和平六
城門を出て街で一泊することになった。その時には、俺の後ろに付き従う兵の数が、二十になっていた。俺は、こうして【バルフ王国】と【アストラン王国】を味方に引き入れることに成功した。
その日、アストランの兵士に連れられ、皆で飲み食いできる店の中に入って行った。
「いやー!しかしジェンナ殿にはいつもいつも驚かされる!!まさか二国の協力を取り付けるとは!!」
「衛兵に囲まれたときはどうなるかと思ったが!!あの時は、あなたの口車に乗せられついぞ命を失ってしまうかと思ったぞ!!」
「私たちは、謁見のまでの出来事を知らなかったのですが・・・・、まさかあの王を説得してしまわれるとは・・・・!!」
キラキラと憧れと畏怖を込めた視線で見つめられるのはどうにも性に合わない。
「いや、今回のは説得ではない、商談だ。だからこそうまくいったし、何とか協力をとりつけられたのだ。しかし、【北の万年亀】とは・・・・。なかなか王も言うお方だ・・・」
くつくつと笑う俺に、兵たちもつられて笑う。
「確かに、己の領土から滅多に出ることなく、ほとんど侵略を行わず、そして、防衛線しかしない・・・・。まあ、周囲を山脈と、そして森林に囲まれていれば分からない話でもないですが・・・・。たまさか保守的な国ですからね・・・・」
「入国するのも簡単ではないでしょう?どうするつもりなのですか?」
問われて、俺は答える。
「今度の説得には俺一人で向かうつもりだ」
その言葉が衝撃だったのか、兵たちが急に真面目腐った顔つきをして立ち上がる。
「そんな・・・!!」
「我々もお供します!!」
「例え戦闘になったとしても!!命を落としたとしても!!」
急に熱くなり始めた彼らを俺は手で制する。
「待て待て!!入国できないものはしょうがないだろう?それにこの人数で戦闘をしたところでたかが知れている・・・・。国境付近までは一緒に来てもらうが、そこからは、入国できる俺一人のみだ。もしくは、央国の傭兵仲間を誰か連れていくかもしれんがな」
「そんな・・・・」
「見捨てないでください・・・・」
がっくりと意気消沈し始めた彼らに、俺は慰めるように言葉をかける。
「まあ、とは言っても、すぐに【ミダス王国】には向かわんさ」
「なら次は【ドネア王国】に行くのですか?」
「いいや。違う。【ドネア王国】は最後に向かう」
皆一様に首をかしげている。一体ならば次はどこに向かうのか?と。分からないようだ。まあ、今回ばかりは分からなくても仕方ない。こればかりは、【中】の人間でなければ分からなかっただろう・・・。
「次に向かうのは【央国】の最も大きな街、いや、もはや領地と言ってもいいだろう。【カラナン】と言う地に向かう」
ここにはいるのだ。実質的に央国を支配している三人の豪族と商人が。彼らの協力を取り付けない限り、戦争は終わらないだろう。何より、【ミダス王国】の説得が行き詰ってしまうだろう・・・。
そして、この和平の中で、最難関にして、最大の難所がここなのだ。気を引き締めていかなければならない。でなければ、今度こそ、命を落としてしまうだろう・・・。
まあ、今から不安をあおったところで意味などない。今夜ばかりは、この気分のまま、過ごしたい。だから詳細な説明は道中に行うとして、この夜は、ただただ騒ぎ明かした。
【カラナン】の地にたどり着いた。いや、着いてしまった。道々、兵士たちを過剰に不安がらせることはない、と思い直し、説明をしなかったが、よかったのだろうか・・・・?
今からでも遅くはない・・・。しかし、どうやって説明したらいいのか・・・・?
