卜士一
昔、昔、私たちが生まれるよりも随分と昔の話だそうよ。
レッドストーン山脈の向こう、山を越えた先には、どこまでも続く果てしない草原が広がっているわ。
誰が名付けたのか今となっては誰にもわからない。
その草原は「アド草原」と呼ばれているわ。
どこまでも、それこそ、今となっては北大陸のほとんどを平定していった帝国領と同じくらいの大きさがあると言われているその「アド草原」に暮らす遊牧民に一人の男性が生まれたわ。
彼らは複数の家族が集まって生活するのだそうだけれども、彼は、その部族の中でも力のあった族長の息子だったそうよ。
幼い時から、狩猟訓練を、そして、大きくなるにつれ戦闘訓練を積み重ね、気付けば、周りの部族たちからも一目置かれる立派な兵士に成長していた。
ところで、このガルガロスの街と「アドの民」には昔から繋がりがあって、海上貿易をしていたし、今でも年に一度使節団が立てられ、向こうと貿易をしているわ。
ある日のことだ。年に一度のことだが、貿易船に乗って使節団がやってきた。
俺は今回、使節団を歓迎する特使の一人として、今日この場に立っている。
港には多くの船が停泊し、積み荷を降ろしている。
風に吹かれ運ばれてくる潮の匂いに先ほどから辟易している俺にとっては、早く終わってくれないかなー、なんて、少し不真面目なことを考えてしまう。
突然、後ろから後頭部を叩かれた。
「いて!?」
誰だ!?と思ってぎょろりと睨み付けると、そこには親父が憮然とした表情で立っている。
つい身をすくめてしまう。
「随分と退屈そうだな・・・」
欠伸をしていたのがいけなかったのか・・・!?それともさっきここに来る道中で仲間に不満をぶつぶつ言っていたのを聞かれてしまったか・・・!?
「いや・・・あの・・・・、そのう・・・・」
なんて言い訳しようか、と思っていると、親父が深々とため息をつく。
「まあ、いい。不満なのは知っているさ。正直ここだけの話、俺もこの海の匂いがあまり好きではないし、護衛とは言っても、この見晴らしのいいアド草原で俺たちの目を掻い潜って襲い掛かってくる盗賊などいるはずもない・・・。ましてや、魔物ですら、いや、奴らは野生の勘がある分、この大所帯に対しては、不利を悟っているから襲い掛かっては来ない。退屈なのは重々知っている。だが・・・・」
急に親父が声を落とした。
「気を抜くな・・・!何があるか分からない。その上、何か良くない話も聞こえている・・・。どうにも、今の我々の体制をよく思ってない者たちが、一定数以上いるという噂を聞いている。奴らにとっては、今回の使節団は好機かもしれない・・・・」
「それは・・・!?」
―――それは厄介な話だ・・・。
何より正直面倒くさい。できれば俺が、老いてこの世から消えて亡くなってしまってからそう言う血なまぐさい話を進めてほしいもんだ。
できればゆっくりと、羊と犬と戯れながら、兄弟、姉妹たちと遊んで、のんびり暮らしたい。
だが、そういう訳にもいかないだろうな・・・・。
アドの遊牧民たちの歴史は恐ろしく古い、と言われている。
それこそ、まだ、北大陸の国々が、国と言う体裁すらできずにまとまりがなかったころから、かの地では、家族ごとに寄り集まって今とほとんど変わらない生き方をしてきたそうよ。
ただ、一つ、たった一つだけ、昔と今と全く違うのは、迷宮の存在でしょうね。
まだ、迷宮が迷宮として認識が無かった時、昔は違ったけれども今のこのガルガロスの街と同じ場所に、迷宮から種々様々な魔物があふれ出し、周辺の村々を襲って略奪の限りを行っていたころ。
同じように、レッドストーン山脈の向こう、アド大草原でも、迷宮からあふれ出した魔物たちが、緑豊かだった草原の草を根こそぎ食い散らかし、挙句の果てには、そこに生息していた獣、魔獣、魔物たちまでも食らいつくしていく。
そして、遊牧民たちが気付いたころには、それは大きな波となって、ついには家畜や、人間と言った、人々の生活圏を脅かすようになっていったそうよ。
まあ、向こうでも、変わらずに、いや、向こうのほうが、人々のつながりが強かったからこちらよりも早期の段階で一致団結して、闘い退けた。
それでも、向こうのほうが圧倒的に人の数は少ないから、それなりの被害と、そして時間がかかった、という話よ。
そして、このままではだめだと気付いた彼らは、迷宮のほど近くに、街を作った。
その街を、ひいては迷宮を管理する専任の守護者を五人選び、その一族をその街に住まわせたそうよ。
最初は、怖がって誰も引き受けたがらず、その五人も、半ば強引に押し付けられたと言うのだから笑えるわね。
その後の、結果を見れば、これほど皮肉な話もないわ。
何故かって?そんなの、このガルガロスの街を見れば分かるじゃない?
