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英雄伝説ー奴隷シリウスの冒険ー  作者: 高橋はるか
奴隷時代
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試合四

向こうは互いに消耗している。フォレストパンサーは左の脇腹と左目に傷を負い、バーサクベアーはフォレストパンサーの神経毒がにわかに効き始めているのだろ、わずかに開いた口からはだらだらと涎をたらし、小刻みに肩を揺らしながら、浅く呼吸をしている。

明らかにその動きには鋭さがなくなっている。

「シリウス、お前に盾をあげるから、もう少しだけ耐えてくれないか?」

「え!でもそしたら兄さんが・・・」

「俺の心配はいらない。すぐにでもけりをつけてやるさ」

そう言うと、左手に持っていた盾を僕に預けると、右手一本に剣を持ったまま、向かってくる二匹の魔獣を迎撃するように、駆け出していく。

「あ・・・」

止める間もあればこそ、駆け出した兄を呆然と見つめていると、バーサクベアーの突進をひらりと躱し、フォレストパンサーの死角に体を沈めると、にゅっ、と手を伸ばし、その左目に突き刺さった剣を抜き左右両手に片手剣を構え、くるり、と身をひるがえしたバーサクベアーと対峙する。

フォレストパンサーは、こちらに向かってきていたが、左目に突き刺さった剣を抜かれたことで、激痛を感じたようで、一瞬硬直し、すぐに兄のほうに向きなおってしまった。

僕は駆け出した。間に合え!その一心で、急く気持ちを必死で抑えながら転ばないように懸命に足を動かし、間一髪間に合う。

兄を捕らえんと牙を向けるその顔面に渾身の力で盾を殴りつけた。

ガツン、とあたりに重く肉を叩く音が響いた。しかしそれでも、ほとんどダメージはなかったようで、ぴんぴんしているが、軌道をそらされ、兄は無傷。そしてその瞳は左目をつぶした忌まわしき敵である僕に向けられた。

「さあ、来い!このまま永遠の時間を踊ってやる!」

もはやその手に武器はない。

牽制する術は一切ない。

そして何より、相手が消耗している以上に、こちらも消耗している。

疲労がたまった両手は持ち上げることすら億劫なほど重く感じる。

その目は霞がかったようにぼんやりとしていて、ひどく見辛い。

何より足が思うように動かない。ふと気を抜くとかくんと膝から下の力が抜けるような感覚が襲ってくる。

しかし、それでも僕はにやりと笑っていた。この危機的な状況の中で、僕はその内から溢れ出てくる恐怖を抑えるように、にやりと笑う。

僕が笑っていることがひどく気に食わなかったのだろう。

苛立ったように吠えるとまっすぐこちらに突っ込んでくる。

ひらり僕はそれを躱す。

わざと左側に躱した。潰れた左目では僕を捕らえることができなかったのだろう、ぐるん、と顔をこちらに向けると、顔に合わせて体も正対させる。

よく見ると、体の通り道に血の跡が点々と落ちている。脇腹の傷は決して浅い傷ではない。

もしかしたら、粘り続けたら出血多量で死ぬのではないか?

希望の光が見えてきた。先ほどまでは絶望しかない戦いだったが、ここに来てようやく掴むことができた勝ちの目だ。

今度は心底からにやりと笑う。

その不敵な笑みに更に憤りを募らせたフォレストパンサーが相変わらず愚直に突っ込んできた。

突進を左に躱し、正対しての両手の切り払いを左右に躱し、時折かわし切れない連撃は盾を構えながら脱力することで、相手の力を利用して吹き飛ばされ、攻撃の間合いから逃れる。

噛みつきをバックステップで回避。

爪による切り払いを左にステップを踏んで回避。

追撃の薙ぎ払いを盾で流して距離を取る・・・。

ひたすらに避けてみせると、いつの間にか洗練されたその動きは最小動作での理想的な回避を実現する。

それはもはや円運動だった。回避して回り込む。僕がぐるぐると魔獣の周りを回りながら回避するその「円」がどんどん円周を小さくしていく。気付けば、フォレストパンサーはその場から動くことなく、そして僕はその周囲半径二メートル圏内から外に出ることなく、くるくるとその周りを器用に踊って見せた。

