豊穣祭四
勾配が緩やかになっていき、気付けば、街を見下ろす見晴らしのいい山の中腹に来ていた。
見下ろす町並みは、至る所に煌々と輝く優しい光に照らされ美しく輝いている。
中心の広場にひときわ強く輝く大きな炎が見える。
人の姿は小さく黒い影のようにしか見えない。それでも、活気に満ち溢れた街並みは、全てが躍動している様で、その全身で歓び震えているかのようだ。
何を叫んでいるかはわからない、何を歌っているのかはわからない、それでもここまで叫び、歌う声が聞こえるのは、それだけ多くの人々が楽しんでいる証拠だろう。
遠く海が見える。
月明かりが照らす海は暗く、暗く、どこまでも沈み込んでいくように深い。
「きれいなところでしょ?」
唐突にフレイアが口を開いた。僕らは二人並んだまま街並みを見下ろしていた。
「うん。きれいだ・・・」
しばし無言の時間が続く。
「こうやって街を見下ろすのが好きなの。決して豊かではないけれども、自然に囲まれ、皆が助け合って生きていける。いい街だなって・・・・」
僕もそう思う。それでも、ここでうなずいてしまったら、このまま僕は一生この街に留まり続けるだろう。
どこか、この、春の日差しの中で微睡むような、優しくも、温かい街が、僕を不安にする。考えすぎなのだろうか?殺伐とした幼少期、少年期を送ってきたがために、歪んでしまったのだろうか?
フレイアが僕を振り返ってきた。そこにはどこか悲しそうな色が見える。
何も言えなくなって、沈鬱な表情で黙り込んでいると、急に走り出した。
「どうしたの?」
―――置いていかれる・・・!
どうしてか、この時、気持ちとは裏腹に足が動かなかった。
思わず伸ばした手を宙に彷徨わせたまま、駆け出したフレイアを見つめていると。十メートル以上離れたところでくるりと振り返った。
「ほら!あそこに大きな木があるでしょう?」
指さすそこには、どうして今の今まで気付かなかったのだろう?この暗闇の中でそこだけ切り取られたように美しく映える純白の花を咲かせた、枝突きが細い大樹が一本だけ、天高く茂っている。
花が咲き誇っているわけではなく、ぽつぽつと彩るように咲いているが、それが寂しさを感じさせる。しかし、咲き誇っていないからこそ決して下品ではなく、むしろ高潔に感じるほど、尊い。
「とてもきれいな花なの!見に行きましょう!」
そのまま駆けだしたフレイアを少し遅れて僕も追いかける。
近づくたびにその全容が見えてきた。
その木の下までたどり着いたフレイアが、くるりとこちらを振り返った。
少し物悲しい表情で笑顔を浮かべるフレイアの顔は、その花に負けないほど白く美しい。
「ちょっと待ってよ・・・」
「早く!」
手を振るフレイアに笑いかけながら、ゆっくりと近づいていくと、不意に、木の上から何かがするすると降りてくるのが見えた。
それが見えたのは、偶然なのか、それとも必然なのか・・・。
心臓が一つ跳ね上がる。
それが何かははっきりと分からない。
それでもそれが危険な物だと何故かわかった。
頭の中でがんがん警鐘が鳴っている。
血が一気に駆け上がり、どくどくと首から頭を巡り、耳元でうるさいほどに鳴りやまない。
胸が苦しい。息がうまく吸い込めない。
―――フレイアはまだ気づいていない。
細長い体のそいつは、するすると音もなく滑るようにフレイアの頭に今にも到達しそうだ。
―――叫んでも間に合わない!!
どうすればいい?どうしたら間に合う!?
一瞬でいろいろなことが頭に浮かんでは消えていく。
―――武器を持っていない・・・!
それでも何とかするんだ!!
