魔導姉弟五
・・・・・・・そして、院長が体調を崩した。
必死に苦しみを、体の不調を、押し隠してきて、私たちを心配させないようにしてきたのだろう、院長が、ある日突然倒れたのだ。
高熱を出して、寝込んだ院長は、それでも子供たちとは違って、まだ、はっきりと意識があって、病床に付きっきりの私たちに笑顔を見せてくれる。
「大丈夫よ・・・・。心配しないで・・・・」
その笑顔が、今にも消えて無くなりそうで、まるで、諦めたようなそんな表情で、不安に胸が苦しくなる。
「お願い・・・・!!死なないで・・・・!!私たちを一人にしないで・・・!!」
「大丈夫よ・・・・。シャウラは昔から・・・・・。寂しがり屋さんね・・・・」
頭を撫でてくれたけれども、その手のひらがとても熱い。
そして何より、力が無い。
「院長・・・!!死んだら嫌だよ!!」
「スバルは泣き虫ね・・・・。お姉ちゃんを・・・・・守るのよ・・・・。なんたって男の子なんだから・・・・」
そう言って、スバルの頭に手を置くけれど、スバルは泣き出してしまった。
私も、気付けば、頬を伝って涙が零れ落ちる。
それは、もう枯れたと思っていた涙だ。
もうこれ以上、悲しむことはない、と思っていたのに、涙が、はらはら、はらはら、と地面を濡らす。
「あら・・・・。二人とも、もういい年なのに・・・・。泣き虫ねえ・・・・」
ふわりと笑う院長は、急に咳き込み、苦しみだしたので、私たちは慌てて背中をさすった。次第に落ち着いてきた院長は、それでもなお、優しく笑う。
「本当に二人は優しいねえ・・・・・。それなのに私ったら・・・・ごめんなさいねえ」
どうして謝るのだろう?何を謝ることがあるのだろう?
「お医者様に診てもらったとき、薬を買うお金がなくって・・・・・。本当にごめんなさいね・・・・。私・・・・、もう・・・・・死んだ子たちには謝ることもできないのに・・・今更こんなことあなたたちに言うなんて・・・・・」
必死にこらえていたのだろう、嗚咽交じりに告白する院長を、誰が恨むことができようか?誰が、詰ることができようか?そもそも、私たちが、院長が悪いわけではない。そんなことは分かっている。
私たちは誰よりも院長が苦労をしていて、誰よりも大変な思いをしていることを知っている。
だから、さめざめと泣きだした院長の頬を優しくなでる。
「ううん・・・・。私たちこそ・・・・・ごめんなさい・・・・・。私たちがもっと、大人だったら・・・・・。院長にあんなに苦労をかけなかったかもしれないのに・・・・。ごめんなさい・・・・」
私たち子供たち全員の人生を背負わせてしまった。それも、私たちとは関係のない、ただの他人だ。
それなのに、院長は最後の最後まで、私たちの面倒を見てくれた。まるで本当の家族のように・・・・・。
だからこそ、彼女がいることが当然のように思っていたからこそ、今失いそうになって初めて気が付く。
彼女にも彼女の人生があって、それなのに、私たちは、足かせとなってしまった。重荷となってしまったのだ。普通であれば許されることではない。普通であればできることではない。
それなのに・・・・・。
うつむく私の頭をもう一度優しく撫でられる。
「あなたは・・・、いえ・・・、あなたたち二人は・・・、とても賢い子だったわ・・・・・。私に謝ることなんてないのよ・・・・・?なんたって、家族なんだから・・・・」
胸の内が熱くなる。
しゃくりあげる私に、しかし、院長は、よく分からない言葉をかける。
「サニアを恨まないであげてね・・・・?」
「え・・・・?どういうこと・・・・・?」
「ううん・・・・。分からないならいいのよ・・・・?でもこれだけは覚えておいて・・・?神を恨んでは駄目よ・・・・?人を恨んでは駄目よ・・・・?憎しみも・・・・悲しみも・・・・恨みも・・・・何も生まない・・・・。あなたたちが苦しくなるだけ・・・・。いい?例え何があろうと・・・・。笑って生きなさい・・・・?」
