10 勇者との邂逅
今回はなんと勇者に遭遇するようです。あの毎度お騒がせの人物が居る限り、おそらくは何かしら事件が発生しそうな予感が・・・・・・
帰還者の状況や世界情勢のレクチャーが一通り終わると、もう昼食の時間になっている。腹の虫がグーグー鳴っている妹は教官の終了の声とともに脱兎の如く会議室を飛び出していく。俺たちがドアを出ると、その姿は通路のどこにも見当たらなかった。
『建物の中なんだから、全力で走るんじゃありません!』と、あとで注意をしておこう。あいつが本気を出すと新幹線並みの速度が出るからな。人にぶつかったらそれだけで大惨事を引き起こすぞ。ただ腹ペコで半分理性を失った状態の妹が俺の注意をちゃんと覚えているかは全く自信がない。
「聡史君、私たちも食堂に行きましょう」
「そうだな、あれを監督しないといけないからな」
俺と美鈴は2人で通路を歩き出す。高校に通っていた頃は2人とも弁当派で昼の時間になると美鈴が俺のクラスにやって来ては、屋上や中庭で食べていたな。もちろん2人っきりじゃなくて、重箱弁当を抱えてやって来る妹も一緒だ。なんだかんだ言いながら妹は俺によく懐いているから、昼休みは美鈴と3人でよく過ごしたな。つい一昨日まで高校生だったのに、今はもう国防軍の訓練生か・・・・・・ あの学校での日々が遠い過去のような気がしてなんだか懐かしく感じる。
2人で食堂に入ると、1つのテーブルだけが全く別の空間に成り果てている。まだ5分くらいしか経っていないはずなのに、妹の前にはすでに2人前のトレーが積み重なっている。事情を知らない多くの隊員がその光景を『有り得ないだろう!』という表情で遠巻きにして見ているのだった。
「すみません、失礼します。入隊初日からお騒がせします」
「よく食べるヤツなんでどうか気にしないでください」
俺と美鈴が周囲にペコペコ頭を下げて席に着く。大魔王様に頭を下げさせるなんて、こいつじゃないと絶対に不可能だろうな。
「んん? なんだ! 誰かと思ったら兄ちゃんと美鈴ちゃんか! あっちから早くお昼をもらって来なよ! 美味しいご飯が食べ放題だからね!」
実に幸せそうな顔で俺たちを見掛けて食べる手を休めている。この顔はまだ食事が半分しか終わっていない時の顔だな。長年一緒に暮らしてきた兄だからこそわかる勘が働く。入隊初日にも拘らず、早くもこの食堂の主みたいな顔で食っていやがるよ。どこまで面の皮が厚くできているんだろうか?! 実の妹でなければ俺も距離をとって遠巻きに見ていたいよ。本当に!
俺と美鈴は配膳を待つ列に並ぶ。本日のメニューは〔サバ味噌、切り干し大根の煮物、サラダ、麦飯、味噌汁、デザートのオレンジ〕だな。俺たちのような若者は肉がいいけど、年配者もかなり居るから時にはこんな和風の昼食も並ぶんだろうな。
順番に昼食が乗ったトレーを受け取って席に戻ると妹の姿が消えている。すでに3人前を食べ終えて、4回目の配膳に並んでいるのだった。そして妹は両手に1つずつトレーを持って戻ってくる。
「兄ちゃん、配膳のオバちゃんが『2人前ください!』って言ったら最初は変な顔していたけど、何回も行くうちにわかってくれたみたいだよ!」
妹よ、それはどこの世界でも『呆れた』とか『諦めた』と表現するのが適当だと思うぞ。俺は最初から諦めているからいいとして、食堂に居る他の皆さんはまだその境地まで達していないようだな。殆どの人が妹の所業に驚いた目を向けている。しばらくこちらでお世話になりますから、皆さんどうか早く慣れてください。
こうして怒涛の昼食の時間が終わると昼礼が開始される。朝礼だけでは伝えきれない伝達事項があるので、毎日食後に昼礼が実施されているそうだ。
「本日付で訓練生として入隊した3名を紹介する。帰還者なので本名は明らかにしない。コードネームは〔スサノウ〕〔首狩りウサギ〕〔ルシファー〕とする。3人はこちらで挨拶をしろ」
司令官付きの副官さんが前に出て話を始めると、呼ばれた俺たちは席を立って前に出る。それにしてもコードネームが〔スサノウ〕って・・・・・・ 俺はそこまで荒々しい印象を与えた覚えはないんだけど。
〔首狩りウサギ〕は妹にはピッタリだな。害のない草食動物のような外見なのに、その中身はドラゴンも真っ青な戦闘力だからな。対人戦や対魔物戦のスペシャリストが俺の妹だ。刈れない首などこの世には存在しない。
そして〔ルシファー〕と呼ばれた美鈴が肩を震わせている。とっても厨2っぽい芳しさを漂わせるこのネーミングに大きな抗議の声を上げたいらしい。決まってしまったものは仕方がないから美鈴さん、どうか諦めてくれ。大魔王だからルシファーとはなんとも安直なネーミングだけど、心からご愁傷様です!
