167 大賢者
フィオの一人舞台が……
フィオが一人で前に進み出ると、フランスの帰還者たちは、彼女を半円形に取り囲む。各々の手には剣や槍を所持しているな。一歩後ろで杖を持って立っているのは、おそらく魔法使いタイプなんだろう。
7人全員が、フィオに対して完全な攻撃態勢に移行している。その中で、指揮を執るジャンヌと名乗った女が、フィオに向かって警告を発する。
「たった一人で向かってくるとは、命知らずにも程があるな。だが我々は容赦はしない! お前を倒した後に、仲間たちもあの世に送ってやる」
おいおい、こちらがせっかく平和的な対処を考えてフィオを送り出したのに、フランス側は最初から皆殺しを前提としているのかよ! これでは、話し合いもクソもあったものではないな。さて、こんな相手に対して、フィオはどう出るつもりだろうか?
「よろしいですわ。私を殺す気で向かってきていただいて、結構ですのよ」
対するフィオは、まったく平静を崩さない。余裕の表情で、自らを取り囲む帰還者に視線を送っている。それにしても、躊躇わずに命を奪おうと向かってくる相手を、フィオはどうやって取り押さえるのか、これは中々興味が湧いてくるな。相手を殺すよりも、無傷で取り押さえるほうが、はるかに難易度が高いのは言うまでもない。
「アンドレ、ルルー、ノエル! 魔法を放て!」
ジャンヌの声にしたがって、魔法使いの3人が発動準備を終えていた魔法を次々に放ってくる。炎と氷の槍と電撃がフィオを襲う。だがその魔法は、フィオの体の手前であっさりと停止した。炎は霧散し、氷は砕けて、電撃は地面に吸収されていく。
「この程度の子供騙しでは、私の防御は破れませんのよ」
「魔法障壁か! 我々の攻撃に対して、長時間保持できるはずがない! 絶え間なく魔法で攻撃しろ!」
フィオのシールドは、美鈴同様に、生半可な威力では砕けないぞ。そんな初級魔法に毛が生えた程度の攻撃では、傷一つ付けられないからな。そういえば気になることがある。俺は横に立っている美鈴に疑問をぶつける。
「美鈴、フランスは、魔法銃を実用化していないのか?」
「ええ、今のところは、日米英独の4カ国しか開発に成功していないわ。富士駐屯地の技官の話では、他国も開発が始まっているらしいけど、実用化には程遠い段階とのことね」
「技術的な問題か?」
「機械的な技術よりも、壁となっているのは術式の構築ね。なにしろ、大魔王が解析に1週間も要した高度な術式ですから」
それもそうだな。美鈴が司令の小銃やバズーカの術式を解析したのが、その後の国防軍の装備向上に大きな貢献をしたんだっけ。特に魔力砲は、今や国土防衛の要といっても過言ではない。その派生型として開発された魔法銃や擲弾筒、魔力バズーカといった、豊富なラインナップが用意されたのは、すべて美鈴とフィオの貢献だ。ああ、もちろん技術科の皆さんの開発者魂もあってのことだと、一言付け加えておく。
プロトタイプがあった日本は、立場的に最初から有利だったけど、独自開発したドイツや、その技術をさらに改良したアメリカの魔法工学も中々侮れないな。イギリスは今のところ、実用化に向けて大幅に改良する余地が残されているけど…… 英国面を侮るなかれだな。
さて、フィオに視線を戻そう。
「これだけの魔法を浴びても、まだ障壁を維持しているのか! こうなったら直接攻撃に移る。一斉に掛かれ!」
魔法が一向に効果を表さないことに苛立ったジャンヌが、剣士と槍士に指示を出すと、彼ら3人は得物を構えて、フィオに突撃を開始する。だが……
ガキッ! ガキガキッ!
