解放一
試合の翌日、目を覚ました僕は、あまりにも気怠い体に驚いてしまった。
「気付いたか」
呻きながらゆっくりと体を起こす僕に、柔らかい声がかけられた。
視線を転じると、部屋の隅にリックが座っていた。
こちらを見つめる視線には優し気な光が宿っていて、少し安心した。
「大丈夫か?」
「うん。」
なぜだか、それだけしか言葉が出てこなかった。
ゆっくりと流れる時間の中で、満ちる沈黙がなぜだか気まずく感じなかった。
ゆっくりとこちらを見つめるリックの視線を感じながら、僕は口を開く。
「僕は・・・勝ったんだよね?」
何に、とは聞かない。
「ああ」
何に?とは聞かれない。ただ短く肯定の言葉が投げられた。
「試合の前に、冷たく突き放すようなことを言ってしまって申し訳なかったな」
「ううん、いいよ。何かわけがあるんでしょ?」
答えを期待しての質問ではない。ただ、話したくなければ答えてもらえなくてもいいと思っていた。
「ああ・・・。お前も魔法を使えるようになって、気付いたと思うが・・・。俺も魔法を使える。それを誰にも知られたくなかっただけだ」
だからこそ、僕は驚いてしまった。
まさか、僕の問いかけに答えがあるとは思っていなかったから。
思わず、ぱっ、と飛び起き、リックを見つめる。
「そんな顔をするなよ」
少し気まずげに視線を背けるリックを、僕は静かに見つめている。
観念したように僕を見返したリックは、思いもしないこと話を始めた。
「今年の冬を越したら、約束通り、お前たちを自由にしよう。そのためには俺の魔法が必要だった。そして、お前が必要だった。そのためには、レイモンドに感付かれるわけにはいかない。だからこそ、俺は、今の今まで誰にも魔法を使えるということを気付かれないようにしてきた」
「やっぱり・・・」
「気付いている者は何人かいるようだがな」
そう言って苦笑いするその顔は、まだどこか、よそよそしく感じる。何かまだ隠しているのだろう。無理やり聞き出すことはできない。
だが、聞きたいことが山ほどあった。
具体的にいつ?どうやって?
そして、自由になった後はどうするのか?
聞き流してしまったが、僕が必要だった、とはいったいどういうことだろうか?
多くの疑問が浮かんでは消えていく。そんな僕を見て、少し困ったように笑ったリックは、しかし、それ以上何かを話すこともなく、ただ告げる。
「今はまだそれ以上は言えない。だが、春になったら、お前たちは自由になる」
「僕は・・・」
「今はゆっくり休め。遅くなったが、おめでとう」
その言葉を後に、僕の部屋から去って行った。
ゆっくりと体を倒した。
固い床の感触を背中に感じながら、あまりにも突然の話に頭がぼうっとしてしまう。
どうすればいいんだろうか?
リックには、アイクには、セルバには、そしてローグには家族がいるのだろうか?
今の今まで全く聞いてこなかったし、知らなかった。
僕はどうすればいいんだろう?
「自由・・・か・・・」
あまりにも突拍子もなく、あまりにも奴隷でいる時間が長すぎたから、それがどういう物か実感がわかなかった。
小さく言葉に出してみても、それは非常にあいまいで、ともすれば、分からなくなってしまうようなものだった。
何となく空腹を感じ、ゆっくりと起きだした僕は、運ばれてきた朝食を食べる。
そうして、朝の仕事に向かった。
「よう!シリウス!昨日はすごかったな!」
「よく眠れたか?」
「やったじゃねえか!」
歩くたびに、僕の姿を見つけた奴隷たちが挨拶をしてくる。
それにいちいち返事しながら、時には肩を叩かれ、コロシアムに向かっていく。
この時、僕は、少し困惑していた。
もちろん誇らしい気持ちもあったが、それ以上に、今まで全く言葉を交わしたことのない人ですら、僕に声をかけてきてくれている。
そして、今日この時ばかりは、リオンの弟、ではなくシリウスとして、一人の人間として認められた気がして誇らしい気持ちと、うれしい気持ちと、恥ずかしい気持ちがわずかにあったが、それ以上に、昨日の今日でこんなにも態度が変わった皆の様子に、何より困惑してしまっていた。
わずかに苦笑いを浮かべながら、挨拶を返す僕に後ろから声がかけられた。
「もう大丈夫なのか?」
振り返ると、そこにはアイクと、ローグと、リックと、二クスが立っている。
