解放五
両脇の兵士が、左右の扉にそれぞれ手をかけ、ゆっくりと押し開く。
ぎいいいいいい・・・。
ゆっくりと開いた扉の奥には、あまりにも殺風景な光景が広がっていた。
何もない。部屋の中には、中央に大きな鋼鉄の檻が無造作に置かれているのみで、地面を太い鎖がジャラジャラと、まるで蛇のように這っているが、それ以外は何もない。
その、檻の横に、レイモンドがいた。
この場には不釣り合いなほど豪奢な椅子に腰かけ、ひじ掛けに頬杖を突きながら、こちらを常と変わらぬ冷たい視線で捉え、離さない。
「来たか・・・」
余りにも無機質な表情に、声音に、背筋が凍った。
「何の用かな?」
「ふん、怯えているのか?貴様の強気な態度が常々気に食わないと思っていたが・・・まあ、いい」
ふと、レイモンドは、俺の後ろを指さす。
指さすそこには、何者かの影があった。
扉の後ろになり、入室した時には目に入らなかったが、今はその姿を見ることができる。
「二クス・・・」
「どうしたんですか?驚きましたか?私がここにいて。助けを求めてもいいんですよ?」
くだらない、と思った。普段と変わらぬ笑みを張り付けているが、その表情を見ればわかる。そこには、堪えきれぬ弑逆の笑みが浮かんでいる。
「ふん!下らんな」
ふっと目線を外すと、俺の背後から、つか、つか、とこちらに歩み寄る音が聞こえる。
次の瞬間、思い切り尻を蹴飛ばされた。
しかし、何とか踏ん張り、そのままの姿勢を維持する。
「くだらないとは何ですか?面白くないですねえ。お前らは!全く私のことを今まで信用してこなかった!まるで分かっていましたとでも言わんばかりのその態度が気に食わないですねえ!」
声を荒げるその男は、ぜえ、ぜえ、と息を乱しながら声高に何かを叫んでいる。
しかし、俺の耳には届かない。今俺の捉える視線の先には、全く表情を変えないレイモンドの姿しかない。
「もういい。控えろ」
レイモンドの言葉に、ゆっくりと二クスが一歩、二歩とさがる。
「そこにいる男からある情報を聞いた。今日はそれを確かめたくて貴様を呼び出した」
そうか、とは言わない。驚きもない。こうなることは予測していた。誰かがこいつと繋がっていることはうっすらと分かっていた。
それが二クスかもしれないと疑ってはいたが、確信はなかったため、今の今まで、迂遠なやり方しかできなかったのだ。
「貴様は聞くところによると、奴隷共の解放を謳い、逃亡を計画しているようではないか?」
ゆっくりとレイモンドが立ち上がった。
こちらに歩み寄ってくる。
数歩の間合いで立ち止まったレイモンドはゆっくりと俺に命じる。
「動くな。そこから一歩も、指一本たりとも動かすな。そして心に秘していることを吐け!」
激烈な痛みが襲ってきた。
それでも俺は、笑みを浮かべながら、一言も発することなく、レイモンドを見下ろし立ち尽くす。
「早く話せ!一体いつ?どうやって自由になろうなどと分相応な望みをかなえようというのだ?話せ!」
意識が遠のいていく。
ぎしり、と噛みしめた歯が軋んだ。握りしめた拳から、血がにじむ。
それでもなお、一言もしゃべらず立ち尽くす。
「早く話せええええ!!!!!」
室内に木霊する怒声をどこか遠く感じながら、薄れゆく意識の中で、別れの言葉も告げずに残してきた三人の顔が浮かんだ。
そのとき、冷たい水が頭からかけられた。
一瞬で意識が戻ってくる。
我知らず、地面に膝をついていたようだ。
びしゃびしゃに濡れた髪と衣服が、肌にまとわりつく。
ひんやりと冷たい地下の空間で、思わず身震いしてしまった。
「話すまで、これを続けるぞ。何時間だろうが、何日だろうが」
急に、頭に痛みが走った。
両脇を固めた兵士の一人に髪を掴まれ、無理やり視線をあげさせられるが、そこには相変わらず無表情のレイモンドが立っている。
「なんだ?その表情は?もしかして、誰か助けが来るとでも思っているのか?だとしたら滑稽だな。助けなど来ないさ。なぜなら貴様の班のメンバーは今日この後、三人で殺し合うのだからな」
そうか、それは都合がいい。
「それに、ここはコロシアム地下だが、宿舎とも、コロシアムとも離れたところに作られている。万が一に収容している魔獣が暴れたときに被害がないようにとな。だから、ここまでたどり着ける奴隷などいはしないよ」
そうか・・・益々都合がいい!
