218 サンシーロ 前編
長くなったので、前後編に分割しました。(1話でなんと、15000字超え!)
後編は夕方投稿いたします。
話は誘拐事件発生の当日にまで遡って、聡史たちが突然失踪したという報告を受け取った富士駐屯地の司令部では……
「司令! 楢崎中尉をはじめとする、誘拐被害者救出に向かった人員が、突然連絡を断ちました」
「何らかの手掛かりや遺留物はないのか?」
「具体的には何も発見されておりません!」
「そうか…… どれ、この目で現場を見ておくか。ヘリを用意してくれ」
「了解いたしました」
副官から報告を受けた私は、すぐさま用意されたヘリに飛び乗って、我が隊の隊員が失踪した現場へと向かう。
ヘリから降りて案内されたのは、那須高原にある別荘地の一角だ。
「他の建物には特に目立った損傷がないこの状況を考えますと、この保養所が犯行グループのアジトであったと考えられます」
「そのようだな」
楢崎中尉以下をこの地に運んできたヘリの搭乗員から、一応の状況を聞きながら保養所の敷地をまたぐ。とはいえこの搭乗員も、彼らがヘリから降りる場面までしか直接目撃してはいないから、この話も状況を補完する証言の一つとして捉えたほうがいいだろう。
「それにしても、きれいさっぱりと更地になっているな。本当にこの場所に建物があったのか?」
「司令、間違いありません。鉄筋5階建ての保養所が、つい4時間前までこの場に存在しておりました」
「そうか、もう少し調べてみるか」
なぜかこれだけは不自然に残されている施設の門をくぐると、敷地の内部には建物の跡がくっきりと浮かび上がっている。広大な敷地には、そこだけは雑草の類が一切ない、赤茶けた土壌がむき出しの地面が広がっているのだ。
どうやら建物が消えたのは事実で、中尉以下の人員が失踪した問題には、何らかの相関があると考えたほうが良さそうだな。
しばらくは、その建物の跡を歩き回って、地面に何か落ちていないか探してみるが、特に遺留物などは見当たらないようだな。しかし、私の感覚に違和感が……
「ほう、この場所には空間の揺らぎが残っている」
「司令、それは何でしょうか? 自分には何も感じられませんが」
「一般人には通常の空間としか認知できないが、私にはわかる。なるほど…… 大規模な術式の痕跡も残っているようだし、考えられるのはただ一つだな」
これだけの膨大な魔力が使用されたからには、空前規模の大魔法が発動したのは間違いないだろう。発動者は、おそらくは西川少尉だろうな。
ここから類推すれば、建物ごと消し飛ばされるような危機が発生して、西川訓練生の魔法によって、どこかの場所に緊急転移をしたと考えるのが、至極妥当な線だろう。恐ろしく複雑な術式ではあるが、それを成し得るメンバーがあの場は揃っていたからな。
どこかの地へと無事に転移しているのならば、あいつらのことだ、いずれは自力で日本へ戻ってくるだろう。私は、その時を待っていればよい。
やつらが戻ってくるまでに戦線に異変があれば、その時は神殺しが直々に戦場に赴くさ。なに、私にも、長年この日本を一人で守ってきた自負がある。安心してしばらくの間羽を伸ばしてこい!
その代わり、帰ってきたら以前にもましてこき使ってやるから、覚悟するんだぞ!