にこりと微笑む院長は、私たちが何かを言う前に、「少し眠くなっちゃった・・・・」と呟くと、まるで、意識を失うかのように、すとん、と眠りの底に落ちて行く。
私とスバルも、連日の寝不足で、ひどく疲れていて、その時ばかりは、体が休息を求めていたのか、抗うことのできない眠りに、誘われ、そのまま眠ってしまった。
夢も見ずに、朝までこんこんと深い眠りにつき、ふと、頬に手のぬくもりを感じて、ゆっくりと起きる。
優しくて、大きい掌が、私の頬にそっと添えられていた。
ほんのりと温かい掌の柔らかさと、温もりを感じ、微睡の中で、幸せだった数年以上前の夢を見ていた。
まだみんなが生きていて、サニアがいて、そして、うとうとと昼寝する私の横で、愛おしそうに院長が頭を、頬を撫でてくれる。
それがとても心地よくて、もう起きていたのに、寝てるふりをして、体を預けていた。
そっ、と目を開けると、院長は、瞼を閉じたまま、ピクリとも動かない。
なんだか、頭がぼうっとした。
体が起きるのを拒絶するかのように、一向に動いてはくれない。
瞼が重い。心のどこかで、このまま寝ていたほうがいいんじゃないか?と誰かが囁く。
こんなに幸せなのに・・・・・。
どうしてこんなにも虚しいのだろう?どうして、一条の涙が、頬を伝って流れ落ちているのだろう?どうして、不安が、胸騒ぎがするのだろう?
どうして?どうして?どうして・・・・・・・?
どうして、頬が、そこに添えられた手のひらが、冷たいのだろう・・・・?
気付けば、まるで氷のように冷たい院長の手のひらに、思わず、びくりと跳ね起きる。
そうっ、と覆いかぶさるようにその口元に耳を持っていく。
――――息を・・・・・していない・・・・・。
死んでいた・・・・・。
その日のうちに、私たちは悲しむ間もなく、泣き崩れることも許されず、この街を去らなければならなくなってしまった。
一向に姿を見せない院長を心配して、様子を見に来てくれた人が、街に知らせに走った後、街の人たちがやってきて、暗い顔をしながら、流行り病の原因がこの孤児院かもしれないと前々から相談していて、できれば、早々にこの街を立ち去ってほしい、と言われた。
今まで優しく接してくれた人たちの手のひら返しに、思わず呆然として、初めて気づいた。院長が、いったい今までどれくらい、私たちのことを守って来ていたのかを・・・・。
いなくなって初めて気づくことが多すぎた。しかしそれはもう取り返しのつかないことだらけで、どうやっても、戻ってくることはない。
何とか懇願する私たちをしり目に、街の人々はひどく冷たく、顔を背けるばかりで、手を差し伸べようとする人は全くいない。
中には、あからさまに嫌悪をむき出しにして、罵声を浴びせてくる人も出てくる始末だ。
その日のうちに私とスバルは逃げるように、街を去る。
ようよう見渡せば、今まで気付かなかったが、町は随分と寂れてきていて、冬だったからだろうか?あれほど人並みであふれていた街並みは、ひどく閑散としていて、通りを歩く人たちの顔色も暗く、俯きがちで、どこにも活気は見当たらない。
――――私たち・・・・これから、どうすればいいんだろう?
寄る辺もなく、帰る場所もなく、家もなく、そして家族は、隣に立つ幼い弟一人だけ。
こんなにも、世界は広く、大きく・・・・。それなのに、私たちには一切居場所が無い・・・。世界から見捨てられ、国から見限られ、街から見放され、一体どこに向かおうと言うのか?一体どうすればいいと言うのか?
夕刻前に、峠を抜けることができた。
峠の先には、宿場町があって、宿の明かりが、そこかしこから漏れてきている。
私たちはただ、黙々と歩いていたために、ひどく疲れていて、それも睡眠不足がたたって、もうふらふらだった。
それでも、このままではもう駄目だと思った私は、倒れ込みそうになる身体を何とか必死に起こして、目の前にあった宿に這うように入る。
入り口にいたおばさんに、胡乱な目で見られたが、そんなこと一切気にならない。
ただ、ただ、真摯に頭を下げた。
「ここで働かせてください!!!」




