風読二
「よくぞ聞いてくれました!!!では!!お話ししましょう!!!!あれは、私が幼い時分、それこそ、貴族教育を受けていた学校時代の話までさかのぼります!!!」
え・・・?そんなに遡っちゃうの・・・・?
困惑する僕をしり目に、ラサラスの話が、始まってしまった。
「私は昔、恥ずかしながら、傲慢な子供だったんだ・・・・。武芸も、学問も、少し頑張れば、人並み以上にはこなすことができたし、何より、他の人間とは違って、一つだけ、今でも誇れる特技があってね・・・・。本を読むときに、目で追うだけで、文字を、文章を理解することができたんだ・・・・。よく分からないかな?他の人が二日か三日かけて読み終わる本を、私なら四半刻(三十分)もせずに読み終わることができたんだ・・・。だから、今にして思えば、良く言えば達観していた、子供だった。・・・・悪く言えば、傲慢で、鼻持ちならない子供だったんだろうね・・・・。」
かなりすごい特技だ。そんな技能があれば、恐らく、集中力が高いので、武芸でも他人に見劣りしないほどの力を身に着けることができたのだろう。
「でも!!そんな私の曇った目を開かせてくれたのは二人の美しい女性だ!!一人は主あるサニア様!!そしてもう一人が、シャウラ殿なのだよ!!」
長い、長い話になりそうだ。それでも、ラサラスがどうして王の側近となっているのか気になったので、黙って聞くことにした。
(ラサラス)
あれはまだ僕がとても幼い子供の時分だったころの話だ。
兎に角、武術の練習が嫌いで、よく自宅にあった蔵に逃げこんで指南役に見つからない様に隠れていた。
そして、その蔵には山のように本があった。
どうにも私の父親も、武術よりも学問のほうが好きな質だったようで、呆れるほどの書物を家に保管していた。
父は、文官で、当時から風読みとして相談役をしていたので私が武術の練習から逃げることをことさらに叱る人ではなかった。
母は、対照的に、武官の家の出だったために、指南役も母の実家から送られてきて、さぼると口うるさく注意をされてしまっていたものだ。そのため、半分くらいは嫌々ながらもきちんと練習をしていたのかもしれない。
子供心に、いろいろな本を読んだ記憶があるな・・・。
父は忙しい人だったけれども、家に帰ってくると、私をよく褒めてくれる人で、武官として立派に育てようと言う母にいつも、苦笑いを浮かべながらも、この子のしたいようにさせてあげればいいんじゃない?と言うのが口癖だった。
まあ、体の弱い人で、年中体調を崩していたし、本の虫、とでも呼べるような人で、家族そっちのけで学問を研究している人だった。
今でも、父のどこに母が好意を抱いて婚姻したのか分からないが、何か理由があったのだろう。
とにかく優しい人で、声を荒げて叱られた記憶はない。
いつも、いつも、優しい笑みを浮かべて、褒めてくれる、そんな人だったので、私も大好きだった。
何より知識が、知見が深くて、何を聞いても教えてくれるところがとても格好いいと思っていた。
父は、風読みとしては、とても優秀な人で、周りからも頼りにされていて、人柄もよく、顔立ちも整っていたので、もしかしたらそんなところに母は惚れたのかもしれない。
おっと!風読みって分からないのかな・・・・?
