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「かかりましたね」

 満面の笑みを浮かべ言う加瀬谷に、何故かその場にいた者たちは身震いを覚えた。

 叶李だけがわけがわからないといった表情で加瀬谷をまじまじと見つめる。

「かかった? かかったって、何、何かしら?」

 若干の不安が漂う問いに加瀬谷は笑みを貼りつけたまま応じる。

「叶李さん、今、被害者のことを"彼女"と言いましたね」

「それが?」

「あっ」

 この面々の中では最も聡明らしい細軒が気づいたようで、声を上げる。ぽつりと自分の知っている情報の断片を彼は語った。

「三十年前自殺したピアニストは、名前も年齢も、そして()()()不明……」

「僕は今まで女性だなんて一言も言っていませんよ?」

 二人の言葉に余裕の笑みを保っていた叶李が初めて色を失う。

 そう、叶李は三十年前の被害者を"彼女"と言った。

 今ではもう性別すら知る術のない被害者を"彼女"と断定したのだ。

「そ、そんな、言葉のあやよ。ピアニストって、女性が多いでしょう? ねぇ、ねぇ?」

「そんなことはないと思いますが。有名な作曲家はベートーベンにモーツァルト、シューベルトにバッハ、ショパン……小学校の音楽室で見かける肖像画の方々はみんな男性ですよね」

「作曲家がピアニストとは限らないでしょう」

「モーツァルトやベートーベンはピアニストだったと思いますが……」

「もっと一般的なところがあるでしょう? そうねぇ、例えば、保育士さんとかピアノを弾く人は女性でしょう」

「叶李さん。保育士は元々女性の方の職業です。保母さんという呼び方があるでしょう? まあ、男女共同参画社会とかで職業に男女の差別をつけてはいけないという法律ができましたが、まだ保父さんよりも保母さんの方が圧倒的に多いです。絶対数が違いますよ」

「学校の音楽の先生だっているでしょう?」

「そうですか? そこは半々だと思いますがね。ちなみに、プロのピアニストさんで有名な人は厳密に数えたことはありませんが、男女同じくらいだと思いますよ」

 完膚なきまでに論破された叶李は声もなく、口をぱくぱくさせた。

 加瀬谷はにっこり微笑むと、続ける。

「ついでですから、その方の名前を叶李さんに教えていただきましょうか」

 容赦のない一言。

 叶李は陸に出た魚のように口をぱくぱくぱくぱく。酸素が足りないのだろうか。顔には汗が滲んでいるようにも見えた。

「そのピアニストについては紫埜浦先生が"ツテ"──たまたま知り合いが例のオーディションの審査員だったので、ある程度まで知ることができました。それでもその審査員は名前を覚えていませんでした。記録を探そうにも、ないんですよ。審査委員会が置かれていた会議室でコンセントのショートによる小火騒ぎがあったようで。幸い、大事には至りませんでしたが、オーディションの資料のいくつかは焼失してしまったようです。その中には例のピアニストのものも含まれていました。そのせいで、三十年経った今でも自殺したピアニストの正体は謎に包まれているのですね」

 叶李以外の四人、主に細軒と半村が渋い顔をした。おそらく、同じ考えが浮かんだはずだ。

 できすぎている、と。

「それもこれも、彼女がしたことですよ。何らかの形で、彼女は貴女に毒を盛られたことを知った。余命はあと何時間かもわからないが、毒は遅効性のようで時はいくばくか残されている──そう推理した彼女がとった行動は信じられないことに、貴女が成すはずだった行為、貴女を庇う行為──もっと言えば、貴女の犯罪を"幇助"する行為でした」

 叶李はそこでようやくぱくぱくをやめ、きっと加瀬谷を見上げる。肚を決めたのだろうか。しかし、まだ迷いがあるのか、すぐに俯いてしまう。

「彼女と貴女がどういう関係だったのか、正確なことは僕にはわかりません。ただ、貴女と彼女は連絡先を教え合うほどの仲で、付き合いはそこそこ長かった。何故なら、犯行には計画性がある。遅効性の毒なんて、衝動殺人ではそうそう使わないでしょう」

 叶李が固唾を飲んで加瀬谷の話を聞いている。緊張した面持ちなのは、もう墓穴を掘らないためか。

 といっても、取り繕うには遅いが。

「被害者はわりとすぐ、自分が毒を盛られたことに気づきました。奇妙なことですが、恨まれても仕方がないと思うような何かが二人の間にあったのでしょう。

 残された時間で彼女はできる限りのことをしました。犯人に容疑がかからないように自筆で遺書を書いたり、警察の調べが届かないよう、ツテを使って可能な限りの情報の消去に努めました。彼女自身と犯人の情報を。自分が死んだときに犯人に完璧なアリバイがあるように辻褄合わせまでして。

 貴女は彼女がそうしたことを悟って、何も思いませんでしたか? 彼女を妬み続けていますか? ねぇ、()()()秋子さん」

 場の大人全員がその名に反応した。一人わからない様子の灯が母を見上げて問う。

「ねぇ、みんな何に驚いてるの? 曽根崎って? おばあちゃんは叶李でしょうって、だからか」

「違うわ」

 一人で納得しかけた灯の言葉を紗菜絵が否定する。

「加瀬谷さんがおばあさんのことをただ他の名前で呼んだだけじゃ、本当はみんな、驚かないの。女の人はね、結婚とか色んなことで苗字が変わりやすいからね。お父さんたちが驚いてるのは、おばあさんが"曽根崎"って名前で呼ばれたことだよ」

「曽根崎? 変な名前なの?」

「おかしくはありませんよ」

 次いで灯に答えたのは、加瀬谷だった。

「どちらかというと、"叶李"という名前の方がおかしかったんですよ。偽名というわけではありませんが、本名でもありません。言うなれば、芸名の類でしょうか」

 一呼吸置くと、加瀬谷は告げた。

「叶李さんこと曽根崎秋子さんは、かの有名なピアニスト"曽根崎春加"さんの姉なんです」




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