129 アレクシナツの街
急遽カイザーを追いかける聡史たち、その行方は・・・・・・
ヨーロッパの南東地域を指すバルカン半島、これは明確な区分が成されている訳ではなくてアドリア海、イオニア海、エーゲ海、黒海に取り囲まれた地域を大まかに指す場合が多い。この地域は中世から近世に於いて小国が乱立して紛争が絶え間なかった場所でもある。
同じスラブ民族に属しながらもロシアやオーストリア、オスマントルコといった大国に囲まれて常に圧迫され続けた上に、宗教的にもギリシャ正教、ロシア正教、その他の東方正教会、ユダヤ教、更には長年オスマントルコの支配下にあった影響でイスラム教の信者までがモザイクのように地域にコミュニティーを作り上げているので、事あるごとに大国を巻き込んで戦火が広がる地域であった。
20世紀に入ってもオスマントルコからの独立を目指す第1次第2次バルカン戦争やオーストリア皇太子暗殺に端を発する第1次世界大戦がこの地で発生している。更に第2次世界大戦時にはドイツの侵攻に続いて東部戦線を押し戻したソビエトの占領など戦争の悲劇をこれでもかと繰り返しており、その度に人口の半数近くが失われるなどの悲しい歴史を生み出してきた。
21世紀にEUが成立して国家を超えて統合された地域が東ヨーロッパに広がると、ようやくこのバルカン半島にも落ち着きが齎されたかのように思われたのも束の間、ドイツの経済破綻によるユーロの暴落の影響でバルカン諸国も同時に経済破綻を迎えた。この地域にある全ての国家がEU離脱とユーロの廃止に踏み切ると欧州共通の家という枷が外れて、再びこの地域全体に不穏な空気が流れるのは当然の成り行きであったといえよう。
ブルガリアからセルビアに入国したカイザーは・・・・・・
「カイザー、資料によればこの先にあるニーシはセルビア南部最大の街で人口は20万弱となっております」
「取るに足りない街だが、跡形もなく滅ぼせ」
「はっ! 承知いたしました」
我々はセルビアで騒乱を起こせという命を受けて現在ニーシを見渡す高台から街を観察している最中だ。ここには大した軍隊は存在せず無防備な住人だけが我らに蹂躙されるのを待っている。精々血を流して自らの運命を嘆くがよい。
「前進せよ!」
これから能無しのスラブ人を滅ぼすのかと考えるだけで胸が高鳴りを覚える。このヨーロッパ全土は誇り高きゲルマン人のみに支配を許された場所なのだ。他の民族など塵のように消え去るか、永遠に奴隷として扱われるかの二者択一しかない。手始めにこの街は見せしめとして住人は全て消えてもらおうか。
国家保安局が用意したワゴン車に乗り込んだ我らは首都ベオグラードに通じる幹線道路A-1を進んでニーシに向かっていくのだった。
その頃、ブルガリアのソフィア空港では・・・・・・
ようやくブルガリアに到着した俺たちはCIAが用意したワゴン車に乗り込んで北に向かう幹線道路を進んでいる。イスタンブールで旅客機の乗換えのために1泊したから、日付はイギリスを出発した翌日の昼過ぎだ。
「ここからセルビアとの国境までは約100キロです」
「なるべく急いでくれ」
運転を務めるCIAのエージェントが付近の情勢などを伝えてくるが、ここいらはマリアの地元同然ということなので彼女が知っている情報の方がより詳細であった。
「カイザーの足取りは何か掴めているのか?」
「車で移動すると国境はフリーパスですからまだ何の情報も入っていません」
役に立たないな! 世界を又にかけるアメリカの諜報機関なら元自国の帰還者の動向くらい把握しておけよ! あんな危険な人間をドイツに押し付けて知らぬ振りはないだろうが! おかげで俺たちはこうしてわざわざヨーロッパまで出張しているんだからな! 俺の妹なんか日本食が恋しくてすっかり元気をなくしているんだぞ。
「マリアちゃん、早く名物の串焼きが食べたいよ!」
「色々な種類のお肉がありますけれど、私のお勧めは羊の串焼きですぅ! ハーブを利かせた塩味とかお店秘伝のタレ味とかバラエティーが豊富ですぅ!」
