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英雄伝説ー奴隷シリウスの冒険ー  作者: 高橋はるか
群雄時代
182/681

風読五

その年の夏には、晴れて宮中に召しかかられることとなった。勿論、急に仕事をこなすことなどできないから、目上の人に付いて、その人から仕事を学んでいく。

父が同じ仕事をしていて、その姿を見るのはとても新鮮だった。

家では見られない、真剣な様に、驚いたのもつかの間、息つく間もないほどの書類整理をさせられ、慣れない仕事に、環境に、三月程は、へとへとになっていた。

気付けば、学校で得た、初めての友人であるレグルスのことも、そして、父の存在も気にならなくなるほどの激務の中で、ふっと面を上げて周囲を見れば、国は、いや、宮中は荒れていた―――。

どうしてこうなったのか?どうにか止める方策はないのか?

宮中のそこかしこで、国を憂う官僚が、文官たちが、角突き合わせてひそひそ話をしているが、それでも一向に宮中の綱紀は正しくならない。

いや、むしろ悪化の一途をたどっているのか?

前王のおかげで、今はまだ、国に、民に、大した不満はたまっていないが、それでも、このままこの状況が続けば、決して事態は好転しないだろう。

―――いったい王はどうしてしまったのだろうか?

この国が、民が、あげる不満の声が、届かないのだろうか?


誰かが言っていた。


「王は、そして王の側近たちは、贅を尽くすのに忙しくて、政務は二の次だ・・・。毎日、毎日、贅を凝らした食事を、酒を、と喚き・・・。毎夜、毎夜、美姫を、舞姫をと求めている・・・。民草の暮らしには目を向けず、耳をそばだてず、興味を示さず・・・。そして、そのことを諫める者は側近たちにいない・・・・。どころか、一緒になって、酒を女をと狂い騒いでいる始末だ・・・・」


また、誰かが言っていた。


「おい・・・・。聞いたか・・・・?今代の王は、随分南の大陸にご執心で、ついに、この前ぽつりと漏らしていたそうだ・・・・。南の大陸が欲しい・・・・。と」


それどころの話ではないことぐらい、子供でも分かる。南の大陸は、こちらとは違って、非常に裕福で、何より、魔法技術や、生活技術が、一段も、二段も上なのだ。

ましてや資源も豊富で、決して敵うはずがない。

その上、西の帝国が、どんどん、今まで見たことが無いほど、勢力を拡大してきており、バルフ王国と国境を隣接するまでになってしまったのだ。

今はまだ、表立って、戦争を画策し、準備している気配はないと言うが、それでも、その危うい拮抗がいつまで保つかは誰も分からないのだ。

・・・・それでも中には、帝国は、東の五国に攻め込む気が無い、など言いだす輩もいて、頭の痛い話である。


そして、誰かが話していた噂に、興味をひかれた。


「だが、流石に国の重鎮たちの中にも、今代の王が、統治に向いていないと危惧する者が出てきて、どうにも、前王が残した隠し子を宮中に連れてきたんじゃないか?と言う噂があるそうなんだ・・・・」

「なんだそれ!?でも、ほとんど知られていないぞ・・・・?」

「それが不思議なんだよな・・・・。もし、本当のことなら、この時点で、王に対立する形で、立身しなければ、正当の王の血を引いていると、自ら出てこなければ、もう浮き目がないんだがな・・・・。立場を案じた現王が、何をしでかすか分からないからまだ隠している・・・・とかか・・・?」

「まさか・・・!!擁護派が必死で守り抜くだろうさ。それでも表には出てこられない理由が何かあるのだろう・・・?」

「よほど幼いため、政務が何かすら理解できない・・・・。とかか?」

「いや、それほど幼い、と言うことは、王が晩年の時にできた子供だと言うことだぞ?もしそうなら、おいくつなのかは知らないが、前王は晩年、病に臥せっていたのだぞ?そんな元気がどこにあると言うのだ?」

「ああ・・・・。そうか・・・・・。しかしそれにしても、王が病床に臥せっていたと言うのに、見舞すらほとんど行かなかったとは・・・・。王妃と、王太子は本当に・・・・」

「しっ!!それ以上は何も言うな!!誰が聞いているかもわからんのだぞ!!」


本当だ。どこに耳があって、どこに目があるかもわからないのだ。不用意な発言は、いくら仲のいい者同士だと言っても控えるべきだと私も思う。

それにしても、興味深い話だ。果たして、本当のことなのだろうか・・・・?


