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英雄伝説ー奴隷シリウスの冒険ー  作者: 高橋はるか
傭兵時代
122/681

卜士五

目にもとまらぬ速さで抜刀したハクは、一息の間で飛ぶように距離を詰めると、剣を振り上げる。

そのまま振り下ろされた剣は、俺のすぐ横をものすごい勢いで通り過ぎ、すぐ後ろに迫っていた魔物を頭から、股先まで真っ二つにした。

―――速い・・・!

俺が全く反応できなかった。

殺気はなかった。だからこそ、反応できなかったということもある。それでもなお、俺の視界のすぐ横を通り抜けていった剣に、体が全く反応しなかった。

何より、その剛剣だ。恐ろしいほどのキレ、速度、そして威力をもって振るわれた剣はが、一瞬で魔物の体を、縦に両断してしまった。

そんなこと、俺ですらできない。何より、できる人間を見たことなどない。

―――いったい何者だ・・・?

恐怖が、身の内に宿った。

ハクがゆっくりと剣に付いた血を振り落とすと、鞘に納めながら口を開いた。

「やだ。あんたが一緒のほうが助かる気がする。だってあんた強いだろ?」

一瞬何を言われたのかわからなかった。

―――あんた強いだろ・・・、か・・・・。初めてだな、こんな気持ちになるのは・・・。

思わず笑いだした俺を随分と怪訝な表情で見つめているその顔がおかしくて、さらに笑ってしまった。

だってそうだろう?明らかに俺よりも強い奴に、あんた強いだろ、って・・・。

強いだろ?そんなふうに言われて、今までは当然のことだと思っていたが、今、これほど滑稽だと思ったことはない。

それがおかしくて、かなり長いこと笑っていたら、ハクは少し憮然とした表情をしている。

「なんで笑う?」

咎めるような声音につい、謝る。

「悪い、悪い・・・・。ただ、これだけは譲れない。俺はできるだけ、この街で魔物を討伐して、そんで、いよいよ危うくなったらお前を連れて逃げてやる。だから、お前も力を貸してくれ!!」

これは最大限の譲歩だ。これ以上は、もう何もできない。

ピリピリとした緊張感に俺は今まで感じたことが無い感覚を覚える。

ゆっくりと考えていたハクだったが、小さくうなずく。

「いいよ・・・」

「・・・・よかった・・・」

思わず、息が漏れた。


その瞬間、胸が熱くなる。

―――なんだ・・・・!?

胸元が熱い。服の上からでもわかる。何かが、俺の胸元で、膨れ上がるような輝きを放っている。

ハクが、警戒するように俺の胸元を見つめている。

急いで手を突っ込み取り出すと、そこには目を覆うほどの輝きに満ちた、首飾りがあった。

―――リアにもらった首飾りだ・・・・。

それが、今まで見たこともない輝きを放っている。

そして、何より、その真っ赤な輝きを象徴するように、熱い。熱く、熱く、赤熱するかのように首飾りに付けられた赤い魔石が熱を持っている。

そして、聞こえた。


―――助けて・・・・。


かすかに、それでも、確かに、はっきりとこの耳でその言葉を捉えた。その声を捉えた。それはとてもか細く、ともすれば聞き逃してしまうほどのかすれた声。

それでも聞き取れたのは、それが、忘れようもない、いや忘れることなどできない、愛するリアの声だったからだろう・・・。

―――スタンピードの被害はこちら側だけではない!!向こう側も同じように魔物の大反乱に襲われている!!

どうして気付かなかったのだろう?どうして見落としていたのだろう?

どうして?どうして・・・?

どうして、こんなにも胸が痛い・・・?

足が動かない。体が、冷え切っている。こちら側で、俺はただ、指をくわえて、向こうにいる最愛の女性が死んでいくのを見ていなければいけないのか・・・?

何より、俺は、生まれ育ったこの大地を捨て、そこに生きる人々を見捨て、それでもなお、向こう側にいるたった一人の女性を助けに向かうことなど許されるのだろうか?

