死闘六
ぼんやりと覚醒する意識の中、うっすらと開けた目に、光が飛び込んできた。
窓から差し込む西日が優しく室内を朱に包み込む。
夕暮れの朱に染まる室内は、しかし、そこかしこに影が深く根を張り、うすぼんやりとした意識の中で、未だまどろみの中にいるようだった。
涙の跡が乾いて、冷たく感じる。
「う・・・」
ゆっくりと体を起こそうとした僕に、優しく手が添えられ、そのまま仰向けに戻される。
「起きたか・・・」
声をかけてきたリックの顔は、逆光の薄暗い室内では、はっきりと見えない。
「兄・・・さん・・・は?」
後頭部がずきずきと痛んで、前後の記憶があいまいだったが、その言葉を引き金に、一気に意識を取り戻していく。
「兄さんは・・・どこにいるの?」
一瞬室内に、重苦しい沈黙が立ち込める。
「お前の兄リオンは・・・死んだよ」
沈鬱な口調で告げられるその言葉を現実として受け入れることができなかった。
「嘘・・・だよね?」
冗談だ・・・。たちの悪い冗談だ・・・。
口元を奇妙にゆがませながら吐き出す問いは、どこまでも虚しく、静まり返った室内に響く。
「いや、嘘ではない・・・。死んだんだ・・・」
「嘘だ!」
そんなはずはない!きっとあの後、僕が意識を失った後、治療が行われて生きているはずだ!今も、ちょっと体調が悪いからここにいないだけで、日が落ちたらすぐにひょっこり元気な姿を見せるはずだ!
「嘘じゃない・・・死んだんだ・・・」
「信じない!絶対生きている!」
がばっ、と跳ね起きた僕は、痛みにうめき声をあげながら、兄の姿を必死に探す。
リックが、寝台に寝かされていた僕の横に立ち尽くし、憔悴しきったように地面を見つめている。
アイクが、入り口付近の椅子に腰かけ、首を垂れている。こちらに視線を向けない。
ローグが、アイクと反対の入り口でしゃがみ込んでいる。頭を垂れたままピクリとも動かない。
セルバが窓際で、ゆっくりとくれる夕日を眺めている。まるで僕の言葉など聞こえなかったように静かにたたずんでいた。
「嘘・・・だよね・・・?」
誰も答えてくれない。誰も答える言葉を知らない。
リックに、アイクに、すがるように視線を向けるが、沈黙したままだ。
「生きて・・・いるよね?」
ローグに、セルバに、確かめるように問いただすが、答えはない。
もう一度リックを振り仰いだが、ふるふる、と顔を横に振る。
「どうして!」
思い切り寝台を叩いた。
「どうして僕らは兄弟で闘わなければならなかったんだ!」
ただ、悔しかった。
抗う力のない僕が。
「どうして!」
全身の力が抜けるような疲労感の中、ぎゅっとこぶしを握る。
「どうして兄が死ななければならないんだ!」
ただ、憎かった。
僕からすべてを奪っていく帝国が。
「どうして!」
ぎゅっと唇をかみしめ、もう一度、思い切り寝台を殴りつけた。
「どうして僕は生きているんだ!」
いくら寝台を殴りつけても気は晴れない。
再び拳を叩き付けようと振り上げた腕を掴まれる。
「もうやめろ。自分を責めるな」
ゆっくりと、耳に届く言葉は、どこまでも優しく、今の自分にはどうしようもなく苦しかった。
何も言わずに振りほどくと、人目もはばからずに大泣きしながら、もう一度握りしめた拳で寝台を殴りつける。固い寝台を何度も殴ったからだろう、拳はジンジンと熱を持ったように痺れ、うっすらと血がにじんできた。
「僕が!僕が死んでいればよかったんだあああああ!」
不意に、大きく温かい手でぎゅっ、と頬を挟まれる。
「それ以上自分を傷つけるな!」
それほど強い力ではなかったが、抗いがたい何かを感じて、振りほどくこともできず、なすがままにリックを見上げる。
その顔は、目元が赤く充血し、腫れていた。
僕と同じ涙の跡が頬に一筋ついている。
「いいか!よく聞け!お前の兄は、お前がこうやって落ち込んでいる姿を見たら心配するだろう!不安になるだろう!だからこそ、決して折れず、腐らず、託された兄の意思をお前が背負って必死に生きていくんだ!」