この頃からだろうか?宮中にある書庫で、一人の女の子を見かけるようになった。

文官たちも滅多に寄り付かない、誇りとカビに塗れた、とても難解な書物が保管されている奥まったところで、ぽつんと所在なさげに佇んでいるのを見かける。

始めの内は、幽鬼なのかと思って驚いていた。

何故って、普通、こんな薄暗いところに、見たこともない女の子がいれば、誰だって普通、尋常ではない、と思うだろう。

しかし、思いとは裏腹に、どうにも生きている生身の人間のようで、どこか高貴で整った顔立ちでありながら、動きの一つ一つが粗野で、まるで町娘のような雰囲気を感じる。

年のころは、十か、十一くらいだろうか?私とは五つ以上も違うのは確かだと思う。


「ねえ、お嬢ちゃん?どうしてここにいるの?」


たまらず話しかけてしまったが、彼女は、一瞬、ぱあっと顔を輝かせると、まるで話し相手ができて嬉しい、とでもいうように、まくしたてるように話し始めた。


「あのね!!侯爵様がね!!今侯爵様のところでお勉強しているんだけれどもね!!とっても厳しい方で!!剣も振っていると腕が上がらなくなってきて・・・・。泣きそうになっても止めさせてくれないし・・・・。本を読んでいても、私・・・眠くなってきちゃって・・・・。眠ると叱られるし・・・」

侯爵様、とは、また随分な人の名前が出てきた物だ・・・・。

前王の王妃は、公爵家から嫁いできた女性であったため、現在宮中を掌握しているのは実質公爵様であり、その発言力がどうしても強くなってしまっているが、彼女が今言ったのはおそらくジュバ侯爵様のことだろう。

とても厳しい方で、自他ともに認める厳格な軍人気質のお方だ。

だが、こんな女の子を拾って、教育してどうしようと言うのだろうか?

その時、はっ、と気付いてしまった。いや、理解してしまった。

ジュバ候は、現王に最も不満を持っている方で、己の命や、地位よりも国を、民を憂いている方だと聞く。そして、そのジュバ候が手近に置き、その存在を隠すように守っている町娘のような粗野な娘。

教育や、指導を惜しみなくするその様は、まるで、貴族教育、いや王に対する教育のようで・・・・。

ここまで考えたその時、ひやり、と背筋を冷たい物が通り過ぎる感覚を覚え、危機感に突き動かされるままに、剣を抜き放ちながら振り向こうとした。

武術には大いに自信があった。

自惚れでもなんでもなく、武も、知同様にレグルスと出会ってからは弛むことなく研鑽を続けてきたつもりだった。

それなのに!!それなのに・・・!!この私が全く気取れなかった!!いや、気配を察した時には、もうすでに遅かった・・・・。

くるりと振り返った私の視界には何もなく。

しかし、剣の柄にかけていた手を何かにぴたりと抑えられ、ほんの少し抜き身の刃が鞘から抜けたところで止まってしまう。

そして、私の耳元で、低いが、それでも腹に響く声で、ぼそり、と告げられる。

「今、ここで見て、ここで聞いたことはすべて忘れろ。いいな?」

有無を言わさぬその口調に。問いを許さぬその剣幕に、思わず無言でこくり、と頷いた。

それでも、なお、じっとりとねばりつくような殺気は、消えてくれない。

額から冷や汗が流れ落ちた。

―――もしかしたら・・・・。ここで殺されてしまうのか・・・・?

