83 日本の影
朝礼が終わると司令官さんが再び俺の所にやって来る。
「楢崎訓練生、話があるから一緒に来てくれ」
「了解しました」
もしかしてこれはまたカレンの件を蒸し返されるんじゃないか? 『これは非常に不味い事態だぞ、どう返事をしようか?』と心の中でビクビクしながら俺が付いていくと、司令官さんは小さな面談室に入っていく。なんだかこれから取調べを受ける犯人のような心境だよ。どうにかして逃げ出したい気分なんですけど!
「楢崎訓練生、お前は先程の大嶽丸の話を聞いてどう思うんだ?」
「えーと、その件に関しましては現在当人同士で色々と話し合っている最中でして」
あれっ、なんか違うぞ! 頭の中で用意していた答えと司令官さんの質問内容が大幅に食い違っていないか? カレンの話じゃなくって大嶽丸だって? どうなっているんだ?
「ほう、当人同士で何を話し合っているのか私にも興味があるな」
「いえ、司令! 誤解です! 特に何も話してはいません!」
「何を取り乱しているんだ。落ち着いて私の話を聞け」
「大変失礼しました」
わかっているぞという目で司令官さんは俺を見ているよ。ヘビに睨まれたカエルってこんな心境になるんだろうな。司令官さんは大嶽丸の話しをしていたのに、カレンの件だと思い込んでいた俺の完全な自爆だったよ。そりゃぁ、朝礼前のあんなやり取りの後だったら誰でも勘違いするだろう。
「さて、私の質問をよく聞けよ。大嶽丸が話していた日本の大昔の帰還者についてお前の考えを知っておきたい」
「確か、3人の名前を挙げていましたね」
俺は司令官さんと大嶽丸が話した内容を思い出している。修験道の開祖と呼ばれている『役の小角』、大嶽丸を討伐した『坂上田村麻呂』、歴史上最強の陰陽師『安部清明』の名前を挙げていたな。この3人は様々な伝説がもちろん今でも残っている。普通の人には不可能な超人的な力を発揮したと言われているが、仮に異世界からの帰還者だったらそれは当然だろうと今の俺には納得できる。
「その3人は確かに伝説を残してはいるが、当の昔に亡くなっている。実際に墓もあるから間違いはないだろう。私が気になっているのはもう1人の話だ」
「えーと、不確かな噂があると言っていましたよね」
俺も横で聞いていただけだからあんまり確かな記憶はない。でも大嶽丸の口から出た『噂がある』という言葉だけは辛うじて覚えていた。
「そのとおりだ。私は異世界から日本に戻ってきて可能性として考えていたんだよ。我々が知らない帰還者が古代からずっと影で日本を動かしているんじゃないかとね」
「そんなことが可能なんですか? 法律とかがあれば誰でも従わなければならないし、勝手な行動をしたら処罰されますよ」
「だからお前は甘いんだよ。法律などという代物は為政者が国民を支配するための都合のいい道具だ。自分たちの思惑でいつでも作り変えられる。それからお前の口から『勝手な行動』というフレーズが出てきて私は驚いているよ。中華大陸連合の大使館を崩壊させたのは誰だったかもう忘れているようだな」
「すいませんでした! あれは若気の至りです!」
俺はテーブルに額をくっ付けて平謝りをしている。ついでに美鈴と妹の分までこの場で謝っておこう。あの頃は異世界から戻ってきて間もなかったから、ついつい向こうに居た時の感覚のままに遣らかしてしまったんだ。『目には刃を、歯には大魔法を』というのが俺たちの異世界の流儀だったから、勢い余った結果があれだった。結局あの事件が直接的な日本と中華大陸連合の戦争の引き金になったけど、あの件がなくても遅かれ早かれ日本は戦争に引き込まれる運命にあったんだと思うな。中華大陸連合の強引な遣り方はどうあっても日米連合と衝突するしかない宿命だったと今の俺は考えている。これは言い訳じゃないぞ!
