040.秘密の布生産
部屋中をジョウブ菜の綿でいっぱいにしたクロロは、日も暮れてきたので続きの作業は明日行うことにして、晩御飯を食べに食堂へ降りた。相変わらずの美味しい食事にスプーンが進む。今日はお肉と野菜がごろごろ入ったクリーム煮だった。ついつい4杯もおかわりしてしまった。余談だが、彼女の食べっぷりを見た客たちは、そんなに美味しいのかと、こぞってクリーム煮を注文した。おかげで、その日以降クリーム煮が柱時計亭の看板料理になったのだった。
食堂を後にするときに、看板娘のリイに明日はほぼ一日部屋にこもることを伝えた。集中的に布作りに励むつもりだからだ。また、明々後日にはこの街を出るということも言っておいた。明日は布を作り、明後日は領主さんに地図を見せてもらって、その後アリスさんたちに完成した布を渡す。そしてその翌日には旅立とうという予定だ。
リイは少し寂しそうにしていた。なんでも、宿屋に泊る商人や旅人は大人の人が多く、年下のクロロが泊まっていることが、可愛い弟ができたみたいで嬉しかったそうだ。
「ちょっと待って。僕これでも結構大人なんだよ」
「え?そうなんですか?…てっきり年下かと…」
「ちなみに、リイちゃんはいくつなの?」
「16歳ですよ」
「16歳…。僕も16歳なんだけど…」
「えっ!…いえ、何か深い事情があってそんな嘘をついているのですね。わかります。クロロ様みたいな小さな旅人さんは狙われやすいですものね。そうやって身を守っているんですよね。すみません込み入った事情に踏み込んでしまって…。どうか私の発言はなかったことにしてください」
リイはそれだけ言うと、場の空気がこれ以上悪くならないようにか速足で宿の奥に引っ込んでしまった。完全に悪いことを聞いてしまった感じになっているが、全然そんなことはない。むしろ、この場にいてもっとしっかり話を聞いてほしかった…。
弁解の余地すらなかったクロロは、しょんぼりしながら部屋に戻って眠りについた。そして頭の片隅で、以前ギルにも年齢で驚かれたことを思い出した。もしや彼にも自分がだいぶ幼く見えていたのだろうか…。
む~っとクロロは一人頬を膨らませながら不貞寝同然で眠りについたのだった。
翌朝、クロロは朝食を食べるとさっそく布の作成にとりかかる。
最初は布を作るための糸を紡ぐところからだ。まず、部屋中に散らばっているジョウブ菜の綿を1つに集めて、巨大な綿の塊を作る。
通常普通の人ならこの綿から糸を紡ぐのに専門の道具を使うところだが、クロロのやり方は違う。己の手1つで紡ぐのだ。
綿を少しだけ引っ張り、そこを片手の指先でくるくる捩じって細くしていく。これで糸の先が完成だが、このままでは捩じったところの手を放してしまうと、ほどけしてしまう。なのでここを固定する必要がある。
クロロは糸の先にフッと息を吹きかけた。すると、その部分がわずかに溶けて固まった。これでもう解ける心配はない。
あとはひたすらこの綿をどんどん捩じっていくだけだ。こうして出来上がった糸は、空いている方の手で巻き取っていき、絡まらないようにしていく。ちなみに、この作業でいかに細く均等な糸を作れるかで布の品質が決まってくる。クロロの母はこの作業が得意で、実に繊細な糸を作ることができる。クロロが作るとどうしても捩じり方にムラが出てしまい、ちょっと凸凹した糸になってしまうのだ。まだまだ修行が足りないと感じる瞬間だった。
クロロはただただひたすら糸を紡いでいく。
まだまだ紡いでいく。
もっともっと…。
お昼近くになると、突然クロロの部屋の扉が「トントン」とノックされた。
突然のことに、ビクッ!と飛び上がったクロロは慌てて手を止めた。そして、手に持っていた糸をわちゃわちゃしながらベットの下に放り投げる。
「は、はい!どちら様でしょう!」
ちょっと声が上ずってしまった。
「リイです。クロロ様、本日のお昼はどうしますか?もしよかったら、うちの食堂はお昼もやっているのでどうでしょう?代金はいただきますけど」
「そ、そうなんだ。じゃあいただこうかな?」
「わかりました。食べたくなったら降りてきてくださいね」
「はーい!」
クロロの返事を聞いて満足したのか、リイは部屋に入ってくることなく、1階へ戻って行った。
リイの気配が消えると、クロロは「はぁ~…」とため息をついた。
実はこの布を作る作業…というか、何か物を作る様子は他人に見られてはいけないという旅の掟があるのだ。なんでも、村の技術が外に出るのを防ぐためだとか…。