「これは楽しみになってきたよ! 串焼き全種類制覇するからね!」
「ほかにも美味しい肉料理がいっぱいありますぅ!」
「イギリスでは食べ物で酷い目に遭ったから早く美味しい物を口にしたいよ!」
全然元気じゃないか! どうやらマリアから聞きだした肉料理が目の前にぶら下がっているせいで、すっかり元気を取り戻しているようだ。食べ物が懸かると妹はどこまでも突っ走っていくから、もう俺には止められないかもしれない。
「まもなく国境です」
道路には標識が立っていてここから先はセルビアだと表示してある。なんだかあっさりしているよな。日本で言えば県境を越えたような感じだ。なんでも昔は道路に検問所が設置されていていちいちパスポートのチェックをしていたそうだが、EU加盟国は国境を越える手続きを廃止したから、その名残で友好的な国とは現在もこのように自由に行き来できるらしい。
「この辺りは取り立てて変化がないようね」
「カイザーが何か仕出かす前に止められればいいんだが」
マギーは通り過ぎる街の様子を観察しながら特段変わった様子がないことに安堵している。だがその安堵は長くは続かなかった。まもなくセルビア南部最大の街ニーシにワゴン車が近付くと、立ち上ってくる幾筋もの黒い煙が目に飛び込んでくる。
「街が燃えているのか!」
「大変ですぅ! 大勢の人が住んでいる大きな街ですぅ!」
マリアの口調は変わらないもののその表情は極めて深刻な様子だ。同じ国の人々に犠牲者が出ているのではないかと心配している。だがワゴン車が街中の通りに入り込むと心配程度では済まない被害の状況がはっきりしてきた。
街中では大きな威力の砲撃を立て続けに受けたようで、建物の殆どが倒壊したり内部から炎を上げて燃え盛っているのだ。当然ながら砲撃に巻き込まれて何も知らないままに夥しい死者が発生している筈だ。そして・・・・・・
追い立てられるようにして街の北側に集まった人々の数え切れない死体の山がそこには出来上がっていた。気が弱いマリアはその光景を直視できない。元来気が強い筈のマギーですら目を背けていた。
「酷いですぅ! 皆さん普通にここで生活していただけなのに・・・・・・」
マリアは目に涙を浮かべて項垂れている。だが彼女は突然はっとしたように俺に話し掛けてくる。
「大変ですぅ! 私の生まれ故郷はこの先にある小さな街なんですぅ! アレクシナツという街なんですぅ! 早く助けに行かないとみんな死んでしましますぅ!」
「家族がいるのか?」
「私は孤児で教会の孤児院で育ったんですぅ! 親代わりに私を育ててくれた優しいシスターや孤児の仲間がいるんですぅ!」
そうか、マリアは孤児院で育ったのか。彼女のことは何も知らないがこれまで色々と苦労してきたんだろうな。だから危険な運び屋なんかに手を出したのかもしれない。
「気の毒だがこの街は諦めよう。それよりもカイザーによってこれ以上の被害が出ないようにするのが優先だ」
カレンの力を借りればこの街の住民でまだ息がある者を救えるかもしれない。だが救助に時間を取られると新たな街が犠牲になる。これ程の規模で街ごと破壊されてしまっては救助に最低でも1週間は取られそうなのだ。その間のカイザーはこの国の首都ベオグラードまで到着してしまうだろう。この場は目を瞑ってより大きな被害を未然に防ぐしかない。
「聡史様、よろしいのですか?」
「カレン、この街の人は本当に気の毒だとは思うが、俺たちは万能ではないんだ。このまま直進してカイザーに追いつくのを最優先する」
「承知しました。すべては聡史様の思し召しのままに」
カレンの瞳が銀色に光っている。天使のパーソナリティーが出現しているんだな。この場にマギーがいるのを憚って俺を敢えて『我が神』と呼ばないようにしている。天使も多少は状況判断ができるようになってきたのかな。おや、後部座席に座っている妹がブルブルと震えているぞ。何かあったのか?