「うん!もう大丈夫だよ!」
どこかほっとした顔を浮かべるアイク。
「よくやった」
「ありがとう!」
少し誇らしげに笑みを浮かべるローグ。
「いや、いや。昨日は本当にすごかったですねえ。お見事ですよ!」
「うん、ありがとう」
少し大げさに思えるほど目を見開き僕をたたえる二クス。
とても恥ずかしかった。
「とりあえず、今日は少しゆっくりしたほうがいい」
リックの言葉に皆がうなずき、今日の訓練は休みとなった。
今年の冬は、いつにも増して厳しい寒さだった。
南に位置するこのスパーダの街でも、いつも以上に防寒着を着込む人々が増えており、森も、街も、冬に備えて蓄えた備蓄の食料や、薪が、例年以上に消費されていき、どことなく閉塞感が訪れていた。
街を歩く人々は皆一様にうつむき、それにつれ、観客も例年以上に落ち込んでいき、僕たち剣闘士も試合、狩猟の数がどんどん減っていっていた。
ほとんど宿舎にこもりきりの生活が続いていたとき、その噂がささやかれ出した。
それは、一段と寒さを増した新年明けてからの話だ。
「おい!聞いたか?」
「何がだ?」
「春になったときに、俺たちは自由になるらしいぞ」
「馬鹿な!なんだその話は?どこで聞いたんだ?」
「話の出どころは分からない・・・。だけど、少なくない数の奴隷たちが噂しているぞ」
「俺は聞いたことがないな・・・。俺の周りで話している奴もいないぞ」
食堂の隅で、二人の奴隷が、ひそひそと周りをはばかるような小声で噂する。
その二人の横で静かに聞き耳を立てていた者が、割って入った。
「俺もその話は聞いたことがあるぞ!」
「お前・・・聞こえていたのか?」
冷たい視線を受け、その奴隷は必死に取り繕う。
「まあ、待て!たまたま聞こえただけだ。それに周りはうるさいから他の人間に聞こえちゃいないよ。それより俺もその噂は最近耳にしたよ」
「ほらな」
「じゃあ、お前らの言う通りなんだろうが・・・。どうして?どうやって?」
「さあ?」
「誰が噂していたのかもわからんのか?」
「俺が聞いたやつも、誰かから聞いた話だと言っていた」
「それなら誰がこの噂を広めているのかもわからんのか?」
「ああ」
「ただし、この話はレイモンドには決して聞かれないように、って釘を刺されたそうだ」
「じゃあ、それこそよくわからんな。俺たちはいったいどうやって自由になるんだ?」
「さあな?」
「それがいつかもわからんのか?」
「春ごろだとは聞いたがそれ以上は・・・」
「そうか・・・」
こうして噂はどんどん広がっていった。
それは誰が言い出したかも、具体的な時期も、内容も分からず、ただ、ただ、自由になれる―――。その話だけが、奴隷たちの中でどんどんと広がっていった。
恐らく平年以上に何もすることがなく退屈だったからと言うこともあるのだろう。
どうやって?いつ?誰が?様々な憶測が流れ、それでも確かなことは、春になれば自由になれる―――。ということのみ。
多くの奴隷たちの、そして街の人々、森に棲む生き物たちの春を待つ祈りが、静かに剣闘士の街「スパーダ」に満ちていく。
その中心にいる僕を含め五人の人間は、気が気ではない日々を過ごしていた。
特に僕は、残りの四人があまりにもいつも通りなので、本当に自由になれるのか?その話を信じていいのかどうかさえ分からなくなってきていた。
そして、僕らの知らないところで、その噂は主人であるレイモンドの耳にも伝わっていた。
レイモンドは己にその話をもたらした一人の男に、誰が首謀者か暴くように命じた。
様々な思惑が交錯する中で、静かに、しかし確実に、冬が終わろうとしていた。
草木が芽吹き、柔らかな日差しが、確かに春の訪れを告げる。
街は、例年以上に厳しく、寒く、そして長い冬の終わりに活気づき、森は、静かに、だが、ぽつぽつと、新たな命の芽吹きを迎え始めたころ、コロシアムの中、剣闘士たちは、半信半疑ながら、そわそわと、あの噂の真偽を待ちわびていた。
そんなある日、僕らは、僕とアイクとセルバとローグの四人は、リックの部屋に呼び出された。
狭い室内に五人で車座になって並びながら話を聞くのだが、狭い室内にローグがいるため、余計に狭く感じた。
「ついに時が来た」
開口一番リックがつぶやく。




