狩猟六
そのとき、風を切り裂く音が聞こえてくる。
魔物がぴたりと止まると、急に横に向かってぶんと前足を振る。
「カア!」
魔物の左の前足に一本の矢が突き刺さっていた。
僕の後ろから何かが走り抜けていくと、僕と魔物の間に入り、盾を構えながら僕を守ってくれた。その後姿は生まれてから一度も目を離すことなく見つめてきた大きな後ろ姿だった。なぜだか無性に涙が零れ落ちた。
「大丈夫か?シリウス、助けに来たぞ!」
「兄さん!」
魔物が矢の飛んできていたほうを見つめているが、兄さんは全く踏み込めていないでいた。未だ体勢の立て直せない僕を守ろうとしてくれている。
しかし、ここで魔物が苛立たし気に歯を向け、こちらに向かって威嚇するように向かってきた。
それを、左手に構える盾で必死に受け流し、体格差と力の差で押されながらも、僕と魔物の間に常に立ちながら必死で押し返す。
そこにリックが現れた。
すらりと剣を抜くと、右上段に構えたまま、魔物の後ろから足音を全く立てないすり足で駆け寄ってくる。
「ふっ!」
裂帛の気合とともに振りぬかれた剣は目にもとまらぬ速さで振りぬかれたが、危うげなく魔物は回避してしまう。
しかし、ここで、予期していなかったことが起きる。
魔物が転んだのだ。
明らかに動きがおかしい。その動きに先ほどまでの異常な速さはなく、しかも、バランスを崩すように前足に力が入っていない。
はっと思い返して先ほどの矢尻を見ると毒々しい色合いをしている。
アイクが使っていた矢だ。一気に安心感がこみあげてきた。
しかし、僕とは対照的にリックは険しい表情をしている。
「立てるなら逃げろ!」
そういわれたが、まだ僕は立ち上がれそうにない。そんな僕の様子に一つ舌打ちをつくと、集中するように魔物と対峙する。
魔物はこの中でリックを一番の脅威と感じたようだ。
もはやリック以外には全く興味を向けず、低いうなり声をあげ威嚇している。
来る―。
魔物の姿が掻き消えるように見えなくなった。
しかし、身に受けた毒矢のせいで、刻一刻と命を削られる今、その動きにキレがないからだろう、離れたところにある木の枝が、がさりと揺れたのでそちらを見ると、魔物がその上からこちらに飛びかかろうとしている。
後ろ脚に力を籠め、一息に飛びかかってくるがリックは盾を構えると衝撃に備えるように姿勢を低くする。
がつん!と大きな音がしたが、そこには盾を壊され、数メートル吹き飛ばされるも、瞬時に体勢を立て直し、剣を構えるリックと、正反対に、渾身の一撃を防がれ、着地に失敗し地面を転がる魔物の姿があった。
「うおおおお!」
リックは雄叫びをあげると剣を目線の高さに地面と水平に構え、魔物へと突き込んでいく。
先ほどの僕と同じように片手で大きく開いた魔物の口内に剣を突きこもうとするも、危うく避けられてしまった。
しかし、剣を引き戻しながら、今度はリックが左のこぶしを握りこみ魔物の口内に突き込む。
魔物はその腕を肘まで飲み込み噛み切ろうとした。
瞬間、その頭が吹き飛んだ。
何が起こったのか全く分からなかった。
しかし、リックの左腕はほとんど無事で、少しの噛み傷と、手の甲に小さなやけどの跡があるのみだった。
動かなくなった魔物を見てふう、と誰もが安堵の息をつく。
時は少しさかのぼり、魔物にモーリスが立ち向かう前に戻る。
必死に逃げたリックとアイクだったが、途中でリオンと出会った。
「どうしたリオン?」
「シリウスが、モーリスを追いかけてこっちに来たんだ」
その言葉にふと不吉な予感が頭をよぎる。
「まさか」
そのとき、先ほど逃げてきたほうから「はあ!」という気合いの声と同時に、何かが大木にぶつかるようなどしん!という音が聞こえてきた。
「そのまさかのようだな」
アイクが言うや否や、リオンが駆け出した。
「行くな!命を落とすだけだぞ!」
俺は必死に止めようとするが、リオンは納得しない。
「止めないでくれ!モーリスが無茶して命を落としても俺は何とも思わないが、弟が、シリウスがもし死んだら、俺は・・・!」
