死闘四
「見ろよ」
そう言って顎でしゃくるように観客席を見上げる。
「観客を見ろ!」
一つ息を吐くと、右から、左から、剣を閃かせ、切りかかってくる。
「この国の貴族を見ろ!」
ふと見上げるそこにいるのは狂ったように盛り上がる観客たち。
「この国の貴族共の欲に濁った目を!肥え太った体を!狂ったようなこの熱狂を見ろ!」
不意に後ろに飛び下がった兄は、首にぶら下がる隷属の首輪に手をかける。
「俺たちの首元を見ろ!」
左手で掴んだそれを見せびらかすように見せつけてくる。
「この忌まわしい奴隷の首輪を!誰かの所有物だと言う証を見ろ!」
僕と同じように怒りに染まったその表情が一転、悲しみに曇る。
「これがあるばかりに俺たちは闘わなければならない・・・残酷な運命に翻弄され、強大な力の前に屈服し、己の自由すらもままならず、ほんのわずかな希望である唯一の家族と闘わなければならない!」
伏せられていた視線をすっ、と上げると、そこにはいまだ消えない輝きがある。澄み切ったその瞳に見せられるように息をのみながら、僕はその先を待つ。
「俺は・・・生きて自由になって、海を見たい!広大な草原を駆け回りたい!山の頂から見下ろす雲の海に飛び込んでみたい!」
「一緒に見ようよ!一緒に行こうよ!」
「ああ、それは俺の夢だが、一人で見たい夢ではなく、お前と一緒に見たい夢だ!」
「じゃあ――――」
言いかける僕に兄は首を横に振る。
「俺の夢がかなわないかもしれないことは悲しい・・・。ただ、お前を失うことはもっと悲しい・・・。でも、ままならないこの身はお前と生死を賭して闘わなければならない・・・。」
「何をしている!早く闘え!」
止まったまま動かない僕らに焦れたレイモンドから再度「命令」が発せられる。
その言葉を皮切りに、止まっていた時間が再び動き出した。
兄は愚直にも思えるほど素直に剣を振りかぶると、一息に間合いを詰めてきた。
速い―――。
後ろに下がったのでは躱し切れない。そう思った僕は横っ飛びに弾かれたように飛ぶ。
横っ飛びに飛んだ僕の後を追うように兄の構える剣先が地面の砂を巻き込むように閃き、空気を切り裂くように振りぬかれる。
「俺は生き残ったとしても一生後悔する!もしかしたらお前の後を追って死ぬかもしれない・・・」
後に続く言葉は周囲の騒音に掻き消え僕の耳には届かない。
「死んでしまったとしても後悔する!死の間際まで・・・」
何度目になるか分からない。振り上げられた剣を、迎えるように構えた僕の盾に叩き付けられたそれはただひたすらに重く。兄の口にする後悔を物語っているように僕の体の芯まで響く。
だから――――。
とつぶやく兄の表情は、言いたいことを吐き出し、すでに意を決したように―――。
「だから、何も考えないことにした!俺か、お前、どちらが死に、どちらかが生き残る・・・。これは、最初で最後の兄弟喧嘩だ!俺の、お前に対する最後の我儘だ!」
圧力を増す兄の剣に、思わず、構えていた盾を取り落としそうになる。
嫌だ―――死にたくない――――。
その思いが意味することを僕はすでに知っている。
しかし、ちっぽけなこの身は、生きることを最後まであきらめはしないだろう・・・。
嫌だ―――兄を殺したくない――――。
届かないかもしれない、とは考える前に、生き残るために残された唯一の取るべき手段がズシリと心の重荷となってのしかかる。
矛盾する二つの思いが交錯し、がんじがらめになった僕の体は、言うことを聞かないように重く感じる。
兄の圧力が増した。
突き出される剣の勢いが、重さが、速さが、どんどん、どんどんと研ぎ澄まされていくようにその力を増していく。
それを受けるたびに、なぜだか分からないが、先ほど感じていた怒りがどんどんと募ってきた。
どうしてこんなことになったのか?
どうして兄と闘っているのだろうか?
どうしてお互いに殺し合っているのだろうか?
帝国に侵略されたあの時から――。
村が兵士たちに蹂躙され、親も、友人も殺され、故郷を失ったあの時から――。
逃げていたところを捕まり、拘束されたまま帝国に連れてこられたあの時から――。
隷属魔法をかけられ、奴隷と言う「物」になったあの時から――。
こうなることは決まっていたのだろうか?
運命は決まっていたのだろうか?
だとすればあんまりだ!今まで手を取り合って生きてきた唯一の家族とどうして闘わなければならない?
その疑問は、怒りは今目の前で剣をふるう兄にも向く。
何でもできると信じていたのに――――。
「暗黒森林」でファントムから僕を守り抜いた時のように!
初めての剣闘試合でフォレストパンサーから僕を救い出した時のように!
戦争で生き抜いた時のように!
