試合二
午後の訓練はいつもと変わらずに行われた。
僕と兄さんは、一言も無駄話をしないリックに従い、コロシアムの周りを走ると、いつもと変わらない訓練を行う。
しかし、模擬戦を行う段になって、唐突にリックが重たい口を開いた。
「さっきはきついことを言ってしまって申し訳ないな」
先ほどとは打って変わったしおらしい様子に僕も兄もぽかんとしてしまう。
その様子に、「なんだよ?驚いたか?」と苦笑いすると、まるで言い訳するようにつぶやく。
「まあ、その、なんだ。お前らには死んでほしくはない。だからこそ、レイモンドの野郎が頭に来ただけだし、それでもなお助けてやれない不甲斐ない自分に腹が立ったんだ。きつい言葉で当たってしまって申し訳ないな」
僕も兄も驚いて何も言えなかった。
「よし!反省はここまで!ここから模擬戦を行うが、生き残る確率を上げるために、少し本気を出させてもらうから、そのつもりで訓練に励め!」
そういうや否や、手に持った木剣を構えると、「二人同時に掛かって来い!」と距離を取る。
僕も兄も言われるままに木剣を構えたが、その瞬間、リックが躍りかかってきた。
慌てて突き出された木剣を受け流そうとするも焦りと散漫になっていた注意力のせいで思うように体が動かず、思い切り左胸の胸帯を突かれ、思わず、うっ、と息が詰まるほどの衝撃に体をのけぞらせる。
ばしりっ、という鈍い音がしたかと思うと、うっ、といううめき声が横から聞こえてきた。
目を向けるとそこには返す刀で強かに横腹を打ち据えられた兄が、上段から剣を振り下ろした体勢のまま横に吹き飛ばされていた。
「甘いぞ!お前ら!魔獣も人も待ってはくれない!気を抜けば今のように一瞬で命を狩られる時がある!」
「上等だよ!」
すぐに立ち直った兄が横から切りかかっていく。それに合わせるように僕もリックが剣を持つ手を狙って切りかかった。
しかし、リックは僕と兄さんを横目に捕らえたまま、僕らが剣を振り下ろすまで微動だにせず、その体に当たるギリギリのタイミングで、とんっと後ろにバックステップを踏むと、その二刀を躱してしまった。
しかし、リックに躱されることなど僕も兄も先刻承知している。これまで何度も戦ってきたからこそ、むしろ次の一手をすでに打っている。
空振りに体が流れないように急いで振りぬいた剣を引き戻すと、兄は下段からリックの下腹めがけ、僕は上段から再度手首めがけて打ち下ろす。
しかし、今度はわずかに筋力の差で僕と兄さんの剣の速さに緩急がついてしまったため、素早く兄さんの切り上げを弾くと、その勢いのまま、僕の打ち下ろしを受け流す。
そこから僕ら三人は体勢を入れ替えるように何度も打ち合う。
避けては打ち下ろし、弾いては突き上げ、受け流しては打ち払う。
僕と兄は常に優位な状況から進めることができるように、互いの間合いが重ならないように、左右に、前後に、そして時には互いの攻撃のタイミングを合わせ、そして時にはフェイントを入れながら互いの攻撃に緩急をつける。
何合打ち合っただろうか。僕と兄はその渾身の一撃が弾かれるほどに自らの非力さを思い知らされ、受け流されるほどに届かない強さに焦がれ、避けられるほどにもっと速く、今以上に強くと願う。
ふと気づくと、リックが笑っている。
「いいぞ!もっとだ!」
この期に及んでまだ話す余裕があるのか、と僕らは内心驚く。
一つ剣を打ち合わせるたびに、リックの神速の攻撃を避け、弾き、受け流し、それでもなおその身を削るようにかすり傷を負わされるたびに、僕の中にあった恐れや不安といった雑念が振り払われていくのを感じる。
どんどん、どんどん、目の前のリックが振るう剣と、突き出される拳と、放たれる前蹴り以外、僕らは何も見えなくなっていく。
それまでひどく重く感じていた手足が今まで感じたことがないほどによく動いた。
今まで捉えることすら難しかったリックの本気を出した剣の軌道が、今日はいつになくよく「見える」気がした。
それは兄も同じなのだろう、先ほどからその攻めがどんどん苛烈になっていっている。どんどん速く、どんどん力強く、そしてどんどんと技と技の間の切れ間がなくなっていく。それは、まるで舞踊のように流れる軌道を描いて襲い掛かる。
そしてその時は来た。
兄の苛烈な攻めを受けきることが難しくなっていたのだろう、兄の渾身の上段からの振り下ろしに対し、下から少し側面めがけて切り上げるつもりの軌道が、思い切り弾かれてしまった。剣が大きく後ろに流れ、開いた体が致命的な隙となって僕の間合いの中に置かれる。
僕も兄と同じく上段から、リックの肩口めがけて切り下ろしをする。呼応するように、リックの剣を弾いた兄の突きがその開いた胸元に向かって突き込まれる。
届いた―。
そう思った次の瞬間、僕らの目に飛び込んできたのはとんでもない光景だった。
武器を手放したリックが、なんと、僕の切り下ろした剣の峰を、そして兄の突き出した剣の柄を掴んでいるのだ。
過たず狙ったはずなのに、ほんのわずかに上体を傾けただけで僕らの剣の軌道から身体を避けて見せたその体捌きにも驚かされたが、何より驚いたのは、なかなかの速度をもって出された攻撃が、素手で掴み取られてしまったことである。
「命がけの闘いは己の中に眠る力を引き出す」
必死で剣を引き抜こうとするが、びくともしない。
「ただし、己が望む本当の力は絶望のその先にこそある」
兄も必死で引き抜こうとしているようで、顔を真っ赤にしながら力を込めている。
「命がなくなるその瞬間、それでもなお、勝てぬと嘆くその前に、その絶望的な力量差に怯える前に、只がむしゃらに心を燃やせ!」
唐突に振り上げられた足が、剣を手放すことなくずっと握ったままだった兄の鳩尾に突き刺さり、吹き飛ばされた。
「望め!生きたいと強く望め!力がほしいと強く渇望しろ!」
僕は恐怖から「うわああああ!」と叫びながら剣を手放し、至近から膝蹴りを放つが、それを素早く両手で抑え込むと、そのまま僕の片足を刈り取り、空中に浮いた体を放り投げる。
「ぐっ」
地面にたたきつけられた僕は肺から空気が漏れ、息が詰まってしまう。
「そうすれば、きっと、届かなかった強さに到達することができるだろう」
それはいったい何のアドバイスだったのだろうか?
