奴隷三
掃除が終わり、昼を迎えると昼食が始まるが、ここからコロシアムは非常にあわただしくなっていく。
午後から剣闘試合が始まるからだ。ただし、僕らにはほとんど関係のない話だ。班のメンバーで剣闘試合に出場するとしたらリックだけだが、リックは最近試合をこなしたばかりですぐに試合の予定は組まれていないからだ。
昼食は朝の残りであるスープにパン、そして豆を甘辛く炒めた食べ物が一品、それをぼそぼそと食べる。
昼食が終わると多くの観客が来場し、コロシアムの試合場に今日試合を行う選手たちが入場し、多くのどよめき、歓声が会場内を包み込む。その熱気はもちろん隣の宿舎にも届いているため午後の鍛錬のモチベーションにつながっている。
多くの奴隷たちには定められた役割がないが、しかしその分僕らは空き時間を鍛錬に充てている。
班ごとの狩猟が月に一度「暗黒森林」にて行われているが、それは今日ではない。
鍛錬を切り上げた人々の中には奴隷用の観賞スペースから剣闘試合を観戦する者たちもいる。特に自分たちの班メンバーや、仲のいい奴隷剣闘士が出場するときは応援に駆け付けたりする。
僕らの班は基本的にリーダーであるリックの指導のもと鍛錬を行う。もう一人の班メンバーであるアイクと呼ばれる寡黙な中背の二十代半ばの男性は弓使いであるため一人だけ別に鍛錬を行っている。もちろん弓の練習をするときに指導してもらうことはあるが、僕らの班メンバーの多くは片手剣と丸盾を使う一般的な剣闘士のスタイルをとるため、リックが先頭に立つことが多い。
今日もコロシアムの周囲の走り込みから始まり、片手剣と丸盾を構えての素振りを飽きるほどこなす。
多くの班が宿舎の外にある鍛錬場の中で模擬試合をする中僕らは基本の鍛錬を黙々とこなす。
モーリスは不満げな顔で手を抜くことが多いが、決して逆らうことはない。僕と兄さんは必死にリックに言われた鍛錬をこなしているが、どうしても幼いためついて行くので精一杯な時が多い。
素振りを終えると、一刻(二時間)近い時間は経過している。
そのあとはリックが考案した約束組手と呼ばれる練習をする。
これは攻め手と守り手に分かれ、事前に決められた攻撃を攻め手が行い、それを守り手が守る。そして四半刻(三十分)ほど行ったのち攻め手と守り手を交代し、もう一度同じことを行うというものである。
これをリックとモーリス、僕と兄さんの四人で周回していくというものである。
僕はこの鍛錬があまり好きではない。なぜならモーリスが本気で僕に練習用の木剣を振りぬいてくるため、時たま思い切り打ちすえられる時があるからである。
さらに最近では、僕が、そのスピードに慣れてきて、決められた攻撃だから事前に攻撃の出を読み、動作や癖を見て判断し、防御できるようになってからはリックの目を盗んではあらかじめ決められていない攻撃をしてくるからである。
一度僕がそのことを口にした際、「実践では相手が何をしてくるか先に言ってはくれねえだろうが間抜け!」と散々に小突き回されたので、僕はそれ以来何も言わないことにしている。
しかし、僕もこの練習の意味をほとんど理解していない。
悔しいがモーリスの言う通り、実践では相手が先に何をしてくるか言ってくれるわけではないため意味のない練習に思えてくる。
リックに聞いても「これは、攻撃の型と守りの型を自分の体に覚えこませるためにやることだから、条件反射で動けるようになるまで練習しないと意味がないんだよ」と言っていたが、僕にはよくわからない。
ぽかんとしている僕を見て兄さんが見かねたように苦笑いながら「ようは、考えるよりも先に体が動くようにするってことだよ」と教えてくれたが、そんなことできるのだろうか?
