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 もろびとこぞりてむかえまつれ──季節外れの曲が鼻歌で流れていた。

 夜道をとぼとぼ歩きながら、加瀬谷は思う。

 "共感覚"──それが由依の自殺した動機なのだろうか、と。

 音が色を伴って見える。それは加瀬谷には素晴らしい才能に思えた。しかし彼女は気味悪がられたという。自分と同じに。

 普通と異なる能力の一体何がいけないというのだろうか。──そんな疑問を抱き、加瀬谷はふっと鼻歌をやめた。それはまだ加瀬谷が学生だった頃にも持った思いだ。

 僕の何がいけないの?

 思い出して、少し目頭が熱くなる。不気味だ奇妙だ変だ、と自分を蔑む視線、関わりたくないと避けていく人々。交わらない眼差しはいくつあっただろう。

 唯一、他人と同じようにできるのが、音楽を聴くことだった。

 音楽は幾重にも音が積み重なり、形を成している。加瀬谷の頭は同時に流れてくる複数の音を処理するため、音楽は普通に聴けた。

 加瀬谷が調律師になろうと思ったのもそれが理由だ。音楽に触れられる仕事じゃないと自分はきちんとできないとわかっていたから。

 加瀬谷の鼻歌はいつの間にか"月光"に変わっていた。あの音色の悲しさを鼻歌ではとても表現できない。けれど稚拙なそのメロディが何故かとても笑えた。

「ご機嫌だな、加瀬谷くん」

 後ろから声がかかり、加瀬谷は振り向く。

「半村さん」

 そこにいたのは黒いスーツに緑のネクタイをした半村だった。

「よ。今帰りか?」

「はい。半村さんも?」

 ああ、と軽く笑いながら答え、半村は手にしたビニール袋を持ち上げる。

「どうだ、加瀬谷くん? うちで一杯」

 がら、とアルミ缶のぶつかり合う音がした。ビールかチューハイでも入っているのだろう。

 加瀬谷は困ったように眉をひそめた。

「すみません、遠慮させていただきます。僕、お酒は駄目なんです」

「お? そうなのか」

「悪酔いするんです」

「ふぅん。なら、晩飯だけでもどうだ? うちの妻の料理は一級品だぞ?」

「のろけですか?」

「ば、馬鹿」

 そんなことを言い合っているうちに到着する。

「のろけはいいとして。突然お邪魔して迷惑じゃありませんか?」

「むしろ大歓迎だ。灯がお前の仕事に興味持ってたしな。おれもお前の仕事ぶりには興味がある」

 まあ、入れ、と半村はさくさく鍵を開けてしまう。加瀬谷は一瞬躊躇ったが失礼します、と入った。

「おかえりなさい。あら、加瀬谷さん、いらっしゃい」

「こんばんは。お邪魔します」

「あ! でっかいお兄ちゃんだ」

 灯がぱたぱたと駆け寄ってくる。かしっと加瀬谷の足にしがみついた。

「お兄ちゃん、ピアノ直して!」

「……えっ?」

「こら、灯」

 こつんと息子の頭を半村が小突く一方で、灯の一言に加瀬谷は目を丸くする。ピアノを直してとはどういうことだろう? そもそもこの家にピアノがあるのか。

 加瀬谷の疑問を読み取り、半村が答える。

「アップライト式のピアノだよ」

「ああ、なるほど。でも、半村さん直せるんじゃ」

「おれは紫埜浦先生の弟子やめてから、調律はすっぱりやめたんだ。稼ぎは微々たるもの、生活が苦しいのに続けることはできなかった」

「そうですか」

 紫埜浦にこれまでずっと世話になっていた加瀬谷と違い、半村は数年前、結婚を期に調律の勉強をやめ、去って行った。

 確かに、調律の仕事というのは一回あたりがそんなに高くつくわけでもなく、そう頻繁に仕事が来るわけでもないので、それで生活するには苦しいものがある。