「話を元に戻すぞ。お前は日本を影から操る帰還者が居たとしたら、そいつに対してどう思うんだ?」
「どうにもこうにも、居るか居ないかわからないのでは考えようがないと思います」
「そうか、それでは私の話をちょっと聞け。日本の歴史にまつわる話だ。歴史上日本の社会を変革しうる人物が何人も現れたのは知っているな。たとえば聖徳太子や織田信長などは有名だ」
ああ、この話は当然知っているぞ。もちろん授業で習ったし、特に織田信長の戦術は軍オタとしては見逃せない必須事項だろう。俺は妹と違ってしっかりとこの辺は勉強しているんだぞ。俺が頷くのを確認して、司令官さんは話を続ける。
「聖徳太子の死後、その子孫は一族が惨殺され、その治世の反動として大化の改新が行われた。織田信長は天下統一を目前とした本能寺で明智光秀の謀反にあって自害した。この2つの大きな事件は殺害した側の動機がはっきりとわからないという点で共通している」
なるほど、聖徳太子の話は詳しくないけど、本能寺の変はよく知っているぞ。なぜ明智光秀が謀反を起こしたのか、その真意は諸説あっていまだによくわかっていないんだよな。でも世間でよく耳にするのは『織田信長があと20年生きていたら世界の歴史が変わっていただろう』という話だ。
「その他にもあれだけ栄華を誇った平家があっという間に滅びて、その立役者の源義経は最期は兄の頼朝によって殺された。そもそも義経の活躍も当時の軍事上の常識を覆す何らかの力が働いていたのではないかと私は考えている」
確かに司令官さんの説には説得力があるよな。この人自身に説得力があるとも言うんだけど。それにしても平家物語に描かれている平氏はあまりにだらしなさ過ぎるんだよな。鳥の羽音に怯えて全軍が逃げ出したり、拠点の背後から急襲を受けて総崩れになったりしている。ついには壇ノ浦で呆気ない最期を遂げるんだよな。いくら当時の東国武士が強かったとしても、もう少し何らかの遣りようという物があったんじゃないかな? ついでに言うと平家を滅ぼした源氏も幕府を開いて3代で滅亡している。これらの間にもし何らかの見えない力が働いていたとしたら、黒幕の思うがままに歴史が動いていたという証拠になるのかな?
「そして極めつけは第2次世界大戦だ。いまだに当時の日本政府がなぜ絶対に負ける戦争に向かって突き進んでいったのか判然としない。当時の日本の指導者は一部を除いてそれ程世界情勢に疎かった訳ではないと私は考えている」
まあそうだよな。当時の日本とアメリカの生産力は10対1以上の開きがあった。おまけに石油の産出がなく食糧需給が不十分な日本が広大な満州や中国と太平洋の2正面作戦なんか出来るはずがなかったんだ。いや、その前に海洋立国の日本がユーラシア大陸に攻め込んだのがそもそもの間違いかもしれないな。内陸部に手を出さずに沿岸の拠点だけを死守する方針だったら、もっと違う戦い方が出来たんじゃないだろうか。
「楢崎訓練生、お前にもぜひ考えてもらいたい。もし何者かが日本政府を操って戦争に突き進ませているとしたら、そいつの思考はすでに第2次世界大戦で時代遅れになっているポンコツだ。近代戦は物量と輸送力と兵器の性能が物を言う。おまけに戦域は広大な範囲に及んで、ひとりの傑出した人物の力ではカバーし切れない。だがそれを理解していない者が政府の裏にいるとしたら、それは相当に危険な話だ」
なるほど、司令官さんの懸念はこの点にあったのか。大昔から居る人物じゃ、高度に複雑化している今の社会の仕組みや戦略のメカニズムをすでに理解しきれないというんだな。これこそ本当の老害というものかもしれない。いい加減そんなやつが居たら即座に引退願いたいぞ。でもこういう輩に限って潔く引退しないで権力の座にしがみ付こうとするんだよな。
「司令、なんとなく話はわかりました。それで俺に何をしろというんですか?」
