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#22 Check One Two

 彼女は順に右手、左手を放して、最後にそっと唇を遠ざけた。別れを惜しむようにゆっくりとした速度で、未練を残すように。


「これで分かった?」


 閉じていた大きなサファイアを開いて、何の遠慮も躊躇もなく尋ねてくる。少しは照れたりしてくれよ。なんかヘコむ。


「何? 照れているの? 初めての生娘じゃあるまいし。雪人は可愛いね」


 なにこれ、これが大人の余裕と洞察力か。なんという圧倒的な懐の深さ。年上の魅力に心が激しく揺らぐ。でも、僕にだって言い分がある。


「こういうのは初めてだとかそんな問題じゃないんだよ」


 あまりにぼやっとした弱い正論に聞こえなくもない言い分。

 たしかにファーストキスを奪われたわけではないけど、そういう話じゃない。

 もっとこう一大事というか、それがとても掛け替えのない大事なことのように思うのは、僕が現代人らしからぬ古風な貞操観念を持った人間だからなのか? それとも、ただ単に日本人と外国人との慣習の違いってだけなのか?


「でも、だいたい理解した。その上で確認させてもらっていいかな?」


 さっきみたいに記憶が繋がったわけじゃない。記憶、いや知識が湧き出した感じ。

 まるで最初から知っていたかのように自然なことに感じる。

 でも、まるっと「それ」を信頼することは出来ない。疑わないことは確かに美徳かも知れないが、賢くない。美しく見えても価値がない。情報を突き詰めることは色々と大事だ。


「えぇ、どうぞ」


 彼女は優雅に首肯する。本当に余裕に溢れているな。妖しい色気が漂っている。

 いや心を乱すな。頭を軽く左右に振り、思考をリセットしようと務める。


「それじゃあ…いや、まずは助けてくれてありがとう」


 どうやら僕はすんでのところで彼女に助けられたらしい。完璧な救助とは言えないけれど、ともかく助けられたらしい。


 「お礼は受け取れないわね。あなたを完全に助けることは出来なかった。魂が捕食されるのを防いだだけ。命は守れなかった。それに……ごめん、やっぱり何でもないわ」


 そう言う彼女は何かを噛み締めているようで、余裕の雰囲気が少し揺らいだ気がした。

 なぜ?


「では改めて問う。僕は生き物としては死んだ。間違いないね?」


 左胸の辺りが痛んだのは、刺されたからか、それとも…。


「そうね。でも、幽霊って訳ではないの」


 あぁ、そうだろうね。僕は生きてはいないけど、死んではいない。

 分かり切ったことの確認作業は続いていく。


「それで、()()()()()()()、あと何時間か分かるか?」

「多分あと二二時間ってとこかしら。日光の下での活動は制限されるから、実質そんなに無いかも知れないけど」


 僕はさっき『すんでのところで助けられた』と言ったが、それは正確には正しいとは言えない。


 しかし、間違っているとも言い切れない。生命活動は出来ないけれど、まだ死んでいない。

 どうやら人は命を失っても、すぐに死ぬわけではないらしい。『死ぬわけではない』というと若干の語弊があるけれど、心肺機能を失い器が割れた状態でも――簡潔に言えば肉体的には死んだとしても、器の中身――魂はまだ喪失しない。個人差はあるけれど、完全に死ぬまでに約一日猶予があり、その中であの世に逝くか、幽霊として現世に残るかを故人の遺志で決めると言うのだ。


 そして次の質問。


「君の言う日光の下での活動の『制限』ってのは、一体どの位の強制力をもつ制約なんだ?」


 それの度合いや具合によっては、結構困る事態になりうることもなきにしもあらず。


「そうね…完全にハズれていようとなかろうと、残さず塵になる程度には強力ね」

「マジで? それって最早天敵じゃん!」


 弱点という表現すら生温い。完全なる殺傷力。

 呆れ顔でシャーロットは付け加える。


「それはそうでしょう? 日光の下でアグレッシブに活動する幽霊なんているわけがないじゃない。古今東西幽霊でも妖でもモンスターでも、異形の者の活動は基本陽の下よりも月の下で行われるものよ?」


