022.神殿記
時は少し遡り、ハイルとギルを荷台に放り込んだクロロとオースはコモン村に別れを告げていた。
門番はあの真面目ギルドを作る夢を持った青年だった。
「それじゃあ、お世話になりました」
「おうよ。それにしてもオースさんの荷馬車に一緒に乗せてもらえるなんて幸運だったな坊や。楽しい旅にしてくれよ。オースさんもお元気で。またうちの村に寄って下さいよ」
「そうだね。また来るよ」
「真面目な門番さんバイバーイ!」
「ちょいとお待ち!」
突然待ったの声がかかる。
声がした方へ顔を向けると、ロリアとリベアがこちらに向かっているのが見えた。
「ふう、間に合ってよかったよ。まったく何も連絡しないで出て行こうとするなんてやめておくれよ」
「はあ…はあ…ロリア元神官…足が速いです…。さては昨日の騒ぎの時は全力を出していませんでしたね…」
「いいんだよ。昨日は特に緊急でもなかったんだから。でも、今日はこの子に用事があったからね。村から出られたら追いつくのが大変だから急ぐのは当たり前だよ。あんたももっと体を鍛えておいた方がいいよ」
「はい…精進いたします…」
用事があると言われたクロロは首を傾げた。
「ロリアさんおはようございます。僕は今からオースさんと一緒にクリリ街に向かうところなんですけど、用事ってなんですか?」
「あぁ、実はあんたに渡しておきたいものがあってね。これだよ」
そう言うとロリアは懐から手帳のようなものを取り出し、クロロに手渡した。
表紙は少し分厚く、すんだ水色で複雑な文様が描かれていた。
「それは、神殿記というものだよ。各村や街の神殿に赴いたら、その場所の神官に見せるといい。神官が自身の指輪でそれにハンコを押してくれるはずさね。あんたは各地を旅する予定なんだろ?せっかくだから、その神殿記に旅の間にどれだけハンコを集められるか挑戦してみるのも面白いだろうと思ってね。それに、ハンコが多ければ多いほどたくさんの神殿を訪れた証明にもなるし、神殿の待遇もちょっと良くなるオマケつきさね。持っていて損はないよ。ただし、くれぐれも失くすんじゃないよ!」
「え?ハンコを集められるの?面白そう!ありがとうロリアさん。大切にするね!」
「うんうん。せっせとハンコ集めに精進するんだよ。きっと今後あんたの役に立つときがくるからね」
「私とロリア神官分のハンコはすでに押してあります。どうぞ頑張ってハンコを集めて下さいね」
そう言うと、ロリアとリベアは自身の着けている指輪をキラリと見せた。
面白そうな物を貰って喜んでいるクロロの横では、オースが目を見開いて神殿記を見つめていた。
そうして、恐る恐るロリアの方を見ると、彼女は人差し指を立てて口元に持っていき「しーっ」というジェスチャーをしていた。
オースはため息をつきながら苦笑し、頷いてそれに答えた。
「さてさてクロロ君。素敵なレディーたちのお見送りもいただいたし、そろそろ出発しようか」
「うん!ロリアさんリベアさん、素晴らしい物をありがとう!僕、この神殿記をハンコでいっぱいにできるよう頑張るね!」
「そうさね。頑張んなさいよ」
「えぇ、今後の旅の幸運をお祈りしております」
2人に手を振りながら、クロロとオースはコモン村を去って行った。荷台にはビタビタ呻くギルとスヤスヤ眠るハイルを乗せて。
クロロとオースが見えなくなるまで見送ったロリアとリベアは、朝のさわやかな空気の中神殿に戻っていた。
「でも、よかったんですか?神殿記をあんな小さな子に渡して。あれは大神官以上の者が認めた者にしか渡せない貴重な物ですのに…」
「ああ。私にも理由はわからないけど、彼にはあれを絶対渡さなければならないと思ったんだよ。会って間もないのに不思議なもんだね。まぁ、年寄りの気まぐれな勘ってやつかね」
ロリアはあっけらかんと笑ってどんどん先に歩いていく。
彼女の後ろ姿を見ながらリベアはぼそりと呟いた。
「あなた様の勘ほど当てになるものはございませんよ、ロリア元大大神官」
一方で神殿記を眺めてながらご満悦中のクロロ。
それを横目にオースは未だに興奮冷めやらぬ状態だった。
実はオースは本物の神殿記を見るのは初めてなのだ。神殿記はおいそれと手に入れられる品物ではない。いくら神殿に熱心に通っても、いくら心を清めても、いくら人助けをしたとしても、手に入れられる物ではない。大神官以上の者に、協力したい、力になってあげたいと思わせる魅力があって初めて手に入れられる物なのだ。これを持っているだけで、国内だけでなく国外の神殿の助力を得ることも可能になる。ある意味、国家戦力以上のものを得たと考えてもいい。
しかしながら、大神官以上の者は人を見る力というものが常人より優れている。逆を言えばそれが優れていないと大神官以上にはなれないのだ。おそらくあのロリアという元神官はその力が飛びぬけて強いと言えよう。本来ならば、こんな田舎の村ではなく王都の神殿で手腕を振るっていてもおかしくない人物だ。
クロロにこの短時間で神殿記を渡せるような人物だ。彼女自身も未だ知らない、彼女の本性をわずかにでも感じ取ったに違いない。
まったく、あんな人間がこんなところにいるなんて予想外だった。クロロがまだ世間知らずで良かった。もし神殿記の価値を知りながら渡されていたとしたら、どうして自分がそれを渡されるのか深く考えるはめになっていただろう。
まだだ。彼女はまだ、自身のことについて深く考える時ではない。それはもっと先、彼女の旅の終着点で考えるべきことなのだ。…まあ自由奔放な彼女のことだ。きっとそのときが来ても本能のままに行動するだろうが。
オースが真剣に考え事をしていると、クロロは突然「はっ!」となってオースの方を見た。
「オースさん!どうしよう!ハイルとギルに朝ごはん食べさせるの忘れてた!」
「…まぁいいんじゃないかな?ギルさんはまだ布団でもごもごしているし、ハイルさんに至ってはぐっすり寝ているし。心配なら後でパンでも持って行ってあげなさい」
「うん。わかった!」
気持ちのいい返事をしたクロロはオースの隣で再び神殿記を眺めたり、周りの風景を楽しんだりしだした。そんなクロロを見るオースの目は優しく細められていた。