呆然と立ちすくむ俺に、ハクが口を開く。

「何しているの?行くんでしょ?」

―――何を・・・・?

答えを持たず、ただ、迷ったように瞳を揺らしながら、視線を上げると、そこには当然、と言った表情のハクがいる。

「急いでるんでしょ?大切な人なんでしょ?助けに行くよ」

どうして分かった?とは聞かない。それでもその言葉で、迷いが晴れた。

今まで視界に靄がかかったようだったのに、今は、周囲の様子が、嫌にはっきりと分かった。

目の前に立つ不思議な青年、ハクをよくよく見てみると、その立ち姿には一部の隙もなく、その肢体は、痩せているように見えて、極限まで無駄をそぎ落とした完成された筋肉がしっかりと付いているのが手に取るように分かった。

そうしてみると、ここに来てもう一つの懸念が浮かび上がってきた。

「でも・・・・」

言いよどんだ俺にハクが優しく尋ねる。

「どうしたの?」

「向こう側まで行く方法が無い・・・・」

向こう側と交流する方法は限られている。それでなくとも年に一度ずつ、お互いに船を出し合い、交易をしているのに、今から俺一人が、向こう側に行くことなどできるはずもない。

そう思っていた、それなのに!それにもかかわらず!そんなこと関係ない、とばかりにハクが微笑んだ。

初めて見る笑顔だった。それは、とても整った顔立ちなのにもかかわらず、中性的で、ともすれば、リアと同じように、女性にすら見えてしまうような顔立ちだと言うのに、どうして獣のように見えてしまうのだろう?

その笑みは、どこか獰猛な獣が舌なめずりをしているように見えてしまう。

「大丈夫」

ハクがゆっくりと俺の手を握りしめた。

そこには、未だに光を放つ首飾りが握りしめられている。

強い輝きを放つ首飾りは、どこか幻想的で、目を奪われる。

「これが教えてくれる。道筋を」

ハクがゆっくりとそれを掲げると、その首飾りは、ひときわ強い輝きを放ったかと思ったら、一筋の光の筋が現れた。

その光の筋は、真っ暗な迷宮を照らし、その先を、どこまでも、どこまでも指し示している。

まるで導いてくれているようだった。その赤い光が指し示す道は、その全容すらわからぬ昏い迷宮の中を続いているが、どうしてか、その光を追おう、と思った。

急いで馬に飛び乗ると、ハクに手を伸ばし、俺の後ろに乗せる。

「行くぞ!!」

―――頼む!!間に合ってくれ!!

馬の横腹に足で合図を送ると、俺の意志を組んでくれたかのように一瞬で加速してくれる。

―――心強い!

そのまま、人ですら恐れる迷宮めがけて飛び込んでいく。


人が次々と倒れていく。

その光景がどこか夢の中の出来事のようで、ひどく無残でむごたらしい現実すらも、なぜだか現実味が無い。

―――領主の息子だから―――。

そう急かされるまま戦場の前線に立った。

―――領主の息子が来てくれたから―――。

周囲の期待に応えるように剣を振るう。

―――怖い―――。

襲い掛かってくる魔物が。今までに見たことが無いほどの数、そして勢い、何より、迷宮の外で、これだけの数の魔物を見る機会など、無かった私にとっては、ただ恐怖でしかない。

―――怖い―――。

一匹切り殺すたびに、剣越しに伝わってくる肉の感触が、骨が潰れる音が、嫌に手に残る。

目と鼻の先、それこそ剣を振るえば届く間合いまで近づいた魔物の放つ異臭が、そして、生暖かい息が、何より、むわっ、と全身に襲い掛かる熱気が、噎せかえるような気分にさせる。

吐きそうだ。先ほどから、生気が無い顔で、胸に感じる嘔吐感を我慢しながら必死に剣を振るう。

―――怖い―――。

周囲の期待を裏切ることが。父さんと母さんのもとに生まれたのは全てが女の子だった。だからこそ、二番目に生まれた私は、最も剣技の才を見せた私は、年を取るにつれ、その性を偽るように強制された。