だけど、あんな田舎の村の技術などたかが知れていると思う。でも、オースさんも村の布は貴重だって言ってたし…。こんなの誰でもできると思うんだけどなぁ。
そんなことを考えながらも、クロロは結局綿がなくなるまで作業を続けた。
作業に集中しすぎて、少々お昼には遅い時間になってしまったが、食堂ではちゃんとご飯を食べさせてもらえた。リイにはなかなか降りてこないので心配されてしまったが…。
さてさて、腹ごしらえも済んだし、次は糸を布にする作業だ。
「んっこいしょっと」
クロロはまず大きな作業空間を作るためにベットを持ち上げて壁に立てかけた。もちろん、シーツなどは畳んで隅に寄せている。
「うん。これだけ場所があれば大丈夫かな」
そう言うと、クロロは糸の端を持つとそれをひゅんっと投げて、手首をすばやく左右に何度も振った。
すると投げられた糸が、少しずつ平行にずれながら、どんどん床を敷き詰めていく。
「こんなものかな」
糸を十分敷き詰めたら、その端を懐刀で切った。この時点で結構な量の糸を使用しているが、切り離した糸の塊はまだまだ十分な量が残っている。
その切り離した方の糸を、敷き詰めた糸の一番端っこに結びつけた。ここが、機織りの起点になるのだ。
そして、仕上げとばかりにクロロは、敷き詰めた糸全体に向かってふーっと息を吹きかけた。
「よっし、準備完了!始めるぞ!」
クロロは敷き詰められた糸の横に立つと、切り離した方の糸の塊を左手に持った。右手は糸の川の方に突出し、その指先は何かを掴むように曲げられている。
「それ!」
掛け声と共に、左手に持っていた糸を部屋の壁に投げつけた。ちょうど、敷き詰めた糸と垂直に交差するように飛んでいく。やがて、壁に「ボヨン」当たって跳ね返り、再びクロロの元にまで戻ってきた。これはジョウブ菜から作った糸だからこそできる芸当だ。普通の植物の糸だと弾力性がなく、こんな風に跳ね返ることはない。
そしてその一瞬の間だった。糸の塊を投げたとき、クロロが右手首を上に動かすと、糸の川が触れていないにも関わらず、ぐわっと上に動いた。よくよく観察すると、このとき動いたのはすべての糸ではなく、端から数えて偶数本目だけだということに気付く。そして、糸の塊が壁に当たった瞬間、今度はクロロの右手首が下に動いた。すると、今度は上に動いていた偶数本目の糸が下に動き、同時に奇数本目の糸が上に動き出した。
「うんうん、いい感じ。それじゃあ5往復ずつくらいでいこうかな」
クロロは先ほどより強く糸を投げつけた。今度は壁から跳ね返ってきた糸を受け取らず、そのまま後ろの壁にぶつけてまた跳ね返えさせる。そうやって壁と壁の間を5往復ほどさせた後、クロロは糸の塊をキャッチして、また勢いよく壁に投げつける。その間右手は目にも留まらぬ勢いで動いている。
これがクロロの村の機織り方法である。ちなみに彼女はこれ以外のやり方を知らない。
投げる、糸を動かす、動かす、動かす、動かす、動かす…。
キャッチ、投げる、動かす、動かす、動かす…。
クロロは凄まじい速さで、どんどん布を織っていく。
幼いころは、このリズムがなかなかつかめず途中でこんがらがったものだ…。だけど、今なら目を瞑ってもできる。うんうん。私も成長したものだ。
その頃、宿屋2階の廊下を掃除していたリイはクロロの部屋から奇妙な音が聞こえてくるのが気になって仕方がなかった。なんか、すごい勢いで「ボヨヨヨヨヨン、ボヨヨヨヨヨヨン」と聞こえてくるのだ。心なしか、部屋全体も揺れている気がする…。大丈夫かな…この宿つぶれない?
何をしているのかものすごく気になったが、お客様のプライベートに踏み込んではいけないという宿屋の暗黙の了解がある。私は、宿屋の娘。その誇りにかけて、部屋を覗き見するなんてできないわ!
ボヨンボヨン。
あぁあぁ…でも、でも、気になるぅ~!
ボヨヨヨヨーン、ボヨヨヨン。
いえ、でもダメよ。ダメなのよ。そんなことできないわ。
ボヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨーン。
ああ!でもでもでもぉぉ!
リイは人生最大の葛藤を迎えていたが、そうこうしているうちに晩御飯の準備を手伝わなくてはならない時間になったため、急いで1階に降りて行った。
リイはなんやかんやで誘惑に打ち勝ったのだった。




