が己の胸の内に宿る。
それを見越したように、一瞬で間を詰めてくる帝国兵士をぼんやりと見やる。
もう・・・いいかな・・・。
すまない・・・、ローグ、セルバ・・・。そして、リック・・・。
ふっと、変わらず明けることのない天を見上げ、一つため息をついた。
そのとき、俺と帝国兵の間に、影が差す。
ざん!と、剣が、肉を叩き切る鈍い音とともに、首を断たれた帝国兵が、俺の横に倒れる。
驚いて、ぱっ、と視線を落とすと、そこには、俺を守るように立ち塞がり、剣を構えるガルフとネルとハスタの姿があった。
三人の姿はお世辞にも、万全とはいえない。
ガルフとネルは全身にかすり傷を負い、血まみれで、肩で息をしている。
ハスタは、肩口から腰に掛けてざっくりと切り傷があり、だらだらと血を流しながら、青ざめた顔をして、それでもなお、剣を構え、前をにらみつける。
「お前ら・・・」
「どうした!!!早く逃げろ!!!」
ガルフが背中越しに一喝してきた。
「だが・・・」
そのとき、俺の横から、シリウスを背中に担いだカイトが、肩をポンと叩いてきた。
「さあ!早く!逃げましょう!!」
「待て!お前らのことを見捨てるのは・・・」
必死に止めようと口を開いたが、その言葉にかぶせるようにガルフが一喝してきた。
「何度言わせるんだ!!早く逃げろ!!!そんなに持たないぞ!!」
「行きましょう!!」
カイトが俺の腕をつかみ、引き上げるように引っ張る。
「いや、だが・・・・」
見ていれば分かる。多勢に無勢だ。恐らく死ぬだろう。いや、十中八九間違いなく死ぬだろう。例え、時間を稼ぐことはできたとしても、彼らが逃げることなどできないだろう。
「カイト、お前はいいのか?」
カイトが口を開くよりも早く、ガルフがうなずく。
「いいんだよ!行け!!」
「だが・・・」
俺が何か言い募ろうとしたとき、ガルフに向かって剣が振るわれる。
それを、はじき返し、前蹴りで吹き飛ばすと、横から斬りかかってきた兵士と鍔迫り合いしながら、告げる。
「俺はな!いつ死ぬか分からない奴隷がいやだった!」
思い切り当て身を食わせ、吹き飛ばした。
「だが、今はどうだ?死にそうだ!!!」
口の端を歪めて笑う。
「じゃあ・・・!」
「だがな!!勘違いしないでくれ!!これは俺が納得してすることだ!!俺は、奴隷として生きていたとき、ただ、物のように生き、そして、誰のためでもなく、ごみのように、捨てられるように死ぬことがいやだった!!今はどうだ!?俺は、お前らのために闘い、自分が納得して命を懸けている!!!ようやく俺は、俺が納得して、そして、誰かのために命を懸けて闘えている!!!最後に闘いの意味を教えてくれてありがとうよ!!」
「ガルフ・・・!」
「あの世でリックに会ったら伝えておくぜ!!シリウスは立派に強くなっている!!安心しろ!!ってな・・・」
「行くぞ!!!」
カイトがふらふらと立ち上がった俺の腕をぐいと引っ張り、いつにはなく焦った口調でせかす。
「ガルフ・・・ありがとう・・・」
「ああ、行け!!!お前らは・・・、俺たちの希望だ!!!逃げろ!!!そんで、カイト!!!絶対に、死んでもシリウスを落とすなよ!!!」
「はい!!!」
カイトの返事は涙にぬれ、鼻声で、聞き取りづらいものだった。それでも、ガルフは満足そうにうなずく。
カイトに引っ張られるように、俺はその場から背を向け、北に向かって森の茂みに飛び込んだ。
夜闇の中、何度も後ろを振り返りながら、必死で足を動かす。
木々の根や、石ころに足を引っかけ、もつれそうになりながらも走り抜ける。
夢中で駆け、息も上がり、胸も苦しくなり、それでも休むことなく走り続けた。
これでよかったのだろうか?
そんな問いが、ぐるぐると頭の中を駆け回り、置いてきてしまった三人と、谷底に落ちていったローグとセルバの顔が、頭の中に浮かんでは、消える。
どれだけ走っただろうか?しばらく走っていると、急にカイトの足が緩やかになる。
「大丈夫か?」
「はい・・・」
「休むか?」
「大丈夫ですよ・・・」
心配して、話しかけると、にっこりと笑いながら、答える。
その顔は、少し青ざめており、思わず己の考えに沈んでいた自分のことを恥じらってしまった。
隣には、シリウスのことを背負いながら、ついてきてくれる者がいるのだ。そのことを意識しながら、ゆっくりと速度を緩めた。
気が付けば空が白んでいる。
もうすぐ日が昇るのだろう。長い夜が終わった。
少し走った先に、ふと、視界が開けた。どちらからとも言わずに、ゆっくりと速度を緩める。
そして、立ち止まると、膝に手を突きながら、息を整える。
カイトはすでに限界だったのか、ゆっくりと背負っていたシリウスを降ろすと、地面にへたり込んだ。
ぜえ、ぜえ、と荒く息を吐きながら、ゆっくりと深く息を吐きながら、整える。
隣に座りこんだカイトを見ると、先ほどより一層青ざめた顔で、苦しそうに息を吐いていた。
「大丈夫か?」
笑いかけると、ゆっくりとこちらを眩しそうに見上げながら、薄く笑う。
だが、俺の問いに答えはない。なんだ・・・?胸のざわめきを抑えながら、探るように見つめていると、先ほどからずっと下腹を抑えていることに気付いた、
「どう・・・した?」
カイトが、ゆっくりと抑えていた手を放す。そこには、真黒に固まり、こびりついた血がべったりと付いていた。
「なんだ!?いったいどうした!?」
「もう・・・逃げる前から・・・刺されていたんですよ・・・・」
「そんな・・・、どうして・・・?」
「だって・・・言ったら、絶対止めるでしょ・・・?」
ゆっくりと笑うその顔に、もはや苦しみの色はない。あるのはただ、すべてを悟りきったような、優しい笑みだけだった。
「なんで・・・?なんで、ここまでする!?」
「ガルフさんが・・・全部言ってくれました・・・。それに・・・僕だけ生きても・・・・意味なんて・・・ないですから・・・・」
「意味ないなんて・・・そんなことないだろ!!」
思わず声を荒げてしまった。
しかし、そんなことすら全く意に介していないように、先ほどから、うっすらと目を開け、笑ったままだ。
「最後に・・・・これだけ言わせてください・・・・」
「最後なんて!!!言うんじゃない!!!!」
「ありがとう・・・ございました・・・・。生きて・・・・ください・・・」
そのまま、ゆっくりと体から力が抜けていった。
「おい!!おい!!」
もはや、地面に横たわるような姿勢の、カイトの冷たい体を強く揺する。
何度も、何度も揺するが、もはや返事はなかった。
木々の間から差し込む優しい日の光を受け、声もなく、さめざめと泣いた。
亡くした仲間と、姿を消した友を思って・・・。