 よほど好きでなければ続けられない仕事だから、覚悟を決めてかかれ、と紫埜浦も常々言っていた。

 これはそういうことなのだろう。

 加瀬谷は深くは問わず、ピアノの元へ向かった。


 調律が終わったピアノで"仮面舞踏会"を弾く。

 鍵盤の上で加瀬谷の指が跳ねる。その指の動きに見合った音をごくごく普通の縦型ピアノが奏でる。

 夜宴を思わせる華やかなメロディ。リズミカルなテンポで人が近づき、離れていく。知人だろうが他人だろうが関係なく、二人一組手を取って踊る。オレンジがかったライトの下、そんな光景が浮かぶような生き生きとした演奏。

 加瀬谷は最後の音を奏でると、ふう、と長めの息を吐いた。

観客(オーディエンス)が近いと緊張しますね」

 じっと見つめていた灯と半村に苦笑いを向ける。二人ともしばらく呆気に取られていた。

「えっと、あの……」

 加瀬谷が対応に困っていると、灯が手を叩いた。

「すごいっ! でっかいお兄ちゃんピアノ上手い」

「そうかな?」

「プロ顔負けだったぞ。なんでピアニストにならなかったんだ?」

 それぞれから称賛を受け、加瀬谷は少し照れた。

「僕は弾くより聴く方が好きなので。人に聴いてもらったのは久しぶりかもしれませんね」

 言いながら、由依には聴かせたのを思い出す。聴かせたといっても、昨日のあれは酷い音程だったため、耳を塞いでいただろうが。

 けれど、由依は人ではないことを思い出す。人の姿をしていて、ピアノを弾けるものの、既にこの世には亡い人物。そう思うと少し寂しい気がした。

「素敵な演奏でした。ご飯できましたよ。加瀬谷さんもどうぞ」

「ありがとうございます」

 紗菜絵がやってきて声をかけた。全員でダイニングへ向かう。

 紗菜絵の料理に舌鼓を打ちながら、半村が加瀬谷に尋ねた。

「仕事はどうだ? あのコンサートホールだと聞いたが」

「噂のようなおどろおどろしい雰囲気はありませんよ。あるのはいたって普通のグランドピアノです。まあ、通い始めてまだ二日なので、わからないことは多いですが、あの子はかまってちゃんですね」

 あと、人見知り、と加瀬谷が付け加えるのに半村一家は一同で首を傾げた。

「お兄ちゃん誰の話してるの?」

「ホールのグランドピアノさんのお話ですよ」

 あっさりとした答えに唖然とする一同。

 沈黙に不安を抱き、「変ですか?」と加瀬谷が恐る恐る尋ねると、夫婦は返答を躊躇い、対照的に灯は「うん!」と元気よく答えた。

「ピアノはピアノだよ? それを人みたいに言うの、変!」

 歯に衣着せぬ息子の物言いに半村は慌てふためくが、加瀬谷はあまり気にしていないようで「そっか」と軽く相槌を打った。

「これはね、紫埜浦先生から移っちゃったんですよ。多分治らないでしょうね」

「先生?」

「僕に調律のやり方を教えてくれた人です。変といえば、変な人でしたね」

 師匠を捕まえてわりとばっさり言う加瀬谷に半村は苦笑した。

 灯がほっとしたように息を吐く。

「びっくりした。ピアノの幽霊さんのことかと思った」

 灯の呟いた何気ない一言に何故か半村夫妻の空気が凍る。

 ぴしっと音が聞こえそうなほどの固まり具合に加瀬谷は二人を交互に見た。

「あ、あの……?」

「ああそうだそうだ加瀬谷くん。食後にまた一曲弾いてくれよ」

「そうですね。わたしもゆっくり間近で聴きたいです」

「え? はい、いいですけど」

 急な話題転換と二人のぎくしゃくとした動きにしきりに首を傾げながらも、加瀬谷は箸を進めた。

 一番気になったのは、それからずっとついて離れなかった灯の視線だったが。




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