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英雄伝説ー奴隷シリウスの冒険ー  作者: 高橋はるか
奴隷時代
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戦争五

夕刻に終わった午後の訓練は、終わったと同時に地面にへたり込み、大の字になって転がる奴隷たちが大勢いた。

もちろんその中でも僕は一番ボロボロで、何度も訓練の指導兵に殴打され、叱責され、泣きながらそれでも最後まで何とか食らいついた。

もう拳を握ることもできない上に、腕をだらりと垂らしたまま、それ以上あげることができないでいた。

そんな僕を見かねたのかリックがひょいと僕を担ぎ上げるとアイクが僕に支給された盾を持ち、与えられた天幕に戻った。

「はあー砂を詰めては運んで・・・。腰が痛くなるかと思ったよ」

「俺はあまりにも退屈で頭がいかれちまうんじゃないかと思ったさ」

「違いない」

皆口々に愚痴をこぼし合っている。

「お前らはまだましなほうさ・・・。俺らはあの山から一抱えほどもある岩石を必死で抱えて山を下り、台車に乗せて、を繰り返してたんだ・・・もう足が動かないさ」

「俺は腰を悪くしてしまったよ」

足と腰をさすりながら慰め合う姿はまるで老婆のようだ。

「台車が進まない、進まない・・・途中で台車に乗せた石を、バランスを崩して地面にぶちまけたときには泣きそうになっちまったよ」

「ああー、あの時は監視の兵士に殴られるしよ・・・台車を壊すな!って・・・」

「いや、あの破城槌の訓練もなかなか辛いぞ・・・」

「ああ、息を合わせろ!だの、遅い!だの・・・こっちは十五人で動かしてるんだからそんなにスピードが出るかっての!」

「そうだ、そうだ!地面は悪いからがたがた車輪は取られるし、方向がずれた瞬間に怒鳴られるしよ・・・」

「挙句の果てにはみんなで歩調を合わせながらもっと速度を出せ!ときたもんだ・・・できるかっての!」

「あれ一体どれくらい重いんだ?」

「さあな・・・。ただし十五人で動かすものでないことは確かだな」

「違いない」

乾いた笑いが辺りに木霊している。

「盾持って訓練するほうが辛いっての!ずっと高さを合わせろ、歩調を合わせろ!って、できていてもできてないって騒ぎたてやがる!」

「その通りだ!それにあの盾一枚でいったいどれくらいの重さか全くわかっていないんじゃないか?馬鹿みたいに重いぞ!」

「シリウスなんか気の毒になるほど怒鳴られて殴られていたよな・・・」

「しまいには泣いてたな」

「そういうお前も泣いてたんじゃないか?」

「ばっか!誰が泣くかよ!」

言いあう彼らの言葉にはまるで力がない。それでも言葉を交わすだけすごいと僕は思う。もはや僕には言葉を発する力さえ残っていない。

それから一週間ほどかけて僕らは訓練と準備を進める。

その間、相手側の城砦のほうに動きはないが、こちらから数人が馬に乗って書簡を届けた。

この一週間のうちにそれ以外に両陣営に動きはないが、川辺に土嚢がうずたかく積まれ、その手前に木で組まれた物見やぐらが十棟近く建てられた。

戦地に到着してからおよそ一週間後、にわかに天幕の近くがあわただしくなっていく。

その日は訓練が一時中断され、皆自由に行動が許された。

「ついに来たな」

隣に立つリックのつぶやきはおそらく僕と兄とアイクにしか聞こえなかっただろう。

「開戦か?」

「そのようだ」

「正面突破か?」

「おそらくな」

「馬鹿が」

短く言葉を交わすリックとアイクであったが、アイクが吐き捨てるように苦々し気に語気を強める。さすがのリックもこれには苦笑している。

「まあ、勝算があるんだろう。味方戦力は先行部隊がおよそ五千で、その後に一万近い大軍が到着すると言う。概算で敵戦力はその三分の一の五千とも言われている。三倍近い戦力差があれば下手に奇策をとって人手を失うよりも、一点突破に全力を尽くそうと思うのは普通のことだろう?」

いつも思うのだけど、この二人はいったいどうしてそんなことを知っているのだろう?

「ふん!多く見積もって一万五千ということだろう?今この場にいる戦力が我々含め五千には到底見えないがな・・・」

「それは向こうとて同じことだろう?相手を委縮させるために戦力は過剰に喧伝するものだ」

「だとしても、向こうは籠城戦だ。ましてや向こうにはあいつがいる・・・」

「あいつか・・・。厄介だな・・・」

二人が言っているのは誰のことを指すのか僕には全くわからない。兄は分かるのだろうかと思い、ちらりと横眼に見るが、同じようにぽかんとしている。

「あいつって誰?」

「あいつって言うのは・・・」

兄の質問にリックが応えようと口を開いた瞬間、僕ら奴隷たちに声がかけられる。

「今すぐ天幕前に集まれ!」

皆がぞろぞろとその指示に従い移動を始めた。

「また後で話す。今は指示に従おう」

そう言って天幕に向かっていくリックの後を僕らは追いかけた。

天幕の前には多くの兵士や奴隷たちが集まっている。集まった皆に向かってニコライがゆっくりと話し始めた。

「さて、皆、今日ここに集まってもらったのは他でもない・・・開戦の時が来た!」

その瞬間、「うおおおおーーーー!」という兵士たちの野太い雄叫びが響き渡る。

それをニコライは満足そうに見つめながら続ける。

「今先ほど、早馬が到着した!今ここにいる精鋭たちとは別に、一万を超える後方部隊が今日の夕方、ここに到着する!明日の、日が中天に差し掛かる前に、「ミラストーン」侵攻作戦を始める!今日は英気を養って明日に備えろ!」