「兄ちゃん、せっかく美味しい串焼きを楽しみにしていたのに、これじゃあ食べられないよ! この恨みは必ず千倍にして晴らすからね!」
「さくら、大勢の犠牲者が出ているんだ。食べ物のことは一旦横に置いておけ」
「兄ちゃん、それは無理だよ! 私の恨みを込めてカイザーってやつをぶっ飛ばすよ!」
不味いぞ! 妹が本気で怒っている。理由はともかくとして、カイザーに対して体が震えるような怒りがこみ上げて来ているらしい。カイザー、お前は本当に運が悪かったな。こうなった妹は手が付けられないんだぞ。己の行いを悔やみながら地獄に堕ちるしか残された道はないからな。
こうして俺たちはニーシを通り過ぎてカイザーに追いつくために道路を北上していくのだった。
アレクシナツの街では・・・・・・
カン、カン、カン、カーン!
教会の鐘が打ち鳴らされて街中の通りには教会に逃げ込もうとする人々の姿が溢れている。
ドドーン! ドカーーン!
逃げる人々を追いかけるように大きな爆発音が轟き次々に建物が倒壊していく。
「助けてぇぇぇ!」
「教会に急ぐんだ!」
「子供が! 私の子供がぁぁぁ!」
「怪我をしている人間には肩を貸してやれ!」
人口は僅か3000人程の小さな街なので住民の誰もが顔見知りだ。怪我を負った者には手を貸しながら皆が必死で教会を目指す。
セルビアは1990年代の旧ユーゴスラビア紛争とそれに伴うNATO軍の空爆などによって大きな被害を受けた。それが教訓となってこの街の住民たちは一旦事あらば教会に避難するという行動が身に染み付いているのだった。
続々と避難民が逃げ込んでくる教会では・・・・・・
「怪我をしている人は奥の部屋に運び込みなさい。みんなは手当てをお願いするわ。神のお導きがあれば困難な状況でも必ず乗り越えられると信じるのですよ」
「「「「シスター、わかりました!」」」」
孤児たちの元気な声が響く。彼らはいざという時に備えて日頃から救急法の訓練を受けていた。続々と運ばれてくる怪我人の止血をしたり、豊富にあるとはいえない常備薬を惜しげもなく使用していく。その様子を満足そうに確認したシスターは避難民で溢れ返っている礼拝堂に取って返す。
「皆さん、どうか落ち着いてください。なるべく場所を詰めて1人でも多くの人を収容できるように協力してください」
「シスター・エレーネ! どうかそのお力で我々をお救いください!」
「安心しなさい。どのような侵略者でもこの教会には指一本触れさせません」
避難民たちはその言葉で誰もが生き返るような表情に変わるのだった。やがて教会には2000人以上の人々が押し掛けて礼拝堂だけでは収容し切れなくなってくる。
「皆さん、教会の敷地に入っていれば大丈夫です! 慌てずに敷地に入ってください!」
誘導に当たっている見習いのシスターが正門の横で声を張り上げる。彼女の声を聞いて人々は『これで一安心だ』と口にしながら敷地の奥に入っていく。
「シスター、エレーネ! 住民の避難が完了しました!」
「ありがとう、アナスタシア。あなたは私の隣にいてくださいね」
礼拝堂に詰め掛けた人々は落ち着いた態度のエレーネを見ているだけで心が休まるような心地に浸っている。やがて彼女が神に祈りを捧げ始めると礼拝堂内は水を打ったような静けさが包む。
「神の御心と大いなるお導きを我ら迷える子羊に齎し賜わらん。この地を聖なる場として神の御力で護らせ給え」
静かな祈りの言葉とともにシスターの体から魔力が広がり教会の敷地を包み込む結界となって広がっていく。避難民たちはそれが魔法の力だとは知らずに神の奇跡を信じて一心に祈りを捧げる。
「皆さん、これで教会には誰も手を触れることはできません。安心して嵐が通り過ぎるのを待ちましょう」
「シスター! ありがとうございます」
「これこそが神の奇跡に違いない!」
住民たちは床に跪いてシスター・エレーネが齎した奇跡に祈りを捧げるのだった。
