8 入隊初日
国防軍の施設見学からちょうど1週間後、例の大使館崩壊事件はだいぶ下火になってテレビのニュースで注目されているのはその後の日本政府と中華大陸連合の非難の応酬だった。
日本政府は事件の原因を『秘匿していたミサイルが暴発した』と結論付けたのに対して、相手は『日本政府によるテロ行為』を主張して、両者の意見は現状真っ向から対立している。
建物内から発見された動かぬ証拠がある以上、欧米を中心とした国際社会は殆ど日本を支持して、相手国の主張に対してはアフリカや南米の独裁国家が支持を表明するに止まっている。それでも中華大陸連合はなおも『ミサイルや覚せい剤は政府によるテロ行為を誤魔化すための工作である』と国際社会に向かって盛んに宣伝している。
そんな国際情勢には関係なく、俺たち3人は家族を残して特殊能力部隊に入隊の日を迎えていた。
「書類は問題ないですね。親御さんのサインもちゃんとあるし、これで皆さんは国防軍に入隊しました」
俺たちの入隊届けを受け取った管理部の担当の人が告げる。ずいぶんあっさりした手続きで入隊が認められたもんだな。
「皆さんはまだ陸士候補生扱いですが、1ヶ月から3ヶ月の訓練機関を経てから正式な入隊となります。その際は『一等特士』の階級に任命されます」
俺たちみたいにちゃんと高校も出ていない人間は普通は3等陸士からスタートするけど、帰還者は特別扱いで2つ上の階級からスタートするそうだ。訓練期間は能力によって短縮されていくらしい。『特士』というのは特殊能力者だけに与えられる階級名だ。
「訓練期間中と任官してからは階級に応じた所定の給与が支払われます。福利厚生や休暇等も他の部隊と同様に利用できます。ただし国際情勢が切迫しているので、殆ど希望通りには行かないものと思っていてください」
とんだブラック企業だよ! 企業じゃないけど・・・・・・ せめて週休2日であってほしい。休みも満足に取れないようじゃ、ストライキを起こすぞ!
「それから戦闘服等は一式あちらに用意してありますから、試着してサイズが合っているか後程確認してください」
会議机の上に迷彩柄の戦闘服や訓練用のジャージ、軍靴、背嚢、その他細々とした支給品が置いてある。軍オタの魂が荒ぶってくるねー! レプリカの迷彩服を着こんでサバゲーに熱中していたから、本物の戦闘服に袖を通す機会がやってくるとは夢のようだ。
「聡史君、似合うかしら?」
「兄ちゃん、ちょっと大きいよ!」
別室で試着を終えた美鈴とさくらが揃って出てくる。美鈴はスタイルがいいので何を着ても似合うが、妹は身長150センチの上に超が付く程のお子様体型だ。袖を捲り上げて、ズボンの裾を折っている。国防軍には身長規定があるので本来ならアウトだが、帰還者だから入隊できた。ただし、装備品のサイズまでは準備が間に合わなかったらしい。一番小さいサイズでしばらくは我慢しなければならないそうだ。
「それではこれで入隊に関する手続きはすべて終了だ。司令官が手続きが終わったらすぐに来るようにと言っている。案内するからついてきたまえ」
装備品や家から着てきた服などは全部アイテムボックスに放り込んで、俺たち3人は管理担当の少尉さんに連れられて司令官の執務室に向かう。へー、結構立派なんだな! 部屋の前のカウンターには秘書官が座っているよ。
「本日付で入隊した訓練生3名を連れて参りました」
「ご苦労様でした、ここからは私の方で案内いたします」
管理担当から秘書官さんに引き継がれて、俺たちは司令官さんの執務室に通される。内部は中央に立派な木製のデスクが置かれて、そこにあのおっかない司令官さんが座っている。俺たちを睨み付ける目が全然笑ってないぞ。その他には副官と別の秘書官がさらに2人デスクに座って俺たちを見ている。
「楢崎聡史訓練生他2名を連れて参りました」
「ご苦労、内密に話をしたい。全員席を外してくれ」
キビキビとした口調で司令官さんが命じると、他の人たちは敬礼をして素早く室外に向かう。この辺りの動きの1つ1つにも日頃の訓練の厳しさが伝わってくる。事務方の人たちもやっぱり動きが全然違うよ!
