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英雄伝説ー奴隷シリウスの冒険ー  作者: 高橋はるか
奴隷時代
29/681

死闘三

「お前がシリウスか?」

突然の出来事に驚き、怯える僕は、かろうじて問われた質問に対し、首を縦に振り肯定することしかできない。

僕がうなずいたことを確認した兵士は委細構わず己の職務を遂行する。

「来い!レイモンド様がお呼びだ」

肩を掴まれ、連れられて行く僕を遠巻きに見つめながら、ざわざわと口々に何かを噂する人の流れを突き抜け、たどり着いたそこは、執務室の扉の前だった。

「中に入れ」

ここに来たのは二回目だ。前に来たときは兄と一緒だったからだろう、こんなにもこの扉が大きく感じるとは思わなかった。

こんなにも一人が不安だとは思わなかった。

肩を小突かれるように中に入った僕は、不安に視線を泳がせながら、ゆっくりと顔をあげる。

そこには―――誰もいなかった。

この部屋の主たるレイモンドの姿は全くない。

どういうことだろう?疑問に思った僕は、ゆっくりと隣に立つ兵士の顔を仰ぎ見る。

「あとから来るから少し待っていろ」

こちらを見ることもなく告げる兵士のぶっきらぼうな態度に不安が募る。

僕はゆっくりと豪奢な室内を見回しながら、緊張を募らせていた。

重厚な執務机は、小ざっぱりとしており、質素な色合いだが、そこには目を離せなくなるような美しい木目の木肌がのぞいており、目を奪われる。

執務机を背にするように大きな窓から、剣闘場の様子が一望できる。ここは、コロシアムを観戦する部屋でもあるのだ。

そこからコロシアムの観客席も一望できるが、どんどんと観客が集まりつつあり、剣闘試合前の熱気が否応もなく高まっていることが、一目で窺える。

もうすぐ兄の試合が始まるだろう。

執務机の前に置かれた皮張りのソファは、質素で重厚な机とは一転して、豪奢で、高価そうなものだと一目でわかる。

しかし、ここで僕は、ふつふつと疑問が沸き上がってきた。

いつまで待っていればいいのだろうか?

一体いつやってくるのだろうか?

今日僕がここに呼ばれたのはどうしてだろうか?

本当にレイモンドはここにやってくるのだろうか?

ちらりと隣に立つ、兵士に視線を向けるが、まるでここでこうして待っていることが当然とでも言うように身じろぎ一つしない。

どんどん緊張が、そして不安がいっぱいになってきた。

ピクリとも動かない兵士と、先ほどから落ち着きなくふらふらと視線をさまよわせ、外から聞こえるわずかな物音にびくりと体を震わせる僕。

すでに我慢の限界は越えていた。

隣に立つ兵士に声をかけようとしたその時、不意に外からこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。