明らかにフォレストパンサーの動きが鈍くなっていっている。

その攻撃を捕捉することが容易くなってきていた。

いつまでも耐えてみせる。兄があの魔獣にとどめを刺して駆けつけてくれるまで。その高揚感が僕をただひたすらに極限の集中へと高めてくれた。

しかし、唐突にその均衡は崩れる。

今の今まで周囲一帯にフォレストパンサーが動き回るほどに、飛び散っていた夥しい量の血に僕は足を取られた。

ずるっ、と足が滑るような感覚がしたかと思うと、そのまま踏ん張りが効かずに片足を地面につけてしまった。

急いで起き上がろうとしたが、かくん、と膝先から力が抜けてしまい、立ち上がることができなかった。

その一瞬を逃さない。

フォレストパンサーの爪が目の前に迫ってきていた。

急いで盾を構えるが今まで酷使してきた両手が上がりきらずに、目線の高さで止まってしまう。

目線の上を一本の爪が通過する。

ざくっ、とこの身を裂く音が確かに聞こえた。

驚くほど簡単に裂けた額から大量の血が流れ出てきて視界をふさぐ。

撫でられる様に切り裂かれた額が熱く、熱を持ったようにピリピリと痛む。

それとは別に先ほどまでは感じていなかった倦怠感がどっと体に押し寄せてきた。

そして、盾に身を守られていた僕は体をバラバラにされたのではないかと思うほどの強い衝撃を感じ、闘技場の壁にたたきつけられていた。

突進を至近距離で食らった・・・。

その認識よりも先に、立ち上がれないほどの痛みが全身を襲ってきた。

かすむ視界の中、ふと見やると、こちらを満足そうに見ながら異様にゆっくりと近づいてくるフォレストパンサーと、闘技場の真ん中で二刀を手にバーサクベアーと仁王立ちで斬り合いをしている兄の姿が目に飛び込んできた。

夢と現実の間でさまようような曖昧な意識を、必死で頭を振ることで戻そうとするが、今目にしている光景が、ぐにゃり、と歪んでいて、ひどく現実味がないことが、今の僕の状況を鮮明に物語っている。

ゆっくりと近づいてくるフォレストパンサーを見ていて、僕はこの時になって初めて気づいた。

「ああ、もう相手も虫の息だったのか・・・」

近づいてくる足取りがふらふらしている。

その表情にはひどく疲労の色が見える。大きく開いた口からは大量の涎と一緒に浅く早い息遣いがはっきりと聞こえた。

何よりその脇腹が痛むのだろう、左足を前に出すたびに、その激痛にびくりと体を震わせている。

そろりそろりとその身を悪化させないように近づいてきているのだ。

ああ、もう少しだったのに・・・。

悔しさが何よりも大きかった。

そして、ふと、思い出す。前にもこんな状況があったことを。あの時はもっと強大な敵を前にして無我夢中に闘って、何もできないうちに絶体絶命になったが、今の僕はあの時の僕より強くなったのだろうか?

分からない・・・。ただはっきりと言えることは、あの時僕を助けるために駆け付けてくれた兄さんは、今目の前で僕よりも絶望的な闘いを強いられている。

ああ、それにしても兄さんの剣は速く、鋭く、正確で、とてもきれいだなあ・・・。

バーサクベアーと真正面から打ち合い、時にはその爪を、上体をのけぞらせることで避け、時に、懐に深く踏み込むことで掻い潜り、防御を捨て回避をもってその攻撃を避けながら、的確にその剣を突き立てていく。

しかし、それも長くは続かない。

僕の見ている前で、バーサクベアーの攻撃に鋭さと速さが増していく。

バーサクベアーの周囲にできていた血だまりの深さに呼応するようにどんどん苛烈になるその攻勢に、どんどん苦しい守勢に回る兄の姿。

その身に一つ、二つと傷ができていく。見る間に全身血だらけとなった兄はそれでもなお、先ほどの僕と同じように笑っていた。

どうして・・・?