「おおおおおおーーーーー!」己を鼓舞するように上がる雄叫び、打ち鳴らされる剣と盾のガチャガチャという音がその日、戦場に木霊し、敵、味方揺るがし、厭が応にも開戦の熱気が一帯に立ち込める。

地響きかと見まがうほどの大きな揺れは、僕らの体を震わし、耳をつんざく叫びは、心をぎゅっとつかんだように不安な心地にする。

喧騒が一通り済むと、ニコライは僕たち奴隷に顔を向ける。

「貴様ら奴隷共はまだこの場に残っていろ!」

意気揚々と散会していく兵士たちを見ながら、僕らは一様に気分が落ち込んできた。

そんな僕らの様子にかまうことなく、ニコライは指示を出す。

「貴様らは明日開戦と同時に、城門に向けてまっすぐ突き進んでもらう!その横を貴様らで固め、城門には第三部隊!貴様らが破城槌をぶち当て、破壊する!そして第四部隊は味方戦力を護衛だ!第一、第二部隊は梯子とこの戦端が鉤爪つきのロープを運び、あの城壁上の歩哨に乗り移ってもらう!もちろん我々帝国兵も右舷、左舷から同様に攻め込み、敵を突き崩していく!しかし、最も栄誉ある正面は貴様らに任せる!その身命を賭して敵城砦を突破して見せろ!」

一方的に告げると去っていく。

その場に残された僕らはみんな黙したまま何も言わなかったが、明日のことを考えると、不安を抱えたまま、重い足取りで自らに与えられた天幕に戻った。

その晩、リックが重い口を開く。その瞳には驚くことに恐怖の色はない。

「いよいよ明日だ」

僕、兄、アイクの順番にゆっくりと視線を向ける。

「覚悟はいいか?」

「ああ」いつものようにひょうひょうとした表情のアイク。

「おお!」思いつめたように険しい表情を浮かべる兄。

「うん」不安に揺れる瞳で皆を盗み見ながら僕が答える。

「全員生きて帰るぞ!」

低いが、重々しく響く、その万感込められた言葉は、僕らの耳朶を揺るがし、腹にずどんと響くように感じられた。

不安や緊張、そして高揚といった戦場ならではの感情を皆が抱えたまま、夜は更けていく。

朝日が天幕の中に差し込んできたのと同時に僕は目を覚ました。

まだ日は完全に昇りきっておらず、朝靄にかすむ戦場はどこまでも静かで、川のせせらぎしか聞こえない。

まだ朝早い時間のため、起きだした人間がほとんどいないからだろう、あと数刻後には、戦場となることなど思いもよらないほど静かな朝を迎えた。

僕は浅い眠りを繰り返し、瞼は重いのに、頭がはっきりと冴えわたるような不思議な心地のまま、再び眠ることができずに、ゆっくりと伸びをしながら、そろそろと起きだした。

川辺に近づき、城壁の様子を眺める。

この一週間見飽きるほど眺めてきた城砦は、この時朝日を浴びて輝くように見えた。

歩哨の上に佇みこちらを警戒する兵士達に動きはなく、まるで時が止まってしまっているかのような錯覚を覚える。

川面に映った自分の顔を見て、こわばった表情に驚き、緊張をほぐすために無理やり笑おうとする。しかし、不気味な作り笑いしかできず、ひどく滑稽に思えたのでやめた。

その時後ろから声をかけられる。

「ずいぶん早起きだな」

振り向くとそこにはアイクが立っていた。

「そう言うアイクこそ早起きだね」

隣に座ったアイクは川から手で水をくみ上げるとそれで顔を洗い始めた。

「俺は習慣でこの時間には大体いつも起きている」

「ふーん」

ばしゃばしゃとアイクが顔を洗う音だけが聞こえる。

「アイクは何者なの?」

ふと口から出た言葉はまるで意識したことのない疑問だったが、意識したとたん今まで感じていた不可解さがどうしても頭の中で引っかかるようになってきた。

「アイクだけじゃなく、リックもそうだけど・・・二人は何者なの?」

その問いにぴたりとアイクの動きが止まった。

しばらく逡巡するように川面を見つめていたが、口を開きかけ、何かを言おうとしたところで噤んでしまう。

「俺は・・・ただの奴隷だ」

「奴隷になる前は何をしていたの?」

「俺たち奴隷には暗黙の了解がある。それは過去を聞かないことだ」

どうやら話す気がない様だ。そう言われてしまえば僕もそれ以上聞くことができない。抑えきれない好奇心が芽生えてきたが、ふと、この期に及んではどうでもいいことだとなぜか納得してしまった。そうして僕らは川面を見つめ続けた。

静かに揺蕩う川面は二人の表情を映しこみ、どこまでも静かに、包み込むように優しく流れてゆく。

後、半刻もすれば皆が起きだしてきて、開戦の熱がどうしようもなくこみあげてくるだろう。しかし、今この一時だけは誰に邪魔されることもなく静かに過ぎていく。

それは、この戦争の道行の吉兆なのか、凶兆なのか、僕にはわからない。

そんなことにすら何かしらの意味を見つけようとすることが、すでに気弱な証明だと気付きもせずに、只ゆっくりと、流れる川面に立ち尽くし、昇る朝日を浴び続けていた。


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