一方カイザーたちは・・・・・・
「カイザー、街の住民はいち早く避難して殆どの人間が教会に篭っております」
「ちょうど良いではないか。教会ごと一網打尽にして虫けら共を皆殺しにせよ」
「承知しました。我々が集中砲火を浴びせれば一溜まりもないでしょう!」
「このような小さな街は諸君らに任せるぞ」
「はっ!」
カイザーにとってアレクシナツのような小さな街は大した意味を持たない場所であった。通り掛かりにたまたま目に付いたから潰しておこう程度の軽い気持ちで立ち寄っていた。だがこの時点で彼は後方から追いかけてくる聡史たちの存在に全く気が付いてはいない。この場に立ち寄ったことこそが自身の運命を大きく左右するとは知る由もなかった。
命令を受けたカイザーの親衛隊は街の入り口付近に加えていた攻撃を中止して全員が小走りで教会へと向かっていく。カイザーは悠然とした姿でその後を追う。
教会の正門前に並んだカイザー親衛隊は魔力銃を一斉に正面にある礼拝堂に向ける。
「建物に向けて斉射開始!」
親衛隊が抱える5丁の魔法銃が一斉に魔力弾を放つ。戦車でも簡単に引っ繰り返す威力を持った魔力の塊が石造りの礼拝堂に向かって直進、そして建物のかなり手前で轟音を立てて何かに直撃した魔力弾は爆発する。
ズドドドーン!
誰もが瓦礫へと変わった礼拝堂を想像していたのだが、建物は従前と変わらない姿でその場に聳えている。
「まさか、魔力弾が効かないのか?!」
「いや、注意してよく見てみろ! 建物だけでなく敷地全体が結界に包まれているぞ!」
この意外な結果に親衛隊は顔を見合わせている。だが結界は外から大きな力を加えればいずれは衝撃に耐え切れずに破れるのは彼らとしても承知している。
「力尽くで結界を破れ!」
なおも立て続けに魔力銃を斉射していくが、教会の敷地を取り囲む結界は依然として健在であった。思いの外しぶとく立ち塞がる結界に親衛隊は意固地になって攻撃を加えていく。
「結界全体が軋み出したぞ! あと一息だ! 少々魔力が惜しいが連射に切り替えろ!」
5丁の魔法銃から連続して魔力弾が放たれると結界は今にも破れそうになっていく。結界を破るべくなおも執拗に連射による攻撃を続けていく親衛隊であった。
礼拝堂の内部では・・・・・・
「これは相当に不味い状況になってきました」
シスター・エレーネは誰にも聞こえない声でそっと呟く。彼女は次々に襲い掛かってくる敵の攻撃に対抗するために結界に自らの魔力を注ぎ込み続けていたのだが、そろそろ限界が近付いているのだった。エレーネは神に祈りながら必死で残った魔力を掻き集めて結界を強化する。だがそれは一時的なもので攻撃によって侵食される結界が破れるのは時間の問題であった。
「私の肩には住民の皆さんの命が・・・・・・」
なおも必死になって残り僅かな魔力を結界に注ぎ込む。だがエレーネにとってはこれが最後の抵抗だった。全ての魔力を放出した彼女は意識を失ってその場に倒れこんでしまう。
「シスター! 気を確かにお持ちください!」
慌てて見習いシスターがその体を支えるが、エレーネはその言葉に応えることはなかった。礼拝堂の内部に詰め掛けている住民の間にはその姿を見て恐慌が走る。
「シスターが!」
「大変だぞ! シスターが倒れてしまった!」
「この街を護ってくださるシスターが・・・・・・ 私たちはどうなってしまうの?!」
次第にざわめきが広がり礼拝堂内には子供たちのすすり泣く声が広がっていく。大人は必死で泣いている子供を励ましながらも、自分たちの行く末を案じて暗澹たる気持ちに包まれるのだった。
教会に立て篭もった街の住民たち、果たしてその運命は・・・・・・ 続きの投稿は明日を予定しています。どうぞお楽しみに!
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