死闘一
秋が終わり、冬がやってくる。
肌寒い季節だ。草木は枝葉を落とし、花は盛りを終え、種をつけ、新しい年に備え眠りに落ちるように首を垂れる。
森や、そこに住む生き物、そして人々は来る冬に備え、活発に動き回る。
コロシアムの街「スパーダ」の剣闘士はしかし、いつもと変わらない日々を送っていた。
あの戦争から季節が一つ巡り、ようやく帝国国内、そして僕ら奴隷たちも落ち着いてきた。戦争に勝ったことで、街は活気だっている。
多くの奴隷が命を落とした。そのため、闘技場はおよそ三月、その営業を止め、ようやく最近になって再び営業が始まった。
コロシアムには、大衆向けの娯楽としての側面が強くある。剣闘試合の結果を賭けの対象とし、国営の賭博場としての側面もまた、ある。
帝国貴族や、帝国国内の中でも非常に富裕な商人や臣民がこぞって観戦を行う。
それだけにとどまらず、一般の市民の中にすらも、一年に一度、もしくは数度、人気のある剣闘士が試合を行う際には観戦を行う者が多くいる。
今回の戦争で命を落とした奴隷たちの代わりに、戦争で捕虜にされ、奴隷の身分に落とされた兵士たちが加わり、にぎやかさを取り戻しつつあった。
そしてその中には、なんと、あの戦争で獅子奮迅の働きを見せた「野獣」の二つ名を持つローグの姿があった。
寡黙な、ただそこにいるだけで周囲を圧倒するその大男に、進んで話しかける者は誰もいない。
その上、その大男が戦争で敵だったとはいえ、仲間の奴隷を何人も切り殺しているのだ。それが一層皆からローグを遠ざける原因になっていた。
そのことを当の本人は気にする風もない。
とはいえ、同じ国の兵士たちからさえ、畏怖の念なのか、はたまた恐れからなのか、あまり話しかけられている様子もなく、一人でぼうっ、と佇む様子はひどく物寂しいものがあった。
来て間もなくは、中には戦争のことなど水に流そうと、話しかける者もいたが、そっけなく、ともすれば不機嫌に返答され、中には無視されてしまう者もいたため、もはや遠巻きに眺めるのみで、積極的に話しかけようとする者はほとんどいない。
決定的だったのは、戦争後再開された剣闘試合で、ローグが剣闘士として初めて試合をさせられた。その相手はひどく悪い冗談に思えるが、同じく捕虜にされたミラストーン王国の兵士たちである。
どちらかが死ぬまで戦うこと、という最も過酷なルールのもと、試合の幕が上がったが、あまりに一方的に、そして観衆を唖然とさせるほど凄惨に、決着は着いた。
ローグはぐるり、とつい最近まで肩を並べ一緒に戦っていた兵士たちを見据えると、あまりにも無表情に、ぐんっ、と踏み込み、一瞬で正面に移動する。
そして試合が始まっているにもかかわらず、ためらいからなのか、武器を下げたままの兵士に向かって拳を顔面めがけてふるい、ごきり、という、思わず耳をそむけたくなるような音を響かせ、殺してしまった。
そしてコロシアムの中、兵士たちの間に悲鳴が轟く中、左右の兵士に向かって前蹴りを一閃、二閃、吹き飛ばされ壁に激突する彼らを追うことなく、今殺した兵士の死体からひょいと剣を拾い上げると、呆然と並ぶ数人の兵たちの首を、肩を、胴を薙ぎ払うように切り伏せていく。
あっという間に決着がついてしまった。
見下ろす彼の瞳は、あまりにも無機質で、ほとんど光を宿していないように感じた。
同胞殺しの翌日から、もはや敵、味方関係なく、ほとんど誰も彼に近寄ることはない。
そして、この結果に、絶望的な殺し合いを期待していた観客、そしてレイモンドはひどく楽しげだった。
今日もローグは一人、闘技場の隅で槍を何本も束ね振るっている。
彼の周りだけ、誰も近寄らない。ぽっかりと穴が開いたような空間の中、唯一の例外が近寄っていく。
兄とリックだ。
「よう。今日もすごいな」
リックが横から彼に近づき、ひょいと手をあげながら、あまりにも気さくに、まるで長年の友人であるかのように挨拶をする。
しかし、ローグはちらりとそちらを見ただけで、全く一言も話さないまま、素振りを続けている。
