死闘五
息が上がってきた。永遠に続くかと思われた時間にも陰りが見え始めてきた。
最初に僕が肩で息をし、そのすぐ後に、兄の呼吸が荒くなる。
立て続けに振るわれる剣が、打ち付けられるたびに互いの身を削り、もうお互いの持つ剣と盾はぼろぼろだった。
すでに限界を迎えつつある腕は重く、間合いの外にいるうちは、だらりと、手に持つ剣と盾を下げる。
兄も同じように少しずつ構える剣が、盾が下がってきている。
そしてその瞬間は突然やってきた。いや、すでにぼろぼろになり限界を迎えていたから必然だったのかもしれない。
剣が折れた。
ばきん、と言う音が闘技場にこだまする。
お互いに、折れた剣をしばし見つめたのち、捨てる。
そして、どちらからとも言わずに、もはや構える必要のなくなった盾を放り投げる。
がしゃん、と言う音とともに、割れてしまった。
お互いの攻めの苛烈さがうかがえる。
拳を握り、兄が一気に間合いを詰めてくる。
振るわれた拳が、まっすぐ僕の鼻柱に突き刺さる。
僕は後ろにのけぞることでダメージを逃したが、それでも鼻血が噴き出る。
距離を離そうとした僕を追いかけるように左のフックがかぶさる。
強かに頬を打ち据えられ、くらり、と体が傾く。
前蹴りが突き刺さる。
離れた距離を詰められ、左の脇腹に回し蹴りを叩き込まれるが、これは肘で何とか防いだ。
右の拳が間髪入れずに顔面めがけて飛んできた。
潜り抜けるように身をかがめ、懐に飛び込むと、下から掬い上げるように左の拳を突き上げ、顎をかち上げる。
たたらを踏む兄に、右、左と大振りのフックを叩きこむ。
しかし、すぐに体勢を立て直した兄は、上体を後ろに、下に、揺らし、的を絞らせないような動きで躱して見せる。
屈みこんだ兄の顔面めがけて膝蹴りを放つが、膝頭をクロスした肘で抑えられ、防がれると、瞬時に首の後ろを掴まれ、一転、膝蹴りを放たれる。
思わず、うっ、と息が詰まる僕に、二発、三発と続けざまに膝を叩き込み。しゃがみこんだ僕を見下ろす。
お互いに視線を交えながら、息をつき、呼吸を整えるように見つめ合う。
「うわあああああああ!!!」
瞬間、雄叫びをあげながら、兄の懐に一瞬で飛び込む。
がつん、と頭のてっぺんに固い何かがぶつかり、思いのほか何の抵抗も受けることなく、兄を地面に倒し、馬乗りになる。
ぜえ、ぜえ、と荒い呼吸を吐きながら、意識がもうろうとしたようにぼうっとしている兄に何度も拳を振り上げ、叩き込んだ。
何度も、何度も・・・。
拳が痛くなってきた。
拳を振り上げるほどに、兄の顔を殴りつけるたびに、胸が痛くなってきた。
しびれるような感触がする。
それが拳なのか、心なのか、訳が分からなくなってきた。
唇を切り、口元から、たらり、と血を流し、鼻血を流す兄を見下ろす。
してしまったことに、途方もない罪悪感を覚え、頭がくらくらとしてきた。
「あ・・・」
僕と同じようにぜえ、ぜえ、と荒く息を吐き出す兄の口元がにやりと笑みを浮かべる。
ぽろぽろと涙が零れ落ちてくる。
「殺せえええええ!」
「とどめだああああ!」
「やっちまええええ!」
観客席からいくつもの叫びが響く。
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
殺戮を求める大合唱が轟く。
いやだ――。
こんなの嫌だ!
