魔導姉弟六
あの日から、およそ半年が経った。
私とスバルは、今、あの宿屋で働いている。
私は主に、お客様をご案内したり、給仕のような仕事をしているが、スバルは、裏方の力仕事のようなものをしている。
何とか働かせてもらうことができたが、未だにどうして働かせてもらうことができたのか分からない。
どうしてか?それは簡単だ。
まず、私は今年十五歳になるが、スバルはまだ、十三歳で、決して十五歳には見えない。年を聞かれた時に、思わず、嘘をついてしまったが、絶対に気付いているはずだ。
そして、次に、人手不足なのかな?と思ってみたが、そうでもないみたいで、若い女の子が何人も働いていて、ほとんど住み込みのような彼女たちは、私と同じく給仕の仕事をしており、絶対に、人数は足りているように思う。
宿の主人は、厳つい外見をした、少し強面の男性だが、男の従業員は他に、スバルと、そして、料理を担当しているコックが、数人、男で、それ以外の力仕事は、主人がほとんどこなしていたため、スバルがそう言った裏方仕事を任されているのは納得できるが、どうして私は給仕をしているのだろう?
何より、働いている女の子たちの態度が、はっきり言って敵意むき出しで、歓迎されているようには思えない。
最初に仕事を始めた時は、私のように余所者で、しかも身元もはっきりしない小娘を警戒しているのかとも思ったが、どうにも違うようだ。
半年たった今でも、支給された服が、隠されたり、仕事を私だけ一杯押し付けられたり、無視されたり・・・・。ひどいときには、少し話しかけただけで怒られたこともあるし、殴られたこともある。
もう半年もたったと言うのに、まだ、この宿屋で、仲のいい女の子はいない。
その上、男性客、料理人、挙句の果てには、宿屋のご主人が私に向ける下卑た視線が、とても気になる。
私も年頃で、胸も大きくなってきたし、体つきはどんどん女性的になって来ていて、そう言った視線を向けられることに、嫌悪感や、羞恥心を覚えるようになり始めてきていて、それが、とても苦痛だった。
「ほら。これを持って行ってくれ」
ぶっきらぼうに手渡された料理を、盆の上に乗せ、私はお客様の座る机に向かう。
「はい!お料理をお持ちしましたー!!」
元気よく料理を運ぶと、男性客数人は、すでに酩酊しているのか、私に卑猥な野次を飛ばしてくる。
それが耐えられなくて、それでも何も言い返せなくて、俯いたままその場を後にした。
それを、他の席の人たちも冷やかしの言葉をぶつけてくる中、すごすごとカウンターまで戻ると、主人も、見下すような、それでいて値踏みするような視線で、軽く舌打ちをする。
「ちっ!」
それ以上は何も言わなかったが、私はその恐ろしい雰囲気に思わず、びくっ、と体を震わせる。
「もういい・・・・。下がって客室の清掃をしていろ」
お盆をひったくるように奪われ、私は泣きそうなになりながらもその場を後にする。
どん!
客室に戻る道すがら後ろから何かをぶつけられた。
振り返ってみれば、高慢そうな顔つきをした女の子と、その取り巻きたちが立っている。
ぼたり、ぼたり。
濡れたような何かが落ちる音がするので、ゆっくりと視線を下に向ければ、そこには、赤黒く変色した何かの臓物が落ちている。
肩の付近から、生臭い匂いがする。
視線を転じればそこには、べったりと血の跡が・・・・。
「なんで・・・・こんなことするの・・・・?」
しかし、それには答えはなく、ただ、くすくすと笑いながらその場を去って行く彼女たちを追いかけて、ぶん殴ってやろうかと思ったけれども、そうしてもしここを追い出されてしまえば、私たちに行く当てはなくて、だからこそ、ぐっ、と胸の奥から湧き上がってきた怒りを必死に我慢して、汚れた地面を掃除する。
誰もいない客室の廊下で、誰にも見られることなく、ただ、汚い臓物を手に抱えて、持っていた雑巾で床を拭う。
はらり、はらり、と地面が濡れた。
「はは・・・・。はは・・・・・」
どうしてこんなことをしているのだろう?どうして私たちばかりこんな苦しい思いをしなければいけないのだろう?
初めて家族を失ったあの日から、いや、サニアが連れて行かれたあの日から、何度思っただろうか?それでも答えは出てこない。誰も私の疑問に答えてくれる人はいない。
たとえそれがどんなに辛くて、どんなに苦しくても、諦めないで生きてきたけれども、すでに私の心はぼろぼろで、傷だらけで、いつ壊れてもおかしくなかった・・・・。
乾いた笑いが口元から漏れるけれども、その実、涙があふれてきて、これ以上泣いたら、私は壊れてしまうと分かったから、涙が零れ落ちない様に上を見上げる。
―――ああ・・・・。駄目よ・・・・。泣いたら駄目よ・・・・。
どうして世界はこんなにも悲しくて、どうしてこんなにも厳しいのだろう・・・?