しかし、無情にも、気付いてしまった。
―――間に合わない・・・・。
どれだけ必死に駆けても、どれだけ声をからして叫んでももうこの距離だと間に合わないだろう・・・。
絶望が心の中にするりと入りこんできた。
―――今度も・・・。力及ばないのか・・・。助けられないのか・・・。
瞬間、心の奥底から怒りが沸き上がってきた。
ふつふつ、ふつふつと沸き立つ怒りはその身を焦がし、その心を叱咤する。
―――そうじゃないだろう!!何のために力をつけてきた!?簡単に諦めて捨てられるほどお前は弱くない!!
爆発するような魔力の高まりとともに、身にまとった高出力の雷が、己の体を、頭を極限まで加速させる。
風が鳴りやんだ―――。
音が聞こえない―――。
忘れて久しい、とても懐かしい感覚。
全てを超越したような、高揚、あの夜、神速の槍捌きを見せたニコライと打ち合って見せた、神がかった速さがその体に宿る。
音も、風も、全てを置き去りにして、気付けば、フレイアのもとにたどり着いていた。
するすると木上から滑り降りてきていたのは、大きな、それでいて毒々しい固いうろこに覆われた大蛇だった。
鎌首をもたげ、牙をむき出し、今にもフレイアに襲い掛かろうとするその姿勢のまま、なぜか止まっている。
―――いや、止まっているのではない。
嫌に周りの様子が目につく。今までにないほど頭が冴えわたっている。その頭で、閃くように気付いた。
―――僕が驚くほどの速さで動いているから、僕以外が止まって見えるんだ・・・!
武器を持っていないことなど関係ない。
ただ、ただ、振り上げた拳をその頭に叩き付ければいいだけだ。
フレイアの頭を包み込むように抱え、思い切り握りしめた拳を叩き付けた。
ふっ、と体から力が抜け、世界が動き出した。
目の前にいた蛇は頭部を爆散させ、ぼとり、と大きな音を立て地に落ちる。
ふと視線を落としたら、驚いた顔のフレイアと目があった。
―――まずい・・・!勢いが止まらない・・・。
フレイアに怪我をさせたくなかったから、雷の魔力を抑えたが、そのせいで、速度がうまく殺し切れなくなってしまい、思い切り押し倒すような形になってしまっている。
二人でそのまま地面に倒れ込む。
それでもフレイアに怪我をさせたくない一心で、くるりと体を入れ替え、自分が下敷きになったことは褒めてほしい。
「きゃっ!!」
女性らしい叫び声をあげながら、倒れこんできたフレイアを優しく抱き留める。
―――近い・・・。
目の前にフレイアの整った顔を見て、先ほどから心臓がバクバクと脈打っている。
これは、さっきの蛇と対峙したがためのドキドキなのか、どちらか分からない。それでも、二人でどれくらいの時間見つめ合っていただろう。
ぼうっとした表情で、見つめてくるフレイアにだんだんと気恥しくなってきて、つい、口をついて言葉が出た。
「重い・・・・」
瞬間、フレイアの表情が真っ赤に染まっていく。
「もう!!女の子にそう言うこと言っちゃダメなんだよ!!」
思い切り胸を叩かれた。
ぱっ、と立ち上がったフレイアはかなり怒っている様で、ぷい、と顔を背けてしまった。
何で怒っているのかな?助けてあげたのに・・・。どうしたものかな・・・。と思って、ふと体から力を抜き、ゆっくりと寝転がったまま見上げた空には満点の星が輝いている。
「すごい・・・!きれい・・・!」
思わず呟かれた言葉に、フレイアがちらりと僕を見た。
「なにが?」
まだ怒っているのだろう、少し冷たく、きつい問いに、本当にどうしていいのか分からない。
「ほら見てみてよ!きれいな星空だ!!」
指さす僕をちらりと見た後にフレイアは夜空を見上げる。
そこには満天の星空が広がっている。
「・・・・ほんとう・・・・。きれい・・・!」
言葉もない様だ。
するすると腰を下ろし、ついには先ほどまでの怒りなどなかったかのように僕の隣に体を横たえ、僕と一緒に輝く夜空を見上げる。
星の輝きは緑もあれば淡い青もあり、そうかと思えば目を焼くような朱色もある。
「不思議だなあ・・・」
よくよく見てみれば、星々の輝きに、どれをとっても同じ色、光はなく、そして、こんな風に心安くだれかと並んで星を見上げる余裕がある今の自分が、少し昔の自分からすれば不思議だった。
見上げる空から、ふわり、ふわり、と何かが落ちてきた。
純白のその欠片は、まるで月の欠片がそのまま落ちてきたようで、見上げる木上の花弁がはらはらと舞っている様で、とてもきれいだ。
言葉もなく、それを見つめていると、ふわり、と頬の上に落ちた。
―――冷たい・・・!