そうか・・・。昔から当たり前にあるから、思いつかなかったけれども、そう言えばこの国独自の文化なのかもしれないね・・・・。
風読みっていうのはね。読んで字のごとく、風を読み、天の気を推し量り、そして、星を占う、いわば占星術と、そして、学問として未来の天候を予測する、宮中の機関だよ。
私も今はその風読みの筆頭をしているけれども、風読みの機関は、主に、筆頭三人、相談役七人、そしてその下のただの下っ端の風読み三十五人で構成されている。
どうしてこんな機関があるのかと言うと、昔から南大陸と、海路で交易をおこなってきていたから、未来の天の気を占い、風の流れを読み解くことはとても重要なことだったんだ。
さて話を戻すけれども、私は、そんなこともあって、学問に随分傾倒していたんだよ。
父が教えてくれた言葉の中で今でも心の中に刻み込んでいる言葉があってね。
―――どうして雨は降るのだろう?どうして風は吹くのだろう?どうして冬は寒く、夏は暑いのだろう?考えたことがあるかい?常に物事の理由と、そして原因を考えて、考えて、理解できれば、人生は、人々の生活はもっとずっと良くなるはずだ。まあ、ただの受け売りなんだけれどもね・・・・・―――。
僕は、この言葉を聞いたときに誰の受け売りなのか、全くわからなかったけれどもひどく感銘を受けたんだ。確かに、言われて見れば、当たり前のように生きているけれども、私たちの身の回りには、簡単に説明できないことがいっぱい溢れているんだよ。
はっ!と目が開けて、心が飛び上がっていくような心地がしたよ。世界の真理に触れたような、それでいて、目の前に可能性が広がって、どこまでも続いていくような、不思議な心持だった。
後になって、五国の和平を成立させた、歴史的偉人のジェンナが父親に与えられた言葉だと知った時には、夢中になった物だ・・・・。
とにかく私は、学問を、いや、世界を、ほんの些細なことでも、絶対になぜ?どうして?を繰り返して、同年代の中でも深い知見を身に着けて行くことができた。
そして、私たちは貴族は十二歳になると、貴族教育を三年受けるため、学校に通うんだ。
そこで、私は、学問に関して、右に出る者がいないほどの成績を収めた。
また、武術に関しても、同年代にいたレグルスには負けたが、それ以外の子供には遜色ないほどの力を身に着けていった。
今にして思えば、傲慢だったのかもしれない。いや、確実に傲慢だっただろう。同学年の子供たちが、学校に通っていた年上の子たちでさえ、とても幼く、そして何より無知に思えて仕方なかった・・・・。
剣を握れば、レグルス以外にはほとんど負けることは無く、本を開けば、誰も敵わないほど物事を知っている・・・・。
「またここにいたのか・・・?毎日毎日よく飽きもせずこんな場所に一人でいるものだ」
学校の庭に大きな木が植えられていて、その下は、日陰になっており、昼食時や、休憩時に学生たちが集まる憩いの場として人気があった。
しかし、その大きな木とは、全く異なり、校舎の裏側に、雑草がぼうぼうと伸び放題に広がっていて、その先に、ぽつんと小さな、それこそ大人の背丈ほどしかないひょろりと細長い木が一本。まるで見捨てられたように佇んでいる。
そこは、手入れも行き届いていないため、虫や、爬虫類、鳥の住処になっていて、決して居心地がいいところではない。
だからこそ、長年手つかずで放置され、それを私は、好んで、木の根元まで続く道を作り、木の根元の土地を少し整えて、一人でくつろげる空間を作り上げたのだ。
私は、下らない喧騒から解放され、一人になれるこの場所がとても好きだ。
そもそも、人が周りにあふれている状況が、あまり好きではないし、何より、静かに書物を読むことができる空間は、この校舎のどこを探してもここ以外に見つからない。
その上、こうして、ここにいれば、小さな生き物たちの生態系を観察することができるのだ。それは、私にとってはとても興味深く、驚きの連続で、いかに普段の暮らしの中で目を向けていない物が多いのかを思い知らされる。
そんなゆったりした時間を好きで過ごしている私だったが、最近、目の前に現れた男が、良く邪魔をするようになった。
大柄な体躯、筋肉質な体つき、つんつんと尖った、硬質な短髪を無理やり後ろに押さえつけ、無邪気な、まるで子供っぽい笑みを浮かべる男が、・・・・いや、私も子供なんだけれども・・・・、とにかく、餓鬼大将みたいな男が、日を遮るように、私の上に影を落としながらのぞき込んできている。
―――ああ・・・・。鬱陶しいなあ・・・・。
顔をしかめながら、視線だけ上げると、ぶっきらぼうに問いかける。
「どうかしましたか?」
何か用があるのだろうか?そう思ったので問いかけてみたが、男は首を横に振ると、そっけなく答えた。
「いや。特には何も」
―――なんだそれは!?特に何も用が無いのに、どうしてここに来たのだ!?
