風読七
思わず進み出ようとした私の行く末を遮るように、父が、すっ、と進み出た。
筆頭は、静かに、無表情で見下ろしてくる父に怯えるように仰け反る。
「・・・な、なんだ!!?急に!!」
「私に王と謁見させてください」
「・・・・!!?馬鹿な!!そんな真似できるわけないだろう!!?貴様は一介の風読みの相談役でしかないのだぞ!!?」
悔しいがその通りだ。父の立場に、父の権力に、王と面会する力はない。風読みの筆頭には、王に奏上することが認められているが、相談役は、王との面談は叶わないのだ。
「筆頭様のお力なら、それが可能かと思います。どうか!!どうか私めに、王にお会いさせてください!!」
「馬鹿な!!例え会ったとして、一体何をするつもりなのだ!!?」
不安そうに瞳を泳がせる男に、父は、一切の躊躇いなく言い切る。
「事の次第を、直接王に。叶うのならば、我らが求めることを合わせて陳謝いたします」
「王がそなたの話に耳を傾けるはずがなかろう!!」
筆頭は、まるで小馬鹿にするように、くつくつと笑う。そのいやらしい笑みにいら立ちが募るが、それでも父は、一切表情を変えない。
「それでも、機会をください」
真摯に頭を下げる父は、この時、皆の心に感銘を与えた。紛れもない。覚悟を決めて、下らない自尊心など捨て去り、ただ、民のために首を垂れるその姿に、貴族とは、王族とはこうあれ、と言う姿を見た。
しかし、返答はにべもなく。
「ええい!!しつこいぞ!!!駄目なものは駄目だ!!!貴様らが下らん意見をあげれば私の株も相対的に下がるのだ!!!」
―――今更株などなんだと言うのだ!?貴様一人の名声など、何百、何千と言う民草の命に比べれば、あまりにもちっぽけで、比べることすらおこがましい。
ゆっくりと頭をあげた父は、まるで無感情で、何を考えているか、息子の私にさえ分からなかった。
「・・・・!!なんだ!?不満でもあるのか!!??」
筆頭は、怯えるように、それでいて、それを必死に隠しながら、声を張り上げたが、父は、まるで気にすることなく「いいえ」とだけ答えると、その場を後にした。
ぽつんと残された私たちは、急いで父の後を追うが、足早に遠ざかっていく父は、どこか、遠くにいなくなってしまいそうで、その背をいつもよりも遠くに感じる。・・・・こんなにも近くにいると言うのに・・・・。
ようやく追いついたと思ったら、父は、まるで先ほどのことなどなかったかのような晴れやかな笑顔でやれやれ、と肩をすくめる。
「どうしますか?相談役・・・・。これでは・・・・。民が、国が、傾いてしまいますよ!!」
父は一切悪くはない。それでも声を荒げてしまうのは、悔しかったからだろう。
「とにかく落ち着け。そんなことでは、曇りなく、天を見ることなどできないぞ?」
常と変わらぬ優しい、穏やかな笑顔を浮かべる父にこの時ばかりは私も腹が立ってします。
「そうは言いますが父上!!これではどうにも・・・・!!」
そう言いかけた私に、常とは異なる、今まで一度も見たことが無いほど厳しい顔をした父が、きっぱりと言い捨てる。
「お前が心配するようなことではない!・・・いいか?お前はまだまだ、浅慮で、何も知らない子供だ・・・・。こんなつまらないことに憤慨する暇があるなら、もっと勉学に励め!」
初めてだった。こんなに厳しい言葉をかけられたのも。こんなに厳しい顔を見たのも・・・。
武では私に及ぶものなどこの中にはいないだろう。それでも、この時ばかりは、脚が、手が震えて、何も言い返すことができないまま、無様に背を向けて逃げるように走り去ってしまう。
―――何が浅慮だ・・・!!・・・何が子供だ・・・・!!私は・・・・!!私なら・・・!!
一体何ができたと言うのだろうか?
ただ、少し腕に自信があるから。少し同年の子供よりも優れた頭を持っているから。
そんなことわかりきっている。
私は、ただ、傲慢で、そして自惚れていただけだと・・・・。そんなこと分かっている・・・。それでも、悔しくて、悔しくて・・・・。
(ラサラスの父)
「良かったのですか?あんなことを言ってしまって・・・・」
走り去って行ってしまった息子の、私よりも大きな背を、少し悲しい、それでいてどこか頼もしい気持ちで見つめていると、そんなふうに聞かれた。
「ああ・・・・。いいんだよ・・・・あれで」
そうは言った物の、息子が最後に見せた泣きそうな顔が、何かを必死で言おうとして、それでも何も言い返すことができずに、きつく結ばれた口元が、ずっと頭に残って忘れられない。
「ですが・・・・。あの子は、あなたが言うほど愚かで、浅慮ではありませんよ?むしろ、同僚の風読みの中でも、頭一つ抜きんでた存在で、我々の励みになります・・・・」
嬉しいことだ。子を褒められて喜ばない親がいったいどこにいると言うのだろう?