魔法同様に、剣や槍もフィオのシールドにあっさりと阻まれている。そもそも、打ち掛かった剣士たちの攻撃力が低すぎて、お話にもなっていない。ニュルンベルクの駅前で出会ったロレーヌも槍を手にしているが、口ほどにもないヤツだった。尻尾を巻いて逃げて、正解だったな。
そしてジャンヌは、物理攻撃も効果がないこの状況を、大きな驚きをもって受け止めているようだ。
「なんだと! 魔法障壁と物理障壁を両立させているというのか! だが、防御にそれだけ大量の魔力を消費していたら、攻撃に振り向ける余裕などないはずだ! いいか! 相手の魔力が切れるまで、ひたすら攻め続けろ!」
自分たちの常識で、フィオの能力を測ろうとしているようだな。だがそれは、大きな間違いだぞ。マギーから聞いた話によると、魔法障壁と物理障壁の同時展開というのは、アメリカの帰還者でも彼女以外は不可能らしい。技術的に困難、というだけではなくて、魔力の消費量が半端ではないそうだ。
ところが、美鈴やフィオはそれを〔シールド〕という名の下に、涼しい顔でやってのけている。もちろん二人の膨大な魔力があれば、一日中展開が可能だ。こうして考えると、司令を筆頭に俺や妹を含めて、日本の帰還者はどう考えても規格外の集団なんだな。
フランスの帰還者たちの猛攻は、すでに5分以上継続している。フィオに向かって、炎や氷が飛び交い、その合間を縫って、剣や槍が襲い掛かる。すでに彼らの大半は、肩で息をし始めている。これだけの攻撃をそうそう長時間続けるのは、帰還者をもってしても困難だろう。
「相手がしぶといのか、我が軍がだらしないのか…… もうよい、お前たちは下がれ! 私が直々に仕留める!」
業を煮やしたジャンヌが、いよいよ自らフィオに立ち向かうようだ。どうやら彼女は剣士タイプだな。腰の剣を引き抜いて構えると、一気にフィオに向かって斬り掛かる。
パリン!
おや、この音はフィオのシールドが破れた証拠だな。一撃で大賢者の防御を崩すとは、この女は相当な実力の持ち主だろう。俺の見たところでは、攻撃力が3000万を超えているぞ。今まで出会った各国の帰還者の中では、おそらく最大だろうな。
「まあ、これはお見事ですわ。私のシールドがたった一枚割れてしまいました。あと99枚残っていますから、どうぞ頑張ってください」
ところがフィオは、この状況をまったく意に介していはいなかった。自らのシールドを割ったジャンヌを、逆に激励している。あのお貴族様口調といい、これは相当な厭味が篭っているな。
「何枚あろうと、全て叩き割ってやる!」
ジャンヌは再び剣を振り下ろす。それも20回ほど全力で。そのたびに、1枚ずつフィオのシールドが割れる音が響く。ここで一旦、彼女は下がって息を整えるようだ。立て続けに剣を20回も振るったら、呼吸が乱れてくるのだろう。もしこの場に妹がいたら、『鍛え方が足りない!』と一蹴された挙句に、特訓に強制連行されるぞ。
「まあまあ、本当にお見事な攻撃でしたわね。(棒) さて、私もやられっぱなしでは立場がないですから、そろそろ攻撃に移りたいと思いますわ。皆さん、どうかしっかりと対処してください」
「なんだと! あれだけ防御を固めながら、まだ攻撃する余力があるのか?!」
余裕の表情のフィオの宣告に、ジャンヌが驚いた声を上げている。自らの全力攻撃をフィオが平然としながら受け止めているだけならまだしも、これから反撃に出ようというのだから、驚くのは当たり前か。
「それでは参ります。スターエクスプロージョン!」
ああ、フィオが最も得意とする攻撃魔法だな。大賢者の代名詞といっても差し支えない。手の平から打ち出された光が、空に浮かび上がって…… 目標に向かって急降下していく。
ヒューン、ヒューン、ヒューン、ヒューン、ヒューン、ヒューン、ヒューン、ヒューン!
パパパパパパパパパパパパパパパパパパパン! パパパパン!
