逃亡―暗黒森林四
ローグはその言葉に一瞬顔をしかめる。
「あ、ごめん。癇に障ったなら謝るよ。そうだよね・・・、僕ら奴隷と一緒にされても嫌だよね・・・」
僕がしゅんと落ち込んだのを見たローグは苦笑すると、こちらにちらりと視線を投げかける。
「いや、そういうことじゃない。俺も奴隷のようなものだったから・・・、つい、な・・・」
聞いてほしくはなさそうだったが、それでも、僕はその言葉がどうしても気になってしまいつい聞き返す。
「え!?将軍だったんじゃないの?」
アイクとセルバも火を熾し終わり、干し肉を木の枝に吊るしているが、その手はほとんど止まっており、こちらに耳を澄ませているのが分かった。
「いや、大した話でもないんだが・・・。まあ、今更隠すようなことでもないからな・・・。ちょうどいい機会だ。少し嫌な話になるが聞いてくれ。お前らもな」
アイクとセルバが手を止め、三人でローグに向きなおる。
ローグは相変わらず作業の手を止めることはない。僕らには炎に照らされたローグの横顔しか見えない。
「俺が生まれる前の話だ。ミラストーン王国は、帝国がその版図を拡大していることに焦りを覚え、当時はまだ帝国の侵攻など全くない時だ、だが、それでも急速に拡大し周辺の国を併呑し、飲み込んでいく帝国がいつ自分たちに襲い掛かるか・・・、不安に怯えていたと聞く。そのとき聞いた話の中で、当時は触れることすらタブーとされていた「暗黒森林」に帝国がその軍を派遣したという噂が流れた」
ローグが生まれる前と言うことは、僕らが生まれるよりもずっと前だろう。そんな昔から暗黒森林に対して帝国の侵略がなされていたことに驚く。
「それは当時においては冗談のような話だった。どこの国も取り合わず、一笑に付していた。もちろんミラストーン王国もそうだったと聞く」
セルバは聞いたことがあるのだろうか?暗黒森林の近くの国出身だと聞く。アイクは?アイクは遠く北東のはずれだから、もしかしたら聞いたことがない話かもしれない。
「だが、その話が急に信ぴょう性を帯びた話になっていく。帝国と戦争した国の多くが口をそろえて噂し始めたんだそうだ。見たこともない魔獣に騎乗する将軍がいた――。見たこともない武器を手にしている猛将がいる――。見たこともない魔法薬を口にした兵士の傷がたちまち癒えていった、まるで奇跡のように――。そして極めつけは、見たこともないほど筋骨隆々の大柄な兵士が、首輪を巻かれた状態で、戦場を一騎当千の力で暴れまわっていた――と。噂はついに真実と分かり、こぞって各国がその話の真相を確認していくと、どうも暗黒森林由来の鉱石、魔獣、魔物を使って武器や防具を作っている、薬草を使って薬を作っている、そして原住民を奴隷として兵とし、原住民の女性を攫い、その女性との間にできた子供を帝国兵と教育していっている、と分かったそうだ」
うすら寒い話だった。もしかしたら僕が生まれた村に住んでいた女性たちとの間に生まれた子供と、僕は闘うことになるかもしれない。そう考えるだけで吐き気がこみあげてきた。
「その噂を信じ、各国は暗黒森林に続々と派兵した。もちろんミラストーン王国もな。だが、その結果は惨憺たるものだったと聞く。強い魔獣や魔物に昼夜を問わず襲われ、休憩もろくに取れず、疲弊しきったところをまた襲撃され・・・。ついにはほとんどの国が収穫をあげることなく撤退していった。だが、ミラストーン王国だけは違った。偶然にも、原住民の集落を見つけたんだそうだ。そして、その集落は襲撃され、思いのほか手強い抵抗を受けたが、多勢に無勢。瞬く間に蹂躙し、最後まで生き残った数人の女性を捕えて連れ帰ろうとしたそうだ」
誰もが聞き入ってしまっていた。
ぱちぱちと焚火の薪が爆ぜる音が聞こえる。日はとうに中天を過ぎ、少し西に傾いてきている。
「その中にいた一人の女性が俺の母親だ。彼女は村でも一番の美人だったそうで、当時の、軍を率いていた将軍が、一目見て惚れてしまい、そのまま襲って無理やり犯した」
どこまでも平坦な声音が逆に怒りを如実に表しているようだった。
炎を見つめる視線はぼんやりと朧で、まるで遠くを見ているように焦点が合っていない。