そして、その瞬間再び攻守が入れ替わる。

先ほどまでよりも、速く、鋭く、深くなった斬撃が、無数に伸びる手数が、バーサクベアーの攻撃を上回り、どんどんその身を削っていく。

まるでその場だけが輝いているようだった。

僕にはもう眼前に迫る脅威は全く見えない。ただ、熱に浮かされたように、ひどく美しく煌く刀身の乱舞を観客と同様に息をのんだまま呆然と見つめていることしかできない。

そしてその時は来た。

深く、深く、喉元を抉った刀身の後を追うようにバーサクベアーが一つ身震いすると、ゆっくりと倒れる。

その身をするりと避けると、兄はこちらに向けまるで飛んだように感じるほど一瞬で間合いを詰めると、僕の眼前まで迫っていたフォレストパンサーの首を両断する。

「大丈夫か?」

壮絶な笑みを浮かべた全身血だらけの兄さんの姿が僕の上に覆いかぶさった。

中天まで差し掛かっていた太陽に影が差し、眩しげに見上げる僕の上に見飽きるほど見慣れた、しかしこの時には驚くほど待ち焦がれた兄の顔を見ることができ、思わず僕は泣き出してしまった。

その僕らの耳に観客のざわめきが届く。

「おいおい・・・」

「こいつは・・・」

そのざわめきを切り裂くように実況の大音声が響き渡る。

「ここに!ここに終幕!何とも壮絶!何とも圧巻!そして!何とも素晴らしい!強大な敵に立ち向かうは二人の小さな勇者!しかし誰が彼らを子供と蔑もうか!誰が彼らを無力と貶めようか!ここに!確かに!見届けた!この観客全員が証人だ!彼らは紛れもなく!誰よりも幼いが確かに剣闘士!新たな猛者の誕生だ!勝鬨をあげろ!その勇名を轟かせ!勝者は・・・「暗黒森林」最後の生き残り・・・二刀をもって修羅のように敵をねじ伏せる剛腕「リオン」!そして、マタドールのようにひらひらと敵の攻撃をかわす、かわす、かわす・・・その身はまるで幽鬼のように・・・「シリウス」!」

わああああああああああああああああああ!

今度は本当に爆発したのではないか、と僕は思ってしまった。

それほどにすごい興奮と熱狂だった。

観客たちは皆立ち上がって先ほどの闘いを褒めたたえている。

「ほら」

そう言って手を差し伸べられた僕は素直にその手を握った。大きくて、ごつごつした手だった。

僕は兄さんと並んで、観客に手を振った後、入場口から退場した。

僕らの背中を追うように声援がかけられるが、僕らが退場してもその声はとどまるところを知らない。

「よくやった!」

「おまえらすげえよ!」

興奮したようにほかの剣闘士に声をかけられ、肩を叩かれる。

そして僕らはその奥にホッとした様子のリックとアイクを見つけた。

「よくやったな二人とも」

「ありがとう」

真っ先に声をかけてきたアイクに僕ら二人は驚きながら言葉を返す。

リックは先ほどから口を開かない。

どうしたのだろう?と疑問に思う僕らに、「よくやった!おめでとう!」と告げる。

僕らがその言葉に返すよりも先に、リックは言葉をつづける。

「リオン。ついに届いたか・・・。死線のその「先」に」

その言葉に意味が分からず僕は首をかしげるが、兄は、はっ、と身をこわばらせうなずく。

「確かに・・・。何度あきらめようと思ったことか・・・。ただ・・・弟が・・・。シリウスがピンチの時に、絶対生き延びてやるって強く思ったんだ」

そう言って僕の頭に手をぽんと乗せる。

「そうか」

とだけつぶやくリックに僕は首をかしげたまま尋ねた。

「どういうこと?」

「こっちの話だ」

そう言ってそれ以上のことを語らない彼らの様子にむくれた僕に、和やかに笑いながら、長かった一日が終わる。

こうして僕と兄さんは初めての剣闘試合を無事勝利で終えることができた。

今ここに生きて笑いあっていることを強く実感しながら、僕らは前を向く。


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