073.大岩
クロロがハティを見送って、さらに後ろのテリーヌの馬車に近づいた。
だが、その馬車はすでにクラッチによって守られていた。
「テリーヌさんクラッチ、大丈夫?」
「こっちは見ての通りよ。クラッチの馬車はこの馬車と繋げてあるからこのまま進めるわ。前の3人は大丈夫なの?」
「うん。なんとかね。とにかく早くここを抜けよう」
「わかってる。前方が問題ないならいい。このまま進む。テリーヌ急ぐぞ!」
「ええ!」
こちらは問題なさそうだ。
クロロは再びハティの馬車に走って移動して飛び乗った。
「うぇえぇ?クロロ君、足もめちゃくちゃ速いね!」
「そうかな?」
「うん。…あ、もうすぐ渓谷の出口だ!もうリュックたちは渓谷を抜けてるみたいだ。私たちも急ぐよ!」
その瞬間、上の方からゴロゴロと凄い音が聞こえてきた。
見上げると、巨大な岩がこちらに向かって転がってきているではないか!
「きやぁぁぁぁ!」
このままでは、ハティとすぐ後ろにいるテリーヌ、クラッチまでもがあの岩の直撃を受けてしまう。
クロロはとっさに馬車から降りると、その大岩めがけて崖を駆け上がって行った。
「危ない!」
「無茶よ!」
「やめろぉぉ!」
その行為を目撃した3人はクロロを止めようと大声を上げる。
そもそも、あの急な崖を駆け上がっていること自体がおかしいのだが、そこまで頭が回らない。
クロロは止まらない。
止まる必要などなかった。
クロロは転がる大岩に向かって両手を突き出した。
「どぉぉぉりゃぁぁぁ!!」
クロロの身体は物理の法則に乗っ取って、大岩に押されながら斜面を下る。砂埃が大量に舞い散る。
少しすると、砂埃が晴れてその場の様子が見えるようになった。
そこには、斜面に足を踏ん張り大岩を止めているクロロの姿があった。
3人はあんぐりと口を開けて、信じられないものを見るような目でその光景に見入った。
気づけば弓矢の雨も止んでいる。
どうやら敵も、この展開は予想していなかったらしい。
「もー!こんなことしたら危ないじゃないか!お父さんとお母さんに言われなかったの?渓谷で岩を落としちゃいけませんって!」
(そんなしつけは受けたことがない)
おそらく敵味方すべての者の心が一致した瞬間だった。
クロロは受け止めた大岩を支えながら、下にいる3人に指示を促す。
「3人とも早く進んでよ。この岩、そこに降ろしちゃうから」
3人はハッと我に返り、馬を進める。
だが、まだ心はふわふわと落ち着かない様子だったが、指示通り道を進み始めた。
3人がいなくなったので、クロロは大岩をその道の脇までゆっくりと降ろした。
ちょっと有効に使える通路が狭くなってしまったが、それはまた誰かに解決してもらおう。
その後、大岩を処理したクロロは、ちゃっかりクラッチの馬車に乗って皆と合流した。
「よかった。後ろから皆がついて来てなかったからどうしたのかと心配してたんだ。大丈夫だったか?」
「誰か怪我をした人はいない?」
心配そうなリュックとショルに、ハティ、テリーヌ、クラッチは互いに目を合わせた。
「どうしたんだ?何か大きな問題でもあるのか?」
「いや、大きな問題といやあ大きいんだが…。おい坊や…お前一体…」
「クロロ君がどうかしたの?」
「どうしたもこうしたもないよ!なんだったのさっきの!あんな大岩素手で止めるなんて信じらんないよ!」
「まったくだわ。もう、驚きすぎて声もでなかったのよ」
やっと正気に戻ってきた3人は先ほどの出来事を口々に語り出した。
話を聞いた後、リュックは信じられないものを見る目でクロロの方を向いた。
「クロロ君!君もしかして王族なのかい!?」
また、その話だ。
クロロはちょっとうんざりしながら言った。
「前も別の人にそう言われたんだけど、僕は王族なんかじゃないよ。両親だっていたって普通だもん。そんなことより、せっかく無事だったんだから先に進もうよ。早くしないと今日の目的地までつかないじゃんか」