「よく来たな。色々と聞きたかったから、首を長くして待っていたぞ。そこに座ってくれ」
努めて冷静を保つ口調ながらもこめかみの辺りがピクピクしているよ。ヤバいな、あれは大使館の件に関して相当怒っている顔だ。こうなったら取る方法はただ1つ!
「すいませんでした!」
俺はその場に正座して、お詫びの言葉を口にする。司令官さんと美鈴とさくらの3人はソファーに腰を降ろして、床に正座している俺を不思議そうな顔で見つめている。その瞬間、部屋に微妙な空気が流れた・・・・・・
「何をふざけているんだ! 早くこっちに来い!」
呆れ顔の司令官さんがキレ掛かった声を上げている。しまった! 完全に逆効果だった模様だ。
「兄ちゃんは恥ずかしいよ! いきなり正座して何を謝っているのかわかんないよ!」
妹よ、お前の頭からはこの前の大使館討ち入りの件はすでに消え去っているのか? あれだけの事件を引き起こしてすでに記憶の彼方に押し流されているのか? そんな疑問を抱えたままで俺は司令官さんの緯線を浴びながら美鈴の隣に腰を降ろす。
「さて、例の大使館崩壊の件は見事なものだな。死者249人、生存者はゼロ。14階建てのビルが崩壊して周囲には何の影響もなし。これだけの見事な手際を発揮するとは、お前たち3人は異世界で何をしてきた?」
「お言葉ですが、司令官。街を丸ごと焼き尽くすのに比べれば、あの程度は子供の遊びに過ぎません。私たちに迂闊に手を出すとどうなるかという極々軽い見せしめですの」
大使館襲撃の言い出しっぺ、美鈴さんが大魔王モードを発動しているよ! 普段は真面目な優等生なんだけど、こうなるとどんな冷酷な仕打ちでも笑いながら手を下す。大魔王様には絶対に逆らってはならない。
「そうだよ! あの程度は軽い運動にもならないよ! もっと大暴れしてお腹を空かせると、そのあとのご飯が美味しくなるんだよ!」
妹よ、そこまで調子になるんじゃありません! ほら見ろ、司令官さんが頭を抱えているじゃないか!
「わかった、もうあの件に関しては何も聞かない。聞いたら聞いただけ私のストレスが溜まりそうだ。さて異世界からの帰還者はその世界でどのような経験を積んだかによって、持ち得る能力に大きな開きがある。私は別の世界で〔神殺し〕という称号を得たが、お前たち3人はどんな力を得た?」
〔神殺し〕か・・・・・・ さすがは司令官さんだな。異世界の神すら倒してきたという訳だ。体から滲み出て来る迫力が段違いだから、まあそれも当然だと頷ける話だ。
「あっちの世界では魔王やら邪神やらを片っ端から倒してきました。俺の称号が〔破壊神〕、妹が〔獣神〕、美鈴が〔大魔王〕です。もしかしたら今は〔魔神〕か〔魔帝〕に昇格しているかもしれないです」
「なるほどな、称号に『神』が付いているのか。ならばその強大な力も理解できる。これは大助かりだな、私の仕事が大幅に減りそうだ!」
司令官さんは急に表情を柔らかくしている。もしかして自分の仕事を俺たちに丸投げするつもりか? そうですね、そうなんですね!
「ただし、1つだけ注意しておく。独断であんな事件を引き起こすな! お前たちが考えている以上に国際情勢が逼迫している。小さな事件が引き金で戦争が起こる危険がある。火種はどこにも転がっているんだ、行動は慎重にしろ!」
「「わかりました」」
「うーん、それは保障できないよ!」
俺と美鈴は声を揃えて司令官さんに素直に従う意思を表明したが、こいつだけは違う! 妹は元来ウソを付けない性格なので正直に答えてしまった。こういう場ではウソでも『はい』と答えるべきだろうが!
