狩猟七
「モーリスは!」
終わった。リックが倒した。どうやって倒したのかはわからないが、それでも危機は去った。どっと安心感がこみあげてきたが、それ以上にひどい焦燥感にかられ、もつれるように駆け出す。
木の下に倒れ伏すモーリスのもとに駆け寄ると、すでにモーリスは虫の息だった。
僕は必死でまだ流れ出る血を止めようとモーリスの腹を抑えるが、ひどく冷たい体温に驚いてしまった。
そこにアイクがやってくる。
「アイク!モーリスが!モーリスが死にそうなんだ!」
「そうだな」
そう言って冷たい目で見下ろすアイクに僕は思わず叫んでしまう。
「突っ立ってないで早く助けてよ!このままじゃモーリスが死んじゃうよ!」
「そうだな」
僕の抑える手のひらから、今もモーリスの温かい血が流れ続けている。それとは対照的にモーリスはどんどん冷たくなっていく。
「早く!早く助けてあげてよ!」
「もう無理だ」
「無理じゃない!」
思わず涙声で叫び返してしまった僕にアイクは冷たい表情のまま、言葉をかける。
「もう無理だ。そいつは死ぬ。お前もわかっているのだろう?」
視線を向けられ問われたモーリスはふんっと鼻を鳴らすと驚くほど小さな声で答えた。
「そうだな」
「お前が無謀にも一人で飛び出したから、自分の命だけでなく、仲間の命も危険にさらしたんだ。そしてその結果命を落とす。逆にお前以外誰も死ななかったことをありがたく思え」
「なんでそんなこと言うんだよ!」
そのあまりの言いように僕は食って掛かるが、アイクは眉一つ動かさない。
「ああ、そうだな」
「お前の無謀のせいでお前は命を落とす」
「ああ、そのようだ」
すべて悟ったようなモーリスのその表情が気に食わなかった。
「どうして皆諦めるんだよ!どうして・・・」
その先を遮るように、モーリスが口を開く。
「おい小僧。どうして、今まで辛く当たり散らしてきた俺をそんなに心配している?」
「そんなの・・・」
どうしてだろう?その先の答えが、混乱した今の頭では見つからない。
「どうしてお前は泣いているんだ?」
小さく聞こえるモーリスの言葉に僕ははっと気づいた。頬を伝う涙をぬぐいながら、僕はどうして泣いているのだろう?と疑問に思うが、我知らず涙が零れ落ちる。
「なんでだろうね?仲間だったからなのかな?」
「はっ!散々いじめていた俺ですら仲間か!甘い奴だな!」
必死で言葉を紡ごうとするが、喉に血が絡まってひどくしゃべりづらそうだ。
がらがらにかすれた声のまま、その先の言葉を懸命に紡ぐ。
「甘い人間はすぐに死ぬぞ・・・。ああ、ただ、死ぬのがこんなに清々しいとは・・・もう痛みもない・・・。こんなことなら生きることにみっともなくしがみつくんじゃなかったな・・・。おい、お前も・・・」
その先の言葉を待ったがついに語られなかった。
もうすでにこと切れてしまっていた。
それでも僕はその現実を受け止めきれずにいた。
「お前も、なんだよ、どうしたんだよ、何を言いかけたんだよ!」
強く揺さぶってみるが、全く微動だにしない。僕はその死体にすがりながらみっともなく泣いてしまった。
祭りも佳境に入り、普段は剣闘試合が行われるコロシアムの中では、多くの屋台がひしめき、旅の芸人や、歌い子、踊り子たち、吟遊詩人がその芸の限りを尽くし場を盛り上げていた。
この時ばかりは奴隷たちも大いに飲んで、食べて、歌って、踊って、好きなだけ騒ぐことを許されている。
しかし、僕はコロシアムを囲む観客席の大上段に座り、みんなが騒ぐ様子を何とはなしに見下ろしている。
あんなにも楽しみにしていたのに、昨年まではあんなに楽しんだのに、今はこの祭りを楽しむ気分にはならなかった。
「隣いいか?」
聞きなれた声に振り向くと兄さんがすっと隣の席に座った。
「人の命はひどく儚いなあ」
「うん」
「俺もさ、モーリスなんか死んでもいいと思っていたんだけど、いざ身近な人間が命を落とすのを見ると、ひどく落ち込んだよ」
「うん」
僕は答えるのすら億劫だった。
少しの沈黙が流れる。
僕らの間を流れる風が、どうしようもなく沈んだ気分を慰めるように優しく頬を撫でる。
「お前が生きていてよかったよ、シリウス」
何も言葉を返せなかった。
あの時僕は必死になっていたせいで見落としてしまっていた。僕が死んでしまうという可能性だけではなく、僕が死んだら兄さんがどう思うのかを―。
「ありがとう」
感謝の言葉を述べた兄さんの声は少し湿っぽかったが、僕は決して兄さんの顔を見なかった。
そのありがとう、が、生きていてくれてありがとう、なのか、それとも他の何かに対してなのか、僕はあえて聞き返すことなく「うん」とだけうなずいた。
「よう!ここにいたか!」
陽気な声が聞こえ振り向くと、少し酒に酔ったのだろう、リックとその後ろを憮然とした表情で歩くアイクの姿が見えた。
僕らの表情を見て少し場違いに思ったのかリックは苦笑すると、「まだ慣れないうちは辛いもんだよな」と一人ごちると、こちらに何か小さなものを放り投げてきた。
思わずそれをキャッチし、よく見ると、それは牙の首飾りだった。
「きれい」
思わずつぶやいてしまうほど精緻な文様が施され、その中に緑色の液体が流し固められたその牙は明らかにあの魔物の牙だった。
「それは『ファントム』の牙を加工したものだ。牙に掘られた文様は魔法の効果を高める魔法陣で、中に流し固めている液体は『ファントム』の血だ」
「どうしたのこれ?」
「誰かさんが作ったんだよ。人数分」
そう言っていたずらっぽくリックが視線を向けた先には、気恥ずかし気に視線を逸らすアイクの姿がある。
「へえ、すごいきれい」
思わず見とれてしまう僕と兄さんにリックは自慢げに説明する。
「風の魔法が織り込まれたそいつは、自然に流れる魔力を吸収して、持ち主を、矢のような小さな飛び道具から身を守ってくれる効果を持つんだとよ」
「気休め程度のものだがな」
「アイクありがとう」
「俺にはありがとうはねえのかよ?」
「リックが作ったんじゃないじゃん」
「あ、リオンそんなこと言うけどこいつを狩ったのはこの俺だぞ?」
「じゃあ、リックは作れるのかよ?」
「俺は作れねえけどな!」
「そんな胸張って言うことじゃねえじゃん」
そう言って笑いあう三人に僕はあの日以来の笑顔を浮かべると、リックに正面切って、
「ありがとう、リック。助けてくれてありがとう。僕の命を救うためにあの魔物を倒してくれてありがとう」と感謝の言葉を伝える。
正面切って言われたことが恥ずかしかったのだろう、軽く顔を赤らめると、「お、おう」と普段では見たことないほどあたふたしながら、うなずく。
「リック、俺もありがとう!シリウスを助けてくれてありがとう」
「ならば私もありがとう、だな」
その様子が面白かったからなのか、二人がふざけて言い募る。
「おい、アイク、お前は俺の何に感謝しているんだよ?」
「普段のお前すべてにだよ。リーダー、ありがとう」
「お前らやめろ!」
僕らは笑いあう。この先も日々は続いていく。強くなろう、何物も僕を、僕らを害することができないように、もう何も失わなくて済むように。僕は今まで以上に強く心に誓った。