そもそも王族、王族と皆言うけど本当の本当にクロロには身に覚えがなかった。
だいたい今思い出しても両親や村の人の誰も貴族色すら持っていなかった。
両親どころか村の人たちと一緒に川遊びをしたり、お風呂に入ったりしていたクロロだが、誰一人として特殊な色合いを持った人はいなかった。
特に染めている様子もなかったし、クロロ自身もその辺でよく見かける赤茶色の髪の毛と茶色の目をしていた。爪や眉毛っていたって普通だ。
「それより本当に早く進もうよ。さっきのって、この辺に出るっていう賊なんでしょ?もしかしたらあいつらだけしか知らない道で、先に待ち伏せてる仲間とかに僕らを仕留めそこなったって連絡してるかもしれないよ。そしたらまた襲い掛かってくるかもしれないじゃない。さあ、早く行こう!クラッチの食糧が被害に合う前に!」
後半にクロロの本音が垣間見える。
旅の一行は苦笑しながらもうなずいて、先を急ぐことにした。
その日から3日間何のトラブルもなく順調な旅が続いていた。
それが逆に彼らを不安にさせる。(1名は能天気にクラッチの荷台からナナバという果物を食べても良いという許可が下りたため、貪り食っているが…)
そしてその日の晩。
野営の準備を終えて夕食というときに、リュックが皆の気持ちを代弁した。
「静かすぎるとは思わないか?」
少しの沈黙の後、ハティが口を開く。
「うん。私もそれは思ってた。シータ街に来るまであれだけ襲撃があったのに、ここにきてピタっと止まってる。すごく不気味なんだけど」
続いてテリーヌも口元に指を置きながら答える。
「そうね…。考えられるのはこちらに王族らしき護衛が付いていることに恐れをなしたというところかしら…」
皆の視線がクロロに集まる。
「んもー。だから僕は王族じゃないって!どこにも貴族色なんてないし、両親や村の人も全然普通だもん」
「あ、いや。気分を悪くしたならすまない。ちょっと腑に落ちないことが多くてな」
リュックが素直に謝る。
その時、腕を組んで一人黙っていたクラッチが重々しく口を開いた。
「…坊やには正直に今俺達が置かれている状態を説明すべきだと思う。悔しいが坊やの実力は俺の遥か上だとみた。今のところはナカー村までの臨時護衛という形で雇っているが、俺的には坊やとは契約を更新してウーエー国境までの護衛を頼みたい。どうだ?」
リュックは少し考えたが、頷いた。
「俺も同じようなことを考えていた。元々雇った護衛が満足いく働きをしてくれて、なおかつ信用に足りると思ったら契約更新の話をしようと思ってたしな。ってことで、どうだいクロロ君。君の実力を見込んでウーエー国境までの護衛に契約内容を変更しても問題ないかな?報酬はこれまでの倍額払うし、ナカー村に到着したら、こちらの少々込み入った事情も明かそう」
クロロは少々思案した。
なんだかまた面倒事に巻き込まれそうな予感がする…。
でも、ウーエー国境まで馬車で進めるのは正直ありがたいし、誰かと一緒の旅の方が楽しい。
うーんと唸りながら考えるクロロ。
旅商人サイドとしては、クロロほどの人材にこの先会える可能性はまずないので、ぜひとも首を縦に振ってほしい。
「ありがたい申し出なんですけど、僕はやっぱり…」
「ほらナナバだ、食え。俺達と一緒に来れば、おいしいナナバをたらふく食べれるぞ」
絶妙なタイミングでクラッチがナナバをクロロの口に突っ込む。
口の中に広がる甘い口どけに思わずうっとりするクロロ。
「もぐもぐもぐ…。美味しー。契約更新しましょう」
クロロの思考はナナバ一色になってしまった。
クラッチはこの短時間でクロロの扱いを完璧にマスターしていた。
こうしてクロロは意図せずウーエー国境までの足を手に入れることになったのである。