「楢崎聡史訓練生、貴官の妹を厳重に監督しろ! 場合によっては連帯責任を負わせるぞ」
「それは無理かもしれないです」
妹を規律に縛り付けるのは無理な話だと俺はすでに諦めている。常識からはるかに逸脱した存在、それが俺の妹のさくらだ。しかも〔獣神〕なので、しょっちゅう野生の本能が疼き出す。こんな鉄砲玉をどうやって管理するというのだ! 方法があったら教えてほしい。
「そうそう、無理だね!」
自分から『無理』って言うな! このアホ妹!
「さくらちゃん、ここは食事が食べ放題の上に、広い敷地を自由に使って訓練し放題よ! それに時々実戦もあるから退屈しないわ」
「うほほー! そうだ忘れていたよ! ご飯をいっぱい食べて、好きなだけ運動できたら満足だよ!」
単純だ、我が妹は実に単純だ! こんな簡単に美鈴の口車にノセられている。振り込めサギにあっさりと引っ掛かりそうだ。
「そうか、では西川美鈴訓練生に管理を任せよう。目を離さないようにしてくれ!」
「わかりました」
こうして俺たちはひとまずは訓練生の寮の自室に引き上げるのだった。
普通の訓練生は4人部屋や6人部屋が当たり前なのだが、俺たち帰還者は特別待遇で各自に個室が与えられている。現在特殊能力者の訓練生は俺たち3人しか居ないので、3つ並んだ部屋がそれぞれに与えられている。男女の別などは適当に自分たちで管理しろということらしい。その代わり毎日のタイムスケジュールは厳守しろという話だった。
昼食を終えて、午後から早速座学の時間が始まる。帰還者や国際情勢に関する講義があるらしい。講義室といった物はないので、小さな会議室に集まって講義が始まる。
「はじめまして、私は国際情勢の分析官、八代大尉だ。これから3日間に渡って君たちに必要な知識を教える。しっかりと理解するように。おい、さくら訓練生! 何で寝る体勢に入っているのだね?」
「教官、すいませんが妹は放置してください。眠いのを無理やり起こすと非常に危険です」
「何が危険なのかね? こら、目を開けるんだ!」
ブーン!
妹を起こそうとする八代大尉の鼻先3センチを、唸りを上げて妹の裏拳がかすめて行く。当たらなかったのは大尉の運が良かっただけだ。危険性を心から理解した大尉は額に一筋の冷や汗を浮かべて妹から離れていった。
「いつもこんな感じなのかね?」
「学校の授業中は殆ど寝ています。起きているのは体育の時間と家庭科の調理実習くらいです」
「さくらちゃんはこのまま放置が妥当かと提言します」
俺と美鈴の助言を素直に聞いてくれる度量が大尉にあったのは幸いだ。取り扱いには厳重な注意が必要だと前もって聞いていたのかもしれない。
「それでは気を取り直して、現在の時点で世界各地で報告されている異世界召喚と帰還者について説明しようか。君たちのように召喚先で何があったのかは私にはわからないが、1つのデータとしてこのような傾向があるのかを知っていてほしい」
なるほど、地球上で異世界に召喚される人たちがかなりの数に上っているのはニュースで聞いていたけど、どのくらいの数なのかその実態については全然知らされていないよな。
「これが世界各地で異世界に召喚されたのではないかという疑いがある行方不明者の分布だ」
スクリーンに映し出された世界地図に赤い丸が点々と表示されている。ここに表示されているのが正確な数字というわけではなくて、俺たちのように何の前触れもなく急に行方不明になった人がデータとして表されているのだ。
もちろん本当の異世界召喚などといった例は召喚された本人にしかわからない。証拠も何も残さずに居なくなってしまうのだから、それは仕方がないだろう。現に俺たちも否応なくあっちの世界に召喚されて、戻ってくるまでは地球がどうなっているのか何の情報もなかった。
それにしても思っていたよりも表示されている数が多いな。何百例も疑わしい事例が報告されているという訳だな。
俺と美鈴は食い入るようにその地図を見つめるのだった。
次の投稿は日本を取り巻く国際情勢のより詳しい内容と、各国に散る帰還者たちの情報が中心になりそうです。