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039.初めての神殿記

「あ…、う…え?え…?ええっ!?」

 穏やかだったタンドの顔が、やはり穏やかなまま驚く。ちょっとどう表現したらいいかわからないが、とにかくそんな状態だ。その様子にクロロの方が驚く。

「ん?どうしたのタンドさん?これ、神殿の神官さんからハンコをもらえるやつだって聞いたんだけど…違った?」

 クロロがどうしたことかと戸惑っている間、タンドは神殿記とクロロを何度も交互に見つめた。

 そして、やっと動いたかと思うとおそるおそる神殿記を受け取ったが…指先というか手全体が震えている。

「ち、小さな旅人さん。わ、私は今から神殿記のルールに乗っ取って、し、質問をいたしまう。嘘偽りなくお答えいただけまふでしょうか」

 なんか噛み噛みだ。しかしながら、彼のすごいところはそんな状態でもやはり穏やかな表情を崩さないところだろう。見た目と精神状態が合わなさすぎる。

「神殿記ってルールがあるんですね。了解です!なんでも答えます。…でも、タンドさん大丈夫?なんかものすごく震えてるけど…」

「え、ええ大丈夫ですよ。ご、ご心配をおかけしてすみません。な、なにせ…神殿記を実際にて、手に持つのは初めてなも、ももものでして…」

 神殿記って持ってくる人少ないのかな。うん。最近若い人はあんまり神殿に来ないって言ってたからそのせいかな。

 クロロの推理は残念ながら間違えている。

「で、では…。あなたの名前は?」

「クロロです」

「ありがとうございます。つ、次にあなたにこの神殿記を授けた者の名前は?」

「ロリア元神官です」

 クロロが答えると、タンドは震える手で神殿記を開いた。

「あ、あなたがこの神殿記の所有者であることが証明されまひた。そそそれでは、私ももも、ゆゆゆ…指輪印を押させていいいただただきます…」

 ガタガタと揺れる手に苦戦しながらも、自身の指輪を神殿記に押し付けた。そこにきれいなハンコが押される。

「指輪印?」

「そ、そうです。こ、このハンコですが、正式には指輪印と言いましゅ。神官になった者はその日にかっ、各自の名前が入った指輪をもらふのです。その指輪で押す印なので指輪印ですすす」

 ガッタガタしながら、押印を終えた神殿記をクロロに返却したタンド。

 緊張から解放されたのか、彼は大きく息をついて背もたれに身を預けた。その額にはうっすらと汗をかいていたが、それがまた彼をキラキラと輝かせている。気だるい雰囲気で髪をかき上げる仕草は先ほどのブルブル震える様子から一変して、なんとも色っぽい。クロロは思わず見てはいけないものを見た気がして、バッと目を両手で覆う。

「はー…。こんなにドキドキしたのは初めてです…。小さな旅人さん、いえ、クロロさんを個室に誘ってよかった…。これほど貴重な物を見せびらかすのはよくありませんからね。ましてや持ち主はこんなに幼い旅人さんだなんて…見る人が見れば大騒ぎになるところでした…」

 タンドはほっとしたように言う。だがしかし、大人の色気に当てられてしまったクロロはそれどころではなかった。両手で目を覆いながらも、指の間からチラッチラッとタンドを見る。そして、見てはきゃーっと悶えるのだ。

「どうかしましたか?」 

「いえ、ナンデモないです…。それよりさっき神殿記のルールって言ってたのは何だったんですか?」

「神殿記をくれたロリアさんから聞いていませんか?神殿記は持ち主を特定できる特殊な加工がされているのですよ。持ち主の名前と神殿記を授けてくれた神官の名前を言うことで、初めてページを開くことができるのです。これには今では失われた古代の技術が使われていると言われています」

 なるほど。盗難防止機能付きだったのか。何と優秀な!