にやり、と思わず口の端が吊り上がってしまった。
「なんだその表情は!」
怒鳴り声とともに、腰に佩いていた剣の鞘を、思い切り頬に叩き付けられた。
じんじんと頬が痛む。口の中を切ったのか、血の味がした。
「なぜ笑っている?もしかして、自分は殺されないとでも思っているのか?だとしたら、一つ教えてやる。貴様などいくらでも替えがきくただの物だ。私がその気になれば、すぐにでも貴様の命を奪ってやることなど容易いのだぞ」
脅すようにのぞき込まれた顔を見返していると、後ろから声が聞こえてきた。
「馬鹿な奴ですねえ・・・。黙ってレイモンド様に従っていれば、こんなにも辛い目に合わずに済んだのに」
こちらも見下すように、小馬鹿にしたように放たれた言葉に、思わず言い返してしまった。
「愚かなのはお前だ。仲間を売り、必死で生きて、今のお前に何がある?闘技場の中で生きるお前に、奴隷に、何がある?希望か?未来か?財産か?それとも他人を蹴落とすことで得られるほんの小さな、あまりにもちっぽけな優越感か?」
思い切り腹を蹴飛ばされた。
「あなたに何がわかるんですか!帝国に侵略される前は、将軍として、人並みの生活を送っていたあなたに!何がわかるんですか!」
ああ、思い出した。こいつは戦争奴隷ではなく、犯罪奴隷だった。
確か、帝国領内で人を殺し略奪を行っていた盗賊の下っ端だった男だ。捕まった時、仲間の情報と引き換えに命乞いし、奴隷の身分に身を落とした下衆だった。
なんだか滑稽だった。思わず笑いがこみあげてきた。
「何を笑っているんですか!」
「やめろ。下がれ」
再び詰め寄ってきた二クスをレイモンドの言葉が押しとどめる。
「もう一度問う。貴様はいったい何を計画している?いったいどうやって自由になろうというのだ?もう茶番は終わりだ!これが最後の問いだ!答えなければ、殺す!」
ああ、もうこれが最後か・・・。
思い残すことは・・・もうない・・・。と言いたいところだけれど、あの三人に別れを告げられなかったことが、心残りだなあ。
激烈な痛みが、再びこの身を襲う。
アイク・・・。今まで俺を支えてくれてありがとう・・・。
ローグ・・・。いつまでも強く、そして優しく、生きてくれ・・・。
そしてシリウス。お前に、俺の意志を託す。兄リオンの死を乗り越え、また俺の意志を背負って生きていくことに、重荷を背負わせてしまったことに申し訳なさを感じる。
ふと、気付いた。
あの夜、シリウスに俺が命を懸けることを伝えたくなかった理由は、止めてほしくないからだと。
いつからだろうか?娘を失い、妻を失い、もう俺には大切な者などいないと思っていた。だが、あの兄弟とともに過ごすうちに、なんだか、あの兄弟の父親になったような不思議な心持がしていた。
時折、どうしようもなく愛しく感じることがあった。
だからこそ、シリウスに止めてほしくはなかった。泣きつかれたくはなかった。そしたら、決意が揺らいでしまうから。
すでに、あの日、炎に焼かれ、死にゆく最愛の家族をその目で見取った日から、この瞬間を夢見てきた。だから、今更、引くことなどできない。
折れそうになる足に、必死に力を籠める。
薄れゆく意識を、懸命に奮い立たせ、立ち上がろうとする。
視線が真っ赤に染まる。
全身に力を入れているからか、分からないが、ぶちり、と何かがちぎれる音がした。
居並ぶ兵士たちが、二クスが、そしてレイモンドが、ぎょっとしたように身を引く。
ごぼり、と口から血を吐き出し、頭から流れる血をぬぐいもせずに、立ち上がった。
体が軽くなった気がした。
痛みが、すうっ、と引いていく。
差すはずのない光が、すっ、と室内に差し込んできた。
そこに、失ったはずの妻と娘を幻視する。二人は笑っていた。
「ああ・・・、アンジー、ナターシャ・・・。今・・・俺もそちらに行くよ・・・」
隣に立つ兵士の腰から一瞬で剣を引き抜くと、抜き身を両手で抱え、一直線にレイモンドに突き出す。
光が満ちた。
笑顔を浮かべる娘と妻が、こちらにゆっくりと歩いてきた。
「あなた・・・お疲れさま」
「パパ!お帰り!」
二人の声が聞こえた気がした。二人の暖かな手が、俺の両手を包み込む感触がする。
世界は光に包まれる――――。
「レイモンド様!」
兵士たちの慌てた声が重なる。
目の前に立つ、全身から血を吹き出した男の決死の突きが鼻先に突き出され、あわや、この身を貫くか―――、と思ったところで止まった。