他の姉妹たちがきれいな服で着飾っている時も、化粧をして、祭りを楽しんでいる時も、街の女たちと楽しそうに話しこんでいる時も、朝から晩まで、剣を振るい、訓練を課されてきた。

その偽りが、家族以外誰にも漏れないように、気付かれないように、ほとんど周りの人たちと交流することを禁じられ、仲のいい友達すらおらず、孤独で寂しい一生を送ってきた。

それにもかかわらず、私の力は、男よりも弱い。

当然と言えば当然だ。なぜなら私は女の子。本当であれば、強い男性に守ってもらわなければならない弱い女の子。

だから、今までほとんど実戦を経験したことなどない。今日、この時、ほとんど祭り上げられる様に街の人々に連れられてこの最前線までやってきた。

父と母が止める間もあればこそ、ただ、止めたとしても周りが納得しないだろう。

だから私はやってきた。家族の申し訳なさそうな顔を背に、この期に及んでみっともなく震える手足を叱咤して、何とかここまでやってきた。

だからこそ、怖くて、怖くて仕方がない。

皆の期待を裏切ることが、私の力不足のせいで、周囲の人々が死んでいくことが―――。

いよいよ防衛線に一部が破られ、魔物が街に向かってなだれ込み始めた時、死期を悟った私の脳裏に今まで大切にしてきた一つの思い出が蘇ってきた。

それは、向こう側で出会った強く、粗暴で、それでいて優しい一人の遊牧民の青年。

初めて出会ったとき、その強さに惹かれた。

初めて出会い、組み敷かれた時、その力強さに、そして何より、汗のにおいに、言いようのない興奮を覚えた。

くらくらするような陶然とした暑い夜の出会い。それが今までの灰色の人生に初めて色が付いた瞬間。

私はどうしようもなく惹かれてしまっていた。だからこそ、周囲に無理を言ってまで、彼を私の護衛として滞在していた間ずうっと傍に繋ぎ止めてしまった。

あの人は今何をしているだろうか?

あの人は私のことをどう思っているのだろうか?

あの人はもし、私と一緒に来てくれていたら、あの時みたいに私を助けてくれただろうか?

―――やめよう・・・・。

あの時、みっともなく、一緒に来てほしいと泣いて縋った私は、困ったように、それでも悲しそうなあの人に、振られたのだ・・・。

何も言わずに、ただ首を横に振ったあの人は、辛そうだった。

それでも私が振られたのはどうしようもない事実・・・。

もう、私を助けてくれる人など、現れはしない・・・・。

だって、私は領主の「息子」。

皆を助けなければいけない存在。

―――それでも・・・・こんな生き方したくなかった・・・・。

涙があふれてくるのを止められない。

―――こんな死に方って・・・・ひどい・・・・。

一体いつ私が、男として生きたいってお願いしたの?

できれば私も女として、生きていたかった・・・・。

それがもう叶わないとしても、どうしようもなく、どうしようもなく心の奥底から湧き上がってくる。

もう一度あの人に抱きしめてもらいたい・・・・。

もう一度あの人に助けてもらいたい・・・・・。

だからだろうか?抑えきれないこの感情に乗って、絶対に言ってはいけない言葉が、この戦場で、領主の「息子」たる私が、口にしてはいけない言葉が思わず口をついて出た。

――――助けて・・・!

そこからはどうしようもなく士気が下がって行った。

私がその言葉を口に出したからだろうか?それとも私が弱かったからだろうか?

分からない。それでも一つはっきりと言えることは、どんどん、どんどん、あふれ出してくる魔物たちに、最初は圧倒していた兵士たちも、疲労が積み重なり、ついには、押され始め、終いには、崩壊した戦線の中で、孤立した兵士たちが蹂躙されていく。

私の周囲は他よりも兵たちが配置されていたため何とか堪えているが、それでももう終わりは見えている。

―――もう駄目か・・・・。

そう思ったとき、不意に左手に嵌めていた指輪がキラキラと光っていることに気付いた。

何も効果のない、ただ綺麗なだけの魔石を加工して作られた指輪。

女として身を飾ることができない私が、せめてもの意趣返しとそんな首飾りと指輪を買い求めたのは随分前の話。

そして首飾りは、遠い異国のあの人に渡して来た。

それがどうして輝いているのだろう・・・?

