和平八
その時だった!
「今だ!!あの男を打ち取れ!!」
領主の右側に座っていた商人の男が、甲高い声で何かを喚き散らす。
すると、その背後から、ぬるり、と何かが立ち上がった。
それは、両手に二振りの抜き身の剣を携えた、男だった。
一目見て分かる―――。強い!!
ゆったりとした服を着ているため、体型がわかりづらいが、痩せているように見えて、その実、しっかりとした体格をしている。何より、その落ちくぼんだ頬、異様に光る瞳、ギラギラと研ぎ澄まされたような圧力、全てが、異質だった。ぎろり、と睨み据えられた瞬間に全身が総毛立つのを感じた
―――聞いたことがある!!二振りの剣を持ちその総髪を振り乱し、全身血に塗れ、たった一人で千人の敵兵を切り殺した男の話を!!
ついぞ聞かなくなったと思い、誰もが死んだものと思っていたが・・・・。
まさか!!まさかここにいたとは!!恐らくあの、死の商人の用心棒兼暗殺者なのだろう。
ゆっくりと立ち上がった男が、消えた―――。
圧倒的な危機感に突き動かされ、横っ飛びに跳び退った俺の横を、致死の剣閃が通過する。
それは、ぎりぎりを通過し、俺の着ていた衣服の裾を容易に切り裂いた。
はらり、と互いを分かつ地に布が落ちる。
―――まずい!!
こちらは事前に武器を没収され、無手。対して向こうは、千人を切ったという由縁のある凶刃を引っ提げている。
何よりその病的な相貌は、全く話の通じない、ある種狂気じみた凄みを感じる。
「これを使え!!」
壁際で膝をついたまま息を整える俺に、隣に座っていた一人の傭兵が己の腰に佩いていた獲物を手渡してくれた。
俺はそれを見ずに受け取る。
―――ありがたい・・・。
俺は一人では何もできない。だが、どうだ?皆が力を貸してくれて、ようやくここまでたどり着いた。
―――だから!!負けるわけにはいかない!!
すらりと抜き放った剣を相手の喉元にぴたりと掲げる。
一瞬、対面する男の表情がピクリと動いた。そして見つめ合うことしばし。
「はあー!はっ!はっ!はっ!は!」
何を思ったか突然相好を崩して笑い出した。げらげら、げらげらと腹を抱えて大笑いしている。
―――気でも触れたか・・・?
しげしげと見つめていると、初めて口を開いた。その声は、重く、掠れていてひどく聞き取り辛い物だったが、どうしてかはっきりとその言葉を聞き取ることができた。
「お前・・・。相当に強いだろう・・・?強い相手と闘うことこそ俺の生きがい・・・!お前の理想とする未来には・・・・、俺の理想は存在しない・・・・。なればこそ!お前と俺。生き残るのはどちらだろうな・・・?天に、時世に、求められているのは・・・・どちらだろうな・・・?」
俺が闘うしかない。いや、もはや相手は俺以外に眼中にないような状態だ。
再び、ゆったりとした初動から突然一瞬視界から消えるように間合いを詰めてくる。
―――厄介だ!!
振りぬかれた初太刀を躱し、二の太刀を剣で防ぐ。すると、相手は驚いたようで、その瞳を見開く。
「よくぞ俺の歩法を見ぬいたな!!一度目は偶然かと思ったが・・・。二度目ともなると、偶然とは言えぬな・・・。どうして分かった?」
男の歩法の正体。それは、緩急自在の幻惑だ。ゆったりとした動作、そして何より肝要なのは、最初につま先立ちし、浮き上がるように、自分本来の姿勢、体型よりも大きく見せることだ。
そして、一瞬で身を地面すれすれまで屈むように身を沈め、それと同時に思い切り速度をつけ、一息で間合いのうちまで入ってくる。
これによって、相手は姿を見失い、消えたように錯覚する。何より、驚きだったのはその速度だ。およそ常人ではまねできない速度、それを可能にしているのは、圧倒的な足腰の強さと瞬発力だろう。
「一度見ればその技を見抜くことなぞ容易い!!」
そう言うや否や、今度はこちらから打ってかかる。
相手の歩法を真似るように、一瞬つま先で浮かび上がるようにゆっくりと一歩前へ踏み出した俺は、そこから踏み出すタイミングと合わせて、膝から力を抜き、一瞬で地面すれすれまで身をかがめる。
そしてその姿勢から思い切り地面を蹴りつけ、急加速し、相手の懐まで切り込んでいった。
そのまま振りぬいた剣閃は、クロスした相手の二刀に阻まれたが、勢いに弾かれ、相手は大きく後ろに吹き飛ばされた。
「―――貴様!!その技は!!」
「驚いたか?」
にやりと笑みを浮かべる俺に、不思議そうな男。どうやら俺がたったの二度技を見ただけで再現できるとは思っていなかったようだ。
普通であれば、まねできるはずなどない。だが、それを可能にする方法がある。
―――魔法だ。
俺は身体強化の魔法を駆使し、普通であれば真似できない急加速を実現していたのだ。
「よもや魔法が使えたとはな・・・・!!だが!!自分だけができると思うな・・・・」
その言葉と同時に、男の全身から、ひときわ強い重圧が立ち込める。