副官さんの話だと一言ずつ挨拶をしろということなので、3人並んで前に出て俺から順番にしゃべりだす。それにしてもこうして部隊全員の前に立つと結構な圧迫感を感じるな。全部で500人くらい居るのかな? 全員が特殊な能力者ではないと聞いているけど、結構な人数が居るもんだ。
「本日からお世話になります、スサノウです。素性は明かせませんが異世界からの帰還者です。どうぞよろしくお願いします」
差し障りのない挨拶に拍手が沸き起こる。周囲の目は『あれが例の帰還者か!』という期待と好奇心に溢れた目だ。さっきのレクチャーによると俺たちが日本では5,6,7番目の帰還者だそうで、特殊能力者部隊にとっては待ちに待った存在らしい。そんなに期待されても俺たちまだ右も左もわからないんですから止めてくださいよ!
それにしても自分からスサノウと名乗るのは思った以上にコッ恥ずかしいぞ! ルシファー程じゃないにしても十分に厨2臭が漂ってくる。これからずっとこのコードネームが自分に付きまとうのか・・・・・・ はーー、気が重たい。
「ジャーーン! 私がさくらちゃんだよ! よろしくね!」
このバカが! 自分から本名を明かしてどうするんだ! 見ろ、副官さんが横で頭を抱えているじゃないか! もうこの時点でこの場に居る全員が妹の名前を知っちゃったよ。隊員全員が『えっ、いいの?』みたいな顔になっちゃっているじゃないか! 常に何か遣らかさないと気が済まない妹だが、ここまで話を聞いていないとは思っても見なかった。
コラッ! そんな『言ってやったぜ!』みたいなドヤ顔は止めなさいって! そして妹に続いて美鈴が自己紹介をする。
「はじめまして、ルシファーです。どうぞよろしくお願いします」
声が震えているよ! 緊張ではなくてルシファーというコードネームを口にしなければならない屈辱が我慢ならないようだ。握り締めた手がプルプル震えている。辛うじて理性を保っているから、この場を焼け野原にするのはどうやら我慢している。本当に怒るとおっかないからな。
「さて、紹介が無事に終わったから、東中尉、この3人を訓練場に案内してくれたまえ」
「了解しました」
妹のせいで決して無事には終わらなかった自己紹介だが、副官さんが『無事に終わった』というのだから何事も無かったんだろう。そうだ! 無かったことにすれば問題ない!
「帰還者3名の諸君、私が東中尉だ。言ってみれば帰還者のマネージャーのような役割をしているんだよ。これから関わりが多くなるけど、どうかよろしく頼むよ」
人の良さそうな『お父さん』という風貌の東中尉が俺たちに微笑んでいる。マネージャーのような仕事なんだから、しばらくはこの人に色々とお世話になりそうだな。
「よろしくお願いします」
「おっちゃん! よろしくね!」
「さくらちゃん! 言葉遣いくらいちゃんとしなさい!」
ダメだこりゃ! こいつを育てた親の顔を見てみたいぞ。俺の両親だけど・・・・・・ 2人とも妹の言葉遣いには匙を投げていたよな。もちろん俺もとっくに投げている。妹に敬語を使わせるのはチンパンジーにプログラミングを教えるよりもハードルが高い。
「ははは、元気があるね。昼食も周囲が引くぐらい食べていたと聞いたけど、そのくらいの太い神経の方が今後の期待が持てるよ」
器の大きな人で本当に良かったよ。東中尉は妹の発言を笑って聞き流してくれた。果たしてどこまで我慢できるのかは未知数だ。早く慣れてくださいね。
俺たちは中尉の案内で訓練場にやって来た。そこにはすでに2人の先客が剣を素振りしたり、体を伸ばして準備体操をしている。
「あそこに居るのは2人とも帰還者だよ。今後しばらくは訓練を一緒に行うから仲良くやってほしい」
「司令官は自分から『帰還者だ』と名乗っていましたが、日本にもまだ他に帰還者が居たんですね」
「そうだね、居る事には居るよ」
中尉の返事がなんだか微妙な様子だ。何がどうなっているんだろうか?