「そして、数日一緒に過ごした将軍はそのまま、国王との面会で、褒美としてその女性をもらい受けようとした。だが、国王はその女性を一目見て、一瞬で気に入ってしまったそうだ。将軍の話を聞くこともなく、自身の側室として迎え入れてしまった。その後に俺が生まれる。どちらの子供だったかは誰も追及することはなかったが、将軍は非常に大柄な男でな・・・。逆に国王は非常に小柄で痩せている男だった・・・。
それはもうすでに、誰の子供であるかは火を見るよりも明らかなことだったろう。
「だからこそ、俺は忌み子として・・・、魔物の子供として、あの王国ではその出生を問いただすことは禁止されてきたんだ」
くるりとこちらを見るローグの表情には自嘲気味の笑みが浮かんでいる。
「まあ、どうにも息苦しくて、己のルーツであるこの森なら何かあるんじゃないかと思って、自分を見失いそうになるたびに、よく来ていたんだよ・・・」
僕はどうしても気になることがあった。聞いたらまたローグに辛い思いをさせてしまうと分かっている。それでも、今聞いておかなければならないような気がして、ふと口を突いて出てしまった。
「その・・・。お母さんは・・・、今どうしてるの?」
「連れていかれたよ。帝国に・・・」
間髪入れずに聞かされた真実に思わず、うっ、と何かがのどに詰まるような不快な感覚を覚える。
「王国にいた時ですら、ほとんど顔を合わせることがなかったんだ・・・。俺は不吉の象徴とされる忌み子だったからな。だから・・・」
その先を口にしてほしくはなかった。だからだろう、どうしてもいたたまれない気持ちになった僕は、ふっ、と駆け寄ると、ローグの腰元にとん、と抱き着いた。
その腹に顔をうずめるようにして、抱きしめる。
ローグの体が驚いたように硬直する。
恐る恐るといったように、僕の頭の上に大きな手が乗せられ、不器用な手つきで撫でられる。
視線をあげると、困惑しながらも、どこか嬉しそうなローグと目が合う。
「ごめん」
なにが?とは聞かれない。僕も、何が、とは言わない。本人は謝罪の言葉などいらなかっただろう。それでも僕はどうしても謝りたかった。どこまでも身勝手で、どこまでも卑怯な自分がこの時ばかりは少し嫌になった。
「いや、いいさ。お前とリオンを見た時、ドキッとしたよ・・・。同じような雰囲気を感じたし、何より同じ匂いがしたから・・・」
「同じ匂いって・・・何?」
「森の中の、木々の深い香り、土の湿っぽい匂い、そんな感じだ」
「よくわかんないね」
「今はな・・・。それより昼飯にしよう。腹が減った。アイク、手元の干し肉は丁度食べ頃なんじゃないか?」
アイクがはっ、と我に返り、手元の枝に突き刺した干し肉を見ると、ぽたぽたと肉汁がしたたり落ち、何とも鼻孔をくすぐるおいしそうな匂いがあたりに立ち込めている。
「ああ、頃合いだな。セルバ、スープのほうはどうだ?」
セルバは焚火の上にかけていた小さな鍋をのぞき込む。
「ああ、煮えてきた。ちょうどいいな」
そこに、がさがさと茂みが揺れる音が聞こえ、何かを言い合う声が聞こえる。
「ああ、あいつらも追いついてきたか」
茂みをかき分けて出てきたのは先ほど助けた四人の剣闘士だ。
先頭に立つガルフとネルが喧しく言い争っているようだ。
「お前が遅いから、もう行っちまったかもしれないだろう!」
「そういうガルフこそ、もう少しなら持っていけるんじゃないか?って、欲をかきすぎなんだよ!」
それを間に入ったカイトが必死に宥めている。
「まあまあ、二人とも、落ち着いて。ガルフさん、彼らは待っていてくれたからいいじゃないですか。ネル、少し荷物がかさばっても僕らは文無しなんだから、旅の支度を整えるための資金としては丁度いいんじゃないかな?」
「ふん!カイトに免じて許してやるよ!」
「それはこっちのセリフだよ!もしいい金額で売れなかったらレッドストーン山脈でレッドドラゴンの住処に蹴り落とすからね!」
いつものことなのか、後ろからついてくるハスタは少し苦笑いしているだけで、特段気にしている様子もない。
「よう!お前ら!」