それは周囲一帯に、吹き荒れ、その一事だけで、男の魔力のすさまじさを物語っている。
「行くぞ」
一声。たった一声。それと同時に、再び消えた男の姿を、俺は見るまでもなく、感じることができた。
それは魔法で感覚を強化していなければ防げなかった一手。
交錯するように閃く二刀の太刀風に、恐れることなく踏み込み、そして、躱す、躱す、躱す・・・・。
広間の空間を目いっぱい使い。己の剣さえも盾とし、交互に己が命を刈らんと閃く二刀を、時に躱し、時に防ぎ、そして時に弾き・・・。
息つく間もなく振るわれる剣の尽くを防がれ、次第にその剣身に、苛立ちが乗り始めてきた。
どんどん、どんどん、大振りになり、力任せになる攻撃の狭間に、ようやく隙が見え始めてきた。
そして、ついにその時は来る。
肩から下腹めがけて振りぬかれた左の刀身を躱し、下から掬い上げるように振りぬかれた右の剣身を弾き、すると、左の剣を引き戻すのが少し遅れたのだろう、がら空きになった胴が目の前に・・・・。
そこに渾身の力でもって前蹴りを放つ。
どん!鈍い音が響き、魔法で強化された前蹴りは、容易く相手の腹に突き刺さり、吹き飛ばす。
肉を打ち、骨を砕く感触に、ようやく倒したか!?と窺えば、それでもゆっくりと立ち上がる男の姿がそこにはあった。
口の端からだらだらと血を流し、痛みに顔をしかめながら、ゆっくりとその身を起こした男は、ごぼり、と血の塊を吐き出した。
―――まだ動けるのか!?それとももう・・・・?
俺の不安をよそに、男はその場からこちらに鋭い視線を投げかけるだけで、一向に動こうとはしない。
「なぜだ・・・?」
先ほど以上に掠れ、聞き取り辛い声に思わず耳を傾ける。
「なぜそれほどの魔力を行使していて魔力切れを起こさない!?俺は自分の魔力量に自信がある方だ!!なぜ一見俺よりも魔力量の少ないお前ごときが、俺以上に魔力を行使できている!?」
それは不甲斐ない己自身へのいらだちか、それとも、圧倒的強者たる男の自負なのか・・・。
―――愚問だな・・・。
その言葉、その質問は、俺にとってはくだらない物だった。命を賭けた戦いの最中に申し訳なかったが、呆れ果てて物も言えなかった。
「魔力の使い方が下手すぎる。無駄が多い」
その魔力量にあかせて、全身を覆うような身体能力強化を使っているが、それでは無駄だ。もっと効率のいい使い方をしなければ、一瞬で体内魔力など枯れてしまう。
凡夫でしかない俺は、才能に頼った闘い方はできない。そう気づいた時から、研鑽を積み、今ではこうして、強化したい一部に魔力を纏わせることで、そこだけ魔力で強化する、ということができるようになっている。
それが、効率のいい魔力の運用に繋がり、そしてそれが、少ない魔力で魔力切れを起こさないことにもつながっている。
その上、緻密な魔力の運用を心掛けることで、一ついいことがあった。
「これ。知っているか?」
ペタン、と靴で地面を踏みしめると、そこにきれいな魔法陣が浮かび上がる。それは一瞬光り輝き、そして魔法の行使に伴い消えていく。
「魔法陣による身体能力強化・・・だと!?一体どうやって・・・?」
できる者など限られている。その上、それを戦闘中に平気で運用できる者など、今まで見たことが無いのだろう。
呆然としたようにつぶやいているが、実は仕掛けがあるのだ。
それは靴の裏に精緻に描かれた魔法陣だ。靴の裏に彫り込むことにより、凹凸をつけ、その靴で地面を踏むときに、その凹凸に魔力を流し込むイメージだ。そうして魔法陣を形成したら、そのままそれを大きくしたり、形を整えたりして現実の戦闘に適した魔法陣を形成している。
俺が、凡人でしかない俺が、何とか闘う方法を編み出すうちにたどり着いた一つの方法だ。魔法陣、呪文による魔法行使は、体内魔力をほとんど利用しないため、使えさえすれば圧倒的に有利に戦闘を進められる。
俺以外でこんな方法を使っている人間を見たことが無い。だからこそ誰にも見せたことが無い奥の手だった。
ゆっくりと一歩踏み出す。
相対する男は、にやりと口元を歪める。
そのまま、足裏に魔法陣を形成し、身体能力強化の魔法を行使し、同時に体内魔力を用いて身体強化魔法を重ね掛けする。
ここで勝負を決めるつもりだ。一瞬で間合いを詰める。
そして、魔法で強化された速度、膂力をもって、上段から振りかぶった剣を叩き付けるように思い切り振りぬく。
相手はその速度に躱し切れないと思ったのか、それとも体が動かなかったのか、必死に両腕をあげ、構えていた二刀を頭上でクロスする。
ばきん!!
一瞬で金属を断ち切り、勢いそのまま、肩から腰に掛けて一刀のもとに切り伏せた。
「くそが・・・!!・・・お前・・・・本当は強いんじゃねえか・・・!!」
それが相手の最期の言葉だった。
そのまま前倒しに倒れた相手を見下ろしながら、俺は一人呟く。
「いいや。弱いさ。だから、俺一人の力じゃ戦争が終わらねえんだよ・・・」