「よし、調査は終了だ! この場を撤収する」
「司令! 何の証拠も発見しておりませんが、よろしいのでしょうか?」
「あいつらは、無事だから安心しろ。そのうちに、ひょっこり帰ってくる」
「お言葉ですが、なぜ司令にはわかるんでしょうか?」
「細かいことは聞くな! もうこの場に用はないから、撤収だ!」
「はあ、わかりました」
それにしても、二度目の転移を経験するとは…… なんだったら私と代わってもらいたいくらいだ。書類仕事から解放されて別世界で大暴れなんて、どれだけ気分がスカッとするのか……
ああ、わかっているさ。やつらの留守は神殺しが完璧に守ってやる。だから、早く無事に帰ってくるんだぞ。
こうして、私は富士へと戻っていくのであった。
一方、聡史たちは……
ミカエルとルシファーの活躍によって、さほどの混乱をきたさずに、フランツ王国の王都から奴隷とされていた人たちを救い出した。その数は、ざっと勘定しただけでも1500人に上っている。
王都だけあって、この街で使役されていた奴隷の人数は桁違いだな。急激に増えた人員をキャラバンに収容するために多少の混乱が発生したが、接収した馬車200台に分乗して、国境を目指して移動している最中だ。
ちなみに、王都から西を目指して旅を続ける中で、通り掛かった街でもすべての奴隷を救い出した。つまり現在は、3000人以上の元奴隷を抱えての旅路である。
これだけの大所帯になると食事だけでも大騒ぎとなるが、そこはすでに1か月以上この生活を送る先輩格の獣人のオバちゃんが、実に頼もしい。大鍋に次々と素材を放り込んで、おいしいスープを調理してくれるのだ。
あとは、各自がパンを受け取って、焚火で焙った肉を頬張るという、食事風景が野営ポイントのそこかしこで見受けられる。パンや野菜は、通り掛かりの街で常に補給を欠かさないから、全員が腹いっぱいになるまで食事を楽しむ。肉類は、当然道中で行き会った運が悪い魔物が供されている。
妹に率いられた獣人たちが、食料になる魔物が絶滅する勢いで、狩りまくったからな。アイテムボックスには、大量の肉が新鮮なままに保管されている。
さて、大勢が旅をするにあたって最大の問題となるのは、実は人間の食事ではない。最も労力と資源を要するのは、馬車を引く馬の世話なのだ。
馬が一日に食べる飼料の量を考えたことはあるだろうか?
これはたとえ一頭であっても、相当な量に上る。その馬が、予備を含めておよそ500頭近くいるのだ。これだけの数の馬を養っていくのは、その餌だけでも膨大な飼料を要する。
軍隊の移動などでは、馬の飼料を専門に輸送する車両が100台単位で必要となってくるのが定石となっている。それほど馬の世話というのは大変な仕事であり、絶対に欠かせない重要事項なのだ。
しかし、俺たちのキャラバンでは、このような場合に実に頼りになる人物がいる。
「おーい! 馬たちはこっちに集まるんだよぉぉ! 今からご飯を食べに行くからねぇぇ!」
馬車から外された馬たちは、ブルンブルン鼻を鳴らしながら、妹がいる場所に集まっていく。そのまま妹が騎乗する一頭の馬にくっついて、これから草原でのんびりと放牧されるのだ。
広い草原に数頭ずつ固まって、のんびりと草を食むのどかな風景が広がる。俺たちが野営地を必ず草原に限定しているのは、このような事情も隠されているのだ。
やがて、腹いっぱいになった馬は、一頭二頭と自分が引く馬車へと戻っていく。嫌がる素振りも見せずに、自分から馬車がある所に勝手に歩いていくので、全然手が掛からない。中には近くにある水場に立ち寄ってから、馬車に戻る利口な馬もいるくらいだ。
全ては、獣神の称号を持つ妹の力のおかげだ。馬たちが目を輝かせて、妹の言葉に従っているのだ。
こうして順調に旅は進み、ついに俺たちはジェマル王国の国境の街に到着した。街といっても、それは名ばかりで、正確には村と呼んだほうがいい規模の小さな集落だ。
馬車から転げ落ちるかのように降り立った獣人が、街に向かって全力で走り出す。
「帰ってきたぞぉぉ!」
「ついに俺たちの故郷に戻ってこれたんだぁぁ!」
キャラバンの中には、この小さな街の出身者も当然いて、彼らは懐かしい家族や友人の元に戻っていく。
妹が最初に助けたビアンカちゃんも、両親と再会して引き取られていったぞ。
両親に手を引かれた彼女の笑顔は、煌めく太陽のようにピカピカに輝いて、俺たちの馬車が出発してその姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていたな。元の生活に戻って、どうか幸せに暮らしてもらいたい。