一体何が起きると言うのだろう・・・・?

ぼうっとした頭で、考えている私の耳に、聞こえるはずのない声が聞こえてきた。

それは、ついぞ忘れたことのない、愛する男の叫び声。

「アリアーーーーー!!」

それは、本当の私の名前。家族と、そして唯一彼しか知ることのない、私の女としての唯一の証拠。

ぱっ、と顔を見上げれば、そこには魔物の軍勢の中から、全身血まみれで馬に乗って勢いよく飛び出してくる男の姿が・・・。

嬉しかった。これが夢でもいい・・・。そう本気で思えるほど、純粋に嬉しかった。涙があふれるほど嬉しかった。

―――もしかしたら、この魔石は夢を見させてくれる魔石なのかもしれないわ・・・。

そんなことをぼんやりと考えてしまう。

だってそうだ!普通に考えて現実なはずがない!!だって、今まで、何もなかった戦場に突然彼が現れるわけがない。

どう考えたっておかしい。

何より、向こう側に渡るには、海路を船で越えるしか方法が無い。

それなのに!それにもかかわらず!一体どうやってここまで来たと言うのか!?その上、魔物の軍勢とともに、迷宮の入り口から現れたように見えたのは私の見間違いだろうか?

―――夢でしかない。それでもいいと思った。なぜなら、最後に、あの人の顔を見ることができて、声を聞くことができたのだから・・・・。その上、私の名前を呼んでくれた、それだけで幸せだった・・・・。

一瞬でこちらまでたどり着いた彼は、周囲にいた魔物を一太刀のもとに切り殺し、ゆっくりと馬上から下りると、勢いよく私のもとに近づいてきた。

そのまま、呆然と立ち尽くす私に向かって、強く、力強く抱きしめる。

ふわり、と全身を包み込まれた。

全身に浴びた返り血のため、鉄のむせかえるようなにおいがする、それでも私は、嫌な気持ちの一つもしなかった。

混乱したまま、これが夢ならば私はもう死んでいるの?と思っていたがそうでもないようだ。

彼の匂いを、体を、温もりを、吐息を感じる。

ぎゅっと力強く抱きしめられたせいで少し息苦しい。それでも、もう離さない、とばかりに強く抱きしめられ、私の体が、全身が喜びに震えている。

首筋にかかる吐息が、くすぐったい。

「痛いよ・・・・」

そう言った私のつぶやきに、慌てて彼が体を離した。

「あ・・・・」

思わず口をついて漏れた溜息に、恥ずかしくなってしまう。もっと、もっと抱きしめていてほしいと言う私の浅ましい思いが、伝わってしまったのではないか?そう意識すればするほど、かあっ、と全身が熱を持ったように熱く、熱くなるのを止められない。

「大丈夫だったか?」

心配そうにのぞき込んでくる彼に、思わず涙を止められない。

どうしてここに来てくれたの?どうしてこんなところにいるの?そもそもどうやってここまで来たの?聞きたいことは山ほどあった。それでも、今、ここで伝えることは、伝えたいことはたった一つだけだった。

「ありがとう・・・。助けてくれて・・・ありがとう・・・・!」

涙でぐしゃぐしゃの私の顔を、のぞき込んだ彼の表情は、少し赤い。

額と額がぶつかるほどの近くで、彼がぼそりとつぶやいた。

「よかった・・・。アリアが無事でよかった・・・・。アリア・・・愛しているよ」


こうして助け出されたアリアは、彼と、そしてハクの協力を得て、何とかその日を持ち直し、翌日には駆けつけてきた傭兵達の協力もあって、何とかスタンピードを抑えることができましたとさ、めでたし、めでたし!


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