あれこれと悩んでいるうちに、街に入ってしまった。
外からでも分かる。街の中心に、王城か?と見まがうほどに大きな屋敷が建っている。
それはもう、地方の豪族の域を越えている。いったい誰があんな王宮のような屋敷に住みたいと思うか?普通の感覚ではない・・・・。だからこそ、厄介だ・・・。
屋敷に着くと、すでに話は届いていたようで、あっさりと中に入ることができた。
俺たち二十数人は、そのまま通路を横切り、広間に通された。
見上げるほどの扉の前で、俺たちは待たされる。
そして、ついに扉がゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、こちらも見上げるほどの背丈を持った、服の上からでもわかる筋骨隆々の大男だった。
「入れ」
怖い・・・。とても怖い・・・・。
戦場で、俺が初めて誰かを怖いと思った。
その男は、素手にも拘らず、軽く、敵対する兵士の首を引きちぎり、剣身をその身に受けても、全くその肉体に傷を負うことはなく。
ただ、ただ、圧倒的な暴力の化身がそこには存在した。
それを圧倒的な恐れと、畏怖と、そして何より、同じ陣営の者として闘いに参戦していたことに、心の底からの安堵を覚えたことを今でも忘れない。いや、忘れるはずもない。
あれは、南の富裕国【アストラン王国】に雇われ、東のならず者の国【ドネア王国】と闘ったときの話だ。
たった一度、たった一回の戦闘で、伝説となった男が、今、目の前に立っている。
全身から震えがこみあげてきた。
あの時俺は若干十五歳だったことなど、あれ以来、圧倒的な強さに魅せられ、必死に鍛錬を積み重ね強くなったことなど、全てがお構いなし。
それは、植え付けられた畏怖がそうさせるのか・・・・、とにかく俺は、いや、俺も、そして俺以外の全員がただ、ただ目の前の男一人に圧倒されていた。
「どうした?入らないのか?」
無表情で首をかしげる男は、ともすると、何をするか、それこそ、素手で突然襲い掛かってきそうで、ただ、ただ不気味だった。
だからだろう、震える声で、答え、震える足で、何とか、入室する。
そこには、広間の壁際に、央国の名だたる領主、そして傭兵達が、この会合の始まりを今か今かと待ちわびている様子だった。
中には趣旨もわからず、いらいらとした様子であたりを威嚇するように鋭い視線を向ける者もいれば、泰然自若としている者、そして、最後に入室してきた俺たちに強い興味を示す者までいた。
しかし、そんなことよりも、何よりも、その広間の中央。そこに、その男は座っていた。
今、扉を開けた大男の実の父親で、この【カラナン】の街の実質的な支配者。何よりその風格は王者の気質を纏い。その体躯は、実の子供に引けを取らない堂々たる威風を放っている。
そして、奥に控えるその男は、まるでこの会合など無意味だとでも言わんばかりに、周囲に二人の美姫を侍らせ、にやにやと人の悪い作り笑いを浮かべたまま俺の様子を見つめている。
そんな男の右側に座っているのは、ここにいる傭兵達とは打って変わって、少し小太りの、まるで戦闘などとは無縁に思える、人の好い笑みを浮かべた商人。
そう。この領主親子と、そして、この街、いや、央国すべてを牛耳る、この街の武器商人こそ、央国の実質的支配者三人なのだ。
ここに、この屋敷に、央国の主だったすべての領主と、そして名だたる傭兵を集めることができる時点で、分かりきったことだろう。
しかし、こうもまざまざと見せつけられると、うんざりしてしまう。
どうにも見えない・・・。勝ち筋が・・・・。全く見えてこない。
ここに来る前までは、どうにかなるだろう、と高をくくっていたが、いざ目の前にすると、己自身の卑小さをまざまざと見せつけられてしまう。
―――二人の王にお願いして、もっと兵を借りてくるべきだったか・・・?
ともすると弱気が鎌首をもたげて襲い掛かってくる。
―――いや。百連れてこようが、千連れてこようが、この親子の前には無力だろう―――。
そう思わせる強さがある。だからこそ、ここを説得できなければ、和平はならない。
その時、不意に奥の扉が開き、そこから盆に飲み物を抱えた女性たちが現れた。
先頭を歩くのは、少し歳を食ってはいたが、それでも目を奪われるほどに美しい女性だった。
笑顔で盆に乗った飲み物を渡され、みっともなくも、少し緊張してしまう。
俺はこの時、俺の後ろに控えていた領主の息子が女性たちを、いや、先頭を歩く女性をしげしげと見つめていることに気付かなかった。
そして、そのことに気付いたのは、当の本人だけ。これが、偶然なのか、それとも必然だったのか、ただ、神は、もし神がいるとするならば、知らず知らずのうちに【運】を自らの懐に招き入れていたようだ。
おもむろに領主が立ち上がる。
「さて!!皆に飲み物がいきわたったところで、今日、此度の突然の招きに応じてくれた者共に敬意を表し!!乾杯と行こう!!乾杯!!」
ぐいっ、と一息に飲み干すので、周囲にいた人々も、中には一気に、中には恐る恐る口を付ける。
俺は同じようにその薄い黄金色の一気にあおった。
―――美味い!!
真っ先に感じたのは驚きだった。口に入れた瞬間に感じるほのかな甘さ。そして、鼻から抜けていく香ばしい匂い、少し酸味のあるすっきりとした味わいが、アクセントになっている。何より、緊張でカラカラに乾いた喉に染み渡るようだ。
領主は飲み終えると満足そうに周囲を見渡す。
「これは蜂蜜酒に他国から仕入れたレモンと呼ばれる果実を絞り入れたものだ!!」
隣に立っていた女性に、飲み終わった椀を手渡す。
そして今一度そこに居並ぶ人々を見渡し、最後にゆっくりと、俺たちを見つめると、口を開く。
「さて、今日ここに集まってもらったのは他でもない!!そこにいる小童どもが皆の衆に話したいことがあるそうだ!!」
今日この場を設けるために、そのためだけに、大金を奴に支払った。俺が今までに蓄えてきた全財産だ。もしこの和平が為らなければ命を落とすことになってもいい、と思えばこそ、ここぞという場面で金を使ったのだ。
ただし、奴は協力するとも何とも言わなかった。しかし、約束をたがえることなく、こうしてこの場を設けてくれた。
「話せ!!」
だからだろう、居合わせた人々の視線が集まる。
そこにはいったい何が始まるのだろう?と言う興味深い色と、冷やかしのような、冷ややかな視線が入り混じっている。
俺は、そんな視線全てを受け止めて、それでもなおゆっくりと口を開いた。