分かっている――――。これは我儘だ。ただの八つ当たりだ。
それでも、僕は納得できなかった。
「どうして!」
何度問いかけただろう?何度自問自答しただろう?何度目になるか分からない疑問を口にしながら、今まで受けに回ってばかりだった剣を兄に向かって振り上げる。
間髪入れずに構えられた盾に思い切り叩き付けた。
弾かれる―――。のびきった体に、剣先が向けられる。
振りぬかれる剣を、こちらもお返しとばかりに盾で弾く。
がら空きの胴めがけて、前蹴りを放つが、半身になり、躱しながら、剣の柄を突き出した足に当てられ、横に逸らされる。
手の内でくるりと剣を回しながら、手首の力を使って立て続けに腕と肩に向かい放たれた連撃を横から剣身で叩く。
湧き上がる怒りの感情に身を任せ、剣をふるう。
力任せに振りぬかれるその攻めは、大振りで単調だ。
どんどん、どんどん、体を薄く、浅く切り付けられ、着ている衣服が真っ赤に染まり出してきた。
それにつれ、頭の中がどんどん、どんどん、冷えてきた。
冷静な思考の中で、最善手を探し続ける。
気付けば大振りだった攻めが、小さく、細かく、そして鋭くなっていき―――。
力任せに振るっていた剣に、時折、虚を突くように、フェイントを入れる。
流れのままに動かしていた体を意識して、細かく、コンパクトにまとめていく。
時には大きく、時には小さく、目を引くほどに大胆に。
時には荒く、時には静かに、虚実織り交ぜ情熱的に。
時にはゆったりと、時には疾く、流れるように流麗に。
―――まるでそれは舞踊のようだった。
剣を打ち合わせるたびに飛び散る火花が、二人の闘いに色を添え。
剣と盾をぶつけるたびに響く金属質な甲高い音が、管弦のように周囲を包み。
観衆は、しばし我を忘れ、言葉を忘れ、それを見つめる。
僕は、いや僕らは、どんどん無心になっていく。
今僕の目に映るのは、兄だけだ。
兄の目に映るのも、僕だけだ。
今僕の耳に聞こえるのは、兄と踊るこの音だけだ。
兄の耳に届くのも、僕らが奏でるこの音だけだ。
世界から切り離されたように二人の、二人だけの時間が続く。
息をつく間も忘れ、その場にいる皆が、見とれる中、誰かがぽつりとつぶやく。
「すげえ・・・」
あまりにも小さなその賛美は、しかし、静まり返った闘技場に響くと、さざ波のように広がっていく。
「綺麗だ・・・」
その言葉を皮切りに、爆発するように観客を包み込む。
「すげえええええええ!!!!!」
「いいぞおおおおおお!!!!!」
「その調子だ!」
「行けえ!」
「頑張れ!」
二人の兄弟に向かって放たれる称賛の声を聞きながら、レイモンドは静かに眉を顰め、不快そうな表情を浮かべる。
そして控室では、怒号から一転、観衆と同じように称賛の言葉を吐き出す奴隷たちに交じって、リックとアイクが静かに言葉を交わしている。
二人に、喜色はない。ただ、苦々し気に、ぎゅっと拳を握りながら、佇んでいる。
「アイク、お前はどう見る?」
「驚きだな・・・」
「何が?」
「リオンにシリウスが引けを取っていないことだ。ほとんど互角に闘っている・・・」
視線の先には、全身浅く切られ、血をにじませるシリウスと、無傷で剣をふるうリオンの姿がある。
それは、ともすれば互角には決して見えなかった。
しかし、リオンのほうが、力が強く、筋力もあるため、動きも早く、その振るわれる剣には致命の鋭さが秘められている。
―――にも拘らず!
それにも拘わらず、シリウスはもう十分以上兄と剣を合わせ続けている。大人の剣闘士ですら、もはや追いつかなくなってきているリオンの動きについていき、あまつさえ、対等に闘えているようにアイクの目には映っていた。
「どうして・・・?」
「どうして・・・か。見ていろ・・・」
リオンが、剣を引いたと同時に、シリウスが、左に回るように動いた。
その後を追うように、横なぎの剣が振られる。
それは、シリウスの体にかすりもしない。
見てから避けたのではなく・・・。動き出す前から避けていた・・・?
言われて気付いたが、シリウスはリオンが次にどう動くのかまるで事前に分かっているように、動き出すときがあった。
それが、リオンの剣を、攻めをさばき続けることができている理由だった。
「まさか・・・なぜ?」
「なぜ・・・か。あいつは天才だ」
しみじみと語られるリックの口調はいまだに固い。
「聞いたことがある。どうしてこちらが動く前に次の攻撃がどこに来るか予測できたのか?と」
「そのときなんて?」
「説明しづらそうに教えてくれたが・・・体の流れている向き、視線の動き、呼吸の音、筋肉の膨らみ、そういったものを見ていると、何となく分かった、そうだ」
「そんなこと・・・!」
「ああ、そんなことはよっぽど経験を積んだ達人しかできない。俺ですら、あいつと同じように先読みすることはできない。あいつが今以上に経験を積んだら・・・」
しばし沈黙が流れる。
「どちらが勝つだろうか?」
「それでもリオンが勝つだろうさ」
つぶやくリックには確信があるようだ。
「どうして言い切れる?」
「簡単なことさ・・・リオンは魔法を使えるが、シリウスはまだ魔法を使えない」