喉元まで出かかった言葉を、何とか飲み込んで、それならば、と手元の本に視線を落とした。
それなのに・・・・。
「なぜ隣に座るのですか?」
じいっ、と視線を注がれて、それが気になって気になって、どうにも集中ができない。
「駄目だったか?」
まるで、当たり前のように返されて、思わず言葉に詰まってしまった。
―――駄目かと聞かれれば、駄目だと答える理由が無い・・・。・・・・気がする。私が集中できない、は少し理由としては弱いか・・・・?
うん、うん唸っている私に、男は呟く。
「しかしラサラスは本を読む速度が速いな・・・・」
―――まるで仲のいい友達みたいな、家族みたいな、親しい名前呼びに、引っ掛かりを覚えてしまったが、それでも特に何も言わず答える。
「そうですか?私にとっては幼いころからこれが普通だったので・・・・。あなたは、これくらい早く読めないのですか?」
ともすれば、馬鹿にしていると取られてもおかしくない、言い方だった。大人になって考えた時に、よくこの物言いで怒らなかった物だと、感心してしまった。
しかし、この時の私は、自然と、これが普通の質問だと信じて疑っていなかった。
対して男は、苦笑いを浮かべ、首を振る。
「できないに決まっているだろう・・・。誰もできないんじゃないか・・・・?間違いなくこの学校には、誰もラサラスと同じことができる人はいないな・・・・。本当にそれ、読めているのか疑わしいぞ?」
言うや否や、私の手元に手を伸ばし、本を奪い取られてしまう。
抗議の声をあげる間もあればこそ、いきなりのことに反応できず、ただ、ただ、「あ!!ちょっと!!」と手を伸ばすことしかできない。
そんな私にお構いなく、男は、本を私に見えない様に隠すと、楽しそうに頭の方をめくる。
「えーと・・・・・・・・」
次第に顔つきが険しくなっていく。
「・・・・難しすぎて読めない・・・・」
情けない顔をして、情けない声で視線を上げてくるので、少しおかしくて笑ってしまいそうになったが、それでもなんだか、ここで笑ったら負けな気がして、わざと厳めしい顔を作る。
「ただの法律学を書いている本ですよ。主に商業的な観点から法律を学問として学べるように書かれていますね。南の大陸から伝わってきた法学です。頭から、商業における契約の重要性、そして、所有の概念、何より、債務債権の項がなかなか鋭い観点で指摘されていますね。本の出だしでも諳んじましょうか?『商法とは、商事に関し定められた物であり、商法に定めが無い場合は、商慣習と、そして、当事者間の、善良な価値観と、一般的な通例として捉えられていることに従う物とする。また、その通例を考察するのは、第三者的立場にある他人が行う物とする』で間違いないですよね?」
ぽかんとした顔をしているのが、なんだか胸がすくような気がする。
「すげえ・・・・。何を言っているかは全くわからなかったけれども・・・・。それでも一言一句間違えてないぞ!!」
興奮したようにまくしたてられ、失敗した、と思った。自慢げに答えなければ、こんなことにはならなかったかもしれない・・・・。
「まさか本当にできるとはな・・・・・!!驚きだ!!」
そろそろいい加減面倒になってきたので、うんざりした顔を浮かべ、手を差し出す。
「もういいですか?返してください」
しかし、返ってきた答えは、予想外のものだった。
「いや!!もうちょっとだけ!!」
そう言うと、私の了承もなく、ぺらぺらと本をめくり始めたので、流石にこらえきれなくなってしまって叫ぶ。
「なんで!?いいから早く返してよ!!もういい加減あっちに行ってくれよ!!」
まずい!いい過ぎたと思ったが、時すでに遅く、しんと黙り込んでしまった男に、何をされるのかと不安になってしまう。
―――確か武術で学年一番の成績を収めている男だよな?いや、確か学校一強いんだったか・・・・?