しかし僕はそのことを考えるよりも先に、複雑な心境にとらわれる。
最後に見せたリックの動きはそれまでとは一線を画するほど早く鋭く、そして力強い動きだったが、それは最後の最後までリックが本気を出していなかった、というだけだろう。
それは、リックに本気を出させることができた、ということを喜ぶべきなのだろうか、それとも二人で挑んだにもかかわらず、全く歯が立たなかった、ということを嘆けばいいのだろうか、悶々とする僕とは対照的に兄さんは何やら考え込んでいる様子だ。
そしてあっけないほどあっさりとその時は来てしまった。
眩しいほど降り注ぐ陽光をその身に受け、抜けるように広がる青空の下、僕らはコロシアムに降り立つ。
「さあ、みなさん始まります!今闘技場におりますはあの、「暗黒大陸」の生き残り!最強の狩猟民族!最恐の大森林を生き延びたこの兄弟は、今日、初めてこのコロシアムに立ち、いったい何を思うのか!およそ数万の帝国兵に立ち向かい最後まで抗ったあの戦闘民族の生き残りは、その身の丈よりも大きな魔獣相手に今日どんな戦いを見せてくれるのか!」
会場は一瞬にして大きな歓声に包まれた。
それはその中心に立つ僕にとって、爆発したのではないかと思うほど大きな歓声だ。
「・・・」
隣で兄が何かを言った気がしたが、歓声にのまれ全く聞こえない。
「え?何か言った?」
聞き返す僕に目も向けず、兄はただ鋭い視線を対面の入場口に向けている。
そこから今ゴロゴロと台車を押す音が聞こえてきた。
大きな鋼鉄の檻が運ばれてくる。
「さあ!その姿を見せた!相対するは二匹の魔獣!今日はいったいどんな魔獣が連れてこられたのか!」
屈強な帝国兵士が数人で脇を固め運ばれてきたその檻は遠目にも巨大で、自分がひどく小さな人間になってしまったような錯覚を覚える。
「さあ!今その覆いが外される!」
ばさり、と劇的に外されたその覆いが地に落ちると、その檻の中の全容が明らかになる。
そこにいたのは、真っ赤な瞳に大きな巨体、そして全身を覆う真黒な毛皮を持つ熊の魔獣。それはあの日、「ファントム」に相対し、一瞬で命を散らした魔獣と、もう一匹、非常に大柄な巨体に緑と黒の体毛を持つ豹がこちらに牙を向けながら目の前の僕らを今すぐにでも食い殺さんとうなり声をあげている。
「もう間もなく始まるぞ!括目せよ!命を燃やせ!己の生を掴み取る闘いの火ぶたが今切って落とされる!」
縛めをほどかれた獣が二匹、その檻の扉を蹴破り、飛び出した!
「リック、お前はどう見る?」
シリウスとレオンが出て行った入場口の奥、選手の控室からその様子を見守っていたアイクは、魔獣が衆目のもとに晒されたとき、隣に立つリックに問う。
「正直少しホッとしている。「バーサクベアー」に「フォレストパンサー」なら少しは勝ちの目が見えてきたな。「バーサクベアー」はともかく、「フォレストパンサー」にそこまでの怖さはない」
「そうか・・・。普段訓練を共にするお前から見てあの二人はどうだ?」
「正直に言うと子供とは思えない強さだ。だが、だからと言って大人に匹敵するとは思わない」
「そうか」
その相槌はいつもより少し声音が低い。
「そんなに心配するな。勝つか、負けるか、は時の運だ。どんなに強い人間でもふとしたことで負けることはあるし、どんなに弱い人間でもひょんなことから勝ちの目を手繰り寄せることはできる」
「だが、今のあの二人には荷が重い・・・。違うか?」
「ああ、それはそうだろうな。何せ「バーサクベアー」は大の大人数人がかりでも勝つのが難しい。特に追い詰められた時ほど危険な魔獣だ」
「なら・・・」
「だが、昨日俺は訓練の中であの二人に教えてやった。あとはどちらかが、もしくは二人が、己自身を乗り越えて見せることを期待するしかない」
それ以上二人の間に会話はない。
リックは仁王立ちのまま、アイクは腕組みしながら、しかし、ぎゅっと力強くその拳を握りしめた二人は誰よりも不安そうに瞳を揺らしながら闘技場の様子を見つめている。




