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英雄伝説ー奴隷シリウスの冒険ー  作者: 高橋はるか
奴隷時代
33/681

魔法一

そこは優しい光に満ちた場所だった。

夕暮れとも朝焼けともつかない柔らかい朱色に近い光が差し込むどこかもしれないそんな場所。

歩く目の前には、見飽きるほどに見飽きた大きな兄の背中が見える。

「待ってよ!置いていかないでよ!」

必死で後を追おうとするが、不自然なほどにおぼつかない足元が、転ぶようにもつれ、どんどん距離を離されていく。

ふと自分の体を見下ろしてみると、そこには幼い、あまりにも幼くなった手足が映る。

どうして――?

そう疑問に思うよりも先に、前を行く兄が振り向いた気がした。

優しい光に包まれた兄の顔は、どんな表情をしているのか窺うことができない。

――相変わらず泣き虫だなあ。

笑い含みで聞こえた懐かしい声に思わず涙が零れ落ちた。

「待ってよ!置いていかないでよ!」

必死で追いすがろうとするが、足が、手が、全く動かない。

もどかしい――。早く――。早く――。

世界に光が満ちていく。

前を行く兄の姿も見えないほどに、目も開けていられないほどに――。

必死で目を開けようとする僕の瞳にうすぼんやりと光が差し込んできた。

がばっ、と跳ね起きた僕の視界に、見慣れた薄暗い石造りの室内が飛び込んでくる。

頬を冷たい何かが通り過ぎたので、ふと手でなぞると、頬には一筋の涙が零れ落ちていた。

あれから何度同じような夢を見ただろうか?

