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 木造ハイツ全焼火災

 ××日午後十時頃、籠沢市※※の木造ハイツで火災が発生、建物が全焼した。

 亡くなった住人は五名。早くに気づき逃げ延びた唯一の住人の通報で周囲に被害は及ばなかったが、ハイツは全焼。死者五名となった。

 出火原因は現在調査中とのこと。

 唯一生き残った住人によると、亡くなった住人が自ら火を点けるといったようなことを仄めかしていたという。


「あら、籠沢市のこのハイツって、縁くんが住んでたところじゃない」

 新聞を読み上げ、箕舟が驚く。加瀬谷は口に込み上げてきた苦いものをコーヒーで飲み下す。

 箕舟が読んでいたのは数日前の新聞だ。怪我で加瀬谷が入院している間、箕舟は付きっきりで看病し、昨夜、退院した加瀬谷と共にようやく帰宅したのである。そうして今、家を空けている間に来た新聞や郵便物を整理していたというわけだ。

 今箕舟が手にしているのは加瀬谷が運ばれた翌日の朝刊である。

 "亡くなった住人が自ら火を点けるといったようなことを仄めかしていたという"

 ハイツの住人たちは死を選んだということか。

 一人生き残ったのはおそらく、あの場にいなかった一〇二号室の梶だろう。紫埜浦の日記を見る限り、彼は潔い人だ。同じ日の夕刊には"春加記念コンサートホールの謎解明!?"というタイトルで梶が証言したらしいことが書かれている。加瀬谷があの日暴いたことがほとんどそのまま語られたようだ。

 彼は殺人に直接関わってはいないようだが、けれど事件を知る数少ない人物として詳しい取り調べを受けるようだ。

「全く、毎日毎日こんな物騒なことばかり。たまには景気のいいニュースとかないのかしらね」

「そうですか? これまで起こった事件の粗方の真相が明るみに出るのなら、いいことだと思うのですが」

「あ、違うわ。ハイツ関係の話じゃなくて」

 話が噛み合っていないらしいことに気づいた箕舟が、続いて手にしていた別の新聞を示す。見ると、日付は今日のもの。

「若い女性の方が、自殺未遂ですって」

「ああ、それも確かに物騒で……っ!?」

 記事を読み、加瀬谷が硬直する。


 ××日未明、春加記念コンサートホールに勤める女性職員が自宅で自殺を謀っているのが発見された。幸い、同居している家族に早くに発見され、一命をとりとめた。

 その日の朝に職場にどうやら辞表を出していたらしく、仕事疲れからの衝動的自殺ではないかと見られている。


 春加記念コンサートホールに勤める女性職員。

 その言葉で加瀬谷の脳裏に一つの名が浮かぶ。

 加瀬谷は手早く朝食を済ませ、身支度を始めた。

「少し早いですが、いってきます、母さん」

「いってらっしゃい」

 加瀬谷の表情に箕舟は察したのか、何も聞かず、送り出してくれた。

 玄関から手を振り、「挨拶はしっかりね」とだけ注意する。

 今日は加瀬谷の仕事復帰日だ。


 駅を出ると、思わずきょろきょろと辺りを探してしまう。

 駅、バス停、その他諸々が近く利便性の高かったハイツ。調律師としてまだ駆け出しで安定した収入とは言い難い加瀬谷からすると五万円の家賃は少々きついが、相場から見れば安い。

 築三十年。春加記念コンサートホールと同じ時を見つめてきたものが、崩れ去り、今はもうない。住民もろとも消えてしまった。

 死に逃げた住人たちに罰が下ることはないだろう。

 街の人々にとっては少し更地が増えて寂しい程度の認識で、その認識も馴染んでくればすぐに消えてしまうだろう。

 さて、今日は退院翌日だからと本当は富貴屋館長直々に一日休んでいいと言われた。それでもできるなら午後から来てほしい、と。明日、演奏会があるのだそうだ。

 退院前日、見舞いに来た富貴屋が加瀬谷に言ったのはそれだけだった。仕事の話ばかりして、と傍らで聞いていた箕舟が愚痴をこぼしていたけれど、加瀬谷は富貴屋のことをあまり悪く思わなかった。

 言葉遣いと態度がいけないだけで、行為だけを見れば、気遣ってくれているし、こちらの事情を踏まえた上で、お願いをしに来ているだけなのだ。ふんぞり返っているような態度を抑え、もう少し言葉を選んで遣えば、相当根は真面目で優しい人のような気がする。