 確かに…。そう言われればその通りだ。ぐぅの音も出ない。

 しかし、黙ってばかりもいられない。質疑応答を続行だ。


「次に、シャーロット。君は幽霊だね?」


 今まで僕の質問に即答していたシャーロットは、ここで初めて言い淀んだ。余裕の空気がまた崩れた。まぁ、あまり楽しい話ではないのだろう。


「…その通りよ」


 分かっていながら尋ねるのは、気持ちの良いものではないけれど、僕は更に問い詰める。


「それで、僕らが初めて合ったときは、多分さ、その…既に……」

「間違いないわ」


 そうか、僕の得た知識の正しさは証明された。まぁ当然なのだけど。

 シャーロットは所謂幽霊的な存在で、いわば思念の塊で。物事を伝えるのにわざわざ不完全で齟齬が発生しやすいツールである言語を使用する必要がない。相手に触れるだけで、任意の情報を伝えることが出来る。それは理解している。だけど、腑に落ちないことが一つ。


「どうして、その…キスで伝えたんだ? 手を握るとかじゃ駄目なのか? そもそも、どうして大きくなったんだ?」

「キスは私の趣味よ。理由なんてあってないようなものよ。したいからしたの。それじゃあ、ダメかしら?」


 彼女は膝を軽く曲げ、上目遣いで僕を見る。つまりは僕を見上げるということで、ひいてはキャミソール(仮)から見える、やけに存在を主張する山脈が僕の網膜に飛び込む。洒落にならない破壊力。僕の理性的ダムが決壊寸前になる。が、かろうじて崩壊はしなかった。崩壊したほうが良かったのかも知れないが、しなかった。いやぁギリギリの闘いだったね。


 僕がダムの防衛線を死守しているのを見て、彼女は年上の微笑みを作る。


「まだまだ子供だねぇ。本当可愛い」


 弄ばれている。完全に掌で転がされている。くそぅ、なんだか目頭が熱い。どうしよう泣きそうだ。


「う、うるさい。なら、次の質問だっ! 肉体と魂が完全に死ぬとどうなる? 天国だか地獄だか死後の世界に行くのか?」


 なんて言うか、宗教とか哲学の根幹に関わる問題な気がもの凄くしたけど、関係ない。

 下手したら世の中の根底がひっくり返るような疑問だけど、気にしない。するだけ無駄だから。


―――僕は既に人の世に生きていないのだから。


「多分、あなたの思っているとおりね。人それぞれとも言い換えられるけど…」


 煮え切らない答えだ。でも、その通りなのだろう。人はそれぞれ信じているものが違う。それは信仰だったり価値観だったり、色々な言い方をされるものだけど、その様々な要因はイメージする死後の世界が違うという一点に集約する。僕の場合は『無』だ。死んだら何も残らない。それまでにいくら財産も地位も信頼を積み重ねたところで、死ねばどれもゴミ以下の価値だ。死後の僕には繋がらない、何ら関係ない。それだけだ。本当にそう思っている。


「消えるのが怖い?」


 気遣う彼女の蒼い瞳は印象的で、全てのものを受け入れてくれそうな深い色合いで、全部を包み込むような包容感を持った表情で、だから僕は正直に言うことになった。言わざるを得ない状況に追い詰められた。


「怖くない…とは、言わない」


 そりゃあ僕だって消えるのは嫌さ。命あるものは誰でもその終焉である死を恐れるもので、死を通して生を相対的に実感するらしい。僕だって例に洩れずにそう。でも、



「別にそれでもいいと思うんだ」



 僕はまだ一六歳でやり残したことも、未練も後悔も一杯ある。

 やりたいことも、未来への希望も少なからず僕は持っている。別に達観しているわけでもなく、『死』という究極の事象を真正面から見つめているつもりもない。だけど、それでも、


「人は遅かれ早かれいつか死ぬ。永遠の命なんてフィクションの世界にしかない。そして、僕の場合は(それ)が少し早くて、状況が少し特別だっただけ。どうせいつか消えるのなら今消えても同じだって思っちゃうんだ。むしろ枯れない分、老いてくすむ前に…金ピカの十代で死ぬのは結構贅沢なことだとすら思っちゃうんだけど……変かな?」


 これは僕の本音。誰にも言ったことはないし、告げることもないと思っていた。ひねくれている僕の歪な死生観。


 でも、どうやら彼女には見抜かれているみたいだ。これが年の功ってやつなのか? 本当、敵わないね、全く。


 シャーロットは悪戯な笑みを浮かべ、器用に片目を閉じて僕に真偽を問う。


「貴方の死生観によると消えるのは怖くない…でも、まだ消えるわけにはいかない。消える『いつか』は現在じゃない。そうでしょう?」


 百点満点の正解だよ。

 仮初の命モドキの存在が消えるまでの間に、どうしてもやっておきたいことがあるんだ。

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