戦争八
このまま一気に形勢が傾くかと思われたそのとき、一際大きな咆哮が響き渡る。
「があああああああ!!」
混乱極まる戦場で、その声は一瞬沈黙をもたらす程大音声で、その場にいるすべての人間の鼓膜を震わせる。
獣の咆哮かと思い、声のしたほうを見やると、そこには大きな人間が立っていた。
身長は歩哨の上に居並ぶ人々が小さく見えるほど、いや、子供にすら見えてしまうほど、大きく、肩幅は広く、大人二人分の広さがある。
その身を皮の鎧に守られたその大男は、焦げ茶色の髪と口元を隠してしまうほど深い口髭に隠れ、その顔をうかがい知ることはできない。
鬣のように顔全体を覆う毛髪、口髭の中から、ギラリと光る猛禽のように鋭い相貌で戦場をにらみつけると、身の丈を優に超える大きさの長槍を、空気を震わせるようにぐるりと回転させた。
風を切る鈍い音がこちらにも届くようだ。よく見れば長槍の穂先は剣のように長大な刃先が付き、その身は全て鉄でできているかのような鈍色をしている。
思わず、身震いするほどの存在感を放っている。
その大男の登場に、にわかに敵兵が色めき立つ。
その大男の登場に、にわかに味方が浮足立つ。
まるで相反するような異なる様相を呈した戦場において、大男はゆっくりと、次第に勢いを増して歩哨の上を動きだす。
「まずいな・・・。「野獣」将軍の登場か・・・」
その言葉をつぶやいたアイクは、しかし、淡々と弓に矢をつがえると、ぎりぎり、と引き絞り、大男に向かって放つ。
普通であれば、下からどう頑張っても角度があるために歩哨の上の人間を狙い撃つことなどできないが、その男は大きいだけあって、肩より上が見える位置にあったため、アイクが弓で狙い撃ちした。
その矢は吸い込まれるように男のこめかみに突き刺さり――。
いや、突き刺さらなかった。僕らは皆その光景に思わず目を疑った。
その矢は確実に男のこめかみに当たったはずだ。にも拘らず、まるで固い金属にでもあたったかのように跳ね返され、刺さることなく落ちてしまった。
悠然と歩哨の上を走るその男は飛来する矢をものともせず、一息に帝国兵士が進行していた右舷に駆け寄ると、ごう、と風切り音がこちらにも聞こえるほどの勢いで鉄槍を一つ振るう。
その槍の刃先が当たった兵士はたとえ分厚い鎧に身を固めていようが、まるで何も着ていないかのように、切断され、あたり一面を噴き出す鮮血で染めながら、真っ二つにされてしまう。
返す刀で薙ぎ払われた兵士たちは、盾をもって必死に踏ん張ろうとするが、がつん、と金属同士がぶつかる鈍い音が響き渡ったかと思うと、盾がひしゃげ、勢い余って歩哨の上から吹き飛ばされてしまった。およそ数メートルも水平に吹き飛ばされた兵士たちは、歩哨の下に一直線に落ちていき、ぐしゃり、と肉がつぶれるような生々しい音を立てて地面に激突し、そのままピクリとも動かなくなる。そこに、歩哨の上から、追い打ちをかけるように弓矢が飛来した。
「逃げろ!」
「早く!早くこっちに戻って来い!」
誰が言ったのだろうか、歩哨の上で孤軍奮闘する少数精鋭の剣闘奴隷たちは、周囲を敵兵に囲まれ、逃げ出すことができないでいる。
その働きはまさしく戦局を覆すほどのものであったが、これほどまでに圧倒的な力の、そして、周囲を囲む数の前では、彼らの命は風前の灯火であっただろう。
大男が、中央に向かって猛然と走り寄ってきた。
道を開けるように敵兵がさあっ、と横に引く。
大男が近づいてきたとき、リックが皆の前に出て、一歩踏み込んだ。
大男が鉄槍を振りかぶった瞬間とリックの踏み込みが重なり、驚異的な膂力をもって切り払われた鉄槍と屈みこむように前傾姿勢となり、剣を構えるリックがぶつかる瞬間、リックは後ろに向け叫ぶ。
「屈め!」
その言葉に、皆いち早く反応し、リックと同じく上体をかがめた。
リックの剣と、鉄の槍がぶつかった瞬間、きいん、と金属同士がぶつかる甲高い音が響いたと同時に火花が散ったが、下から切り上げるように振りぬかれたリックの剣身が、鉄槍の刃先を叩くと、わずかにその剣先を上方に逸らされる。その下をくぐるようにリックと後ろに並ぶ剣闘奴隷がその刃先を躱して見せた。
剣の間合いに入ったリックは、相手が鉄槍を引き戻すより早く、上段に構えた剣身を腕めがけて振りおろす。
しかし、その刀身は先ほどの弓と同じく、相手の腕を切断することはなく、うっすらと傷をつけただけで、まるで弾力のある革袋でも叩いているかのように弾き返されてしまっていた。
「畜生!相変わらず固えな!」
「ふん!」
返された鉄槍がリックの脇腹を強かに打ち付けた。近間の間合いであったために、遠心力の乗っていない攻撃は、先ほどのようにリックの体を数メートル吹き飛ばすほどではなかったが、それでも、うっ、と小さくうめき声をあげると、歩哨の上に転がされてしまう。
「くそ!相変わらずの馬鹿力め!」
悪態をつくリックの声音は苦悶に歪んでいる。
ゆっくりと立ち上がったが、どこか痛めたのか、上体を苦の字に曲げて苦しそうにあえいでいる。
その姿を見下ろした大男はゆっくりと鉄槍を振り上げ思い切り振りぬいた。
思わず目を瞑りそうになった。数秒先の未来に、真っ二つに切断されたリックを幻視してしまう。