流石に、ひやっ、とした。
剣を突きだしたままの男は、ゆっくりと優しい笑顔を浮かべたまま、固まっている。
しかし、隷属魔法の効果は絶大だった。
慌てて駆けだしてきた兵士が、リックの様子を確認する。
「死んでいる・・・」
つか、つか、と無造作に歩み寄ると、思い切りその頬を殴り飛ばした。
「ふん!下らん!」
吐き捨て、その場を去ろうとした私の耳に、ドクン、と何かが脈打つ音が聞こえた。
驚いて、ばっ、と振り返ったが、そこには相変わらず、うつぶせに倒れ、地面に冷たい体を横たえるリックの姿がある。
私の様子を不審に思ったのか、兵士の一人が尋ねてきた。
「レイモンド様?いったいどうなさったのですか?」
「いや、なんでもない」
気のせいだろう。そう思い直し、再び歩き出そうとした私の耳に、再び、ドクン、と聞こえた。
それも、今度は一度ではなく、ドクン、ドクン、と二度、三度脈打つ音が聞こえる。
くるりと体の向きを変え、リックに近づいた。
ドクン。
「また聞こえた!お前らは聞こえないか?」
振り向くと、居並ぶ兵士たちはきょとんとした顔をしている。
ドクン、ドクン。
使えん馬鹿どもめ!心の中で悪態をつきながら、ゆっくりと屈みこみ、倒れる男の背中に手を当て、耳を澄ませる。
心臓は全く鼓動していない。ピクリとも動いていない。
にも拘らず、ドクン、ドクン、と先ほどから、何かが脈打つ音が大きくなっていく。
一体何の音だ?
瞬間、今目の前に転がる死体から、魔力の高まりを感じた。
どんどん、どんどん、圧縮されていく魔力に危機感が募る。
しかし、今目の前で起こっていることが信じられずに、身動き一つできないでいた。
そして、ぴたり、と音が止まり、世界が光で満ちた――――。
僕は、いや、僕らは確かに感じた。
長年、僕らを捕えて離さなかった「鎖」が、「枷」が解き放たれる開放感を―――。
ずどおおおおおおおん!!!!!!!
地面が大きく揺れた。
皆必死に伏せて、大きな揺れをやり過ごす。
ぐらぐら、ぐらぐらと体の平衡感覚を失うほど地面が揺れ、遠く宿舎が崩壊していくのが見えた。
しかし、この時剣闘士たちは、みな、僕らの求めに応じて、最低限の荷物をまとめ、コロシアムに集まっていたため、事なきを得た。
倒壊する建物を眺めながら、誰かが歓声を上げる。
うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!
ばきん!首元で聞こえた音に目を向けると、そこには割れて、落ちていく隷属の首輪があった。
この日、僕らは奴隷から解放された。
たった一人の犠牲で、多くの奴隷たちが救われた。
「ああ・・・」
爆発した方向を呆けたように見つめながら、僕ら四人は立ち尽くす。
そのとき、いち早く立ち直った剣闘士たちが、一斉に街の外目指して駆け出していく。
それを止めようと、常駐兵が武器を手に、必死で立ち塞がるが、あまりにも多勢に無勢の上、もはや、勢いづいた流れを止めることはできない。
ましてや、爆発の衝撃で浮足立ち、まともに連携が取れない兵士たちと、協力し合って兵士たちを切り倒していく、剣闘士たちの差は一方的に開いていくばかりである。
「俺たちも逃げよう」
セルバの声に、二人がうなずくが、僕は、まだ、未練を捨てきれない。
どこか、ぱっと人の悪い笑みを浮かべながらリックが姿を見せるのではないかと、何度も後ろを振り返る。
しかし、そこには、倒壊し、崩れゆくコロシアム、宿舎、そして地面があるだけで、そこに見慣れた男の姿はついぞ見えなかった。
帝国歴九百二十二年、帝国史に残る奴隷の反乱がなされた。
逃げ出したのは奴隷三百四十一人。犠牲者は、レイモンド伯爵、以下帝国兵士数十名。
これと時を同じくして、また別の反乱が帝国領内で起こり、この日は帝国にとって史上最悪の一日となった。
これで第一章が終わります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。第二章も頑張りたいのですが・・・・。
大変申し訳ありません・・・・。
年末年始の帰省後に風邪をひいてしまい・・・。それが直ったかと思ったら、中旬ごろにお客様のお宅で飼い犬に足首を噛まれ怪我を負ってしまい・・・・。
そんなこんなで、第二章がなかなか進んでおりません・・・・。一週間お時間をください・・・。
第二章は、2月12日に必ず更新いたします!!!