体の熱でゆっくりと溶け出したそれは、頬からまるで涙のように零れ落ちる。
―――なんだろう?これ。
ゆっくりと指で撫でると、それは間違いなく冷たい水だ。
ぼんやりとその水を何とはなしに見つめていると、横に寝そべるフレイアがぽつりと漏らす。
「雪、ね。道理で寒いわけだわ」
これが、雪・・・?思いのほかきれいだな・・・。
しかし、それにしても、寒い。そろそろ帰ろうか、と思い、そう告げようとしたとき、向こうも同じことを思っていたのだろう、ゆっくりと体を起こし、ぽつりとつぶやくように告げる。
「助けてくれてありがとう・・・」
驚いて見つめると、上気したように頬が赤い。
「どういたしまして」
にこりと微笑みかけると、どうしてだろうか、またフレイアに肩を叩かれた。
しかし、先ほどより、優しく、何よりほとんど撫でるような触れ方に、どうやら怒っていないようだと、一つ安堵する。
しとしと、しとしとと音もなく降り積もる淡い雪。
キラキラと月明かりを反射して輝き、地面に落ちると、その色を失う。
夜空にちりばめられた無数の星々。
数え切れないほどの満天の星空はどこまでも果てしなく。
眼下に見下ろす街の灯りは優しく、温かく。
遠く木霊する人々の歌声は陽気で、それでいてどこか物悲しい。
いつまでもこの時間が続けばいいと思って。
それでも心のどこか奥底で、今だけの特別な時間が名残惜しく。
フレイアがすでに帰路に着いたにもかかわらず、いつまでも、何度も、振り返ってはこの景色を眺め、心の奥底に刻み込もうと努力する。
豊穣祭が終わるとすぐに冬がやってきた。
しんしんと降り積もる雪に閉ざされ、気付けば世界は白く、白くすべてを純白に染め上げられていく。
とにかく寒い。こんな寒さは初めて経験した。
吐く息も白く、街は、まるで時が止まったかのように人気が少なくなっていき、人々は皆、家で暖を取りながら、ゆっくりと過ごしていた。
木々は葉を落とし、生き物は眠りに落ちるかのように活動を停止していく。
振り積もる雪は、音すらも吸い取るのか、家の中で過ごす日々の中では、時に世界から取り残されたかのような不思議な気分になる時があった。
僕は、フレイアとアイクに様々なことを教わりながら、ゆっくりと時を過ごしていった。
とても長い冬。いつにも増して長く感じる。
雪が解け始め、春の訪れが近づいたとき、ようやく冬が明けたか、と言う喜びと、そして、春が来てしまった、と言う焦りを感じながら、それでも活気に満ちて行く街並みと同じく、僕自身も抑えきれないわくわくした気持ちを持て余していた。
冬の長い眠りから覚めた生き物たちも、活発に動き始め、優しい春の日差しを受けた草花も、緑の芽を芽吹かせ始める。
吹き抜ける風は肌を刺すような冷たい風ではなく、温かな春の匂いを連れてきた。
だからだろうか・・・・。
フレイアの誘いに乗って、アイクと三人で初めて迷宮に挑むことにした。
ここから、止まっていた時が、ゆっくりと動き出す。
それは、思いもかけぬ方向に転がり、ゆっくりと、だが確実に、そしてしまいには、転げ落ちるように、僕らを取り巻く状況が変わっていく。
それを僕らはまだ知らず。
そして、この時、あんなことになるなんて、誰が予想しただろうか?
この時は、おそらく、いや確実に誰も、予想しえなかっただろう。