「そう言ってもらえるとありがたいな・・・・。世辞でもな・・・・」
歳だからだろうか?涙もろくなっていけない・・・。今も、涙が零れ落ちそうだ。
「そんな!世辞などでは・・・・!!」
それでも言い募ってくる同僚に、それ以上の言葉を言わせまいと遮る。
「これでいいんだよ・・・・。いずれ、必ず、あいつの時代がやってくる・・・・。私のような、もう老い先短い者に残されたのは、我が子も含めて、誰もが悲しまずに生きて行く世を作ることだ・・・・。その礎となるのに、巻き込んでしまってどうすると言うのだ・・・?」
はっ、と身構える気配がした。すべてを、ではないだろうが、それでも何かを悟ったのだろう・・・。本当に、皆聡い者達だった。この中で、仕事ができたのは僥倖だったかもしれない・・・。ましてや、息子が、そんな中に、最年少で登用されたのだ。嬉しくないはずが・・・、誇らしくないはずがない・・・・。
その上、私とは違って、武の才能にも秀でている・・・・。あんなにも嫌っていたのに、鍛錬を怠らなくなったのは、よほど、学校時代にいい出会いをしたのだろう・・・。
最近では、ジュバ候にも目をかけてもらっていると聞く。
本当に嬉しいことだ・・・・。安心して・・・・・・死ぬことができる・・・・・。
「では、行ってくる」
くるりと皆に背を向け、王宮の最奥に向かって足を進めた私の背に問うような言葉がかけられる。
「本当に行かれるのですか・・・・?」
「任せろ。きっと、王の耳に届かせて見せるさ」
不思議と恐れはない。妻にも話していないことがある。息子にも話していないことがある。
昔から、体の弱かった私が、ここまで生きてこられただけでも奇跡に近いのだ・・・。
ましてや、最愛の妻をもらい。そして、一人だけだが子供にも恵まれて・・・・。
何を思い残すことがあるだろうか・・・・?
いや、一つ。たった一つだけ・・・・。息子ともっと話をしていればよかったかもしれないな・・・・。
だからだろうか?自然と足が止まってしまった。
―――こんなことで迷うなんて・・・・。
自嘲気味に笑い、くるりと振り返ると、皆涙を流していた。それだけで心が満たされていく。
「息子と、妻に、一言だけ伝えてくれ。愛しているぞ、とな」
「・・・・!!・・・はい!!」
(ラサラス)
その日父は家に帰ってこなかった。
母は、私の顔を見て、心配そうにしていたが、父が帰ってこないことには、全く心配をしていなかった。
仕事がら、どうしても徹夜をすることがあって、二、三日家を空けることなど、今までも珍しくないことだったからだ。
それでも、この日、私はなんだか胸騒ぎがしてならなかった。母は気落ちしている私に気を遣って、何も聞いては来なかったが、何かあった、と言うことは分かったのだろう。
しかし、翌日、私の予感は、最悪の形で現実のものとなってしまった。
父の遺体が運ばれてきたのだ・・・・。
昨日まで、普通に笑って、普通に話していた父が、今は冷たくなって、粗末な布でくるまれ、宮中から運ばれてきた。
その胸元は、真っ赤に染まり、顔色はいつも以上に青白く。
信じられなかった・・・・。まだ夢から覚めていないのか・・・?と柄にもなく、呆然としてしまった。
泣き崩れた母を慰めることもできずに、涙すら、一切出てこないまま、呆然と骸となった父を見下ろし、ただ固まることしかできない。
そして、極めつけは、父の遺体を運んできた、衛兵が告げた言葉だった。
「昨夜、王の寝所を訪れたこの男は、王に向かってその治世を脅かすような不吉な世迷言を喚きたて、終いには、現王の体制に不満を抱き、謀反を起こさんと凶行を企てていた」
―――いったい何を言っているのだろうか?理解できない・・・・。父は、記憶の中の父は、どこを探してもそんなことをする人ではなかった・・・・。
嘘だ!!大声で叫びたかったが、喉が震えて言葉が出てこない・・・・。
「そこを捕えられ、処分をしようとした矢先、吐血して、介抱の甲斐なく今朝がた命を引き取った。どうやらもとより病気を抱えていたようだ。医師の話ではもういつ命を引き取ってもおかしくない状態だったと聞く」
―――そんな・・・・こと・・・・。どうして言ってくれなかったのだろうか?どうして秘密にしていたのだろうか?
「本来であれば罪人として処刑されるはずだった男だ。その家族にも類が及ぶところ。慈悲深い王が病気の者に鞭打つようなことを望まれなかったため、貴様らは今まで通り暮らしていいこととなった」
―――そんなことなどどうでもいい・・・。そんなことよりも、どうして?と言う疑問が浮かんでは消え、浮かんでは消え、何が何かも分からなくなってしまった。
「完全に普段通りとはいかないだろう。しばらくの間は、監視も付けられる。だが、王のご慈悲に感謝するのだ。追って沙汰はあるだろう」
それだけを告げると、泣き崩れる母と、呆然と立ち尽くす私と、冷たくなった躯だけを残して、その場を立ち去って行ってしまった。