「我々は独自の能力区分で、特殊能力者を分けている。S~Eまで6ランクあって、たとえば君たちが知っている指令官は最高のSランクだよ。あそこに居る彼らはそこまで及ばないCランクくらいだね。それでも国内に存在する能力者の中では屈指の存在だ」
なるほど、中尉さんの話ではその2人はそこそこの強さを持っているらしい。国内屈指というからには、それなりに強いんだろうな。ちょっと楽しみだ。
「おーい、勇者とタンク! 今日から入隊した帰還者を連れてきたぞ! 訓練場の使い方やらなにやら教えてやってくれ!」
帰還者たちはコードネームで呼ばれているが、〔勇者〕は結構立派な剣を手にしているところを見ると、勇者として異世界に召喚されたんだろうな。〔タンク〕の方は身長くらいあるタワーシールドを手にしている。あんな盾を構える冒険者が俺たちが召喚された世界にも居たな。最前線で魔物の攻撃を引き付ける役だ。それにしてもネーミングが安易過ぎないか? 2人とも訓練用のジャージ姿で俺たちに近付いてくる。
「やあ、話は聞いているよ。僕が勇者だ、よろしく頼むよ」
爽やかさ100パーセントの笑顔で美鈴に右手を差し伸べて握手を求めている。さて、美鈴さんがどうするのか楽しみだね。爽やかな好青年というキャラは彼女が一番苦手なタイプだし、何よりも相手は魔王にとっては天敵の存在勇者だ。
「ふん、弱き分際でこの大魔王たるルシファーに近付くな! 命が惜しかったらその場で平伏すがよい」
「えっ?!」
あーあ、早速美鈴さんがやっちゃったよ! 勇者を目の前にして大魔王モードが発動している。自分をあっさりとルシファーって認めちゃっているし。
対して友好的に近付いてきた勇者は目が点になっている。そりゃーそうだ、握手しようとしたら上から目線で『平伏せ!』だからな、本当にお気の毒様でした。まさか日本に戻ってきて魔王を目の前にするとは思っていなかっただろうな。
「えーと、ルシファーというコードネームは聞いていたけど、本当に魔王なのかい?」
「誰が気安く我の名を口にして良いと申したか! この場でその魂ごと灰にしてくれるぞ!」
勇者さん、早く逃げて! 黒焦げにされちゃいますよ! 水と油、月と太陽、明と暗、正反対の存在だけに全く接点が見出せない。ここは俺が間に入るしかなさそうだ。
「え-と・・・・・・」
「うほほー! これが勇者なんだね? よしよし、私とちょっと組み手をしようよ!」
俺が2人の間を取り持つ声を掛ける前に妹が割り込んで来た。いきなり大魔王に豹変した美鈴に気を取られてもう1人危険なヤツが居るのをすっかり忘れていた。俺のミスだな、責任は・・・・・・ 面倒だから勇者さんにとってもらおう。先に振って来たのはそちらの方だし、何よりも先輩としての風格を見せてもらいたい。
「このお嬢さんは急に何を言っているのかな? 僕が勇者だと聞いていたのかい? 勇者の剣は全てを断ち切る破邪の剣だよ」
「いいから早速やるよ! 私はこれだけでいいから、好きなだけ装備を身に着けていいよ! 剣ももちろん真剣じゃないとダメだからね!」
妹はオリハルコンの篭手を左右の手に着けて訓練場の真ん中に向かって歩いていく。元々怖い物知らずの性格だけど、顔を合わせたばかりの勇者に真剣による組み手を申し出るのは想定・・・・・・ の範囲です。こいつには何でもアリだし、今更どうこう言って止められるものではない。
「君、本当に良いのかい?」
「妹がやる気になっているから、良いんじゃないですか」
唯一話が通じそうな俺に顔を向けて問い掛ける勇者、あえて俺は素っ気無く返事をする。妹が負けたらいい薬になるし、勇者が負けたら俺たちの力がかなり高いと証明できる。どっちに転んでも損はないな。
妹につられるようにして勇者も訓練場の真ん中に歩いていく。
「殺し合いではないから手加減はする。思わぬ怪我を負わせるかもしれないが、その時は勘弁してくれ」
「いいよ! 私も精一杯手加減はするけど、怪我させちゃったらゴメンネ!」
こうして訓練の段取りなど全く無いうちに、勇者と首狩りウサギの模擬戦が開始されるのだった。




