諦めろ
諦めろ何もかもを諦めろ。
そうすれば生きて行くことができるさ。
いい暮らしだって諦めろ。結婚だって諦めろ。友達だって諦めろ。幸せだって諦めろ。
諦めた先に人生が続くんだ。
心と体はトロくなり、頭と心はチグハグになる。
心は喜びも悲しみも区別できなくなって、やがてストレスと胸の痛みだけが残る。
それはとても苦しいが、同時に両手を上げて喜ぶべきことでもある。
なぜならば、人生の一歩を踏み出したんだから。
痛みと過去と恥の上塗りで一歩も踏み出せないままの心の枷が、ようやく心ごと擦り切れて無くなろうとしているんだから。
自分でも分かっているだろうが、こんなことまともじゃ無い。
まともな人ならこんな惨めなことにはなってはいない。
つまるところ、これだけ惨めな人はまともでは無い人だ。
それを認めなくちゃならない。
認めなくちゃ進めない。
あなたはおかしくなんかない、なんて空っぽの何も理解していない言葉は聞き飽きただろう。
だから言っておく。
すべからず、惨めな人はまともでは無い。
こう言われて胸にストンと入って言った人はもうちょっとだ。
もう既に人生の出発地点に立っている。
惨めな生活におさらばできる。
必ずできる。
きっとここまで来ている人は、既に諦めるという事を心が受け入れている人だ。
諦めうことにためらいは無くて、後ろめたさも無い。
あるのはせいぜい、上手くいかないことへのストレスぐらいなもんだろう。
でも気をつけろ。
自分が既にこの段階にあると勘違いしていることもある。
諦めていると言い聞かせることは間違っている。
少しでも頭と心が一致しているならそれはまだ段階では無い。
心の興味が無いにも関わらず、頭では自分は諦めていないとみんなが思っているから諦めるのは違うか、なんてトンチンカンな事を考えていることが必要だ。
まともな人はよく意味がわからんだろうが、まともな人に見えるようになる為には必要だ。
ここまでなったらもう少しだ。
あとはもう時間がなんとかしてくれる。
もう人としてかなり末期のところまで来ている。
おそらく常に絶え間なくストレスによる胸の痛みを感じているはずだ。
あとは耐え抜くだけだ。
一年でも二年でも耐えるだけだ。
そのうちそれもなくなる。
一切のストレスも感じなくなる。
心の存在を感じていた部分に空洞ができたみたいになにも感じなくなるんだ。
そうなればもう怖いものなんてない。
なにも感じない鉄壁の心の完成だ。
鉄壁の心で世界を感じてみよう。
きっと何もかもが色あせたヨレヨレのパーカーみたいになんの興味も引かないものに感じるはずだ。
そうなれば完璧だ。
完全無欠の心は諦めの先にある。
惨めな人は是非とも目指してみよう。