 クロロが感心していると、急にタンドが元気になって起き上がる。

「そうだ!いいことを思いつきました!さきほどの地図の件ですが、私がアゼパス様に見せてもらえるよう口添えいたしましょう」

「え?そんなことできるんですか?」

「はい。神殿記はそれを持っているだけで強力な身分証になります。神殿側が認めた人格者となれば、地図を見せてもらうくらいできるはずです」

「人格者なんて大げさだけど…やったー!ロリアさん神殿記をありがとー!」

 クロロは両手を上げて喜ぶ。

「ただ、さすがに今すぐという訳にはいきませんが…。そうですね、2日後には領主様のお屋敷に入れるようにお願いしておきますね」

「はい!ありがとうございます!」

「いえいえ、私も神殿記という貴重な物に触れる機会を頂いて感謝しています。この他には何かお困りごとはありますか?」

「いいえ。今のところないです。色々ありがとうございました」

「そうですか。それではまた何かあったらいつでもいらしてくださいね」

 タンドは美しい微笑みを浮かべながら、クロロを神殿の外まで見送ってくれた。


 足取り軽く去って行ったクロロとは裏腹に、神殿内に戻ったタンドは一人難しい顔をしていた。

「それにしても…さっきは動揺していて何も考えられませんでしたが…。ロリア…。まさか、クロロさんに神殿記なんて代物をお渡ししたのはあなた様ではありますまいか?」

 タンドは窓越しに晴れ渡った空を見上げた。

「神殿記のハンコはまだ2つしかなかった。ということは、彼は神殿記を受け取ってからまだ日が浅いということ…。ロリア先生…。もしかして案外近くにいらっしゃるのではないですか?もしそうなら一目でいいので会いたいです。あなたに救っていただいたタンドがこうして立派に生きているところを見てほしいのですよ」



 麗しのタンドと出会い、次の旅の目的地を思い描けるようになったクロロは上機嫌で宿屋に戻った。次の目的地はあのギレボハーレム記にあった渓谷を目指すことにしよう。どんなところなんだろう。どこにあるんだろう。まずは、エルベス王国への行き方を調べてー、神殿がよく見える街を探してー…。ああ、でもこの国の王都も行ってみたいしー。どーしよっかなぁ、悩んじゃうなぁ!

 幸せそうに悩むクロロ。だが、まずは領主のアゼパスさんとやらに地図を見せてもらってから今後のルートを決めようという考えにたどり着く。

 しばらく、ベットの上でうつらうつらしていたクロロだが、突如ぱっと起き上がった。

「おっと…。晩御飯までにジョウブ菜の綿を出しておかないと!」

 クロロは部屋に置いていたジョウブ菜を手元に手繰り寄せた。そして左手で茎、右手で先っちょの葉を持つと勢いよく引っ張る。すると「ポンッ」と軽い音がしたかと思うと、クロロの右手にはもっこもこの白い綿があった。これは茎の中の繊維だ。ジョウブ菜は先っちょの葉の部分を引っ張ると中の繊維も一緒に出てくるのだ。しかも、細い茎の中に入っていたとは思えないほどの量が取れる。

 クロロはいつもこの瞬間が好きで、家でもよくこの作業をお手伝いしていた。…たくさんやりすぎて、部屋をもこもこで埋め尽くしたこともある。あの時は両親が揃って出かけていたため、一人で作業をしていたのだが、夢中になりすぎてもこもこに生き埋めになった。窓から溢れんばかりのもこもこを目にした近所の人が慌てて両親に連絡を取り、そこからクロロ救出劇が始まったのだ。どけてもどけても、またもこもこ…。いつまでたってもクロロにたどり着かず、最終的には村人総出でもこもこを掘ってくれたのだ。

 ちなみに、いつまでもクロロにたどり着かなかった理由としては、生き埋めになっていることにも気づかず、クロロが手元にあるジョウブ菜をずっとすぽんすぽんと抜き続けてもこもこを増やしていたからである。そして、その日クロロはなぜか両親ではなく、ご近所のカイザーにこっぴどく叱られた。本当は両親も叱りたかったらしいのだが、あまりにも彼が長々とお説教をするため、最後には勘弁してあげてくれと逆に庇うことになっていた。

 そんな思い出に浸っている間に、いつの間にかすべてのジョウブ菜の処理が終わっていた。

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