私たちに割り当てられた部屋に戻ると、そこにはすでにスバルが戻ってきていた。
仕事を終えてくたくただろうに、私の戻りを待ってくれていたようで、窓際に座って夜空を見ていた。
私が部屋に入ると、ゆっくりと振り向いたが、その顔が、なんだかとても悲しくて、儚くて、今にも消えて無くなってしまいそうに見えて、胸の奥がざわざわと粟立つ。
「お帰りお姉ちゃん!疲れてない?」
にっこりと微笑むと、すぐにその雰囲気は霧散してしまったので、私は、一瞬感じた胸のざわめきをあえて無視して、ゆっくりと正面に座る。
「ううん・・・。私は大丈夫!スバルこそ、力仕事ばかり任されて辛いんじゃないの?私のことは待たずに寝ていてもいいのよ?朝も早いでしょうから・・・・」
しかし、スバルは、優しく首を横に振る。
「ううん・・・・。姉ちゃんこそ、なんだか元気が無いよ?大丈夫なの?」
どきり、とした。やっぱり、長年一緒に過ごして来た彼には、隠せなかったようで、それでも、私の悲しみを、口に出したら、私がもう我慢できなくなって決壊してしまう、と思ったから、優しくスバルを抱きしめる。
その体の温もりを感じながら、耳元で、優しく、呟く。
「ありがとう・・・・。私は大丈夫・・・・・。でも、少しの間このままでいさせて・・・・」
いいよ、とも、駄目、とも言われなかったので、スバルの優しさに甘えて、そのまましばらくの間抱きしめ合っていたけれども、なんだか、いつも以上に温かいスバルの体に、心がどんどん落ち着いてきて、気付けば眠くなってきたので、ゆっくりと離す。
「明日も早いし・・・。寝ようか・・・・?」
「うん・・・・」
もうすでに室内は暗くて、部屋の中を照らしていた月も雲間に隠れてしまったので、スバルの顔は見えなかったけれども、弱々しく頷いたスバルと、私は、そのまま二人仲良く床に就いた。
それから、暫く経った日のこと。あれから、何か私たちを取り巻く環境が変わると言うこともなく、ただ、いつもと同じように、黙々と仕事をこなしていると、急に宿の主人に呼ばれた。
「おい!付いて来い!」
それ以上は何も言われなかったので、何をするのかはよく分からなかったけれども、口を挟める余裕もなかったので、ただ黙って主人の後ろに付いて行くことにした。
気付けばとても大股になっていて、早歩きをしなければついて行けないほどになっていた。
「あの・・・・」
背中に声をかけるが、返事はない。
―――聞こえなかったのだろうか?勇気を振り絞ってもう一度先ほどよりも大きな声で呼びかける。
「あの・・・!!どこに行くんですか・・・!?」
すると、私の声が聞こえたのだろうか?ぴたり、と主人の足が止まった。
「倉庫で、取って来たいものがあるんだ・・・・。俺一人だと持って来られないから、お前に来てもらいたくて声をかけただけだ」
そう言うと、またすたすたと歩きだしてしまった。
なんだか腑に落ちなかったけれども、私はそこまで聞いて、否とは言えなかったので、そのまま、彼の後を追う。
倉庫、と言うだけあって、宿の外に出た主人は、少し歩いて、奥まったところにある、もう一つの建物まで来た。
がらり、と中を開けて入って行くと、少し埃っぽくて、ふわりと舞い上がった土埃に一瞬噎せてしまったが、それでも中には、大量の布や、敷物、そして縄なんかが保管されていて、こんな場所があったのか、と感心してしまう。
それ以外にも、よくよく見れば、瓶に入れられた薬なんかも保管されていて、どれを取りに来たのかは分からなかったが、「入れ」と言われたので、しげしげと中を窺いながら、そろりと入室した。
ぱたり、と背後に扉が閉まる音を聞いたので、思わずくるりと振り向くと、そこには、内側から、入り口に閂を掛けている主人の、あまりにも大きな体が立ち塞がる様に存在していた。
「なん・・・・で・・・・・?」
―――扉を閉める必要があるの?
そう聞こうと思った瞬間、くるりと振り返った主人の、いつも以上に無表情な、それでいて、私を舐めまわすように見つめるその視線に嫌悪感を抱いて、ぶるり、と震えてしまう。
何も言わずに一歩、踏み出して来た。
自然と一歩、下がる。
じり、じり、と主人が踏み出せば、私は下がり、気付けば小屋の中ほどまで、下がってきていた。
「どう・・・・したんですか・・・・?」
瞬間、顔つきが変わった。
今の今まで、全くの無表情だったのが、急に、欲情したような、濁りきった顔に変わり、それが一瞬で目の前まで迫ってくる。
ぐい!と口を抑えられ、地面に敷かれた敷物の上に押し倒された私は、あまりにも突然のことに、抵抗すらできなくただ、為すがままにされてしまう。
かあ!と熱くなった頭は空回りするばかりで、何も考えられず。
うるさいくらいに脈打つ心臓は、胸が痛いくらいで。
全身に駆け巡った血が、どくどくと耳元で聞こえる。
はあ、はあ、とかけられる生臭い息が、吐き気がするほど嫌で。
胸元をまさぐられて、衣服の中に手を入れられた時に、我に返って必死に抵抗するけれども、腕一本で抑えられてしまう。
撫でられたところが、さわさわと鳥肌が立ち。
股の間に入れられた足、口元を覆う毛深い手の平、そして、胸を圧迫するようにのしかかってきている大柄な体が、息ができないほどに苦しい。
「・・・・・・!!!・・・・っ!!」
懸命に悲鳴を上げようとするが、苦しくて、苦しくて、それ以上に怖くて、怖くて、声を出すこともできない。
「ここが何の宿か、まさか知らなかったわけではないだろう?」
欲情に塗れた、猫なで声で、言われた言葉に、しかし、私は、必死に頭を横に振る。
ぱしん!!
乾いた音が小屋の中に響く。
最初は何かも分からなかったが、熱を持ったようにしくしくと痛む頬の痛みで、私は今、叩かれたのだと知った。
―――どうして・・・・?
「この売女め!!白々しくも!!どうせ行き先なんてないんだろう?だったら、ここで、客に媚と、そして体を売っていればいいんだよ!!」
―――いやだ・・・・。嫌だ・・・・!!そんなの・・・嫌だ・・・・!!