「どうやらある程度は理解したようだな。もし影の支配者が利用価値があると考えているとしたら、我々の行動は制約を受けないだろう。だが目障りだと映ったら、我々は排除される方向に向かうはずだ」
「排除って言うと、殺されるということですか?」
「直接手を下さなくとも、社会的に『危険人物』というレッテルを貼って隔離するという手もあるな。いずれにしても今のうちから相手の出方を伺いながら慎重に行動する必要がある」
「こちらからは何もしないんですか?」
「相手の正体が掴めない以上は身動きが出来ない。ただし正体に関して極秘に調査を進めていく」
「了解しました。俺も周囲に目を配っておきます。何かあったらすぐに司令に報告します」
「頼んだぞ」
とは言ったものの、これは参ったな。外の敵だけじゃなくって国内にも危険な要因があるというのか。殊に一部のマスコミなんかは俺たち帰還者を目の仇のように報じているからな。この辺の動きももしかしたら陰で操る者の息が掛かっている可能性を考慮して監視しておかないといけないだろうな。
こうして司令官さんは面談室を出て行った。それにしてもさすがは部隊の上に立つ職責を担う人物だよな。俺たち下っ端とは違って色々と危険な因子を常に考えているんだな。こんな荒唐無稽な話は俺には全く考え付かなかったよ。それにしてもカレンの件の追及は受けなかったものの、同じくらいに重たい内容だったな。司令官さんが以前から感じていた懸念が大嶽丸の証言で一気に現実味を帯びてきたということなんだろうな。
影の支配者か・・・・・・ 歴史上何らかの功績を残した人物なんだろうけど、そんな人が居たのか俺には全く心当たりがないぞ。あとで美鈴に聞いてみよう。『いつも私に頼ってばかりいないで自分で調べろ!』と言われてしまうかな?
現在の時刻は10時半近くになっている。司令官さんとずいぶん長く話し込んでいたんだな。内容が内容だけに、これだけ時間が掛かるのも無理はない。さて、美鈴は確か第2演習場に居るはずだな。ちょっと顔を出してみようかな。
「西川先輩! こんな燃えている火に手を近付けられませんよ!」
「明日香ちゃんが触れるだけで魔力が失われて火が消えるはずだから、少しだけ勇気を出してみてね」
「だって、手の平を近付けると熱いんですよ!」
「それは燃えている火ですからね。多少熱いのは当然よ」
やってるやってる! 例の明日香ちゃんの能力を生かすために、美鈴が魔法で作り出したバレーボール大の炎に明日香ちゃんが手を近付けられなくて涙目になっているよ。根っからのヘタレだから内股になって膝がガクガク震えている。よくこんな頼りない性根で魔法少女を目指していたよな。
「美鈴、明日香ちゃん、どうやらあんまり成果は上がっていないみたいだな」
「さくらちゃんのお兄さん! 聞いてください! 西川先輩はこんな大きな火に手を近付けろと無茶を言うんですよ!」
「明日香ちゃん、ロウソク程度の小さな火では誰でも手で消せるでしょう」
美鈴の声は穏やかだが、その目は全く笑っていない。どうやら明日香ちゃんのヘタレっプリに訓練に付き合っているのが面倒になっているようだ。美鈴さん、その気持ちはなんとなく理解できるぞ。仕方がない、ちょっと協力してやろうか。
「美鈴の力だったら温度が低い炎も作り出せるだろう」
「全く、聡史は過保護ね。調整が結構面倒なのよ」
そう言いながら美鈴は温度の低い炎を作り出すと、明日香ちゃんの前に浮かべていく。何事もハードルを下げれば誰でも最初の一歩を踏み出せるのだ。だがそれでも明日香ちゃんは尻込みして炎に手を伸ばそうとはしない。まったく世話が焼けるな。どれ、ちょっと見本を見せてみようか。
「明日香ちゃん、良く見ているんだぞ。こうするんだ」
「お兄さん、熱くないんですか?」
俺が炎の中に左手を突っ込むと、その様子を明日香ちゃんはビックリした顔で注視している。俺の体を取り巻く魔力の壁のおかげで普通の炎でも全然熱くないんだけど、いい感じのデモンストレーションになったかな?
