勉学二
「シリウス君。何かしたいことがあるかい?」
「え・・・?」
朝食を食べ終わってすぐに、唐突にアベルにそんなことを問われた。けれどもあまりにも突然すぎてすぐには反応できずに呆けてしまう。
「この後さ。昨日は街を一通り案内して回っただろう?まさか一日何もしないわけにいかないだろうし、一日中訓練をしているわけにもいかないだろう?私はこう見えて領主だから執務がある。だから今のうちに何をしたい、と言うような要望を言ってもらえればそのように手配しよう。何でもいいぞ?」
「うーん・・・」
そんなふうに言われてもすぐには思いつかない。うんうん唸っていると、隣からぼそぼそと声が聞こえてきた。
「迷宮・・・。迷宮に行こう・・・?」
フレイアだ。瞳をキラキラと輝かせて、囁いてきている。よほど一緒に行きたいのだろう。
「言っておくが、フレイアは一人で勝手に言っては駄目だ。最低でもアイクとシリウス君が一緒に行ってくれるなら行ってもいいぞ」
「ええーーー!?」
違ったようだ。恐らく今まで一緒に行ってくれる人がいなかったために、迷宮に入ることを許可されなかったのだろう。確かに領主の娘となれば、怪我をさせるわけにはいかない。よほど腕に自信が無ければ一緒に連れていくことはないだろう。
「迷宮に行くか?」
改めてアベルに問われたが、今ひとつピンと来なかった。どうしてか、今は闘いから身を置きたかった。
「えっと・・・」
けれども隣で期待のこもった瞳で熱心に見つめられているため、嫌とは言いづらい。どうしようかと悩んでいると、アベルが言葉を重ねる。
「迷宮に行く以外でも、農夫たちと同じように農作業をしたいと言うのであればそのように手配するし、海に出て漁をしたいと言うのであれば漁師に話を付けてくる。山で猟をしたいのであればアイクにいろいろ教わるといい。兵士たちと一緒に訓練したいのであれば軍の中に紹介しよう」
どうにもこの街に移住してほしい様だ。思わず苦笑してしまう。それでもアベルの言葉の中に一つ閃いたことがあったので素直に話すことにする。
「学びたいです。文字を、計算を、そして魔法を」
「ほう」
僕の真摯な視線を受け止め、どこか面白そうに見つめ返してくる。
フレイアが隣で不満を言っているが、それを全く意に介すことなくお互いに見つめ合う。
「ならば、フレイア、お前が彼に文字と計算を教えてやれ」
「ええーーー!?私迷宮に行きたい!!」
「文字と計算を教えて頼み込めば彼も無下にはすまい。それならばシリウス君もフレイアと一緒に迷宮に行ってくれるだろう?」
突然決まった驚きでなんと返せばいいのかわからない。それでも決して悪い話ではないので頷いておく。
「うん・・・それなら・・・」
「え!?本当にいいの!?それなら私教えるよ!!」
近い。ずいっ、と身を乗り出して顔を近づけてきたフレイアから距離を離すように仰け反る。
「うん・・・まあ・・・いいよ」
「やった!!」
万歳の形で両手をあげ、喜ぶフレイアを見ているとなんだか僕もうれしい気持ちになっていく。
「アイク!お前が魔法を教えてやれ」
「分かった。シリウス、よろしく」
「うん」
アイクはすぐに了承してくれた。それでも一つだけ腑に落ちないことがあったので尋ねてみる。
「でも、つい最近気づいたんだけど、アイクって魔法が使えたんだね?どうして教えてくれなかったの?」
「剣闘士をしていれば、自分の奥の手は隠しておくもんだ。お前は衆人環視の中で魔法を使ってしまったために警戒されていたが、リックなんかは最後まで警戒されていなかっただろう?魔力を抑えて、見えないようにして魔法を使えることを隠していたんだ」
勿論俺もだがな、と続けて、ようやく納得できた。魔力を利用し自己の身体能力を強化したり、もしくは雷を纏ったり、炎を噴き上げたり、そう言った魔法を使えばどうしても警戒される。
であるならば最低限まで隠し通して必要になったときに使う、と言うのは間違ってはいない。
「でも、アイクっていつから魔法を使えるようになったの?」
「それも併せて魔法を教える時に説明してやる」
「ふーん・・・。分かった。で?いつ教えてくれるの?」
「お前は魔法と文字と計算、どれから教わりたいんだ?」
「うーん・・・」
非常に悩むところだ。でも、いま朝起きたばかりだからまだ眠くはないが、もし昼頃になってしまえば眠くなってしまうだろう。その時に文字や計算を教わるのはなんだか少し気が進まなかったので、まず文字と計算を教えてもらうことにした。
「じゃあ、フレイア、文字と計算を教えて」
すると何が気に食わなかったのだろう、びしっ、と音がなるほど勢いよく指を僕の鼻先に突き出してきた。
「はい!そこ!今からあなたは私から教わるのだから先生、と呼びなさい!」
「せんせい?って何?」
「先生っていうのは人にものを教える職業のことよ!私はあなたの先生になるのだから、私のことはフレイア先生よ!いい?」
なんだかよくわからなかったが、本人がそれを望んでいるのだから言われた通りにしよう。
「はい!フレイア先生!」