その後数百年、スタンピードはなかった。
そして、迷宮が産出する資源は、どんどんと周りの人々が無視できない力を、その五人の守護者たちに与えていったのよ。
それでも、彼らは、ずうっとこう主張していた、と語り継がれているわ。
―――俺たちには迷宮から皆を守る責務がある。
―――迷宮から産出した物は、同時に迷宮から街を、ひいてはアド大草原を守るために絶対に必要なものである。
建前なのか、それとも本音なのか、私たちには今となっては分からないわ。
それでも、それはあながち嘘でもないから、誰も否定できない。
何より、迷宮から産出した資源で、どんどんと力をつけていく、彼ら五人に、誰も意見できなかったのは確かなようね・・・。
「なるほど・・・。そうか・・・・」
満天の青空の下、積み荷を降ろす人足共に交じって俺も、上半身裸でせっせと積み荷を運ぶ。
始めは皆、俺の扱いにどうすればいいのかおろおろしていたが、口の悪い粗暴な俺は、どうにも彼らと馬が合ったようで、今では、仲間のように冗談を飛ばし合いながら一緒に汗水流している。
俺には頭を使うことは向いていない。
じいっ、と黙っていることができない性分だからだ。
だから、こうして体を動かしていたほうが、よっぽどすっきりするし、頭も冴えてくる。
確かに考えてみたが、今の守護者たちは、その特権を乱用している者が多い。
他の部族が逆らえないのをいいことに、見目麗しい娘を妾に求め、乱暴に連れ去ったり、挙句の果てには、逆らった部族には重税を課して、身動きできないようにし、身売りさせ、ほとんど奴隷のような扱いをしている、と聞く。
奴隷はこの遊牧民たちの間では禁止されている。
―――とは言っても、向こうの国のように法律、なんて小面倒な物はないがな・・・。
それがより一層、今の状況を難しくしているのかもしれない。
何故なら、今までは、法律などなくても、皆、慣習に従って暗黙の了解を守っていたが、迷宮が発見されてからと言う物、迷宮で必要、の一言で済んでしまうからだ。
奴隷も、表立って禁止されていたわけではない。
ただ、人を奴隷にするなど、恥ずかしくてできないだろう?という認識のもと、皆が暗黙の了解を守っていただけだ。
それが、どうだ?
迷宮の戦力として必要だから―――。
たったそれだけの言葉で、たったそれだけの言い訳で、人はこうも簡単に恥も外聞も捨てることができる。
なんと醜くて、そしてなんと無様な―――。
「おい!見ろよあれ!!」
人足の一人が、急に俺の肩を叩いて今しがた船から降りてきた集団を指さす。
物思いにふけっていた俺は、はっ、と現実に引き戻された。
指さす先を見ると、そこには見るからに高貴な身分の人間が歩いている。
上等な衣服に身を包み、腰に差す剣は、その設えも立派な物だ。俺が持っている武骨な身幅の広い剣とは違い、装飾も華美だ。
「見ろよ、お前!あれが、今、向こうのほうでガルガロスの迷宮都市を治める領主様のご子息だそうだ・・・・。凛とした気品に満ちているなあ・・・・・」
確かに言うだけあってその立ち姿はしっかりとしており、一部の隙もなく見える。
纏っている雰囲気が神秘的だ。きりっとしたその意志の強そうな表情、ほっそりとした輪郭、目鼻立ちの整った顔付き、何より、愛嬌がありながらも、それでいてどこかきつい大きな瞳が、物珍し気にきょろきょろと彷徨っている。
中性的なその美しい顔立ちに、港にいた誰もが、釘付けになり、女性たちはこぞって黄色い歓声を上げている。
「かなりお強いそうだぞ・・・・。剣の腕も立つとか・・・・」
そう・・・なのだろうか・・・?
ほっそりとした体、身にまとう少し柔和な雰囲気が、まるで闘争などとは無縁に見えるのは俺だけなのだろうか?
あの細腕ではまともに剣も振れないのではないか・・・?
その上、服の上から体の輪郭が分からないほど着ぶくれしているため、筋肉が付いているようには見えない。見るからに動きづらそうだ。
随分と懐疑的な視線を向けていると、一瞬だが目が合った。
「まずい・・・!野郎ども!!手を動かせ!!」
慌てて人足たちが動き出し、俺もせかされる様に仕事を再開した。
―――何事もなければいいんだがな・・・・。
なんだか放っておけないような、こんな心境は初めてだった。一度、それも、ほんの一瞬しか顔を見なかったにもかかわらず、どうしてか、この時の俺は柄にもなく一人の人間に執着していた。