「ほら、手を近付けてみるんだ」
「はい」
本当に恐る恐るという表情で明日香ちゃんは手を近付けていく。そしてその手が触れた瞬間、炎は跡形もなく消え去っていった。
「やりました! 私火に触れました!」
飛び上がって喜んでいる明日香ちゃんだが、喜ぶのはまだ早いぞ。君は最初の一歩をようやく踏み出したばかりだからな。ここから先に自分の足で踏み出せるかが成功への大きな鍵だぞ。
「美鈴、同じような火をたくさん用意してくれ」
「ええ、わかったわ」
俺が片目を瞑ると美鈴は全てを理解してくれたようだな。たくさんの熱くない炎に混ぜて、普通の炎も宙に浮かべているよ。一度成功して明日香ちゃんはちょっとだけ自信をつけたようだな。次々に手を伸ばして炎を消し始める。そのうち調子に乗って勢いよく手を伸ばして炎を消して回っている。
「それっ! それっ! あれっ? 今の火はなんだか熱かったような気がするけど、消えちゃったからまあいいか!」
そんな具合に明日香ちゃんが頑張っている横で、俺は美鈴に話し掛ける。
「美鈴、聖徳太子の時代よりも古い歴史上の人物って誰か居るか?」
「どうしたの急に? そうね、すぐに思いつくのは卑弥呼かしらね」
ああ卑弥呼か! 日本史で習ったのを忘れていたな。確かにそういう人物も居た居た。邪馬台国がどこにあったのかという問題は今でも考古学史上最大の論争になっているんだよな。でも確か『卑弥呼が亡くなり戦乱が始まって、再び女性の王を立てた』という記録が残っているはずだ。すでに亡くなっているのがわかっているんだから、現在まで長く日本を操っていた人物とはちょっと違う気がする。
「他には居ないのか?」
「王仁とか」
「誰だそれは?」
「百済の国から渡ってきた渡来人よ。漢字を伝えたとか言われているわね」
気になってネットで調べてみたが、どうやら知識をもたらした以外の功績はないようだった。この人もどうやら該当しないようだな。
「あとは神武以来の倭国の5王と、その王に仕えた武内宿儺か、東国征伐で知られている日本武尊くらいかしら」
「日本武尊は知っているけど、武内宿禰って誰だ?」
「記録によると5代の王に仕えて長命だったそうよ。偽書だと言われているけど『竹内文書』にも出てくるわね」
なるほど、5代の王に仕えて長命か・・・・・・ これはもしかしたらちょっと怪しいかもしれないぞ。帰還者かどうか調べる価値はありそうだな。
「サンキュー、助かったよ」
「この話がなんの役に立つの?」
「あとで詳しく話す」
そういい残して俺は美鈴の元を去って自室に向かった。ネットで武内宿禰についてちょっと調べてみようと思ったからだ。結局この日の俺はずっとパソコンの前から動かないのだった。
その日の南シナ海では・・・・・・
現在南シナ海の殆どは中華大陸連合が海南島基地と南沙諸島を埋め立てて造成した航空基地で自らの内海化している。海南島基地の南洋艦隊と原潜によって制海権を、南沙諸島の航空基地によって制空権を握っている状態となっていると言っても過言ではない。
日本のタンカーや貨物船は安全を考慮してこの海域には入らずに、はるか南方のインドネシアの大スンダ列島を抜けてインド洋に出ているのだった。航路としてはおよそ5日以上余分に掛かる遠回りではあるが、航行の安全には代えられなかった。
だがこの海域に台湾船籍の5万トンクラスのコンテナ船『高雄Ⅶ』が航行している。台湾は日本と中華大陸連合に対して中立を表明しており、両者のどちら側にも組しない考えを国際社会に表明していた。その中立宣言のおかげでまさか民間船には手を出してこないだろうという過信があったのかもしれない。
悠然と航行する貨物船に海中から攻撃距離に接近する元級潜水艦『遠征45号』が魚雷発射管に注水を開始する。そして静かにスイムアウトした魚雷は50ノットの速度でコンテナ船に接近する。
ドーンという轟音とコンテナ船の喫水をはるかに超える水柱を上げて魚雷が船底で爆発して船は真っ二つに折れて、甲板に積載されていた夥しい数のコンテナがバラバラと海面に投げ出されていく。こうして乗組員が退避する猶予もなく、コンテナ船は轟沈したのだった。
この事件は中華大陸連合によって南シナ海で今回の紛争が始まって初の民間船の犠牲が出たというだけでなく、南シナ海には中華大陸連合が認めた船舶以外には航行の自由がないという国家の意思を誇示する目的で意図的に引き起こされた悲劇であった。
どうやら次の大きな戦火は南シナ海のようです。この続きは週末に投稿する予定です。どうぞお楽しみに!