「相変わらずすごいな!ローグは!いったい何本の槍を束ねて持っているんだ?」
兄が好奇心に目を輝かせながら近づいていった。
「危ない!近づくな!」
思わずといった風に、周囲の人々が叫ぶが、それでも兄は歩みを止めない。
あと一歩踏み込めば、うなりをあげて振るわれる槍がその脳天をたたき割る―。皆がひやりとしながら、見つめる中、ゆっくりと槍の回転速度が落ちていき、ローグが素振りをやめた。
「死にたいのか?」
ぎろりと睨みつけながら、冷たい声で兄に告げる。
大の大人ですら思わず身を引いてしまうほどの鋭い眼光に睨み据えられたにもかかわらず、兄は一歩も引かずに、あまつさえ笑顔を浮かべながら、あっけからんと言い放った。
「だって、こうでもしないと話してくれないじゃん!」
「何か用でもあるのか?」
「いいや、特にないよ!でも相変わらずすごいな!」
飛び跳ねるように、駆け寄り、ローグが握りこんだ大量の槍に目を見開きながら、兄は興奮で頬を上気させる。
「用もないのに毎日話しかけてくるのか?」
苦々し気なローグに兄はぽかんとした表情を浮かべた。
「用がないと毎日話しかけたらだめなのか?」
「なぜ俺にそんなに話しかけたい?」
その言葉に兄は少しの間考え込むように唸る。
「ローグが強いから?」
「なぜ逆に聞いてくる?」
遠くから聞いていたが、なんだか笑いそうになってきた。
「大きいよな!何食べたらそんなに大きくなるの?」
「いや・・・」
まくしたてるように矢継ぎ早に問いただす兄の言葉に、ローグは少したじたじとしているように見えた。
「魔物とか?」
「そんなに毎日食うわけではなかったな」
「じゃあ・・・人とかか?」
「お前は俺を何だと思って・・・」
もうそれ以上は我慢できなかった。さっきまで恐る恐る様子をうかがっていた僕は弾けるように笑いだしてしまった。
後ろに立つリックも困ったような、それでいて心底楽しそうに笑顔を浮かべていた。
「おい!シリウス!お前も気になるよな?」
「いや、僕は・・・」
間に挟まれたローグは僕と兄を交互に見つめ、そして、ふと兄の後ろに立つリックに視線を向ける。
「お前もそんな顔するんだな」
リックが笑いだした。
「どんな顔だ?」
少し憮然とした口調でローグが問いただす。
「いや、なに。地面に落ちている糞を踏みつけた泣きそうな犬みたいな表情だったぞ」
「どんな表情だそれは!」
僕と兄がゲラゲラと腹を抱えて笑い転げてしまった。
「なんだ。思っていた以上に面白い人なんだ」
兄が少し含み笑いを浮かべながら、告げると、「ふん」と憮然とした表情で視線をそらしてしまった。
「お、照れたか」
リックが混ぜ返す。
「照れてなど・・・。本当に何なのだお前らは!」
「ごめん、ごめん。そんなに強いのなら、いろんなことを見聞きしてきたんじゃないかと思って」
そういう兄の表情はさっきと一転してひどく真剣なものだった。
「そんなに大したことは経験しておらんさ」
「いや、それでも十分だよ!」
兄は勢いこんで言うが、すぐにその勢いがしぼんでいく。
「だって・・・。俺も、シリウスも幼いころここに連れてこられて、ずっとここにいるんだ。俺たちはあまりにも世界を知らない。だから知りたいんだ!」
「どこから連れてこられた?」
「暗黒森林から」
その言葉にローグは少し驚いたように目を見開いたように見えた。
「どうかしたのか?」
リックが怪訝に思ったのか問いただしたが、ローグは常と変わらぬ冷たい表情で「いや、何もない」と告げると、深く息を吐く。
「知りたいことがあったら尋ねて来い。俺に分かることであれば教えてやる」
その言葉に兄は嬉しそうにはしゃぐ。
「ありがとう!ローグ!」
リックが後ろから近づく。
「俺もいいか?」
じろりとにらまれた。
「僕もいい?」
「ああ」
短く、しかし確かにローグは肯定する。なんだか僕もうれしくなってきた。
こうして僕らはローグ・エルビーストと言葉を交わす数少ない人間となった。
「おい、ここ座ってもいいか?」
夕食の席で、あの戦争の後仲良くなったセルバが僕らに近づいてきて、兄の隣に座った。