「やめろおおおお!!!」
怒号が響き渡った。我知らず、僕も叫び声をあげていた。
その刃先が、リックの頭部を切り飛ばさんと迫った瞬間、何かが二人の間に飛び込んできた。
がきん、と何かが割れる音がした。
そして、間に割って入った誰かが吹き飛ばされ、それにぶつかるようにリックが一緒に吹き飛ばされていった。
セルバだ。盾を構えたセルバが、リックを守るように割って入り、盾は衝撃で割られてしまったが、二人は無傷のようだ。
安堵したのもつかの間、歩哨の上に身を躍らせた二人は、そのまま地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。
しかし、リックにぶつかって勢いが減衰したことがよかったのか、それほど吹き飛ばされなかったおかげで、リックが途中でセルバの体を抱え、左手一本で城壁にかけられた縄をつかんだ。
しかし、大人二人分の重さを抱えたリックは左手一本では保持しきれなかったようで、うっ、と苦悶の声をあげたのち、地面に向け落ちていく。
すぐに味方が駆け寄ったが、リックは地面から起き上がれないでいた。
「大丈夫か?」
駆け寄ったアイクが心配そうにリックを見つめる。
「ああ、何とか生きている」
そういうリックだったが、おそらく左の肩を脱臼しているのだろう、だらりと垂れさがったまま、力なく動かない。その上、わき腹を痛めているのだろう、右手でずっと左わき腹を抑えている。
「とにかく後方に下がるぞ!」
アイクの一言で、両脇から肩を支えるように、セルバと、リックを助け起こしたが、リックが押しとどめる。
「リオンは大丈夫か?」
その言葉にはっ、となり上を見上げる。
思わず失念してしまっていたが、兄はまだ戦っている。
そこには、兄を含め三人の剣闘奴隷が、三方を囲みながら必死で致死の刃を掻い潜り、大男の体に刃先を叩き付ける姿があった。
しかし、案の定大男の体は小動ともしない。そして、その剣先は大男の攻撃をかわすことに主眼を置いた立ち回りをしているため、力が乗らず、ほとんど痛痒を与えていないようだ。
それはまさに吹き荒れる暴風のようだった。体の回転に合わせ鉄槍の刃先を右に左に振り回す大男と、その周囲を回りながら的確に攻撃を与えていく三人の周辺一帯は、ぽっかりと穴が開いたように全く人が立ち寄れないでいた。
どんどん、どんどん、大男の振るう鉄槍の回転が速くなっていく。研ぎ澄まされた刃先が、周囲の風を巻き込み、豪快にうなりをあげながら三人を飲み込もうと振るわれる。
三人の攻勢がそれにつれどんどん緩んできた。そしてそれと比例するように勢いを増した鉄槍は一瞬で均衡を崩す。
振りぬかれた刃先を掻い潜り、大男に剣を突き立てようと迫った剣闘奴隷に対し、くるりと手の内で鉄槍を回すと、その石突で、一直線に突きを放つ。
それは狙い過たず、迫っていた剣闘奴隷の喉元に突き刺さると、ぐえ、という、潰れたような音を立てながら、吹き飛ばされた。
そして吹き飛ばされた体に巻き込まれ、兄が歩哨の外れまで飛ばされてしまう。
思わず、たたらを踏んだ兄に向かって、回避できないほどの速さで返す刃先が繰り出される。
「避けて!」
決して間に合わないと思いながらも叫んだ僕に対し、兄はその一瞬で意を決したように、自ら歩哨の外に身を投げ出した。
その身を鉄槍が叩くが、踏ん張ることなく、後ろに身を投げたリオンの体はただ吹き飛ばされるだけで、その時点では全くダメージを負っていない。そのことを戦っていた大男とリックとアイクは見抜いていたため、驚きの表情を浮かべたが、知らない僕はただ純粋に悲鳴をあげる。
しかし、いくら後ろに飛ぶことで衝撃を逃がしていたとしても、生身の人間が十メートル垂直に落下し、地面にたたきつけられればただでは済まないだろう。その証拠に、リオンは転がるように足先から落下したが、地面に仰向けに倒れたまま、全く動かなくなってしまった。
「兄さん!」
思わず飛び出そうとした僕をアイクが押しとどめる。
「何するんだよ!離せ!」
ぐいっ、と掴まれた腕を反射的に振りほどこうとするが、アイクは厳しい表情のまま、「行くな!」と押しとどめた。
「なんで!」
思わず食って掛かった僕の目に、兄を助けようと駆け寄る仲間と、それを必死に押しとどめようと叫ぶリックの姿が映る。
制止の声を聞かず、走り出した剣闘奴隷たちは、一定以上の距離を城壁から離れると、その足に矢を受け、転がったところを頭や胸といった急所に再び矢を射掛けられ絶命していく。
そして、その矢は今も兄に向かって降り注いでいる。早く助けに行かなければ―――。兄が、リオンが、死んでしまう!
その一念から思わず足を踏み出した剣闘奴隷たちは、先駆けに走り出した仲間の末路に思わず、足を止めてしまう。
「早くいかないと!兄さんが!兄さんが死んでしまう!」
懸命に捕まれた手を振りほどこうとする僕と、頑として押しとどめるアイク、そして、怒鳴るように皆を制止するリックに視線が集まる。
「よく見ろ!」
アイクの声に兄を見やると、そこにはいまだに降り注ぐ大量の弓矢があり、そして地面に横たわる兄がいた。