 それで、頭が固いところが直せないから富貴屋は富貴屋なのだろうが。

 とにかく、朝早くには来たが、富貴屋の言葉に甘えて午後からの出勤にする。

 加瀬谷はまず、図書館に顔を出した。

 入っていくなり、加瀬谷の姿を見た人々がわぁと声を上げる。それから、わらわらと人が周りに集まってきた。

「死なない調律師さん、大丈夫?」

「わーい、死なない調律師さん、生きてるー!」

「へぇ、これが本物なんだ」

 心配されたり感動されたり関心を向けられたり。見も知らぬ人々の反応は様々だった。自分はいつの間にこんなに有名人になったのだろう、と加瀬谷は少々照れくさそうに頬をぽりぽりと掻いた。

 周りを取り囲む人一人一人に挨拶をしながら、視界の隅で遠巻きにこちらを眺めている人物を捉えた。

 ここで一番顔馴染みの職員──笹木柄仁枝。柚花梨の妹である彼女はもしかしたら何らかの形で先日のことの真相が伝わっているのかもしれない。

「柄仁枝さん」

 加瀬谷は人だかりを掻き分けて柄仁枝の方に歩み寄る。加瀬谷の声に柄仁枝はにこやかにこんにちは、と返した。

「借りっぱなしだったものを返しに来たのですが」

「ああ、ではこちらです」

 柄仁枝に案内されて加瀬谷が歩き出すと人だかりはだんだん散っていった。

 返却カウンターに行き、手続きを取ってもらっていると、カウンターの向こうで柄仁枝が小さく言った。

「今回のこと……申し訳ありませんでした」

 加瀬谷は一瞬きょとんとしたが、すぐに柚花梨のことを言っているのだと気づき、いえと返す。

「柄仁枝さんが謝るようなことじゃありませんよ。それより、お姉さんは大丈夫ですか?」

「……まだ、寝たふりしてます」

「ね、寝たふり?」

 寝ているのではなく? と加瀬谷が思ったのを読み取り、柄仁枝は続ける。

「柚花梨、結構意地っ張りなんですよ。何があったか聞くのも大変だったんですけど。一人で背負い込もうとして、一人で突っ走って、頑固で、思い込みと浮き沈みが激しくて……加瀬谷さんにやったこと、すごく後悔してるって。あの日、加瀬谷さんのために救急車呼んでから帰ったって言ってました。最後までいろよ、と突っ込みましたが」

 加瀬谷はあのときの柚花梨の姿を思い出す。ナイフを持つ手はずっと震えていて、目にはずっと怯えがあった。あの犯罪者たちの中で最も、人の心を持ち合わせていたのかもしれない。

「で、寝たふりっていうのが、昨日の夜中なんですけど。早めに見つけたから意識を取り戻すのも早くて。まあ、結構真っ暗な時間帯だったんですけどね。──富貴屋さんが来たんです」

「富貴屋さんが?」

 その名前が出るとは驚きだ。

「ええ。ノックして、病室の外で富貴屋さんが名乗るのを聞いて、それから柚花梨ってば布団引っ被って寝たふりで」

 仕方ないだろう。柚花梨は富貴屋に殺意を抱いていたのだ。あの日加瀬谷を刺したことを後悔しているなら、尚更気まずかったにちがいない。

「朝に辞表も出してきたから、尚のこと恥ずかしかったって。で、富貴屋さん、あたしに丁寧にお辞儀してから、"今回のことは申し訳ございませんでした"って、謝ったの。"今朝、笹木クンから辞表を預かり、このようなことになって……気づかないうちに笹木クンに負担をかけていたことに後れ馳せながら気づきまして。本当に申し訳ございません"……富貴屋さんひたすらに平謝りでさ。やっぱり普段の口調とか態度はでかいけど、根っから悪い人ってわけじゃなかったんだなぁってあたしは思ったんだけど、そこからずーっと柚花梨は寝たふりで。こっそり、泣いてました」

 富貴屋さんがこう言ったんですよ、と柄仁枝は続ける。

「落ち着いたら、またコンサートホールの事務に来てくれないか? 笹木クンがいないとお客が寂しがるって。あたしちょっと笑っちゃった」

 手続きが終わり、本を戻しに柄仁枝が歩き出す。加瀬谷も後に続く。

 向かう先はいつものブース。

「あれから寝たふりばっかだけど、何か踏ん切りがつくんじゃないかな。本当、よかった。変なことになる前で。ありがとうございます。加瀬谷さん」

「え、僕ですか?」

 加瀬谷が目を丸くするとMVPですよー! と柄仁枝は彼を称えた。

「柚花梨を止めてくれて、ありがとうございました。怪我とか、あと、住居とか……色々大変なことになっちゃいましたけど」

「ははは、それについては大丈夫ですよ。こうして無事ですし、今は卯月町の実家にいますから」

 そこからいくらか柄仁枝と他愛のない言葉を交わし、後で柚花梨にも会いに行こうと思いながら、加瀬谷は図書館を後にした。




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