ほんの先ほどまでの口論などまるでなかったように先頭を歩くガルフが僕らに向かって手をあげ、声をかけてきた。
「俺らも昼にしよう」
僕らの近くにドカッと座り、背に負う荷物を降ろすと、手早く干し肉と乾燥したパンを背嚢から取り出し、少し羨ましそうに山菜の入ったスープを眺めると、ゆっくりと食べ始めた。
「お前らはどこに向かっているんだ?」
食事中の話はもっぱらこれからのことになる。
「僕たちは・・・」
ちらりとアイクを確認すると、アイクがゆっくりと口を開いた。
「俺の故郷に向かっている」
その言葉に少し驚いたように四人がアイクを見つめる。
「へえー!いや、なに、詮索するつもりはないし、言いたくないなら言わなくてもいいんだが、どこの国出身なんだ?」
アイクが少し目を細める。その視線に射すくめられ、ガルフが慌てたように手を振る。
「いや、別に俺たちも一緒に行こうってわけじゃない。俺たちはレッドストーン山脈を超えて、その先を目指そうって話になっているんだ」
しどろもどろのガルフをフォローするようにカイトが身を乗り出す。
「アイクさん、僕らは不思議に思っただけですよ」
「何がだ?」
「だって、この大陸のほとんどがもう帝国の領土になっているわけですよ。ましてや、アイクさんは剣闘奴隷だったわけでしょ?単純に戻るつもりの故郷がどうなっているのか疑問なんですよ・・・」
おそらく心配してくれているのだろう。
それが伝わったのか、アイクが視線を緩める。
「帝国の領土が広がっていると言っても、実はそんなに大きくはないんだぞ?俺の故郷はな・・・、この大陸の北東のはずれにある・・・、ミダス王国って言う国だ。知っているか?」
問われて四人は顔を見合わせる。
「いや、知らないな・・・」
「そうか・・・。まあ、今でも存在する国だ」
「へえー、そうなのか・・・。じゃあなんでアイクは奴隷なんかになったんだ?」
言われて見ればその通りだった。僕は思わずアイクの表情を確認したが、遠い眼をしたまま、視線を彼方に向けている。
「いろいろあったんだよ・・・」
それ以上は口を閉ざしたままだった。僕らもあえてそれ以上のことは聞かない。
「なあ、ローグなら、あのレッドストーン山脈を超えた先に何があるのかわかるか?」
気まずい沈黙を破るように、ガルフがローグに話を振る。
「ええ!?誰か知っている人がいて、頼りに行くんじゃないの?」
僕は驚いてしまった。
少し気恥しそうに、四人は顔を見合わせている。
「いや・・・、なに・・・。」
ぽりぽりと頭を掻きながら、ガルフが言いにくそうに口をもごもごとさせている。
「僕らはさ、シリウス、君のお兄さんに憧れていたのさ」
カイトの言葉に僕はしばし、きょとんとしてしまった。
「だから!!お前の兄さんのリオンが、少し羨ましかったんだよ!!」
「僕らも、僕らが知らない世界を見てみたいと思ったんだ。リオンが亡くなってしまったからこそ・・・」
カイトが、こちらをうかがうように言いよどむが、僕は少し、いや、大分嬉しかった。兄が死んだことは今でも胸が張り裂けそうなほど悲しい。ともすれば夢に兄が出てくるほどに・・・・・。
それでも、兄はあの闘技場で確かに生きていた。僕が兄に託された願いを背負って生きるように。誰かがあの時の兄の言葉に、そして生き方に、考え方に、同調してくれる、影響されている。それは確かにみんなの中で兄が生きていた証として残り続ける。そんな気がした。
だからこそ、僕は嬉しかった。兄が託した願いが、種となり、できるだけ多くの剣闘士の中で根付き花を咲かせるように願わずにはいられなかった。
「そっか・・・。ありがとう」
思わず感謝の言葉が口を突いて出てきた。
言ってすぐに気恥ずかしさからかあっと顔が熱くなってきたが、そんな僕を見て、ガルフが目を手で押さえながらふいっと顔を背ける。
それを目ざとく見つけたネルがからかう。
「あれ?ガルフ、泣いているの?嫌だねー年を食うと・・・。涙もろくなって」
「泣いてないわ!!」
「いや、思い切り泣いているじゃないですか・・・」
思わず笑ってしまった。
場が笑いに包まれる。