かつかつと聞こえるその音に僕はびくりとし、居住まいをただす。

ガチャリと扉が開く音がし、中に入ってきたのは、別の兵士だった。

「来い」

室内に立つ僕を見ると、一言告げる。

僕は隣に立つ兵士を思わず見つめる。

彼は何も言わずに、行け、とでもいうように目線を向ける。

僕は何が何だかわからないまま、前を行く兵の後ろに付き従い、剣闘場を進む。

そしてたどり着いたそこは、剣闘士の控室だった。

兄とは真逆の控室。

そこには誰の姿もない。

兄が戦うはずの相手が――――いない――――。

いや、すでに試合が始まっているのか?コロシアムから爆発するような歓声が聞こえる。

「これを」

連れ添ってきた兵に手渡されたのは、刃引きのされていない片手剣と丸盾だった。

まさか――――。

分かってしまった。頭では理解してしまったのに、意識が追いつかない。心がそれを拒絶する。

「まさか――――」

そのとき僕はどんな表情をしていたのだろうか?きっと泣きそうな顔をしていたに違いない。

「これを」

そう言って渡されたのは顔の上半分を覆う鉄製の兜だった。

「まさか―――――」

「被ったら、行け」

そう言って半ば強引に僕の頭に兜をかぶせ、控室から剣闘場に連れられ、コロシアムの中に入場させられる。

歓声に迎えられ入場した僕の目に兄の姿が飛び込んできた。

そこに立つ兄は、僕と同じように片手剣と丸盾を構え、体から余分な力を抜き、自然な様子で佇むその姿になぜだかほっとしてしまう。

対面に立つ兄は、試合場にふらふらと現れた試合相手を見据えた瞬間、その余裕が消え、一瞬でその表情が固まった。

「なん・・・で・・・?」

歓声が爆発した。

「さあ、始まるぞ!」

一段高いところから、歓声に交じって朗々と名乗りを上げる兵士の大音声が響く。

「今から始まるのは「暗黒森林」最後の生き残り!」

観客席のあちこちからあがる興奮したような歓声に、思わず目がくらみそうになった。

「近年この闘技場を騒がせている二人の兄弟が今ここに!」

心臓がバクバクと脈打つ音が、息苦しいほど胸を締め付ける。どくどくと流れる血流の音が、いやに耳の近くで聞こえる。

「剣を取れ!」

お互いに時の流れが止まったように見つめることしかできない。

「盾を構えろ!」

お互いに構えた剣と盾はだらりと下がったまま。

「今ここに!今まさにここに!」

聞こえる怒号は控室の方向、多くの剣闘奴隷たちが試合を観戦するその鉄柵の嵌まった小部屋から。

「生まれて初めての兄弟喧嘩!」

唸りをあげる怒号は、四方を囲む観客席からの爆発するような歓声に掻き消されながらも、確かに届いた。

「お互いの生死を賭けた死闘が今まさに幕をあげるうううう!!!」

僕らはそれでもなお微動だにしない。

そこに無慈悲な「命令」が下される。

「闘え!そして殺し合え!どちらかが死ぬまで、闘い抜け!」

「そんな!」

その言葉に反応し見上げるそこには、一段高くから見下ろすレイモンドの姿がある。その瞳は無機質で、常と変わらぬ冷たさをたたえていた。

そして、僕は見てしまった。その後ろから、僕らの慌てふためくさまを見学し、楽しそうに、悦に入った表情を浮かべる帝国貴族たちの醜悪な表情を、そして、凶悪な光を爛々とたたえた眼差しを。

「闘え!闘え!闘え!闘え!闘え!闘え!闘え!」

口々に浴びせられる言葉は、僕らの様を嘲笑うかのように。

「殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!」

端的に紡がれる大合唱のようなその罵声は暗い欲望を隠しもせず。

「殺し合ええええええ!!!!」

ただただ悪意に満ちたその言葉は、大地を揺るがし。

「早く闘ええええええ!!!!」

早く、早くと待ちわびる人々の感情がコロシアムに充満する。

そして、僕と兄を激痛が襲う。

それは「命令」違反をした「物」に対する罰則。

それは、僕と兄を絶望に叩き込む逃れられない死の呪縛。

「剣を・・・取れ・・・」

苦悶に兄がうめきながら、剣を構える。

「盾を・・・構えろ!」

そして、苦しみにうめく僕に対し、地面に水平に構えた剣を思いきり突き込んできた。

必死に左手の盾で弾く。

重い!その一撃は真横に弾いたにもかかわらず、ずっしりと僕の左腕に響き、その痛みが、兄が本気で斬りつけてきたことを証明する。

「なんで・・・?」

弾かれた剣を瞬時に引き戻しながら、がら空きの胴に前蹴りを食らい、僕は吹き飛ばされた。

うっ、と一瞬息が詰まるほどの衝撃を腹に感じる。

「なんで!」

目の前の視界がぼやけるような錯覚を覚える。

上段から切り込んできた兄の剣を、自分の剣で弾きながら、問いただす。

「どうして!」

熱くこみあげてきた思いが、瞳一杯に溜まってきた。

下段から摺りあげてくるように脛を狙って払われた横なぎの剣閃を、身をかがめ、盾で滑らせるように逸らせる。

「どうして闘うんだよ!」

息がかかるほどの距離で、鍔迫り合いしながら見つめる兄の表情は僕と同じように、いや、僕以上に泣きそうな表情をしていた。

ふっ、と鍔迫り合い、剣を合わせていた相手から力がなくなる。

思わず、込めていた力の流れそのままに、前方にたたらを踏んでしまう。

隙だらけの僕の手首に向かって上段から兄が剣を振り落としてきた。

僕は勢いに身を任せ、前方に向かって転がるように前転し、兄の横をすり抜ける。

後ろで、剣先が地面を叩く、がっ、という鈍い音を耳にしながら、必死に立ち上がり、体をくるりと反転させると、上段に振り上げられた剣先が僕の顔に向かって落ちてきているところだった。

間一髪で、その剣身を横から叩き、逸らす。

続けざまに放たれる下からの切り上げはおそらくフェイント―。

こちらは盾で弾く。

本命は、踏み込んでの突き!

一瞬の速さで抜き放たれるその突きを、予測していた僕はくるりと体を回転し、かわすと、身をかがめ、兄のみぞおちめがけて当て身を食らわせる。

まるで地面に根を張る大木にぶつかったような重い手応えに僕は一瞬でバックステップを踏み、距離を離す。

その鼻先を、顎をかち割らんと振り上げられた蹴り上げが通過する。

「どうして闘っているんだよ!」

息吐く間もない連撃を必死で捌き、躱しながら、先ほどから一言も話すことなく剣を向ける兄を見据える。

あんなに僕のことを大切だと言っていたのに―――。

あんなに僕のことを必死で守ってくれるのに―――。

あんなに僕のことを励ましてくれるのに―――。

あんなに僕の隣に居続けて支えてくれたのに―――。

あんなに何でもできる、僕の憧れなのに―――。

それなのに!どうして?どうして僕に剣を向けるの?

もうあきらめてしまったかのようなその悲しみの顔はいったい何なのだ!

いつもどんな困難なことですらも颯爽と解決してしまう、成し遂げてしまう兄は、どうして言われるがまま僕に剣を向けている!

ふつふつと怒りがこみあげてきた。

不安や恐怖といった渦巻く感情を塗りつぶすように、僕の瞳から涙があふれ、落ちる。

「なあ、シリウス」

そのとき兄が僕に向け言葉をかける。


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