そんな不安が押し寄せてきたが、それでもどうすることもできない。

「よし」

するとすぐに、そんな言葉とともに、抑えが解けて、ようやく我が身が自由になった。

そろそろと息を吐き出しながら、ゆっくりと振り返ると、そこにいた人物に驚く。

「・・・・侯爵様・・・・。あのね・・・・・。私ね・・・・」

女の子が、まるで悪戯が見つかった子供のように、しどろもどろに答えているが、目の前にいた、壮年の男性は、ゆっくりと息を吐き出した。

女の子が、びくり、と体を震わせる。

「もういい・・・・。私も少し厳しくしすぎた・・・・。まだお前は、ここに慣れていないのだろう・・・?」

「・・・え・・・?」

驚きで目を見開いた女の子の頭を、くしゃくしゃと乱暴に撫でた。あまりそういったことに慣れていない手つき。それでも、女の子にとっては嬉しかったようで、頬を緩める。

「思いがけない出会いもあったことだしな・・・・」

そう言って目を向けられれば、緊張で息をすることも忘れて、ただ、身を固くして立ち尽くすことしかできない。

「そんなに硬くならずともよい。噂はかねがね聞いているぞ?確かに、噂にたがわぬ鬼才だな・・・・」

褒めてもらったのだろうか?

「これでも褒めたつもりだぞ?お前の父のことは、良く知っている・・・・。なにせ、同じ年なのだからな・・・・。お前とレオンハルト家の長兄と同じようなものだ。・・・まあ、お前の父に武の才能はまるで無かったから、仲がいいとは口が裂けても言えなかったがな・・・」

レオンハルト、とはレグルスのことだ。しかし父のことを知っているとは・・・。ここまで来ると、ようやく緊張もほぐれてきて、何とか言葉を発することができるようになってきた。

「は!ありがたきお言葉です!!確かにジュバ様の仰る通り、父は、武術はからっきしですね・・・・」

侯爵は何がおかしかったのか、くすり、と笑う。

「まあ、そう言ってやるな・・・。確かにあいつは剣を持たせれば、惨事を引き起こしていたが・・・・」

堪えきれなくなったのか、くつくつ、と笑いだしてしまう始末だ。一体父はなにをしていたのだろうか?

「まあ、それでも、この私が、学生時代に唯一学問で勝てなかったのはあの男だけだぞ?誇ってもいい」

「ありがたきお言葉です・・・」

「その上、その息子が、これほど武に長けているとはな・・・」

品定めするような目を向けられ、身がすくむ思いがする。

「いえいえ・・・。大したことではありません・・・・」

「いや、謙遜するな。お前は、確かに私の気配に気づいて、その上、剣を抜こうとしたのだ。それだけでも滅多なことだ・・・・。まさか気取られるとは思ってもいなかったぞ?それに、剣を抜く間も与えるつもりなどなかったのに・・・・。抜く手も見せぬほどの早業に、一瞬こちらが、どきり、とさせられたわ」

「ご冗談を」

きつい冗談だ・・・・。絶対に勝てなかっただろう・・・・。ともすれば、一瞬で命を奪われていたかもしれない・・・・。これほどまでに隔絶した力の差を感じるのは初めてだ。同学年の子たちも、こんな気持ちだったんだろうか・・・・?

沈む私のことをどう思ったのだろうか、にやりと笑いながら、告げる。

「お前の父も、そして、お前自身も、物事の道理をよく知る者だと信じているから、もう一度言わせてもらうが、今日、ここで見て、聞いたことは絶対に口外するなよ?それが例え家族であろうと、親友であろうと、な?」

「は」

短く頷けば、念押すように肩にポンと手を置かれる。とても大きな手だ。何より、剣ダコで固く分厚い掌は、それだけで彼自身が負う責の重さを感じる。

「まあ、この娘のことを知ったのだ。もし、暇があれば、この娘のためにも、少し話し相手になってやってくれないか?」

なんといって断ろうか・・・・。あまりにも身に余ることに、うんうん唸っていると、女の子が、顔をほころばせる。

「え!?いいの!!やったー!!」

その無邪気な笑顔を見て、急に胸が苦しくなった。

こんなにも幼く、そしてあどけない娘に、私たちは、この国は、一体何を背負わせようと言うのだろうか・・・・?

そして、この書庫で逃げるように隠れていたことが、自分自身の過去と重なって、今更ながら無関係ではいられないと腹をくくった。

「ええ・・・。分かりましたよ・・・・。少しなら、お相手できますよ。まあ、私も政務がありますから、毎日、とはいかないでしょうけれどもね・・・・」

「それは嬉しい限りだ!!期待しているぞ、秀才くん?」

「私の名はラサラスですどうか以降お見知りおきを」


こうして、私は、王の残したもう一人の世継ぎである娘と、出会った。


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