そのあと僕らは夕刻、日が沈むまで模擬試合をする。当然僕は最年少であるためリックも兄さんも手加減してくれるが、モーリスは容赦なく僕に打ちかかってくる。練習用の木剣とは言っても歳が十程離れているため力も違えば体格も違う。散々に打ち据えられ地面に何度も転がされる僕を見て哀れに思ったのだろう、リックと兄さんは何かと僕と模擬試合をする時間を長くとってくれる上に、僕とモーリスがほとんど模擬試合を行わないように取り計らってくれている。
それがモーリスは非常に気に食わないようで何かとリックや兄さんの目を盗んでは僕に突っかかってくる。
「もう少し腰を落とせ、いくら相手がお前よりも身長が高く、急所に剣が届かなくたってそんなに上体が上がっていれば剣に力も乗らない」
必死でリックに届かせようと剣を振り回す僕はいつの間にか足元がおろそかになってしまったようで、左手の丸盾で僕の体重の乗った切り払いを横に弾くと、体の流れた僕の足元をそのまま掬いあげる。
アッと声をあげる間もなくふわっとした浮遊感を感じた僕は数瞬後には後頭部を地面に打ち付け空を見上げていた。
「それにこんな風に攻めを流されると大きな隙ができる」
何合打ち合ったろうか、僕の剣は全くリックの体をかすりもしない。僕は息を荒げ、大量の汗で額に髪が張り付いているにもかかわらず、リックは汗一つかいていない上に、息一つ乱していない。
圧倒的に力が、速度が、経験が足りない。悔しかった。届かないことが、弱いことが、どうしようもなく。幼いことなど言い訳にならないことを知っている。弱ければただ震えて強者にすべてを奪われることを知っている。あの悪夢の夜に、すべてを失った日に、まざまざと見せつけられた。だから僕は弱いことが許せない。弱い自分が許せない。
そこにすっと手が差し伸べられる。
「大丈夫か?」
リックの大柄な手を振り払うと僕は無性に腹が立った。
「大丈夫だよ!もう一回!」
リックは振り払われた手を戻し、面白そうに笑うと剣と盾を構える。
少しでも強くなるために、僕は敵うはずもない「敵」に対し再度向かっていく。
結局僕はその後も同様に散々地面に転がされ、力尽きると、兄さんがリックに模擬戦を仕掛けその後日が沈むまで兄さんと剣を打ち合っていた。
夜が更け、夕飯を終えると僕らはすぐに就寝する。
こうして僕ら剣闘士の一日は過ぎていく。
一年で一番寒い季節がやってきた。とはいってもここ「スパーダ」は帝国領内でも南西に位置するため、少し肌寒いだけだとリックが教えてくれた。アイクの話ではこの季節の夜は外出できないほど寒い国もあるそうだ。
この時期は一年で最も盛大な「創国祭」の季節である。
これは、唯一神「メラース」がこの地に降り立ち、メラース帝国を建立したことを祝う祭りであり、メラース帝国が成立した季節に、今後一年の更なる発展を神に祈願し、繁栄を祝うものである。
毎年この季節になると、帝国総出で祭りが開催され、帝国民、奴隷関係なく皆が祭りを楽しむ。
宗教的な意味合いだったり、儀式的なことは僕にはよくわからないけれども、普段は食べられないご馳走が出され、多くの剣闘試合が行われ、さらには歌や踊りといった見世物までコロシアムで行われ、毎年僕らは楽しみにしている。
ただし、約一週間行われる祭りに先立ち、僕ら剣闘奴隷は最低限の剣闘士を残し、祭りで出される豪華なご馳走を手に入れるために、「暗黒森林」に班ごとの大掛かりな狩猟に駆り出される。
この日僕らは狩猟に先立ち事前の準備を行っている。武器の手入れや保存食の確認などである。
僕は今日まで、まだ幼いということで狩猟に行ったことは一度もなかったが、今年は参加できる。リックがレイモンドにまだ幼いから同行できないと断ろうとしていたが、今年は連れていくように命じられしぶしぶ了承していた。
だからだろう、僕は表立って喜ぶことができなかったが、心の中ではわくわくしていて、非常に興奮していた。そのそわそわした様子は兄さんにはすぐにわかったようで、何度かたしなめられたが、無駄だとわかるとそれ以上何も言ってこず、むしろ困ったように笑っている。