光はフランスの帰還者に当たると、小爆発を繰り返す。それは嫌がらせのような小さな爆発だが、蓄積すると、それなりのダメージに繋がっていく。何よりも直撃すると、結構な痛みがあるのだ。その上、爆発で生じる光で、視野が真っ白に染まってしまう。
「身を守れ! ダメージを受けるな!」
ジャンヌは小型の盾を頭上にかざして、降り注ぐ光を避けようとしている。他の帰還者も、盾で防いでいるな。魔法使いたちは、魔力を合わせて、頭上に障壁を築いているようだ。
「あら、フィオにしては、普段よりも狙いが甘いわね。聡史君、地面に落ちていく光が半数以上に上っているわ」
「美鈴、そうなのか? 俺にはあまり代わり映えしないように見えるけど」
「なるほどねぇ。聡史君にはそんな感じに見えているのね。ということは、フィオは何かを企んでいるわね。きっと間違いないわ!」
「一体何を企んでいるんだ?」
「それは見てのお楽しみよ」
美鈴には何が見えているのかな? 魔法に関する知識がない俺には、さっぱりわからないぞ。きっと、大魔王様には、俺とは違う景色が見えているんだろう。
2分近く連続で降り続いた光のシャワーが止むと、地面には点々と黒い跡が刻まれている。光が爆発する衝撃は、ロケット花火程度だから、穴を開けるほどではないな。フィオの魔法に耐えていた帰還者たちは、攻撃が収まったと判断して、再び攻勢に出る姿勢を取っている。
「見掛け倒しの魔法だったな! 私にはまったくダメージはないぞ! 魔力が残り少ないから、このような子供騙しの手に出たのだろう。さて、今度はこちらの攻撃を受ける番だな」
防御姿勢から立ち上がったジャンヌが、フィオに剣先を向けて勝ち誇ったように宣言する。いいのかな、大賢者が、この程度で終わるはずがないだろうに。
「相変わらず強気でいるようですね。でも、追い詰められているのはあなた方だという自覚を持ったほうがいいですわ」
対してフィオは、フランスの帰還者全体に、憐憫を湛えた瞳を向けている。その様子に美鈴は何か気がついた様子で、そっと俺に耳打ちをしてくる。
「フィオったら、こっそりとあんな細工をしていたのよ。地面に注目してね」
「地面? 何がどうなっているんだ?」
美鈴の耳打ちは、俺にとってはまったく不可解だ。地面は黒い焦げ跡がついているようにしか見えない。だがその様相は、フィオの一声で大きく様変わりする。
「あなた方の負けですの。それでは開始しましょう。マギアドレイン!」
フィオの体から魔力が発すると、地面に魔法陣が浮かび上がる。こんな大掛かりな魔法陣を、いつの間に用意していたんだろうな?
「なんだ! か、体が動かないぞ!」
「力が抜けていくぅぅぅぅ!」
「魔力を吸い取られるぞ! 早くこの魔法陣から出るんだ!」
「無理だ! 足が動かない!」
帰還者たちは、魔法陣に絡め取られたかのように身動きもならないまま、魔力だけを吸い取られていく。そして、魔力切れを起こして、一人、また一人と、その場に倒れる者が続出する。
「さすがはフィオね。魔法陣で敵の魔力を奪って無力化しようという狙いね。これはとってもいい方法だから、私も使わせてもらおうかしら」
「美鈴、それよりもフィオは、いつの間に魔法陣を準備したんだ?」
フィオの狙いは俺にも理解できる。魔力をもっている存在は、魔力が切れると意識が一時的にブラックアウトする。魔力が回復するまで、およそ半日程度はその場で身動きができなくなるのだ。それはわかる話なんだが、フィオがこれだけ大掛かりな魔法陣をいつの間に準備したのか、それは俺にとって大きな謎だった。
「聡史君は気づかなかったの? ほら、スターエクスプロージョンの光が、普段よりもたくさん地面に落ちていたでしょう。あの光の大半は爆発しないで地面に魔法陣を描くように潜伏したの。フィオは敵にまったく気付かれないように、魔法陣をこっそりと描いていたのよ。大賢者らしいアイデアよね」
「あの光で魔法陣を描いたっていうのか!」
美鈴から解答を聞いて、俺は目の玉が飛び出るほどに驚いたぞ! 無数に地面に降下する光の一つ一つを精密に制御して、地面の所定の位置に落としていくなんて、一体どんな神業だ? 頭の中でどのような計算式を作り上げれば、そんな奇跡のような術式が組み上がるのだろうか?
「この場をフィオに任せて正解だったわね。全員無傷で無力化したんですから。私や聡史君では、こうは上手くいかないでしょう。少なくとも半数は死に追いやってしまうから」
「俺は最近、敵を重症で取り押さえる方法を編み出したんだぞ! 称して〔デコピン弾〕だ!」
「でも当たり所が悪いと、確実に死ぬわよね」
大魔王様、ご指摘の通りでございます。帰還者や中華大陸連合のニューモデルのような頑丈な人間ならば、辛うじて重症で留まるけど、一般人に向けると死者続出だろうな。おっと、それよりも、最後まで粘っていたジャンヌが、意識を失いそうだな。
「栄誉あるフランス陸軍が、このようにあっさりと敗れ去るとは…… 必ずこの借りは返すぞ」
「ええ、いつでもお待ちしておりますの」
この会話を最後に、ジャンヌは地面に倒れ伏した。よし、これでドイツの帰還者を狙う邪魔者は排除したな。それにしても、フィオの戦い方は見事だった。ここまで鮮やかに解決するとは、思ってもみなかった。さすがは大賢者様でございます。
「聡史、俺には理解しがたい凄い魔法だったな。ところで、これでケリが付いたのか?」
「ああ、フランスの連中は仲良く昼寝の時間だ。今のうちに、さっさとフランクフルトへと向かおう」
俺とベルガーが話をしていると、お手柄だったフィオが戻ってくる。美鈴が早速話し掛けているな。
「フィオはさすがね。あの魔法を今度私も使っていいかしら?」
「使えるのでしたら、どうぞ使ってくださいな。その代わりに、制御レベルは生半可ではないですわ」
どうやらフィオは、いまだに伯爵令嬢の言葉遣いの名残が消えていないようだ。それにしても、凄いレベルの高等魔法だったよな。流麗にして精緻を極めた大賢者の魔法の真髄を見せてもらった気がする。
「そうだったわ! 忘れるところだった!」
フィオは倒れているフランスの帰還者たちを、結界で取り囲んでいる。
「フィオは何をしているんだ?」
「ああ、これは保温結界よ。内部は25℃に設定しているわ。このままここで寝ていたら、風邪を引いてしまうでしょう」
「やっぱりフィオは優しいな」
無傷で意識を奪っただけでなくて、風邪を引く心配をするとは!