ふるふると頭を横に振る僕に、レイモンドが立ち上がる。
「どうした?早く――」
その瞬間、僕は弾き飛ばされた。
下敷きになっていた兄が最後の力を振り絞り、僕を突き飛ばしたのだ。
もつれるように転がる僕と兄。お互いに主導権を握ろうと、組み敷き合う。
顔を掴み、腕を引っ張り、全身に力を籠め――。
顔面を殴られる。すぐに反転して、耳を殴りつける。
必死で、立ち上がろうとするが、すぐに引きずり倒される。
下から蹴り上げる足が兄の顔面を強打し、立ち上がりかけていた兄が再び倒れ――。
最後に立ち上がったのは―――――。
兄だ。満身創痍の僕は、もう見上げることしかできない。
「早く決着をつけろ!殺せ!」
レイモンドが、普段の冷静さなどかなぐり捨て、怒鳴るように叫んでいた。
見とれるほど青い空が視界いっぱいに広がる。
雲一つないその青空から、太陽が照り付ける。
季節外れの陽気に、心地よさが広がる。
逆光を受け輝く兄の顔を、目を細めながら、見つめると、泣いていた。
ゆっくりと兄は足元に落ちていた折れた剣を拾い上げる。
先端が鋭利にとがったその剣を逆手に構え、勢いをつけ、倒れこむ僕めがけて振り上げる。
ああ―――、ここで死ぬのか――――。
あきらめが浮かんだ心とは裏腹に、体は必死で生き残るすべを模索するかのように、地面に手を這わせる。
固い何かが触れた。
それを必死で掲げると、それは中心から割れた盾だった。
構えてみて分かったが、下半分と左側か割れて欠けており、もはや、守れているのは腕と心臓のみ。
兄さん―――。ごめんなさい―――。そして、今までありがとう―――。
最後の最後に出てきた言葉は謝罪と感謝だった。
見上げるほどに大きなその姿を、憧れとも、尊敬とも、そして悲しみとも付かない表情で見つめ、その瞬間を待つ僕。
しかし、運命なのか、偶然なのか――――。
駆け寄ってきていた兄が、割れて飛んだ盾の欠片を踏みつけ、バランスを崩し倒れこんできた。
ふとした出来事に、僕は必死で手を伸ばし、兄を支えようとする。
防ぐようにクロスに組んでいた両手を広げ、手を伸ばすのと、兄が目を見開き、僕に覆いかぶさるように倒れこんでくるのがほとんど一緒だった。
伸ばした手が兄を支えようとした―――――そのとき―――――。
ぐさり、と肉を貫く感触が僕の左手に走った。
驚きに目を見開く兄の表情が一瞬で固まる。
全ての動きが止まってしまったかのような錯覚。
永遠にも感じる時間の中で、どろり、とした熱い何かが、僕の左腕を伝わり落ちてきた。
そこには割れた盾の尖端に下腹を抉られ、血が噴き出す兄の姿があった。
「ああ・・・・」
ゆっくりと兄の体から力が抜ける。
覆いかぶさるように倒れてきた。
がらん、と握っていた剣が地面に落ちる音を聞く。
「兄さん!」
必死に起き上がった僕は、仰向けに倒れこむ兄をのぞき込む。
「ああ・・・俺は・・・死ぬのか・・・」
「兄さん!いやだ!死なないよ!まだ死なせないよ!誰か!誰か助けて!」
しんと静まる闘技場に、僕の声がむなしく響く。
「いや・・・もう俺は死ぬ」
「いやだ!いやだよ!早く!早くだれか!」
ほろほろと涙が流れ落ちてきた。
「泣くなよ・・・」
頬を伝って零れ落ちるその涙をぬぐうように、兄の手がそっ、と頬に添えられる。
「駄目だよ!死んだら駄目だよ!僕を一人にしないで!」
「ああ・・・。ごめんな・・・」
「やめて!謝らないでよ!一人にしないで!」
歓声が爆発していた。
もはや力ない兄の言葉は掻き消えるほど小さく、だが、僕の耳には確かに届いていた。
「世界を・・・見て回りたかったなあ・・・」
ほろり、と兄の瞳から涙が一筋零れ落ちる。
「一緒に行こうよ!いやだ!いやだよ!僕一人じゃあ無理だよ!兄さんと一緒じゃないと!」
今まで泣いたことなど見たことはない。兄はいつも僕にとってあこがれのように強い存在だった。
「ああ・・・俺もそうだ・・・」
その兄が泣いている。ほろほろと、流れる涙はついに止まることなく流れ続ける。
「じゃあ!」
「でも・・・俺は無理みたいだ・・・」
「いやだ!」
叫ぶ僕の声は今、兄に届いているのだろうか?
「だから・・・一緒に連れ出してくれ」
そう言うと、首元に下がる首飾りをちぎるように外し、震える手で手渡してきた。
「お前に・・・渡せるものがなくて・・・申し訳ない・・・」
「駄目だよ!受け取れない!だって――――」
だって、これは兄の命を一度救ったものだから――――。
「これを・・・いつか・・・広い世界に・・・連れ出してくれ」
どんどん、どんどん、兄の体が冷たくなっていく。
流れ出た血が、僕らの周りを真っ赤に染め上げる。
かつ、かつ、と背後から複数の足音が聞こえてきた。
「ああ・・・海を・・・見たかったなあ」
細められた瞳はもはや何も映していないように虚ろだった。
「いやだよ!兄さん!」
いくら揺すっても反応がない。
「いやだよ!死なないでよ・・・僕を一人にしないでよ!にいさああああん!!!!」
後ろから両腕を強い力で掴まれ、持ち上げられる。
「やめろ!離せ!」
まだ―――。まだ、兄のそばにいてやりたい――――。
「離せ!まだ僕は!」
言葉にならない悲鳴を喚き散らしながら、必死で拘束から逃れようと腕を振るいもがく。
「おい!動くな!」
「なんだこいつ!まだ子供のくせに!」
後ろから何か怒鳴る声が聞こえてくるが、僕の耳には届かない。
「おい!暴れるな!」
「なんでこんなに重いんだ・・・こいつまだ成人していない子供だろう!」
一瞬、拘束が緩まった―。一気に振りほどこうとする。あと少しだ―。
「おい!退け!」
がつん!と耳の近くに重い衝撃を感じ、僕は一瞬で意識がもうろうとする。
「連れていけ!」
その言葉を最後に、僕は意識を失った。