力のある言葉だった。
しかし、それは今の僕にはとてつもなく困難なことに思えた。
「できない・・・できないよ・・・」
幼い子供のように、泣きながら、否定の言葉を口にする。
「いいや、できる!乗り越えるしかない!」
「できないよ・・・。僕は・・・兄さんのいない・・・この世界で・・・どうやって生きていけば・・・いいのか・・・分からないよ・・・」
「今すぐにはできなくとも、絶対に乗り越えて見せろ!」
「無理だよ・・・だって兄さんは・・・僕に世界を・・・見て回れって・・・一緒に連れて行ってくれって・・・」
「それが託された願いなんだな?」
そんなことできるはずない。それは嫌と言うほど思い知った。
僕らが奴隷である限り、僕らに自由は決してない。
僕も兄さんと同じように、いつか失意の中で、何かに殺され、死んでいくんだ・・・。
「俺を見ろ!俺の目を見ろ!」
言われて見つめるリックの瞳は涙に潤んでいたが、そこには、強い意志の光があった。
「今から俺の言うことを決して口にするな。そして問い返すな。できるか?」
あまりにも真摯に、あまりにも重々しく告げられるその言葉に思わずうなずく。
「いずれ必ず、俺が自由にしてやる!その時までに、兄の死を乗り越え、強くなって見せろ!」
あまりにも唐突な話に思わずぽかんとしてしまう。
しかし、その言葉はどうしてか心が否定するよりも先に、すとん、と胸の中に落ちてきたように感じた。
ああ、兄と同じだ―――。きっと―――。きっと、できるんだろうな―――。
「今はゆっくりと休め」
そう言って、肩をゆっくりと押され、寝かしつけられる。
瞼がだんだん重くなってきた。
心が何かを考えることを拒絶するように、ゆっくり、ゆっくりと暗い眠りの底に落ちていった。
たまにしゃくりあげながら、すやすやと眠るシリウスを見下ろしながら、俺は決意する。
この室内にいる皆が俺を見ていることは知っている。
皆の視線を一身に浴びながら、ゆっくりと、眠るシリウスから視線をあげた。
「今言ったことは?」
アイクが問いただしてきた。
その瞳は俺と同じように赤く充血している。普段は無口だが、義理堅い男だ。
「まさか方便・・・じゃないよな?」
セルバが不安そうにつぶやく。
それはシリウスを心配しての質問だろう。彼の頬には今も一筋の涙が伝っている。
リオンの死を深く悲しんでくれている。
「うむ」
ローグが重々しくうなずく。
憔悴しきったその顔は、たったの一日で、十歳も老け込んでしまったかのように見える。
誤解されがちだが、ローグは優しい。リオンのことだけでなく、シリウスのことも心配しているようだ。
「今はまだ詳細を明かすことはできない。だが・・・信じてくれ!俺にはお前ら奴隷たちをここから解放する手段がある!」
力強く宣言する。
「ここにいる四人は信頼している!だから伝えさせてもらう!絶対に自由にしてやる!だから、さっき言ったように、このことは絶対に口外するな!胸の内にとどめ、俺から再び話があるまで決して問いたださないでほしい!」
セルバとローグが疑わし気な顔をしながらも、うなずく。
アイクは・・・。
その方法がわかっているのだろう。苦い表情をしたまま、うなずくことなくただこちらをうかがっている。
だから、俺はゆっくりと口を開く。
「アイク」
「なんだ?」
「今以上にシリウスを支えてやってくれ」
どうやら伝わったようだ。ため息を一つ吐きだすと、暗い表情をしながら「分かった」とだけつぶやいた。
安らかに眠るシリウスの行く先にどうか幸せがありますように。
そう願わずにはいられなかった。
申し訳ありません・・・。昨日投降したはずなのですが・・・。できていなかったようです・・・。しっかり確認するべきでした。
この話は、ずっと前から、それこそこの物語が具体的に固まる前からどうしても書きたかったものです。
ようやく書くことができて少し嬉しいです。