その後、王国内の各地にある集落に、50人、100人と送り届けて、キャラバンの人数は半数ほどになっている。ここまで俺たちに付いてきた者の大半は、王都のサンシーロで捕らえられた人たちで、ごく少数ながら故郷に残らずに王都まで付いてきた者もいる。彼らは、故郷に親兄弟や顔見知りがいなかったせいで、新たな働き口を求めて王都まで行く決断をしていた。
よくよく彼らに事情を聴くと、フランツ王国の侵攻はかなり苛烈で、それはもはや侵略行為に準ずるものであったそうだ。
サンシーロまで攻め入ったフランツ王国軍は、略奪の限りを尽くして大勢の住民を奴隷として連れ去ったのが、今から2年前の話だ。その後も、国境周辺にちょくちょく軍を派遣しては、集落を襲って人々を連れ去っていった。
話を聞けば聞くほど、フランツ王国の横暴が酷かった様子が理解されてくる。アウラ神という根も葉もない信仰によって、人族優位主義が蔓延った結果であろう。
当のフランツ王国は、現状、俺たちの手によって内政全般がズタズタにされている。それぞれの街の領主が抱えていた騎士団はほぼ壊滅して、王都の国王直轄軍さえも、その二割が消失している。
領主の倉庫にあった金貨や食料はすっかり空になっており、軍を出すどころか当座の住民の生活を何とかするので精一杯だろう。
その他にも、奴隷を扱う商館は、根こそぎ妹が破壊してきたので、人間を商品として流通させるネットワーク自体が、その機能全般を停止している。
とはいえ、これはモラトリアムにすぎない。数年が経過すれば、フランツ王国は力を取り戻して、再びこの国に侵攻する機会を窺い出す可能性があるのも、否定しようのない事実だろう。
そこで俺たちは、ある提案を秘めてこの王都にやってきた。もちろんこれは、引き連れている獣人やハーフエルフに職業を斡旋する重要なプランでもある。帰ってきたはいいが、働き口がないのでは、元奴隷であった人々が途方に暮れてしまうだろうからな。
街の門を警護する衛兵が目を丸くする様子を眺めながら、俺たちは王都に凱旋する。およそ1500人という大キャラバンが到着して、街中は騒然とした空気が流れる。
中には顔見知りと出会って、抱き合って喜びあう姿がある。彼らの中で望む者はそのまま家族や友人の元に返して、残った1000人近い人間は、街の中央広場に集結させておく。そのまま大休止の号令を掛けると、人目もはばからずに食事の準備を行っている。
俺たちは、そんな彼らの中から希望する10人程度を引き連れて、この街の冒険者ギルドへと向かう。
「ようこそ! サンシーロの冒険者ギルドへ!」
「冒険者の新規登録を頼む。それから、ギルドマスターと話がしたい」
「どのようなご用件ですか?」
「フランツ王国に奴隷として捕らえられていた人たちを、全員助けてきた。彼らのこの先の処遇について、ギルドマスターと話したい。それから、ここにいるのは、元奴隷の中で冒険者を志す者たちだ。腕は保証する」
「か、かしこまりました。登録はこちらのカウンターで行いますから、一列にお並びください。すぐにギルドマスターに取り次いでまいりますから、しばらくお待ちください」
受付嬢は慌てて階段を駆け上がっていく。大勢の人々が街に入ってきたという噂は聞いてはいたのだが、それがまさかのフランツ王国から戻ってきた人たちというのは、彼女にとっては寝耳に水であった。
彼女をはじめとしたサンシーロのほとんどの人たちは、『連れ去られた人たちとは二度とは会えない』と、心の中で諦めていたのだ。それが奇跡のような運命の逆転が重なって、再び故郷へと戻ってきた。この事実に、街中がかつてないほど沸き立っているのだった。
「どうぞ、二階へお上がりください。ギルドマスターが、待っています」
息せき切って戻ってきた受付嬢に従って、俺たちはギルドマスターと面会を果たす。妹と明日香ちゃんとアリシアの3人が、そっと気配を隠して飲食コーナーに姿を消したのは、今更どうこう言っても始まらないだろう。
「私がギルドマスターのイワンだ。君たちが奴隷となった人々を救い出してくれたのかね?」
「ああ、そうだ。総勢3000人以上をこの国に連れ帰った。すでに故郷の村に戻った者が半数いるから、王都に来ているのは約1500人だ」
「そんなにたくさんの人を救ってくれたというのか! 君たちは大恩人だ!」
立ち上がったギルドマスターが、握手を求めてくる。ひとしきり熱烈な握手に応えて右手を握り合う。できればこんなむさくるしいオッサンとの握手などご免なんだが、この場ではしょうがない。
「さて聞くところによると、この国の軍は住民も守れない弱卒らしいな」
「まことに恥ずかしい限りだが、実にその通りだ」
「弱い原因は?」
「まず、我が国は人口が少ない。よって、動員可能な兵士の人数が限られてくる」