「お前が言ってもただ死ぬだけだがそれでも行くのか?」
淡々としたアイクの言葉にはっと我に返ったようにリオンは足を止めるが、こちらを振り向いた彼の表情が何よりもその先の言葉を物語っている。
「ああ!それでも行くさ!」
そう言って止める間もあればこそ、駆け出してしまった。
「どうする?」
アイクが淡々と質問してくるが、俺の腹はすでに決まった。
「行くか。久方ぶりに命を懸けるとしよう」
「勝てるのか?」
「あと一人ベテランの魔法を使える剣闘士がいれば話は違っただろうな」
「そうか」
「アイク、一つ頼みがある。先駆け一矢お願いしてもいいだろうか?」
俺がそう言うことを知っていたのだろう、ふっと微笑むと背中から弓と一本の矢を取り出し構える。物理的には決して届かない距離。いや何より、決して見ることができない距離にも関わらず、アイクはそれでもいつものように弓に矢をつがえる。
ぎりぎりと引き絞りながら、一言、「早く行ってこい」
その言葉に背を押されるように俺は飛び出した。
背後で小さく「ホークアイ」とつぶやく声が聞こえる。これで少しは安心できる。
そして戦場に駆け付け、周囲を見渡す。
モーリスは大木の下に仰向けになり、腹を真っ赤に染め上げている。顔色も青ざめていた。一目見て分かってしまった。あれはもう助からない―。
シリウスはリオンにかばわれながら地面に膝をついているが、目立った傷はない。おそらく頭を強く打ち付けたのだろう。
リオンは至る所に擦り傷を負っているがその戦意はみじんも衰えず、必死でシリウスを守っている。
ひとまず安心した。なら次に俺がすることは魔物の注意を俺に引き付けることだ。
運のいいことに、魔物の左前脚にアイクが放った矢が突き刺さっている。相変わらずいい腕と「眼」をしている。
剣を構え、音を極力抑えながら滑るように近づくが、どうせ無駄な努力だろう。何せ向こうは耳も目も鼻も退化している。だとすれば他の何かを使って周囲の様子を感知しているのだ。
だからこれは気分の問題だ。その証拠に剣を振りぬくが避けられてしまった。全く嫌になる。こうなればもうあの手を使うしかないが、そのためには左腕を犠牲にするかもしれない。
そう思い、魔物を見やると、その口内に剣でつけられた傷跡が見えた。しかも、その傷跡が、ちょうど左側についており、それと同時に何本か牙が折れてしまっている。
天はまだ俺を見放していない。誰がつけた傷か分からないがこれを利用しない手はない。
一瞬で思考を回転させると、魔物の姿が掻き消えた。
来る。そう思い必死に意識を集中すると、左の方角から音が聞こえた。見やると枝に飛び移った魔物が全身をばねのように連動させ、こちらに飛びかかろうとしている。
すぐに左手に盾を構え、衝撃に備えると、今まで感じたこともないような衝撃を感じ、思い切り体が吹き飛ばされた。
何とかこらえ半壊した盾を捨てながら、無様にも地面に転がっている魔物に向かって、とびかかる。
その口内めがけ、構えた剣による突きを放ったが、避けられてしまった。
どうやら一度口内を攻撃されたことがよっぽど応えているのだろう。無駄に大きな動きで回避する。
しかしそれは想定していたことだ。思い切り体をひねりながら左手を魔物の口内に突き込んだ。
そして、あらかじめため込んでいた魔力を左の拳を起点に爆発させる。
魔物の頭部がはじけ飛んだ。
ようやくこれで終わった。
詰めていた息をふうっと吐き出す。
立ち尽くすリオンとシリウスに近づきながら、気付いた。シリウスの剣が血に濡れていることを―。そして魔物の口内を傷つけたのはシリウスの剣だということに気付き心の中で称賛してしまった。
何より驚いたのはいち早く衝撃から立ち直ったシリウスが、転ぶように大木の幹に体を預け倒れ伏すモーリスのもとに向かったことだ。
「こいつは・・・」
その後姿を凝視しながら誰ともなくつぶやく。