夢の中の兄は決まって笑っている気がする。

それはこの手で殺めてしまった兄に対する気後れからなのか、それとも罪悪感からくる理想を見ているのか僕にはわからない。

ゆっくりと体を倒し、仰向けに寝転がる。

いつもと同じ、固い床。

いつもと同じ、固い毛布。

いつもと同じ、薄暗い室内。

しかし、いつもと同じはずのそこには、一年前から隣で眠る兄の姿がない。

「あれからちょうど一年か・・・」

それが長かったのか、短かったのか僕にはわからない。

兄を失ったはじめのうちは、死んだように体から活力が失せ、皆が元気づけようとしてくれたが、ほとんど耳に入ってこなかった。

何度も悪夢にうなされ、飛び起き、泣いていた。

何度、後を追って死のうと考えただろうか?奴隷として生きていると、あまりにも死が身近で、麻痺したように、死に場所を求めていた。

しかし、そんな僕をずっと身近に支えてくれたのがリックとアイクとローグとセルバの四人だ。

リックとアイクは、死のうとしていた僕に対し、その意図を察していたのだろう、「絶対に死なせない」と言い含み続け、ついにはこうして一年がたった。

こうして僕は周りの人々に支えられ一年を過ごした。

今では少し前向きに、兄に託された願いをかなえようと、今まで以上に強くなろうと真剣に訓練に取り組んでいる。

朝、皆が起きだし、闘技場の清掃をしてる時に、セルバが近づいてきた。

「おい、聞いたか?」

「どうしたの?」

僕らが掃除の手を休めることはない。

「いや、なに。噂で聞いたんだが、また「暗黒森林」から魔獣が連れてこられるようだ」

その言葉にぴたりと僕の動きが止まった。

「どうした?あっ、そうか・・・」

何とも気まずそうにセルバは沈黙する。僕と兄が共闘したあの日以来、久方ぶりに魔獣が連れてこられるため、そのことを思い出し気に病んだと思われたのだろう。

僕はすぐに笑顔を浮かべると、首を横に振る。

「なんでもない。大丈夫だよ。ただ、今回は誰が戦わされるのかなって・・・」

「確かにな・・・」

考え込む様子のセルバは、遠くに見える大きな体を指さし、屈託なく笑う。

「ローグの可能性が一番噂されているぞ。まあ、あいつなら、いかな魔獣だろうと素手で殺してしまうかもしれんがなあ」

その言葉に皮肉ややっかみの色はない。

あの日以来、セルバもローグと打ち解け、よく話をするようになっていた。

僕もつられて苦笑してしまう。

噂された本人は、絶対に聞こえていない距離にも拘らず、こちらを見つめるときょとんとした表情をしている。

ローグもなかなか感情豊かになってきている。

「しかしな・・・」

セルバが声を潜める。

「どうしたの?」

「あながち間違いでもないかもしれん・・・。と言うのも、今回連れられてくる魔獣はかなりの兵力を割いて捕らえられた強力な魔獣だという噂があるんだ・・・」

真剣な表情に思わず言葉が詰まる。

「いつ運ばれてくるの?」

「さてな・・・。近いうちに運ばれてくるかもしれない・・・。もしかしたら噂はただの嘘かもしれない・・・。まあ、今から気に病んでもどうしようもないことだ」

そう言って、掃除を続けるが、僕はそのことが気になってどうにもそれどころではなくなってしまった。


その日の夜、大きな鋼鉄の檻が運ばれてきた。

大きな布で隠されたその中を見ることはできない。

ゴロゴロと台車に乗せられ運ばれてきたその檻の前には物々しい装いの兵士が、警護している。

その様子を目にした奴隷は数少ない。すでに冬近いその日は、日が沈むのが速く、闘技場の近くに人影は少なかった。

偶然居合わせることができた彼らは一様にその檻が通り抜けていくときに寒気を感じたという。

秋の夜長が終わり、冷たい風が吹き抜ける冬が近づいているからか・・・。本能的な恐怖によって寒気を感じたからか・・・。

人の感覚と言う物は非常にあいまいで、あまりにも儚いものである。

その夜は、新たに闘技場内に運ばれてきた魔獣の話でもちきりになり、その姿を一目見ることがかなった剣闘士たちは、皆の中心で、己が見てきたことを得意げに話す。

しかし、彼らは最後には、見ているこちらがわざとらしく感じるほどに身震いしながら「寒い・・・」とだけ口にした。

誰もがまんじりともせずにその夜は更けていき、誰にも平等に訪れる朝を迎えた。

 その日、皆が不安と恐れをもって朝を過ごしていると、急に、訓練場に集められた。そこにはレイモンドの姿がある。

皆が目配せする中で、おもむろに口を開いた。

「すでに聞き及んでいる者もいるだろう。昨日の夜、新たに、この闘技場の中に捕獲された魔獣が連れてこられた」

異例のことだった。レイモンドが皆を集めて、語るほどのことには思えなかった。その分皆は不安を募らせる。

「直近のうちに魔獣との剣闘試合を行う」

いつ?という問いを飲み下す。語らないということは、恐らくまだ決まっていないのだろう。

「誰が試合をするか?ということだが、まだ決まっていない」

一瞬ざわざわと騒めく奴隷たちをレイモンドは鋭い視線で一瞥する。潮が引いていくように静かになっていく。

「ただし、決まっていることが一つある」

そう言うと、すっと視線を転じ、ローグを見つめる。

「ローグ・エルビースト。今回貴様は試合に出場させない」

どうして?皆が疑問に包まれた。

どうしてこの場でそれを伝える?

どうして名指しで皆の前で不参加を告げる?

どうして彼だけ出場がない?

あまりにも異例のこと尽くしで誰もかれも驚きに固まり、見つめ合う。問いただすことはできない。リックですら、苦い顔をして黙り込んでいる。

次いで皆に訪れたのは絶望だ。目下、一番可能性がある人間として考えられていたローグの試合がなくなってしまえば、恐らく自分が、自分たちが闘う可能性が大きくなっていく。ましてや、ローグであれば、強力な魔獣だろうと、倒してしまうかもしれない―――。

そうか!この時、僕は気付いてしまった。

ローグであれば、強力な魔獣であろうと倒してしまうだろう。だが、それでは面白くない。観客が、狂った帝国貴族が見たいものは泣き叫び、命を散らす奴隷たちの阿鼻叫喚の様。敵わないと知りながら絶望的な勝負に挑み、そして、強大な力の前に命を散らす殺戮ショー。

思わず唇をぎゅっと引き結んでしまった。

最初から考えればわかることだ。中には気付いていた者もいるようで、鋭い視線をレイモンドに向けている者たちもいる。

しかし、そんな視線など全く意に介さず、レイモンドは早々に執務室に引き上げていった。

その日のうちに剣闘試合の日程と剣闘士が決められた。

試合は三日後に予定され、剣闘士は僕の知らない剣闘士が五人同時に試合をすることになった。

その五人と言う人数が、あまりにも異例に思えて、皆が噂している。

今回の魔獣は強い―――。

初戦を任された班、五人は、着々と訓練を行っているが、彼らに気負いはない。どころか余裕すらあった。恐らく五人と言う人数が、彼らの心持に余裕を与えているのだろう。

しかし、中には、決して甘く考えない者もいる。それは僕らも同じだった。

「五人の班で闘うなら僕らの出番はないのかな?」

リックと、アイク、ローグを正面に見ながら僕は問う。

「どうだろうな?初戦の相手が五人と言うだけで、そのあとは人数に決まりなどないのではないか?」

僕らの班は、兄が死に三人になった。

その後、レイモンドの指示で再び五人の班になった。そこには前回の班になじめずにいたローグが編成されている。

そしてもう一人――。

「なんですか?私に内緒で何を話しているんですか?」

近づいてきた男が一人。中肉中背の体型。あまりもぱっとしない顔つき。年のころは四十歳に近いだろう、最年長のリックよりもはるかに老けて見える。

であるにもかかわらず、皆に対し、誰にでも丁寧な口調を心掛けているようで、最年少の僕に対してすら、その口調を変えない。剣闘士としては珍しい奴隷である。

「ニクス・・・」

リックがその名を呼ぶ。

「別に、仲間外れにしてるわけじゃないよ。ただ、ローグがいるなら、この班に試合はないんじゃないかって話していただけだよ」

僕の言葉に二クスはにっこりと笑みを浮かべる。

「なんだ・・・。そうですか。まあ、試合がどうなるかは始まってみないと分かりませんよね?」

二クスの言う通りだ。それ以上何かを言う者はいなかった。それは明日になれば否応もなくわかることだからだ。


毎日投稿する予定でしたが・・・。今日二つ上げます。

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