「それだけか?」
「装備の点でも、経済力がないせいで新たな物品を購入できないのも事実だ」
弱小国の宿命を一身に背負っているかのような物の言いようだな。だが、この程度の説明では、もちろん納得はしない。そもそも根本的な点で、この国の防衛は誤りを犯している。その原因を追究してみようか。
「なぜ獣人との混血やハーフエルフを戦力に組み入れないんだ?」
「それは王国政府の方針だ。獣人の血が混じった者は好戦的過ぎて、戦いの中で勝手な行動をとる者が多いのだ。集団戦闘には不向きであるという理由で、除外されている。彼らも、軍役がないのを心の中では喜んでいるのだよ。なにしろ我の強い連中だからね」
「エルフは?」
「エルフの血が混ざった者たちは、逆に孤高な性格の者が多くてな。軍隊生活に中々馴染んでくれないんだ」
大体思った通りの回答が得られたな。ということは、強力な戦力である獣人やエルフを除外した、人族だけで構成された軍隊ということになる。
ただでさえ戦力が手薄なところに持ってきて、この調子では軍事力でフランツ王国に対抗できないはずだ。
2年前、フランツ王国にこのサンシーロを蹂躙されたおりは、いち早く国王や高官などとともに一部の目端が利く住民が、街を脱出したそうだ。指揮をする者がいなくなってしまっては、居残った住民が、地獄のような惨劇に見舞われるのは当然であろう。フランツ王国軍が退却していったのは、戦利品に満足したのと、補給の限界を迎えてこれ以上の追撃は不可能と判断したからに過ぎない。
仮に、もう一度本格的なフランツ王国の侵攻があれば、この国は確実な滅びに瀕するだろう。状況がここまで追い込まれているのならば、獣人だのエルフなどとは言っていられない。
しかも、獣人もエルフも仲間を助けるためなら命懸けで戦う。そこには理屈などない。己が守りたいと思った大切なものを守るだけなのだ。むしろ彼らの仲間を守ろうとする戦いは、鬼気迫るものがある。これを活用しないで、一体何とするのだ!
要は軍事教育のやり方の問題だ。単なる方法論に過ぎない。
親兄弟、家族を守る。仲間を守る。村を守る。街を守る。国を守る。全てが別個に存在するわけではない。街や国を守るために命を投げ出すことこそ、大切な人を守ることに繋がるのだ。この崇高な行為に、種族の違いなど一切関係はない。
この点を強調した軍事教練を行えば、好戦的な獣人であろうと、孤高のエルフであろうと、一致団結して規律を守った戦闘が可能だ。もちろん、それは俺たちがフランツ王国の各地を転戦してきた事実が証明している。
「国王に取り次いでもらえないか? 半年でフランツ王国を圧倒する軍隊を作りあげる方法を、俺たちが教えてやる」
「ほ、ほんとうなのか?! 仮にそれが事実ならば、我が国は今後、フランツ王国の脅威に直面しなくなる
こうしてギルドマスターとの会談を終えた俺たちは、妹たちが待っている飲食コーナーへと向かう。これから、城へ向かわねばならないのだ。だが、しかし……
話がスムーズに進むと喜んだのも束の間、ここからが一苦労だった。飲食コーナーで『まだ食べ足りない!』と主張する妹を何とか宥めすかすという、最大の課題が残っていた!
我が妹は、一旦食事を開始すると、腹いっぱいになるまでテコでも動かない。仕方がないからこの場は美鈴に頼ろう。
「さくらちゃん、夕食はステーキ食べ放題よ!」
ピクッ!
ほらほら、美鈴の誘惑に妹が動揺しているぞ! 目の前の昼食をとるか、夕食のステーキをとるかで、妹の心の中では葛藤が始まっている。
「デザートには、ホイップクリームがたっぷり乗ったパンケーキはいかがかしら?」
ガタッ! 椅子が勢いよく音を立てると同時に、妹よりも先に横の席に座っている人物が、コブシを握り締めて立ち上がる。
「西川先輩! さくらちゃんなんか放置して、すぐに出掛けましょう!」
デザートにつられて、明日香ちゃんがあっさりと陥落している。大丈夫なのか? ダイエットはまだ続いているはずだが…… 甘い物の前では、友情なんて実にはかない幻なんだな。
「あら、このままではさくらちゃんのパンケーキは、全部明日香ちゃんに食べられてしまいそうね」
「さくらちゃんを置いていくんじゃないんだよぉぉぉぉ!」
妹が立ち上がる。その背中からは真っ赤に燃え上がるオーラを噴き出しながら、ついに昼食を放棄する断を下したのだ。たかが食事一つで、ここまで熱くなれるとは…… どこかの元テニスプレーヤーか! しばらくの間『修造』と呼んでやる!
こうして、俺たちはギルドマスターの案内の元、この国の王に会いに城へと向かうのだった。
後編を夕方投稿いたします。そちらも、どうぞご覧ください!