確か以前、フィオ自身が語っていたな。『自分は一度死んで転生した身だから、命は可能な限り大事にしたい』と。俺たちと一緒にあの地獄のような戦いを潜り抜けても、フィオの気持ちはなんら変わらなかった。それがフィオという人間なんだ。心から尊敬に値すると思う。俺たちのような冷酷非情に命を奪っていく人間の中に、フィオがいてくれたおかげで、パーティーとしてのバランスが取れていたんだと思う。
この場は問題が解決したので、俺たちは兵員輸送車に乗り込んで、一路フランクフルトを目指す。車内では、マリアが相変わらず気を失ったままで、グッタリしている。もう少しの辛抱だから、我慢するんだ!
「目的地までは、どのくらい掛かりそうだ?」
「道路は混雑していないから、2時間もあれば到着できると思う。フランクフルトからオーストリア国境に向かう道路は、かなりの混雑が予想されるが」
「ベルガーが言う通りよ。ドイツを脱出しようとする人々が後を絶たないの」
おや、イエーネさんが横から会話に割り込んできたな。この人もフィオと似た性格で、穏やかなお姉さんキャラだ。年齢は25歳くらいかな。俺たちよりの少し年上のような気がする。ちなみにベルガーも同じくらいに見えるぞ。運転免許を持っているんだから、そこそこの歳なんだろう。ハインツは俺たちと同年代だ。
さて、このまま無事に、フランクフルトまで到着するといいな。フランスの帰還者たちは、国際問題とはならない形でフィオが無力化してくれた。夜になったら、ある程度魔力が回復して勝手に目を覚ますだろう。
仮に今回の一件にフランス政府が文句を言っても、こちらは正当防衛だと主張できる。先に手を出したのは、フランス側だ。俺たちが身を守った結果として、彼らには仲良くお昼寝をしてもらったのだ。
輸送車はオートキャンプ場に向かって逸れた道路を、逆方向に辿っていく。幹線道路に出ても、今のところ周囲には、特に俺たちを邪魔する存在は見当たらない。
俺は気配に集中しながら、再び予定のルートに戻った輸送車のフロントガラスの先に広がる風景に、目をやるのだった。
無事にフランスの帰還者の襲撃を退けた聡史たち、果たしてこのまま無事にフランクフルトに到着できるか…… この続きは明日投稿します。どうぞお楽しみに!
世間では、新型肺炎の話題で持ち切りのようです。コロナウイルスによって発症するらしいということまでは、作者もわかっておりますが、それ以上詳しい部分はまるっきり把握していません。
今のところは、政府の対応待ちといったところで、あとは個人で感染を避けるしかないように感じます。中国政府の公式発表では、日増しに感染者や死者数が増えていきますが、冷静に受け止めて行動したいと考えています。皆様はいかがでしょうか?
ところで話は変わりますが、アメリカでもインフルエンザによって、8000人を超える死者が出ているのをご存知でしょうか? 作者も一昨日辺りに初めて耳にしたのですが、同様の感染症として考えれば、こちらへの対処も絶対に必要ではないかと思います。
新型肺炎の陰に隠れてはいますが、このような隠れたニュースにも注意を向ける必要があると感じました。肺炎も怖いですが、インフルエンザも怖いです。アメリカが中国に新型肺炎の件であまり文句をつけないのは、自国にインフルエンザが蔓延して手に負えない状態が背景にあるのかもしれません。
皆様も、どうか健康にはお気をつけてください。
たくさんのブックマークをお寄せいただいてありがとうございました。引き続き皆様の応援をお待ちしております。