「どうしたの?」
兄が見上げる中、ひょい、と兄の隣に座ったセルバは周囲を見渡しながら声を低める。
「ローグに話しかけたのか?」
その険しい表情に兄がきょとんとした顔をしている。
「うん。それがどうしたの?」
「お前ら兄弟が暗黒森林の出身だっていう話はしたか?」
「うん、したよ?」
「そうか・・・何か言っていなかったか?」
「何かって・・・何?」
きょとんとする僕らの顔を真剣なまなざしでまじまじと見据えるセルバに、僕は不安感が募ってきた。
「いや、何も言っていなかったのならいい」
「どうしたのさ?」
兄に聞かれたセルバはひどく逡巡する様子を見せたが、意を決したように口を開く。
「これは噂だがな・・・ローグは暗黒森林の生まれだそうだ」
「え!そうなの?」
これには僕も兄も驚いてしまった。
「静かにしろ!」
思わず大声を出してしまい、セルバにたしなめられる。
「いいか・・・。この話は、ミラストーン王国で捕虜にされた王国兵士から聞いた話だから、信憑性の高い話だ」
普段見られないほどに真剣な表情に思わず、僕と兄がごくりと喉を鳴らした。話の続きを待つ。
「どうもその出生が謎に包まれているらしい」
「と言うと?」
「なんでも、母親は暗黒森林に住んでいた原住民らしいんだが、その父親が定かになっていないらしい」
「その話の何が・・・」
言いかけた兄を抑えるとセルバが続ける。
「まあ、待て。確かにそれだけならどこにでもある話だ。まあ、暗黒森林のような限られた狭い集落の中では少ないかもしれないがな・・・」
「じゃあ・・・」
「どうも、その父親が魔物の可能性が高いらしい」
僕は思わず手に持っていた食器を落としてしまった。
兄も唖然としている。
「え?」
「ああ、驚きだろ?人型の魔物の中にはオークのように人間の女を生殖の道具として利用する魔物がいるが、魔物と人の混血ではないかと噂されているんだ」
「だが、その場合生まれる子供は魔物の遺伝子を多く反映し、ほとんど魔物の姿で生まれてくる。そう伝わっているが?」
不意に後ろから声を掛けられて僕たち三人は驚きながら振り返ると、そこには面白そうにこちらを見下ろすリックとアイクが立っている。
「驚かすなよ。いつから聞いていたんだ?」
セルバがゆっくりと息を吐き出しながら、尋ねる。
「父親が不明、という所からだな」
「なんだよ・・・。でもリックとアイクも聞いているんじゃないか?」
その言葉にほとんど興味ないといったように僕の隣に座りこむと、皿の上の食事を掻き込むように食べながら、肯定する。
「ああ、聞いたな」
「俺もアイクもその噂は聞いたさ」
「じゃあ!」
思わず腰を上げたセルバに落ち着くように促すと、リックは続ける。
「さっき俺が言ったように、魔物との混血はほとんど、いや、すべて魔物の血を色濃く受け継ぎ、人間に対して非常に敵対的になる。その上その魔物の容姿、思想、精神そういったものをすべて受け継ぐ。要は魔物が生まれるってことだ」
「でも例外はあるんじゃないか?」
「俺は聞いたことないな・・・。アイクは?」
「俺もない」
「だとさ」
そう言って皿の上の食事を平らげたリックはおもむろに立ち上がると、未だ納得していない表情のセルバに伝える。
「ま、俺が言いたいのは、何があろうとあいつは悪い奴じゃないってことだ」
そう言うと、アイクを引き連れとっととその場を後にした。
去っていくリックの後姿を見つめながら、兄が口を開く。
「リックもああ言っているし、セルバが俺たちを心配していることは分かったよ!ありがとう!」
「ふん!心配などするものか!」
憎まれ口をたたきながらも、セルバは去り際、兄に告げた。
「いいか!何かあったらすぐに俺に知らせろ!お前が死んでしまってからでは遅いんだ!例え相手が魔物だろうが、俺や、他にも多くの仲間がお前のことを気にかけているんだ!少しでも何かあったらすぐに周りにいる人間に言えよ!」
くどいほど念押しして去っていく。
その背中に向かって兄は屈託のない笑顔で「ありがとう!」と手を振っている。