「よろしい」
気をよくしたの、随分と満足げだ。
「じゃあ、さっそく教本を持ってくるから、シリウスはここで待っていること!いい?」
「うん、分かった」
「返事は、はい!と答えなさい!いい?分かったわね?」
「・・・はい。分かりました・・・」
しぶしぶ返事すると得意げな顔で颯爽と去って行ってしまった。
僕らの様子をほかの人たちが面白そうに見つめている。
僕が困った顔をしてアイクに振り向くと、さも面白そうに笑っている。
「まあ、お前のその雑な口調は少し尊大に感じる者もいるだろうから今のうちに丁寧な言葉遣いを覚えるのもいいことだぞ」
「アイクだって丁寧な言葉遣いはしないんじゃん・・・」
「俺はやろうと思えばできるが、面倒だからしないだけだ。こう見えて一応お前と同じ年くらいまでは領主の息子として教育を受けてきたんだぞ?さすがに文字の読み書き、計算はできるくらいにはな」
「ふーん・・・」
そう言われてしまえばそれ以上何も言い返せなかった。どうせ僕は生まれてから闘技場しか見たことが無い奴隷の剣闘士でしたよ。
くさくさしていると、元気いっぱい息を荒げてフレイアが飛び込んできた。
その胸元には両手で抱えるほどの大きさの本が一冊と、それ以外にもさし絵が描かれた本が数冊抱かれている。
それらの本をバサバサと机の上に無造作に放り出すと、宣言する。
「さて、お勉強を始めましょう!」
「はい」
僕の隣に座ると、パラパラと本をめくる。
「まず、私たちが使う言葉は北大陸のどこの国も、そして南大陸のどこの国でも共通で使われている言語よ」
言われて僕はなんだか腑に落ちないもやもやした気分がした。
何だろうこのもやもやは?じっくりと考えてみたが、言葉にするのが難しくて、なかなかどういえばいいのか分からない。
―――うーん・・・。
と悩んでいるうちにフレイアはどんどん話を続けていってしまう。
「アーク言語、と呼ばれ、それを構成する二十六文字からなる文字がアーク文字よ」
「え!?二十六文字で読み書きができるようになるの!?」
それならば僕でも簡単に覚えられそうだ。そう思って少し安堵していると、フレイアが複雑な表情をしている。
「うーん・・・。なんて言えばいいのかしら・・・。文字が二十六文字あるだけで、単語と呼ばれるものをその二十六文字で構成していくのよ。例えば私の名前を書くと・・・こうよ」
さらさらと手元の巻紙にペンを走らせ、六文字を書き記す。恐らくその六文字でフレイア、と言うのだろう。文字自体は簡略化された記号のような物であり、覚えるのは簡単にできそうだ。それでも一つ懸念がある。
「その単語っていうのはどれくらいあるの?」
「どれくらい・・・・。うーん・・・。数えたことが無いけれども、それこそ数えきれないくらいあるわよ」
「え・・・!?」
「私たちが今座っている椅子も単語だし、机も、本も、家もそうよ。人の名前だっていっぱいあるじゃない?私だって知らない単語があるわ」
「それじゃあ覚えきれないよ・・・?」
「だからこそ一生勉強するのよ。今日知らなかった言葉も明日には覚えることができる。そうやって人はどんどん成長していくのよ。ねえ兄さん?」
ずうっと話を聞いていたアイクが急に問いかけられびくっとする。
「・・・そうだな。俺ですら知らない言葉があるくらいだ。一朝一夕に覚えられるものじゃない」
なんだか気が遠くなりそうだった。
「取りあえず簡単な言葉から覚えていきましょう?じゃあ、まずはこのアーク文字を覚えるところからよ。この巻紙を使っていいからどんどん書いていきなさい」
「見るだけじゃ駄目なの?」
「書かないと覚えられないわよ」
そう言う物なのかな?とにかく言われた通りにやってみる。
最初は簡単そうに見えた文字でも意外と難しく、なかなかにうまく書くことができなかったが、何度も書いているうちにどんどん慣れていき、四半刻(三十分)もするうちに二十六文字を書きとることができた。
「覚えることができたかしら?」
「うーん・・・。多分・・・」
自信はなかったけれども、とにかく全部書くことはできた。
「じゃあ見ないで書いてみて」
途中までは書くことができたが、途中で分からなくなってしまった。何とか思い出しながら書き切ったが、ぐちゃぐちゃと混ざってしまい、文字と呼べない文字が何個かあった。それでも何も見ずできたことは達成感があった。
「取りあえずアーク文字の書き写しはここまでにして、単語を覚えていくわよ。まず名前を書けるようにしなきゃね。これが、シリウスっていう文字よ。書いてみて」
言われた通りに書いてみる。
その後も何個か単語を教えてもらい、言われた通りに書き写すと言うことを繰り返していくうちにあっという間に昼が過ぎてしまった。
エダがやってくる。
「お勉強はそこまでにしてお昼を食べましょう」
「じゃあ、いったん休憩しよっか。お昼食べ終わったらまた続きをやるからね」
「はい」
腕が痛い。慣れないからだろうか、思い切り力を込めて文字を書いていたせいで、手首に力が入らなくなってしまっている。




